なんとか満月の夜までには帰ってくることが出来た。
千里さん用のお守りのストックが切れかけていたこともあって、菜々子ちゃんがいつも以上に不安になっていた矢先に事故があったようで、僕が堂島家に着くと同時にお守りを大量生産するように言ってきたのである。メールにあった菜々子ちゃんのショックっていうのはこれも関係していたのだろう。
千里さんが無事に病院から戻ってきたのでお役御免かと思われたのだが、久しぶりに僕の料理を食べたいと千里さんが言うので作っていたら、久しぶりに僕が八十稲羽市に来ていることを聞きつけた商店街のおっちゃんやおばちゃんたちが堂島家に流れ込んできた。全員の悩みを発散させるまでにかなりの時間を要する事になった訳である。
久しぶりに寮での食事を作ることになったのだけれど、師匠に加えて乾くんもいい動きを見せる。というか、僕は作らなくてもいいのではないかと思う具合の手際のよさ。僕はエントランスでぼんやりとしていた山岸先輩を見て、師匠も来たしそろそろいいかと思って声を掛ける。
「山岸先輩」
「……えっと、私?」
山岸先輩は自分のことを指差して首を傾げている。近くにいた湊先輩が目聡く聞きつけ、僕を見ているが無視して手招きする。おずおずと台所に近づいていく山岸先輩を明彦先輩と桐条先輩が心配そうに見つめている。僕は台所に来た山岸先輩の目を見ながら告げる。
「見ての通り、師匠も食事作りに参加されるので、難しい料理で無い限りフルメンバーでする必要がなくなりました。なので、山岸先輩が希望していた料理の講習を今日から始めたいと思います。準備はいいですか?」
「え!?本当ですか?わぁ、エプロン取ってくるね」
そう言って駆け足で階段を上がっていく山岸先輩を見送ると、師匠と乾くんが僕を見ていた。僕は首を傾げつつ、2人に尋ねる。
「どうかしましたか?」
「どうもこうも、大丈夫か?」
「正直、風花さんからは料理に関するセンスが微塵も感じられないんですが?」
「山岸先輩は機械を修理したり、分解したりして手先は器用なんですよ。だから、まずはその手先の器用さを料理の盛り付け方に生かす形で参加してもらって、少しずつ調理の工程を理解していってもらおうと思います」
「仕上げから参加か。……逆転の発想だな」
「山岸先輩の場合、やり方が分からないものを分からないまま、経験の浅い状態であるにも関わらず、こうすればきっと美味しくなるはずという観念でやっちゃうからあんなものが出来上がるです。大丈夫、もしも山岸先輩が変なことをし始めるようならビシビシ叩いてでも分からせます」
僕の中にいるもう1人の僕が眠そうにしながらもその時になったら任せろと言う。普段の自分では出来ないことも、彼と一緒ならやれる。そう思っていたら、自前のエプロンをつけた山岸先輩が降りてきた。そのまま僕のところに移動してくる。
「先生、準備できました」
「では、シンクでしっかりと手を洗った後、お皿の用意と盛り付けをします」
「分かりました」
そう言って山岸先輩は乾くんが作っているお鍋を見つつ石鹸を使って手を洗った後、僕のところに戻ってきた。今日は僕がいない間、アイギスさんがお世話してくれたおかげで大量に生った南瓜を使った料理となっている。
乾くんが作っているのは南瓜のシチューだし、師匠はスープとサラダ、それとムサカを作っている。ムサカというのはギリシャの料理であるが、様々な食材を耐熱容器に重ねるように入れてチーズを乗せてオーブンで焼き上げるグラタンに似た料理である。僕も作ったことがない料理を平然としてくるとは、さすが師匠だ。ネット民から『お母さん』という称号を与えられただけはある。
『ゴンッ!』
「っあーーー!何をするんですか、師匠!」
「うるせえ。山岸が戸惑っているだろうが、教えるならさっさとしてやれ」
そう言って僕の頭を叩いたお玉を水道の水で洗う師匠。僕は叩かれた頭頂部を擦りながら、山岸先輩に向き直る。出来立てでボールに入ったままの南瓜のサラダを2人で見た後、食器棚の前へ移動する。そして、山岸先輩の意見を聞きながらお皿を選ぶ。何種類か選んだ後、実際に盛り付けるのだが、どんなに美味しい料理も仕上げを失敗すると食べる人の食欲を奪うということを説明し、実際に明彦先輩に見せて意見を貰う。実際に料理する側の意見と食べる側の意見を聞くことで盛り付け方も立派な料理のひとつだと理解してもらえたようだ。
「普通に教えるんだな」
「失敬ですね、師匠。僕は料理に関しては手を抜かないんですよ」
◇◇◇
今日は9月5日、隠者のアルカナを持つ大型シャドウとの戦いがある日である。僕もペルソナを召喚できることを皆が知っている状況なのだが、タルタロスでレベル上げをしていないのでお留守番となったので、屋上で野菜や果物の世話をしていた。
すると屋上のドアが開く音がしたので果樹園から出て確認しようとすると真っ白なゴスロリファッションの赤い髪の人が見えた。僕は咄嗟に身を屈める。耳を澄ますと、順平さんとストレガのチドリが言い合いをしているのが分かった。
「やば……色ボケしていて、このイベントがあるのを忘れていた」
僕は室外機の後ろに隠れるようにしながら2人の様子を窺う。するとチドリの目が、僕が隠れている室外機を捉えていた。
「そこにいるでしょ?出てきて、じゃないと……」
ゆらゆらと身体を左右に揺らしていたチドリが召喚器を構えて引き金を引き、動物の頭の骨のようなものを被った手足が以上に長いペルソナが召喚される。火炎属性と毒スキルに長けて、師匠のカストールと同じ治癒能力まで持つペルソナだ。そいつが、僕が隠れている室外機があるところまで飛んでくる。
「ひどいことをする」
チドリの無機質な声が響いた直後、紫色の煙がそこに充満する……のを、僕はチドリを挟んだ対角線上にある遠く離れた室外機の影から見る。残念ながら僕のペルソナがクロノスである限り、どんな強力な攻撃であろうと広範囲に効果を及ぼすスキルであろうと無意味でしかない。
チドリはそこにいたはずの僕という気配がなくなったことで困惑し、自分の目で確かめるために移動して確認しうろたえている。順平さんも後ろ手に縛られた状態だが、様子がおかしいことに気付いたようだ。僕は他の皆が戻ってくるまでの間の時間稼ぎをするために、チドリと鬼ごっこをすることに決めた。
「順平さん、大丈夫ですか?」
「っ!?総司か!」
順平さんの喜びが混じった声を聞き、召喚器を持ったチドリが血相を変えて彼の下へ戻ってくる。そして、声が聞こえた方へ視線を向ける。だが、すでに僕は屋上の給水塔の上から様子を見下ろしている状況だ。
「あれ、俺の帽子が……ねえ」
「誰なの、こんなのがいるなんて“聞いていない”」
「聞いていないって、不思議なことを言うね。誰に情報をもらったのかな?」
チドリと順平さんの視線が給水塔の上に立つ僕に向けられる。その直後、順平さんが僕が着ているシャツに書かれているものを見て噴出した。チドリは相変わらず左右に揺れている。
「シリアスなムードにコメディを突っ込むなよ、総司!『かめ○め波、撃てます』って何だ、『かめは○波、撃てます』って!!」
「しましょうか?」
「メーディア、ポイズマ」
僕はチドリが召喚器を構えた瞬間にクロノスの力を発動させて、給水塔から降りてはしごからも降りる。その後、歩いて移動し屋上から落ちないように設置してある手すりに凭れ掛かりながら、クロノスの時間停止を解く。ついでに右手の人差し指と中指で米神を押さえるポーズ付き。
「総司ぃいい!チドリ、お前ぇええ!!」
「警告はした」
「そして、僕はこっちにいる」
「「!?」」
ぎょっとした表情で僕を見る順平さんとチドリの2人。
チドリは理解不能と言いたげに僕から遠ざかっていく。ちょっとした悪戯心が湧いた僕は、一度クロノスの力で時間を停めると順平さんが座っている位置を換える。丁度、チドリが後ずさる場所に。これは面白いことになってきた。僕は内心、にやにやしながら時間停止を解いた。
「くっ……」
「え、何で、ちょっ!?止まれ、チドリ!!」
「……『ぎゅむ』。……『ふるふる』」
僕に抱いてしまった恐怖心から距離を取ったチドリのお尻が後ろ手に拘束されている順平さんの顔に直撃し、バランスを崩した彼女は彼の顔に座るというミラクルを発動。無表情がデフォなチドリだったが、自分が置かれている現状を理解したのか見る見る内に顔が真っ赤になっていく。
「……い。……いやぁああああああああ!!」
チドリは転げ落ちるように順平さんの顔から降りる。その直後に彼を蹴飛ばして仰向けに寝かせると、拘束されていて抵抗できない順平さんに跨って顔に強烈なビンタの応酬を食らわせる。『ビシィッ』とか『バシィッ』とか、手首のスナップが効いているのか、いい音が屋上中に響き渡る。あまりに理不尽かつ強烈なビンタを受けることになった順平さんだが、心なしか表情は幸せそうだ。
ちらりと下の方を見るとハーミットを倒し終えたのか、次々と先輩方が戻ってきているのが見えた。先頭はコロマルとアイギスさん。
僕は一度、時間を止めると順平さんの帽子をビンタされている彼の近くに置いて、再度給水塔に上がる。そして、身を隠すように伏せつつ、成り行きを見るために時間停止を解いた。
しばらくするとアイギスさんとコロマルが屋上へ続くドアを蹴破って出てきて、順平さんの体に跨って顔を真っ赤にしながら往復ビンタを食らわせる赤い髪の少女を見つけ、どうしようかと視線を彷徨わせる。第3者から見れば完全に痴情のもつれによる争いだったためだ。
その後も息を切らしながら先輩たちが集結していくが、チドリはあまりの出来事で頭がいっぱいで順平さんしか見えていない。チドリの召喚器はドア近くにあったため、念のために岳羽先輩が確保したみたいだ。
「お取り込み中、申し訳ないのだが、君はいったい何者なんだ」
桐条先輩が躊躇しながら声を掛けるとようやく自分が置かれている状況に気付いたのか、召喚器を探すチドリ。しかし、岳羽先輩が持つ自分の召喚器を見つけ、取り乱すのだが、意味が分からんと首を傾げる一同。
アイギスさんの手刀を受けて昏倒したチドリを拘束する先輩方の様子を見ていると、執拗な往復ビンタの応酬で両頬が腫れ上がった順平さんを気の毒そうに見る乾くんや岳羽先輩や山岸先輩のグループと捕えたチドリの処遇をどうするか悩むグループと、さっさと降りて来いと言わんばかりに睨む師匠とコロマルのグループに分かれていた。
「よく分かりましたね、師匠」
はしごを使ってスルスルと降りた僕にどういう状況なのかを聞いてくる師匠に、僕は簡単に説明した。無論、『時間停止』のことは伏せて。
「なるほどなぁ。伊織は文字通り女の尻に敷かれて夢気分って訳か」
「あの赤い髪の女の人が現状を把握するために要したのは10秒くらいでした。その間、順平さんは呼吸していますし、感触を十二分に堪能していたと思いますよ」
「そのこと、あいつらには言ってやるなよ。たぶん、伊織が死ぬことになる」
「合点承知の助です」
後ろ手の拘束を解かれた後もビンタされて赤くなったのとは別の意味で頬を紅く染めている順平さん。暴力を受け続けて意識が跳んでいるのだろうと岳羽先輩たちが心配そうにしている。あれ、そういえば湊先輩がいない。
「師匠、結城先輩はどちらに行かれました?」
「エントランスでへばっていたぞ。大型シャドウ戦では正に一騎当千と言わんばかりの強さだったのだが、戦い終わった直後に燃料切れで倒れ込んでしまったんだ。そしたら、寮で自分たちとは違うペルソナの反応があるということだったから、俺が背負って帰って来たんだ」
さすがペルソナ3のカップリングで人気ナンバー1を誇る『荒ハム』。そもそも僕は当初、師匠と湊先輩をくっつけようと思っていたのにどうしてこうなった。いや、湊先輩と関係を持ったことを後悔している訳じゃないけど。
「それと気になることがあるって言っていたな。失くしたと思っていた洗濯物が見つかったと」
バ、バレたか?
回収して息子の相手をするのに使っていた湊先輩の寝巻き一式とショーツ3枚はさすがに一遍に返すのには多かったかな。もしも湊先輩に呼び出されたら誠心誠意謝ろうと思う。