瀧にとって、それは残された最後の可能性だった。
ここは、あの世とこの世を隔てる場所。
行き交う場所。
そこに供えられた御神酒――口噛み酒ならば――!
一縷の望みに縋ってやってきた瀧は、三葉と出逢う。
三葉の、半身と出逢う。
彼の半身は、既に三葉でできている。
いまさら切り離すことなどできないほどに、深く結びついている。
ならば、残り半身を取り込めば――
こっちが、妹の四葉で、
こっちが、三葉。
彼女の方を一口分、器に注いで――飲み干す!
その瞬間、世界が……明転――!?
“わーい、あの世や~!”
“お姉ちゃん、変やよ?”
“ほんまに自分のおっぱい好きやなぁ”
…………。
気づけば、見慣れぬ天井を見上げていた。
その雰囲気から――どうやらここは、宮水邸ではあるらしい。
だが……
何だか、世界のすべてが大きくなったような気がする。
そして、自分の胸に手を当てた時……瀧は己の過ちを理解した。
――小さい。
そう、世界が広がったのではなく、
縮んだのだ。
瀧が。
いや、正確には――小さな身体に入り込んだ。
姉ではなく――妹の、四葉の身体に。
――どうしよう。
とにかく。
四葉が生きていて、
身体も動く。
ならば、先ず確認しなくてはならないのは――
彼女の部屋はすぐ隣だ。
自室の敷居を踏み越え廊下を急ぐ。
そして、その先のふすまを開くと、中には――
「……三葉ぁ……」
もう逢えないと思っていた。
感極まって鼻水をすするその音は、布団の中の姉にも届く。
三葉は結局、昨日からまともに眠れていない。
とても悲しいことは解っている。
だが、何がこんなに悲しいのかわからない。
何よりも――
次に入れ替わった時、どんな顔で過ごせばいいのだろう。
彼に向けて、何を書き残せばいいのだろう。
絶対、逢えばお互い通じ合えると信じていた。
それなのに……
裏切られた、と責めるつもりはない。
最初から、自分の一方通行だったのだろう。
すべては自分の勘違い。
どこから?
最初から?
何が妄想で、
何が現実なのか。
彼女にはもう、すべてが解らなくなっていた。
そこに飛び込んできたのが、今にも崩れ落ちそうな涙声の妹である。
髪を切っても切り替えられなかった心持ちだったが……これには驚愕せざるを得ない。
――ヤバイ。
一目見ただけで伝わる危機感。
これは、悠長に布団で落ち込んでいる場合ではない。
思わず畳の上へと転がり出て、お尻を擦りながら後ずさる。
が、瀧は震える彼女に気づかない。
三葉が――生きている……!
それだけでもう、感無量である。
もっと近くで、その存在を確かめたい。
希望と不安の入り交じる歩調は、まるでゾンビのように重い。
正気を逸しているのは明らかだ。
ゆえに姉は、冷静に諭す。
「よ……四葉……落ち着いて……ね?」
まさか、取って食われることもないだろう。
だとしても、そのような凄みは感じられる。
怯える姉を前にして、瀧は今の自分が妹だとようやく確信できた。
しかし。
できれば、妹ではなく――
俺自身として見て欲しい。
ゆえに、名乗る。
だが――
「俺だよ、立花瀧――」
その一言で、三葉の中に込み上げてくる憤り。
抑えきれずに妹の頬に平手を振るった後――彼女はその理由を考える。
知っているはずもない――のだが、
何らかの理由で知って、それでからかっているのだとしたら……
それは許せることではない。
しかし。
もし、本当に。
何らかの事情で。
瀧君と四葉が入れ替わっていたとしたら、
四葉の中に、瀧君が入っているとしたら――
昨日の態度は許されるものではない……!
あんなに素っ気なくあしらっておきながら、何を今更――!!
「そんな人、私、知らないわよ……っ」
もし妹が演じているのなら、すぐに馬脚を現すだろう。
だが、本当に本人ならば――釈明の機会を設けたい。
そして、それは瀧にも伝わる。
すべてを知った、今だからわかる。
自分が何をしてしまったのか。
そして、彼女が何故怒っているのか。
「あ……あれには深い訳があって……」
それは、一言で言い表せることではなく、
到底信じてもらえることでもない。
だが――
その反応だけで、三葉には充分だった。
あれだけ泣いてたんだもの。
今度は私が泣いても……いいよね?
飛びつくように妹の身体を抱きしめ、三葉は嬉しさに泣きじゃくる。
ようやく逢えた。
帰ってきてくれた。
私が知ってる瀧君が。
私が信じられる……瀧君が……!
小さな身体は年上に締め付けられると少し苦しい。
だが……
その力強さに、瀧は三葉の命を感じていた。
落ち着いたところで事情の説明。
先ずは、電車の中で三葉が分からなかった理由から。
しかし――
「三年前? 馬鹿じゃないの!?」
言い訳にしてはあまりに拙い。
しかも、外見は四葉である。
このコの姿で言われては、信じられるものも信じられない。
「じゃあ貴方は未来人だとでも?」
「俺からすれば、お前らが過去の人間なんだが……」
そう言い張るのなら、予言の一つでもさせてみるのが手っ取り早い。
が、おそらく入れ替わりは今日一日のことだろう。
こんな片田舎の、とある一日など、本当に未来から来ていたとしても覚えているはずが――
「……っと、とにかく、今は時間がない! 今夜、この町に彗星が落下してみんな死んでしまうんだ!」
例の彗星の件は、三葉もテレビで見て知っている。
だが……
「……で、私にどうせよと?」
そんな絵空事――と一蹴してやろうかとも思った。
が、既に彼女は多くの“絵空事”を体験している。
遠く離れた都市に住む男子との意識交換――そんな、非日常的な絵空事を。
なので、一先ず信じてみる。
信じてみる、と仮定してみる。
信じたつもりで、行動することだけならできる。
明日以降の我が身に響かない範囲で。
三葉の表情を構成するのは一二〇%の不信感。
それは、瀧にも判る。
その上で、ある程度は協力してくれそう……なのだが――
「……マズイな。俺、四葉の交友関係とか全然知らないぞ」
自分が三葉と入れ替わっていれば、できることは色々ある。
何より自分は一人じゃない。
オカルト好きなテッシーなら、きっと面白半分に全面協力してくれるだろう。
だが……
「――ハァ? そんなの頼めるわけないじゃない!」
だろうな、と瀧は諦観する。
あの建築屋の息子なら、実家の資材を拝借して村を掻き乱したり、無線をジャックしたりもできたかもしれない。
だが……今の瀧は四葉である。
この身体では、三葉を通さずに説得することは難しい。
手詰まり……か。
幾度となくこの地で過ごし、それ相応に愛着もある。
だとしても、町と一緒に三葉を心中させることはできない。
三葉だけでも救いたい。
あとは……彼女自身がどれだけの人望を持っているか……それ次第だ。
三葉に頼んだことは二つだけ。
一つは、親しい友人に絞って、一緒に彗星を学校で観測したいと頼むこと。
当日は夏祭りが催されているし、もっと見晴らしの良い場所は他にある。
それなのに何故学校なのか――それは、当日説明するから、今夜はとにかくそこで待っていて欲しい、と。
一応、身近な人にも声を掛けて、とは付け加えてもらったが……期待する効果は得られないだろう。
「もし何も起きなかったら……瀧君には相応のペナルティを受けてもらうからね」
勝手にお詫びを約束して、次に入れ替わった際に実行してもらおう。
一日限定でみんなの使いっ走りとしてこき使ってもらうとか。
その後の日記が楽しみね――と三葉は密かにほくそ笑む。
が、瀧はそれを平然と流した。
罰など受けることはないし、冗談に付き合っている余裕もない。
そして、もう一つの頼み事もあったのだが……さすがにそれは彼女も渋る。
「え……東京には昨日行ったばかりなんだけど……」
そして、着いた先で冷たくあしらわれた。
あの時の寂しさがよみがえり、三葉の喉に悲しみが込み上げてくる。
だが、その反動で――
目の前にいるのは瀧君……なんだよね……?
今まで一緒にいてくれた方の……瀧君。
自分のことを覚えてくれている彼を、できる限り信じたい。
だから信じた上で、反論を呈す。
「それに、もし本当に瀧君が三年後から来たのなら……今の瀧君は、私のこと知らないんでしょ?」
これについて……彼は一か八かの賭けを打つことにした。
少なくとも、東京にいれば三葉と、自分の意思で動ける四葉の命だけは救うことができる。
が……昔の自分が、今の自分を信じなければ――
そのまま、三葉を忘れてしまうかもしれない。
だとしても……!
「紙とペン、借りるぞ」
彼は手紙を
昔の自分へ。
それを覗き見た三葉は思う。
確かにこの筆跡は四葉のものではない。
だが……
これは……
うーん……?
これについて、
が、何も言わずに飲み込んでおくことにした。
書き上がった手紙を、瀧は軽く折り畳む。
あとは、これを直接本人へと届けるだけだ。
「そしたら、準備してくれ。……この家が、なくなってしまうつもりでな」
「はいはい。随分仰々しい一泊旅行ね」
半信半疑――ではあるものの、旅費のすべては後日彼が負担するという。
妹のと合わせて、二人分。
軽い出費ではないだろう。
そこまですると言うのなら……信じる価値のある嘘なのかもしれない。
決して思いつきの、軽い冗談などではなく、
彼なりに、何か、真剣な――
一通り身支度が済んだところで――四葉の部屋から声が掛かった。
「三葉……お前の妹ってこれしか手持ちないのかよ」
財布の中身を見て愕然とする妹に、姉はさり気なく秘密を暴露する。
「ヘソクリは机の引き出しの裏側、でしょ? なーんでこんな無駄なことするのかしらね」
おーい、四葉よ。お前の隠し場所、姉にバレバレだぞー……。
これを知ったらさぞガッカリするだろうが……まあ、吹き飛ばされるよりはマシというものか。
さすがに、二日連続でこのような所業に出れば、いくら寛大な祖母とはいえ黙っていないだろう。
ゆえに、書き置きだけ残してこっそり抜けてきた。
もし私を信じてくれるのなら、祭りの間だけは学校に避難していて欲しい、と。
昨日と同じ電車に揺られながら――二人は何気ない会話を交わす。
「……そういえば、こうやって直接話すのは初めてだな」
実のところ、瀧はここまで緊張し続けていた。
何しろ、彼女の生死が懸かっていたのである。
一先ずここまで引っ張り出してきたことだし……まだ油断はできないが、しばらくやれることは何もない。
「そうだね。でも、私は瀧君と話してる感じ、あんまりしないんだけど」
やはり、頭では解っていても、身体も声も妹である。馴染み深さからくる違和感は拭えない。
「だったら、筆談でもしてみるか?」
「いい。面倒だし」
とはいえ。
暇潰しに、徹底的に尋問してやるか、と三葉は企む。
それはもう、推理小説の探偵のように。
だが、気づけば……
「ところで、自販機をカフェって呼ぶのは方言か何かか?」
「違うわよ! アレは、テッシーが勝手に――」
下らない与太話に花を咲かせていた。
妹と向き合っていることも忘れて、同い年の男の子と喋るように。
そして、信じ込んでいた。
対面に座っているのが……これまで連れ添ってきた大好きな人であることを。
東京駅に到着した後も、初めて来たはずの四葉の歩みには迷いがない。
こういう――瀧君を感じられる仕草の一つひとつが三葉には嬉しい。
三年前の地元を眺めながら……彼は当時に思いを馳せる。
余計なトラブルは避けておきたい。
例えば、タイミングが噛み合わず、自分が留守だった――とか。
既に、過去は変えている。
バタフライ効果――すべてが記憶通りに動いてくれるとは限らない。
それこそ、彗星が割れずに済む可能性も。
むしろ、それが一番だろう。
ともあれ。
特定の記憶に縛られず、汎用的に確実性が高いと思われる手段を選びたい。
「うちは、大抵一八時半頃から夕飯を作り始める。それに合わせて行けば、必ず俺はいるはずだ」
それはいい。
だが、長らく移動時間を要したとはいえ、陽が傾くまでには相当の時間が残されている。
少なくとも、若者らしく遊び歩くくらいは。
「だったら、オシャレなお店とか紹介してくれる?」
ソワソワと辺りを見回す三葉に、四葉瀧は毅然と返す。
「それは、俺を試しているのか?」
東京は移り変わりの激しい街である。
三年前ともなると、記憶が正しいとも限らない。
下手に間違えば盛大な嫌疑が降りかかる――
というワケではなかった。
電車の中で過ごした時間によって、三葉からの信は概ね得られている。
未だ飲み込めないところはあるけれど……言われるがままに一日楽しむのも悪くない、と思えるほどには。
なので、からかい半分にその意図を伝えてやった。
「馬鹿ね、デートに決まってるでしょ?」
分かりやすく赤面するあたりも瀧君だなぁ、と三葉は嬉しくなってくる。
だが、デートといえば……
「あ……今日って奥寺先輩とのデートのはずじゃあ……」
時間経過がズレている三葉は知らないことだが、そこにはあまり触れて欲しくない。
「そ……その話は、また後でな……」
あの日、先輩から言われたことは、まだ覚えている。
『今は他に好きな人がいるでしょ』
その時は、あまり実感はなかった。
しかし、こうなっては疑いようもない。
自分の好きな人の前で、どうして他の異性との逢引きの話ができようか。
そんな彼の気も知らずに……三葉は再び訪れた賑やかな街に心を踊らせていた。
午後七時少し過ぎ――
家の電気が付いていることを確認して、瀧は自宅の呼び鈴を鳴らす。
自分が考えているこれからの行動、
これを受けて中学生の自分が取りそうな行動、
そして、その対策。
三葉にはすべてを伝えてある。
自分が前に出て動ければよいのだが、大きな姉を差し置いて妹が動き回っても不自然だ。
ゆえに、ここからは三葉に任せた方が良い。
四葉は姉の後ろに引っ込んだ。
少しして、ギィ、と重い扉が開かれる。
その隙間から覗き込む瀧の左手には、見慣れた組紐が結ばれていた。
大切に扱ってもらえると、彼女としてはやはり嬉しい。
それに勇気づけられて――三葉は乞う。
入念な打ち合わせのとおりに、
大雑把な要求を。
「私たち、瀧君に呼ばれて来ました。一晩だけ、泊めて下さい」
この不躾な言い分に、中学生男子は当然のように訝しむ。
瀧君に言われて――だって?
俺がこんな見ず知らずの女子二人に泊まっていけなどと言うはずがない。
あまりに馬鹿げた話に、父親に変わって追い払ってもらおうかとも思ったが……
姉の方が取り出した手紙を見て――少年・瀧は目の色を変える。
三年前の立花瀧へ。
コイツは宮水三葉で隣のは妹の四葉。
学校の友人で、乱暴な叔父が来るから避難してきた、
ということにして一晩だけ泊めてやってくれ。
布団は下図のように、
自分の部屋に二枚、居間に二枚敷けば寝れるはずだ。
明日以降については、お前に任せる。
三年後の立花瀧より。
この文面だけなら、彼も信じることはなかっただろう。
だが――
「この“サイン”に見覚えが――」
言い終わる前に、瀧は紙切れ目掛けて飛びかかってくる!
が、それも事前に伝えられていれば躱すことは容易い。
そして三葉は、ずっと口にできなかったことを改めて思う。
やっぱりこのサイン、自分でも
これは、中学生の瀧が極秘で――将来自分がデザイナーとしてデビューした際に、と温めていたオリジナル・サインである。
が、凝りに凝りすぎて、奇抜というより気持ちが悪い。
練習用のクロッキーに何枚か記したあたりで我に返り、黒歴史として封印したはずのものだった。
それをこんなところで見せつけられては、本人としては黙っていられない。
どこからどうやって、こんなモノを引っ張り出してきた……!?
これを知っている、ということは……他にどんな秘密を掴まれているか判らない。
少なくとも、布団の敷き方を示した家の間取りは、家具の位置まで恐ろしいほどに正確である。
一体何者なんだ、その“三年後の立花瀧”ってヤツは……!
「瀧、どうした?」
部屋の方から掛かる声に……瀧少年は覚悟を決める。どうせ一晩だけのことだし、こちらから訊いておきたいこともある。
「コ……コイツんち、ちょっと荒れ気味でさ、ヤバイ叔父さんが来るらしくて……今日だけ逃げてこい、って約束してたんだ……」
よっし! と姉妹は拳を合わせる。
これで、この時間から宿泊先を探す苦労もなさそうだ。
四葉の中の瀧は、何とか計画がうまくいったことに安堵する。
彗星衝突の瞬間さえ避けられれば――あとは、手紙に書いたとおり、そこで顔を引き攣らせている自分に委ねよう。
その後どうなったかは……次の入れ替わりの際に書き残しておいてもらうしかない。
悲しみに暮れる女の子たちを無碍に突っぱねるようなヤツではない……と当時の自分を信じて。
ここまでは、概ねうまくいっていた。
きちんと過去の自分を把握していた。
だが――
完全にバトンを手放すまでには、もう少しだけ時間がある。
「風呂、沸いてるから」
この暑い季節に丸一日外出していた彼女らは、口には出されずとも汗臭い。
中学生の瀧は彼女らに、一番風呂を勧めてきた。
押しかけとはいえ、来客である。
一応、このくらいのマナーは心得ているのだろう。
これに高校生の瀧は、三葉との入浴順についてしばし逡巡する。
やはり、自分の後の風呂は嫌か……?
とはいえ、中身が男でも、身体は四葉である。
ならば、そこまで気にしないかもしれない。
その隣で三葉もまったく同じことを考えていたが――
思考は瀧の一歩先をゆく。
「四葉っ、一緒に入ろう!!」
「ハァ!?」
中身が俺だと知っての暴挙か!? ……と正気を疑うが、睨みつけてくる姉の頬は赤い。
どういうつもりだ――という言葉は既のところで飲み込めた。
今は、過去の立花親子にあらぬ疑惑を抱かせるべきではない。
脱衣所に入れば誰にも聞かれず会話はできる。
「ぅ、ん、イイヨー……」
できる限り平静を装って返事をする四葉瀧だったが、その顔色は三葉以上に真っ赤だった。
扉を閉めて二人きりになったところで、瀧はすぐさま本性を現す。
但し、声は抑えた上で。
(お前、ナニ考えてんだよ!)
姉を見上げて問い詰めるつもりが、逆に威圧的に見下ろされてしまった。
(アンタこそ……ナニ考えてんのよ!!)
ナニを……と言われても、瀧が考えていたのはどちらが先に入るか――それだけである。
だが、三葉はそうとは思っていない。
(私だけでなく……四葉の身体にまで
(しねーよ!!)
と即答してみたものの……三葉は根底から疑って掛かっている。
(そもそも、ちゃんと髪とか洗えるの? 入れ替わった翌朝、いつも頭痒いんだけど)
(しっ、仕方ねーだろ! 長い髪は慣れてねーんだか……ら……)
いまさら口を塞いでも遅い。これは、三葉からの……カマかけ……!
(……私、風呂には入るな、って約束させたよね)
これまで、薄々察してはいた。
が、それが確信へと変わり、恥ずかしさに顔を歪ませる。
(ほら、婆ちゃんに怒られて……その……!)
そんなことだろうとは思った。
が、ソレはソレ、コレはコレ。
この件は、あとできっちり詫びを入れさせるとして……この場であまりグズグズしてもいられない。
(瀧君は絶対に目を開かず、指一本動かさないこと。いい?)
それは、すべて三葉が誘導する……ということか?
だが、それは……
(お前まさか、服着たまま風呂に入るつもりじゃないだろうな)
そんなところを何らかの事情で目撃されたら、どう取り繕うつもりか。
だが、三葉にもそのくらいの覚悟はできている。
(ぬ……脱ぐってば。言わせないでよ、バカ)
いくら既に見られているとはいえ、恥ずかしくないはずがない。
だとしても……四葉のためだと自分に言い聞かせる。
例え妹だとしても、瀧君を他の女の肌に触れさせたくない――という想いには、三葉自身も気づかぬままに。
何も言わず、身動き一つしない四葉を脱がしていくことに、姉としては何の躊躇もない。
彼女にとって、外見は普段の妹と何ら変わりはないから。
だが……
三葉の指が触れ、
三葉に服を脱がされてゆき、
更には――
「私も脱ぐけど、変な気とか起こさないでよ」
その小さな布ズレの音さえ、瀧の胸には大きく響く。
もし、男としてのモノが生えていたなら、言い訳のできない状態になっていたことだろう。
だが、その代わりに――
瀧の宿る四葉の身体は、少しずつ変調を来していく。
こんなに下腹部が疼くのは初めてだ。
おそらく、三葉の時とは異なり――監視の目があるからだろう。
燻るものを発散することも叶わず、その身体はいつも以上に敏感になっていた。
そこに――
「ひゃんっ!?」
後ろから肩に手を置かれて、瀧は思わず悲鳴を漏らす。
「ちょ……変な声出さないでよ。ほら、行くわよ。足下気をつけて」
先を急ぐ三葉はグイグイと前へと押し込もうとするが、瀧は背中が熱くて仕方がない。
つい彼女の方ばかりに注意を向けていると――
「っとと、気をつけろ、って言ったよね。わざと?」
「…………」
瀧には何も言えない。
敷居に躓き、一気に間が詰まってしまったため――ほんの少しだが、後ろからくっつかれてしまった。
その甘い柔らかさに侵食されては、まるで頭が回らない。
丸い胸には、確かに感じるしこりがあった。
丸いお腹の下に生える大人の証もしっかりと擦り付けられてしまった。
が、目を開けられない彼には迂闊に逃げ出すことも叶わない。
押し黙る妹に、姉の方も恥ずかしくなってくる。
今、ちょっとだけ触っちゃったけど……必要以上に意識してる……?
これまで何度も、無断で私の身体をいじり回していたクセに。
「今度は気をつけて。遊んでるヒマはないんだから」
高鳴る胸を爆ぜさせながら、彼はつま先を滑らせる。
少し出張った床をそろそろとなぞりながら。
すっかり蕩けてしまった彼には、この先のことなど考えられない。
脱衣の時とは比べ物にならないほど――三葉に身体を隅々まで触られてしまうということを。
とにかく、身体だけ洗って、すぐに追い出し、そのままパジャマを着せてしまおう。
その後で自分はゆっくりと入ればいい。
三葉の考えに、瀧もまた同調する。この、天国にも似た生き地獄からは早く開放してもらいたい。
彼女によって椅子は差し出されているようだが、その高さは低く、床は滑る。
目測もなく腰掛けようとしてフラつく危うさに――三葉はその背中を思わず抱きとめてしまった。
しっかりと脇の下から腕を通して。
肩甲骨に押し付けられる胸の柔らかさは、二度目ともなると少しは冷静に感じられる。
自分で触っていたのとは全然違う。
これが、三葉の膨らみ――か。
衝撃よりも至福の方が大きく、思わず瀧はのぼせてしまう。
一方の三葉は……何だか複雑な心境だった。
目の前にいるのは四葉なのだけど、
その中身は瀧君で――
と頭では理解している。
が、すっかり脱力して大人しくなった妹は、四葉とも瀧君とも言い難い。
この疑問に――人は行動を起こしてこそ初めて個性というものが現れるのかな――などと、哲学的なことを考えたりもしていた。
そのくらいの余裕はできていた。
ボディソープをタオルで泡立て、腕から背中へ――と撫でてゆく。
その間――彼女は無頓着だった。
同性の身体に慣れてきたのか、胸が触れても気にならない。
うなじに、
腰に、
年上の乳房が当てられるたびに、妹の身体がピクピクと強張る。
思わず声が出そうになるのを必死に堪える。
胸を洗われた際には、自分の身体をワシワシと擦られるだけでなく、三葉の胸までしっかりと押し付けられていた。
こめかみは痛いほどに熱く、
漫画のように鼻血でも噴くのではないか――と不安になってくる。
ここまでは何とか耐えて来たが――
「はぁっ……❤」
股の間をさっさと撫でられただけで、彼の堰は崩れ落ちた。
それで、三葉も現実を理解する。
この身体は四葉のものだけど、中身は瀧君だったのだ、と。
甘い女の声が上がらなければ気づかなかったかもしれない。
だが――
ヌルっとした! いま絶対、ヌルっとした!
自分の妹が、あり得ないくらい性的に興奮している……!!
「瀧君……変なこと考えないでくれる……?」
途端に、裸の自分が恥ずかしくなってきてしまった。
このコは私の妹なんかじゃない。
発情した年頃の男の子――が入った年下の女の子なのだ。
こうなると、最早まともに身体を触れることもままならない。
できる限り彼から距離を置き、精一杯腕を伸ばして、残された両足を洗い始める。
が――
「こらぁっ!!」
つい叱りつけてしまった怒声は浴室内に反響し、それが瀧の目を覚まさせる。
家の人が様子を見に来ないか冷や汗を滲ませるが――幸いにして、父子家庭である。入浴中の女子に気軽に話しかけてくることはないようだ。
外の様子に変わりがないことに一息ついたところで……瀧は手首を三葉によって強く掴まれていることに気づく。
「……指一本動かすな、って言ったよね……?」
小声ではあるが、多分に含まれる深刻な怒気。
それで、瀧も思い出した。
頭は半分くらい呆けていたが、自分がしでかしたことくらいは覚えている。
三葉に触れられたところがあまりに気持ちよく、つい、自分の指をも、そこへと――!
「ス、スマン……もうしないから――」
そう言いながら、彼は更に禁を犯す。
動転していたこともあるが――謝罪の言葉を伝えるために振り向いた先では、裸の女のコが
そして、無意識にその胸の上へと視線が導かれた時――彼はようやく自分の失態に気がついた。
もうしない、と言った矢先にこの所業である。
どう謝ったらいいのか見当もつかない。
が――
三葉は自分の身体を見られたことより、実質的な悪事を懸念していた。
「……できれば、朝まで両手両足縛り上げときたいとこなんだけど……」
無論、人様の家でそのようなことができる訳がない。
だが。
この男は絶対に
我慢できないだろう。
妹の身体で――邪な快楽を得ることを。
ならば――
心は好意を寄せている男の子。
だけれど、身体は自分の妹。
このアンバランスさが、三葉の均衡を崩していく。
「私が
これまで何度も意図せず触れ合ってきたが――
今度ばかりは確信的に、
三葉は妹を背中から抱きしめる。
「み、み、みつ……みつ……!?」
こんなところで大騒ぎはできない。
だが、胸騒ぎは収まらない。
慌てふためく彼を差し置いて……彼女は指を、先程の気色悪いところへと潜り込ませていく。
「ん、ふぅ……!?」
この反応に――三葉は不思議なものを感じていた。
異性に触れている嫌悪感はない。
かといって、同性に触れている嫌悪感もない。
反応は間違いなく瀧君なのに、
その身体は四葉のもの。
かといって、四葉の身体に触れているのに、
その反応は瀧君のもの。
何だか面白くなってきて……三葉は小さな乳首にも触れてみた。
「ね、ここは
洗うためではなく、触れるためだけに触れる指。
これに瀧は、
「わ……わからない……ただ……変な感じ……」
自分で触れるのと、他人に触れさせるのは勝手が違う――ということもあるのだろう。
わからない、と本人は言うが、外から見た三葉にはわかる。
自分の指に、妹の身体はしきりに反応していることが。
瀧君が悦びに悶ていることが。
そして、下の方は訊くに及ばず。
「ん、ん……んぁ……は❤」
「声は落としてね。外に響いちゃう」
瀧とて、彼女の身体を使って、自分を慰めたことは……なくもない。
だが、ここまで
自分の意思の届かない場所から攻められるのは初めてである。
それも、大好きな女のコの手によって。
柔らかなところも、
ざらつくところも、
そのすべてで抱きしめられて、
気持ちのいいところを慰めてもらっている……!
ちゅぷちゅぷちゅぷ……という怪しげな水の音は、平穏な入浴で立つものではない。
しかし瀧は、それに恥じるどころか、高揚すらしてしまう。
女のコが、
最早それが、自分の身体だということを忘れてしまいそうだ。
羞恥の所在は他人事とし、
快楽の所在だけは己の中に。
膨らみ続ける悦びが、四葉の口からだらしなくこぼれる。
「で……
おそらく、反射的に身体が押さえ込んでいるのだろう。
だが彼に、抗うだけの理性は残されていない。
「
味気なく促す彼女の言葉に、四葉の中の瀧は素直に従う。
ぷしゃあああああああぁぁぁぁぁ…………!
わっ、ホントに
自分で言っておきながら、三葉は軽く引いている。
だが、瀧の方は――
足を広げ、
恍惚な表情で、
姉の胸に背中を預けていた。
「あ……あは……はぁ……❤」
ヒクヒクと痙攣させるお腹に合わせて、股の間からプシュッ、プシュッ、と水飛沫が迸る。
女が
変なお遊びはこのくらいにしておこう。
身体を洗った泡もそのままだったので、垂れ流したものと一緒にザバーとお湯を掛けてやった。
「じゃ、もう上がって寝なさい」
「あー……うんー……」
すっかり酔っ払ってしまった四葉は、夢心地な足取りで浴室から出ていく。
あれなら、もう妹の身体に変な気を起こすこともないだろう。
ただ……
私も瀧君に触れられたらあんなになっちゃうのかな……?
それはとても恥ずかしく……そして、少しだけ楽しみでもあった。
やや遅れて、三葉もまた風呂から上がる。
居間を見やると、敷かれていた姉妹用の布団の片割れで、四葉はすっかり寝入っていた。今日は小さな身体で街を歩き回ったから、すっかり疲れていたのだろう。
これでゆっくり瀧君と話ができる。
自分のことを知らなかったとしても……
自分が知らなかった瀧君を、私は知りたい。
そんな想いを後押しするように、瀧の方から声が掛かる。
「彗星、見に行くか?」
「……うんっ」
彼はこれから屋上に出て、夜空を眺めに行くところだったようだ。
そのくらいならパジャマで出歩いても、人目が気になることもあるまい。
瀧に連れられて、三葉は階段を登っていく。
彼女の想いとはまた別に、瀧も瀧で、彼女について探りを入れたかった。
未来の自分――と称する手紙をどこで手に入れたのか。
あのデタラメなサインが決め手となったのは事実だが、筆跡自体も自分ととても良く似ている。
とはいえ、簡単に信じることはできない。
だが、もし、
仮に、
本当に未来から来たのだとしたら――
それはそれで面白いことがあるかもしれない。
屋上の鉄柵に手を置いて、星々を見上げながら瀧は隣の彼女に尋ねる。
「なぁ……三年後の俺って何者なんだ」
彼女は空を見ていない。
じっと……彼の横顔だけを眺めている。
入れ替わった際には自分の顔として鏡に写したものだけど……確かに、ちょっと子供っぽいかな。男の子って、この時期に凛々しくなっていくのかもね。
返事がないので振り向いてみた瀧と見つめ合ってしまい、彼女も誤魔化すように夜空の方へと向き直す。
「わ、私も詳しくは知らないんだ……ただ――」
ここで予知めいたことでも言っておけば、信じてもらえるかな、と余計な事を口走ってしまう。
「今夜降る彗星がね、二つに割れるんだって――」
三葉は言い終わってから、瀧の――高校生の彼を信じすぎていたことに気がついた。
もし彼の言葉が嘘であったら――予言が外れてしまったら、今の台詞は完全に逆効果である。
ゆえに、少年・瀧もその成り行きを見守ることにした。
これで、すべてがはっきりする。
もうすぐ、観測予定時刻だ。
彼女は、彗星が割れるように心から祈る。
が、もし本当に割れてしまったら……彼が言っていたように、糸守は壊滅してしまう……?
まさか、ね。
ただ、割れなければ、そんな心配をする必要すらなくなる。
彗星に、割れて欲しいのか、
割れて欲しくないのか――
どっちに転んでも良い気がして、何も考えずに時を待つ。
こうして彼と並んで夜空を眺めているだけで……何だか恋人同士な気分になれるし。
結果はすぐに分かるのだから、それまでは、こうして――
「……来た!」
嬉しそうに指を差す彼に釣られてその方角を見やると、暗闇を切り裂くように光の筋が一直線に放たれている。
綺麗……と心を奪われる三葉だったが――
「……あ、本当に――!」
一本の光の帯は、二股に分かれて地表へとこぼれていく。
その先が、彼女の故郷かどうかまでは判らない。
だが――
「ぅ……嘘……だよね……?」
自分で言っておきながら、彼女の顔から血の気が引いていく。
実のところ――すべてが上の空だった。
昼間は、瀧君との初めてのデート。
身体は四葉だったけど、そこに彼はしっかりと感じられた。
そして夜は、本当の瀧君と肩を並べている。
記憶はないみたいだけど、間違いなく彼だと伝わってくる。
三葉は、とても幸せだった。
すべてが嘘でも、
すべてが間違いでも、
今日一日はずっと幸せだった。
――少なくとも、今の今までは。
何かに怯えるような三葉に……瀧は首を傾げる。
高名な専門家たちさえ予見できなかった未来を的中させたのだ。
未来から来た――というのは言い過ぎにせよ、ある程度先を見通すことはできるのかもしれない。
ならば、聞いてみたいことはたくさんある。
高校進学のこと、
就職先のこと、
そして何より――自分の画力が、どこまで通用するのか――
だが。
瀧はその口を噤む。
とてもではないが、質問攻めにできる状態に、三葉はない。
「ご……ごめん、私、戻るね……」
震える喉から何とか言葉を絞り出すと、彼女はふらつきながら踵を返す。
その後ろを……少し離れて瀧も続いていた。
一人になりたい……というほどでもない。
が、とにかく今は眠りたい。
何も考えたくない。
瀧君の言っていた未来が――もし本当だとしたら、今頃糸守は……
ううん、そんなハズない!
夜が明けたら、四葉は驚くだろうな。いきなり知らない人の家に泊まってるんだもの。どうやって説明したものかな。
あ、一応瀧君の身体で何をしたか聞いておいた方がいいよね。でないと、彼に悪いし。
それで、名残惜しいけど早めに帰っておこう。今度は休みの日に逢いに来るよ、って約束して。
きっと、お婆ちゃんや先生には怒られるんだろうな。
テッシーやサヤちんには嘲笑われてしまうかもしれない。
そして、今度入れ替わった時は……うん、全部許そう。
彗星が割れたところまでは合っていたから。
でも、それで糸守がなくなってしまうなんて、そんなことはあり得ない。
彗星は、きっと空で燃え尽きてしまっている。
そういうものだって、テレビでも言ってたし。
だけど……
今、確認することは憚られる。
明日になれば分かることだ。
なら、わざわざすぐに確かめる必要はない。
四葉もテレビの足下で眠っていることだし。
明日になれば、昨日の彗星は綺麗でしたねー……みたいな当たり障りないニュースが流れているはずだ。
もしくは、もう話題にすらなっていないかもしれない。
とにかく、この不安は、明日になればすべてなくなる。
そう、すべては朝になれば――
なにもかも――