ぱーとわん
欠伸を漏らしながらも正面、ホロウィンドウへと視線を向ける。半透明に浮かび上がるホロウィンドウは先頭、広い講義室で教鞭をとっている教授が発言している事、奥のホロボードに書き込んでいる事がリアルタイムで更新されている。割と真面目な話、自動でコピーを取る様にプログラムを組んでいる為、ここで眠った所で問題はない―――だがその代わりに教授が表示、書き込まない所で重要な事をポロっと零す為、油断してはいられない。だから何とか欠伸を漏らしつつも眠らない様に意識を維持する。
プログラムツールを表示させてクロックを出現させればそこには後十数秒で講義の終わる時間である事を示していた。今日もまた何とか乗り切ったな、と考えている間に講義の終わりを告げるベルが大学内に鳴り響く。やっと終わったかぁ、と大きく背を伸ばしながら眠気を払う様に頭を横へと振るい、軽く頬を叩く―――良し、と。それで眠気は大分抜く事が出来た。講義室の奥にいる教授は咳払いをし、
「さて、これで今季最後の授業も終わりか……夏期休暇が明日から始まる訳だが、あまりハメを外しすぎない様にな? たった二ヶ月の休みだ、大事にして遊びなさい」
教授がそう言うと監視プログラムが停止し、講義が終了した事を告げる。これで本当に自由だ。ポケットの中に部屋の鍵と財布があるのを確認してから座っていたテーブルから立ち上がる。それに反応してテーブルの上に浮かんでいたホロウィンドウは消失する。さて、さっさと帰るか、と思ったところでホロウィンドウが新たに出現する。TELL、と英語で表示される言葉の意味は通話が入ってきているという事を示す。名前を確認し、通話の許可を出せば相手の顔写真と共に通話が繋がる。視界の端、自分にしか見えないホロウィンドウに出現するのは黒髪の青年の姿だ。
『おーい、講義終わったかー?』
「丁度今終わったところだよ」
『お、マジか。あの教授本当に時間キッチリに授業終わらせるよな』
「授業でもないのに教室に居られるか! って主張するぐらいだからなぁ」
若干エキセントリックとも表現すべき教授の発言とスタイルを思い出して苦笑しつつ、友人がさっそく本題だと言わんばかりに切り込んでくる。
『んでお前、本当にEX:Worldを始めるんだよな?』
「お前がやれやれ煩いからな!」
『いや、マジでやるべきだって史上初の
友人のゲーム狂いっぷりには若干呆れる。だがその気持ちも解らなくはない―――何せVRの世界でもう一人の自分を演じ、そして遊ぶ事が出来るのだ。そりゃあハマるのもしょうがないという話なのだろう。しかし、こうやって当たり前の様に享受しているこの技術、
仮想現実へとアクセスする技術、相変わらずとんでもないよな、と思った。
―――その始まりをテレビを通して世界が見ていた。
誰もがその光景を興奮と共に見ていたに違いない。
それは一人の男が巨大なポッド型の椅子に座る光景だった。男は椅子に座り、ヘッドセットを装着し、そして目を閉じた。その背後に浮かぶ大きなスクリーンにその直後、光が点く。スクリーンの中に映し出されていたのは椅子に座っている筈の男だった。彼は砂浜に到着すると、まるで狂ったかのように海岸線を走り回り、それから海の中へと飛び込んでびしょ濡れになった。そこに映し出されるグラフィックは自分が知っているゲームなんかよりも遥かに荒かった。それこそ数世代ぐらい前のゲームを思わせる、それぐらいリアリティに欠けた世界だった。だが男はそんな事を気にしなかった。
一般公募で選ばれたその男は笑いながら海に突っ込み、そして直後入れ替わる様に変化した草原の風景に驚き、心の底から笑い、そして声を響かせていた。その光景は決して録画なんかではなかった。それはリアルタイムで男が経験している事を投射していたのだ。つまり、男はあのポッドの中で、別の世界を経験していたのだ。
電脳世界―――バーチャルの世界を、一般人として一番最初に経験していたのだ。
そのころ、それは噂では既に存在していると言われていた技術だった。だけどそれが表舞台に、それも特殊な経歴がある訳でもない人間が触れ、そして経験するのはこの時、この瞬間が初めてだった。仮想電脳世界―――即ちバーチャルな現実、VRと呼ばれる世界。男はこの地球で一番最初に一般人としてそれを経験する栄誉を得たのだ。現実とは違うもう一つの現実。その世界への切符がその瞬間から、一般人にも届く領域に入ったその瞬間だった。
それから電脳世界、VR技術とは段々一般の人間に触れられる領域へと降りてくる。最初は大型のポッドがなければ電脳世界へとダイブする事も出来なかった。だがそれを縮小する事で次世代型のVRギアと呼ばれる道具が開発された。それは画期的な技術のブレイクスルーによって大幅な縮小化が可能となり、ヘッドギア型へとサイズを落とす事が出来た。それから更に数十年が経過し、日常的にネットワークへとアクセスする事を望んだ世界はインプラント型VRギアの開発に成功する。VRギアが保有する仮想世界へのアクセスの機能を直接頭にインプラントするという発想は冒涜的であった。
しかし、同時にそれは常に人類を仮想世界へと半分接続する状態へとステップアップさせた。
そうやって常にネットワークへと接続されたインプラント以降の世代をワイヤード、と呼称する様になる。
それから更に年月が経過する。ネットワークの発展と電脳世界への適応は人間を更に刺激し、そして進化を促す―――それはサードステージへと向けた進化、とも言われる成長であり、ナノマシン技術が発展し始める。後天的に死亡率の存在する手術か、或いはまだ育っていない胎児の状態ではないと安全にインプラントが出来ないと言われていた時代をコレが終わらせる。ナノマシンの登場によってインジェクションガンでナノマシンを注入すれば、人間の脳に電脳世界へとアクセスする為に必要なアクセスチップを作成する事が出来る様になったのだ。
そうやって発展してきた人類。
そして現在―――VR技術、電脳世界、それは日常的な生活から切り離せないものとなっていた。
「たーだいまー、っと」
寮の部屋を開けて中に入る。ペットがいる訳ではないし、彼女がいる訳でもないので答える人間がいる訳ではないが、半ばクセのような物だった。とりあえず手荷物は何もないからそのまま靴を脱いで玄関に上がり、ホームグループへとアクセスしながら外用の服装から私服姿へと着替える事にする。その間にネットワークへとアクセスし、検索するのは友人の進めて来たVRMMOゲーム、EX:Worldだ。
既に調べ、電子クレジット支払いを終わらせ、パスも購入しているのだが、それとは別にもう一度遊ぶ前に予習予定で調べ直す。
EX:World、それは世界初のVRMMOゲームだ。VRMMO自体は珍しくなく仮想、電脳世界へと没入出来るフルダイブ型MMOは電脳世界へのフルダイブが決まってからはメジャーになっている部門の一つだ。だがその中で年齢制限が付くもの、というのはおそらく初めてだった。そしてその理由はゲームの説明を読んでしまえば解ってしまう。
痛覚が存在する。表現の規制が存在しない。性行が行える。犯罪行為を抑止しない。
それが理由だった。
世界観のベースは良く見る中世に現代が混ざったごちゃまぜのファンタジー世界、だが世界観はダークファンタジーに近く、国家同士で戦争を行う事もあり、あっさりとPCもNPCも死ぬ、死ねるような環境となっているらしい。謳っているのは環境的なリアルさ、システム的な部分を抜けば徹底して現実でも出来る事を求めたらしい。数か月前に発売されたばかりではあるが、既に爆発的に人気を伸ばしながら、海外からのプレイヤーも増やしているらしい。
何というか、色々と言葉に出来ない。
既にWIKIも充実し始めており、WIKIを見れば最初はこう、これがいい、とか色々とアドバイスが書いてあったりする。友人に押されるような形で自分もEX:Worldに手を出そうとしている訳だが、正直、これほど大型の様に思えるものに手を出すのは今回が初めてだった。もっと細々とした古いゲームになら手を付けていたのだが、なにせ、友人という反面教師がいる為、軽い気持ちで手を出したらああいう風にどっぷり浸かってしまいそうな恐怖がある為、中々手を出さなかったのだ。
とはいえ、今回はこの通りその押しっぷりに負けてしまい、プロダクトキーとアカウントパスを購入してしまった。そんな風に流されてしまった自分に少しだけ、後悔している。まぁ、特に予定のある夏休みなのではないのだ―――こんな非生産的な夏休みを過ごすのも悪くはないかもしれないと自分に言い聞かせておく。
「ふぅー……まぁ、こんなもんかな」
着替え、軽く水分補給をしてトイレも済ませて長期ダイブの為の準備を終わらせる。確認した所ゲーム内クロックは現実と比べて三倍の速度差があるらしい。時間間隔が狂うからあまりこういうのは好きじゃないんだけどなぁ、と言い訳しつつ自室の長期ダイブ用に購入した大型リクライニングチェアーに座り、背中を預けて倒れる。数時間体勢を変えずにダイブし続けても体に負担がかからない様に設計されたこういう類のシートは電脳社会真っ盛りの現代においては必須のアイテムと言っても良い。
「あいつは……確か外部のメールソフトが遊んでいる間でも使えた筈だし、それで教えればいいか」
そう言って何時も通り、長期ダイブに向けて自分の体をセットしたらホロウィンドウを表示させる。そこから電脳世界へ、ゲームへのアクセスを行う為にダイブのボタンへと意識を伸ばした。
そして直後、
視界が一瞬で0と1に切り替わった直後、足は木製の床を踏んでいた。自分の寮の部屋と全く同じ光景が、広がった。ただ、現実と明らかに違う、と解るのはベランダへと通じるガラス戸の向こう側に広がっているのは青空ではなく、電脳世界を象徴する0と1の無機質な電子パターンだからだった。
「ダイブ完了、と」
問題なくダイブが完了した。ホロウィンドウを意識して呼び出せば正面に半透明なホロウィンドウが出現し、指で触れて操作を行う。購入した権利の中から取り出すのはEX:Worldのアクセスパスだ。それをアクティベートすればEX:World用のネットワークへのアクセスが行えるようになる。転送先にそのエリアを選択すれば、
自分の体―――電子体の転送が始まる。体がばらばらに分解されるような感覚はなく、見えるのは全ての風景が流されて行く砂の様に消えて行き、そして次の瞬間には滑り込む砂が新たな風景を生み出す、という光景だった。一瞬で転送が終了し、現在位置を確認すればちゃんとEX:Worldのネットワークエリアへと転送されているのを確認できた。
「えーと―――」
視線を上げて周りへと向ける。
到着したのは木製の建築物の室内だった。そこまで広くはない。端から端まで歩いて大股で五歩程の距離の部屋で、扉が存在しない。その代わりにカーテンによって壁が一面隠されていた。その向こう側に何かあるのだろうか? とは考えるがそれよりも早く耳に入る音があった。
―――波の音だ。
音に引かれる様に視線を向ければ、ガラスのない小窓が見えた。その向こう側には海が広がっているのが見えた。本物の海を最後見たのは何時頃だったのだろうかと現実と一切変わらない海の姿を眺め、しばし、時を忘れてしまう。
「ようこそEX:Worldへ!」
「うぉっ!」
背後からかけられた声に驚き、ビクリと反応しながら振り返れば、ふよふよと浮かび、揺れる小さな少女の姿が見えた。文字通り小さい少女は片手に乗るサイズで、背中から生やした虫の様な羽を合わせ、妖精と表現するのがもっともらしい、そんな金髪の妖精だった。大きく円を描いて空を飛んだ妖精はカーテンの前で動きを止めた。
「ひひひ、驚いた? ねぇ驚いた?」
「握り潰そうかと思うぐらいには」
「ヒギィ……」
拳をニギニギと動かしていると妖精は本能的な恐怖を覚えたのか、両手で体を抱くように体を震わせ始めた―――相当良く出来たAIだなぁ、とその仕草を見て思う。こんな小さな電子体に人間の意識が長時間耐えられるとは思わないし、出現したタイミングからはおそらくAIだろう。しかしそれにしてはかなり表現の幅が広いなぁ、と感心する。
「うぅ……その……EX:Worldへよ、ようこそぉ……に、握りつぶしたりしない……?」
「正直に言うと気分次第」
「じゃあ凄く接待させてもらいます!」
最近のAIは本当に人間との違いが判らないよなぁ―――だからこそAIにも人権を、とか言う連中が出てくるのだが。そんな事を考えつつも妖精の少女が胸を張り、言葉を送ってくる。
「私はEX:Worldにおけるチュートリアル担当の妖精、エカラでーす! 私の役目は初心者の方々に安心、安全、そして強烈なチュートリアルを叩き込んであげる事でーす! はいはい、という訳でド鬼畜なプレイヤー様はEX:Worldでの生活を望みますか?」
無言で捕まえる為に手を伸ばした。それを悲鳴を溢しながら妖精が避けた。
「チ……望みます。オラ、プロダクトキーだよ……!」
「ここまで喧嘩腰のプレイヤーも珍しいですね。まぁ、理由の大半は挑発した私にあるんですけどねぇ!」
畜生妖精と呼ぼう、心の中でそう硬く誓った所で、エカラと名乗ったチュートリアル妖精が説明を始める。
「はぁーい、ではまずまず、このEX:Worldはレート18、つまり18歳未満のクソガキ共は今すぐママの胸に抱き付いて死ぬほど悔しがれってルールのあるゲームです! 暴力! 暴力! セックス! 暴力! あとついでに暴力! それが許されるゲームなのです」
「畜生妖精が率先してヤバイ事言ってやがる」
「これもR18だからこそ遠慮なく言えるのです。そのせいか女性プレイヤーがほぼ死滅している形なんですけどね。やっぱりレイプありは駄目ですかー。開発者の脳味噌湧いてるんじゃないかと妖精たちの間では常に断言してます」
「もういいからさっさとチュートリアル進めろお前」
こいつの言葉に付き合っているだけ時間の無駄だ、と悟った。さっさとチュートリアルを進めろと指示すると、エカラは渋々と言った様子でその役割を果たし始める。
「それではプレイヤー様はアカウントをお持ちですがキャラを保有していないので初期作成からの解説に入ります。オープン・ザ・カーテン!」
エカラの言葉と共にカーテンが落ち、その向こう側に隠れていた物が出現する―――巨大な鏡だった。それこそ全身をくまなく表示する事のできる、そんな大鏡だった。そこに映されているのはリアルと同じ格好、姿の自分だった。電脳世界で活動する為の疑似的な肉体、つまりは電子体の自分だ。
「という訳で初期のアバター作成タイム! 一人に付き保有できるアカウントは一つまで、そして一つのアカウントに保有出来るキャラクターは一人まで。最近のネトゲ事情ではとてもとても普通な事だぜヒャッハー! アカウントは個人のパーソナルIDと連携されるから特にやる事はなし! さっそくキャラ作成に入りましょうか!」
「キャラブレまくってるけど大丈夫か?」
「妖精ってそういう生き物って設定なんで」
チュートリアル役がこんな怪生物で本当にまともなゲームなんだろうか……? しかし購入してしまい、こうやってアクセスしてしまった以上、ここでやめるのもなんというか、実にムカつく所があるので、キャラクターのクリエイトを開始する。アバター作成自体は馴染みがあるので難しくはない。ホロウィンドウが複数出現し、そこからボディステータスに関する物を削除して行き、純粋に見た目にのみ影響する項目を残して行く。
「そうそう、身長とか弄っちゃうと現実との差異で色々と困るからねぇー、オススメは髪とか顔かなぁ。後はそうそう、八重歯とかちょっと弄ってみると印象が変わるんだよねー」
「ふむ……じゃあちょっとガラっと印象を変えてみるか」
前髪を片側、左目を隠す様に伸ばし、後ろ髪も一気に伸ばし、初期作成のアイテムリストにあった髪紐を使って首の裏で結う様に設定する。ついでに簡素な伊達の片眼鏡も装着させる。髪色は日本人の黒髪から金髪へと一気にシフトし、そして目も少しだけ鋭く調整し、色を翡翠色にする。エカラがアドバイスした通り、八重歯を少しだけ鋭くする。リアルだと髪はややぼさぼさだし、髪質もしとっとした落ち着いたのに設定すれば―――完了だ。
「まぁ、こんなもんだろ」
「うあっ、性の悪そうなインテリ……」
「うん、まぁ、そういうイメージで組んだし」
鏡に映る自分の姿は悪役の魔法使い、もしくは敵役のエリート、という感じの姿になっていた。片眼鏡がややファッショナブルかなぁ、と思いつつ顔を右へ、左へと揺らして違和感がないかをチェックする。髪色にグラデーションは……男だと似合わないな、と結論し満足する。肌色を少し調整すればこれでやや日本人っぽくなくなる筈だ―――ファンタジー世界に馴染むならやはり欧州系の姿が一番似合うよなぁ、と思いつつ、これでいいと決定ボタンを押す。
それに反応する様に鏡の中の自分は軽く微笑み、そして横の扉を抜けて外へと出て行った。そうやって鏡の中の自分が出て行った瞬間、ふわりと髪の毛が落ちてくる―――いや、アバターに合わせて変化したのだ。軽く感じる眼鏡の感触、そして切り替わる自分の服装。一瞬前までは近代的なジーンズとシャツの格好だったが、今では茶と灰色の麻の服を着ていた。ほんとうに一瞬の変化に驚くがもう既に半ばゲームが開始しているのだという事実を認める。
ここまで来てしまったらもう、逃げられない、か。
「これで初期作成は完了! 扉を抜ければチュートリアルの開始だーけーど―――その前に最後、大事な事を決定しよう! さあ、貴方のお名前はなんですか?」
出口である扉の前に浮かび、此方を指差してくる畜生妖精が求めているのはPCネーム、つまりはキャラクターとしての名前だ。一瞬だけどうしようか悩むが、こういうのはシンプルで解りやすいのが一番良い、と考え、
「マスターで」
「うわ、お前みたいに厭味ったらしい自尊心に満ちた名前」
「おまえチュートリアル担当だからって最後まで生き残れると思うなよ」
心の中でヘイト値が上昇して行くのを感じつつも、苦笑し、そして畜生妖精のいる方へと歩みを進める。ゆっくりと開き始める扉の向こう側から眩しい光が差し込んで行き、目がくらむ。動きを止めて片手で目を隠している間に、靴の裏に感じる感触が変わる。硬い木の床を踏んでいたはずの靴の裏の感触は打って変って、沈み込む様な軽い感触へと変わり、光が消えた所でゆっくりと腕を降ろしながら目を開ける。
聞こえてくる波の音に変わりはない。
だが
振り返ればそこには海が広がっていた。自分は丁度海と砂浜の、そのギリギリの境界線に立っていた。寄せては返す波が靴に触れ、そして再び引き込まれる様に海へと戻って行く。それは鮮明な嗅覚、そして触覚だった。特に触覚は五感の内、味覚と並んで電脳世界での制限の重い物の一つだった。
なぜなら
「あ、驚きました? 超驚きました? 驚きやがったなぁ! ハイ、という訳でEX:Worldは完全なR18ゲーム、つまりはペインアブソーバーが内蔵されていません。五感を通して守る筈のリミッターが通常の電子構造体の様には存在しないのです! その結果リアルに、そしてダイレクトにプレイヤーの愚民共に世界を提供しているのです!」
小屋は完全に消え去っていたが畜生妖精は残っていたらしく、空中で胸を張りながら説明してくる。
「触れ、さわり、感じる触覚! リミッターやペインアブソーバーのある通常の構造体では常にフィルター一枚向こう側の感触―――だけどここではそれが極限まで軽い! 勿論、このゲームの中で死んだところで本当の死は訪れません、ですが極限までリアルなそれを再現できています! 無論味覚も嗅覚も、五感の内電脳世界では感触が薄いとされているそれらの制限もなし! マジにリアリスティックワールド―――あ、ちょっと待ってください。今カンペ見るから」
「カンペ」
「いやぁ、チュートリアルはいいんですけど基本サボってばかりなんで順序というか流れというかそういうの忘れちゃって……あ、ちょっと肩貸してもらっていっすか。営業用のテンション疲れるんで」
「もうお前ほんとなんなの」
まだゲームでアバターを作成した直後だというのにお腹いっぱいなのだが。ただリアルで海を見る事はもう何年の間もなかった為、ここまでリアルで現実と差異のない海を見て、そして感じられたのは行幸かもしれない。このゲーム、痛覚が遮断されないとか恐ろしい部分はあるが、ここだけは非常に気に入った。
元々旅行好きだったが、大学に入ってからは忙しくて大分旅行をしていなかったのだ、電脳でゲームとはいえ、自分の足で歩いて見て回れるなら悪くないのかもしれないなぁ、と自分に言いつける。そう思って海を眺めていると、
「ふぅー……カンペ確認完了、っと……あ、マスターさん! カンペの確認終わりましたので見事にチュートリアルしましょうか!」
「そのテンションのアップダウンどうにかしろよお前」
「あー、じゃあ、まぁ、適当にやりますね」
AIのクセに完全に営業投げ捨てるスタイルってどうなのよ、と心の中でツッコミを入れる。しかしそのAIらしからぬ人間臭さは普段接する事のあるロール型AI達とはまるで違い、非常に面白い。自分がAIだと自覚している存在は常にどこか、機械的な一線を持ってしまうが、このAIはそれをまるで出そうともしない。まるで人間が演じているかのような混沌っぷりだった。
「とりあえずまずはメニュー画面の呼び出し方法を教えます。まぁ、難しくないというか大体どのゲームも規格は一緒でしょーし、力を抜いてやりましょうか」
畜生妖精に説明され、メニューを意識的に呼び出してみると、正面に半透明のホロウィンドウが出現した。英字表記でインベントリ、ステータス、スキル、設定、とタブが分かれてあった。ただ現在、インベントリとスキルのタブはロックされており、触れてみてもそれがアクションを起こす事はなかった。設定の中身をチェックするが、アカウントとの連携設定とかだった為、メールアカウントとゲームアカウントを連携させる。
そうやってメールとゲームを連動させると、さっそく新着のメールが来ているのが確認できた。
勿論、それはこのゲームに自分を誘っていた友人からであった。チュートリアルを抜けた先の港で待ち合わせる為、港に到着したら教えてくれ、という内容だった。友人のキャラクターネームを頭の中に記録しつつ、ホロウィンドウを消去し、視線をステータスウィンドウへと向けた。そこに表示されているステータスは実にシンプルで、
レベル、MP、SP、AP、筋力、魔力、敏捷、そして体力。表示されているステータスっぽい数値はそれだけだった。
「ん? 体力はあってもHPや防御力はないんだな」
「ありませんよ。常識的に考えて防御力ってなんですか。体がカッチカッチとかクソキモイじゃないですか。あとついでに心臓突き刺されてもHPが残ってるから平気! とかも気持ち悪いのでオミットされました。体力は所謂スタミナですよ」
「ほー……」
他のゲームと差別化を図っているんだなぁ、なんて事を考えながら、砂浜からしっかりとした土の道が続いている。その先には小さな村が見える。足を踏み出してみればしっかりとした砂浜の感触を靴の裏に感じ、現実で歩いている様な感覚を得られる―――痛覚に制限がないというのは触覚に制限がない事と同じ、故に世界をリアルに感じられるのだろう。
だからこそのR18、なのだろうか。まぁ、それはいい。さっさとチュートリアルを進めて友人と合流してしまおう。
そう考えて砂浜から土の道に出る。背後に波の音を置き去りにしながら道の上へと乗った。整備された道路ではなく、踏んで、そして平らにしたような、そんな田舎を思い出させるような道路だった。実際、道路の先に見える村は大きくはなく、木製の一階建ての家が大きく場所を開けながら複数存在する様な、ドがつくレベルでの田舎の村を思わせる姿だった。ファンタジー世界の田舎にあるような村をそのまま形にしたような、そんな村だった。
距離は目測、1キロぐらいある様に思える。急ぐ理由もないし、歩きながら村へと向かう。その合間、畜生妖精が肩に乗り、説明を始める。
「ここ、魚鱗島はその形がまるで魚の鱗のような事から名づけられてたりします。実に安直なネーミングですよね」
「お前は一々何かをディスらないと生きていけないの?」
「いやぁ、AIだからこそ、ですわ。どんだけ働いても給金でねぇんじゃやる気でねぇーよ。……っと、そうじゃなかったそうじゃなかった。えーと、それでこの魚鱗島はプレイヤーが基本的なシステム部分を学ぶためのパーソナルスペースです。つまり隔離されたエリアなんで、ゆっくり、自分のペースで学ぶといい感じですよ」
「あ、いきなり人のいる場所に放り込まないんだ」
「流石にそれは正気疑うわぁ。いやぁ……遊ぶ以上ある程度システムを理解してもらった方が楽しいしね……? それにシステムを説明せずに後でお客様に文句を言われるのもアレだし」
ド正論だった。そりゃあ金払ってプレイしているんだからそれぐらいのサービスは当然してくれるよなぁ、という真っ当な話だった。なのでそのまま、畜生妖精に話の続きを求めると、若干投げやりに解説が続けられる。
「えーと……それでなんだっけ。あぁ、そうだった。こほんこほん。そんな訳でこの魚鱗島ではプレイヤーが基本的なシステムに触れて、他のプレイヤーが存在し活動するメインの舞台である本土へと行く前に軽く訓練とかする為の場所なのであります。軽い体を使ったアクション、戦闘の体験、スキルに関するシステムの説明、そして生産システム。基本の中の基本と呼べるような部分に触れて、これから先、本土で冒険したりする上で必要な知識を受けるのです」
「おぉ、本格的」
「そりゃあ真っ当なサービスですからね。社長がR18なんてクソ設定止めればよかったって嘆くぐらい開始は面倒だったらしいですけど。今は爆発的なヒットの影響もあって業績がグングン伸びてますわ」
「おまえ時折ゲームの枠組みを超える発言止めない? というかお前AIだよな本当に?」
「エカラは超愉快型チュートリアル妖精ですよー、酷いなぁ。と、そんな事を言っている間に村に近づいてきましたよ」
こやつめ、等と言いながらもいつの間にか話し込んでいたのか、あっさりと村に到着してしまった。見た通り、村は本当に何もない、平々凡々な寒村だった。いや、寒村として表現するのは少し失礼だろうから、心の中で軽く謝っておく―――しかし、見た目は完全にリアルと変わりはない。その古臭さは現代人としては違和感の残るものの、冒険の始まりを感じさせる景色だった。少しだけテンションが上がってくる。やっぱり自分も男の子だったらしい。
ここからどうすればいいんだろうか、と思って周りへと視線を向け、肩の上の畜生妖精へと視線を受けるが、相手はニコニコしていて何かを言い出すつもりはないらしい。となると何かイベントが発生するのか? なんて事を考えていると、
「お―――兄さん見慣れないねぇ!」
そう言って近づいてくる半裸の男を見つけた。頭に白い布を巻き、上半身には何も着ていない、漁師を思わせるような雰囲気の男だった。男は此方へと視線を向け、そしてそれから肩の上の畜生へと視線を向け、驚いたような表情を浮かべた。
「驚いた、妖精じゃねぇか! って事はアレか、兄さんは異邦人か! こりゃあ驚いた! はっはは、ツキが回ってきたなぁ!」
そう言って男は胸を張り、がっはっは、と豪快に笑うと冷静になり、頭を掻き、
「……村長に伝えるか」
そのまま大股で別の家へと向かって行くのが見えた。その背中姿を見送りながら視線を畜生妖精へと向ければ、
「このゲームにおけるプレイヤーのロールは異邦人、異世界から漂流した人って事になっているよ。昔から偶に流れついては人を助けたりすることから基本的に異邦人の存在は吉兆扱いされるよ―――まぁ、その実態はプレイヤーが昔から経験値と貢献と好感度稼ぎにクエストマラソンしているだけなんだけどね。ちなみに妖精がいるのが目印。本土行く前にバイバイするんだけどね」
「ほんと身も蓋もねぇな」
「まぁまぁ、そんな訳で基本的に異邦人の存在は重宝されているし、便利屋扱いもされているよ」
「ほんっとぉに身も蓋もねぇなお前!」
「ウチはリアリティのあるダークファンタジーが売りなんで、夢とか優しさとかはいらないんですよ」
欠片も夢を見せてくれないなぁ、なんて事をぼやきつつ村の中へと進んで行くと、奥の方の家から白いひげを生やした老人と、先ほどの半裸の男が現れた。よく見れば半裸の男は頭を押さえており、何やら老人の手に握られている杖によって叩かれていたようだった。苦笑しながら老人の方にチュートリアルを進める為にも近づくと、老人がこれはこれは、と声を放ってくる。
「妖精と共にある姿はまさに噂に聞く異邦人ではないか。いやはや、その姿をこんな辺境で見る事が出来るとは、人生何があるものか実に解らんのぉ……それと先ほどは何か、こやつが失礼な事をしなかったですかな?」
「あ、いえ、特に何にも」
「おぉ、そうでしたか。異邦人と言えば才能溢れ、そして幸運をもたらす存在として広く認知されております……故に直ぐに悪用しようと考える者もまた多く、この馬鹿者もまた同じような考えを持っていましてのぉ?」
「ひでぇぜ村長! 俺はちょっと仕事を手伝って貰おうって思っただけなのによぉ」
「それが邪だと言うんじゃ」
肩の上の畜生へと視線を向ける。ここからどうすればいいばいいのか解らないし、そもそもチュートリアル担当ならそろそろ働いてほしいとも思う。そういう意味で視線を向ければ、めんどくさげに息を吐きながら畜生妖精が浮かび上がり、そして村長と呼ばれた老人と、自分の間に割り込むように浮かんだ。
「はいはい、そこまでです。此方のマスターも困っているので。それに異邦人の思考はとてもシンプル、ギブ・アンド・テイクです。提供してくれるものがあるなら喜んで依頼を達成しましょう……とはいえマスターもまだまだ流れ着いたばかり、軽めの仕事からくれると非常に助かりますよ」
「む……そうか……異邦人殿もそれで良いか」
「お金どころか今見えるものと畜生一匹以外は何もないんでそうしてくれると非常に助かります」
「ほっほっほ、そうかい。ならまずは異邦人殿がどれだけ出来るか、軽くテストするとしようかのぅ」
おお、これがチュートリアル的な流れか、と理解する。そう考えている間に村長が半裸を走らせる。
「ではとりあえずこれを貸し出しましょう」
そう言って半裸に持ってこさせたのは鞘に入った剣、そして小さな木彫りの盾だった。物凄い初心者的な装備が出て来た。鞘には革紐がついており。肩に斜め掛けする事で装着する事が出来た。盾は内側に腕を通す所が存在し、盾よりはバックラーに近い構造をしていた。受け取ったそれを装着し、そして軽く拳を握ったりする―――違和感は超ある。
そもそもVRMMO自体が初体験だからしょうがないと言えばしょうがないのだろうが。剣の重さも、バックラーの装着感も、人生で初めてな事なだけに、違和感たっぷりだ。
「うむ、中々様になっておるの。ではここから東へと出た道を進んで行くと、この魚鱗島の先端へと到着する。その先端は岬になっており、石碑があるんじゃが、その石碑の周りには薬草が生えておる。それを一束持ってきてもらおうかのぉ、とりあえずこういうのじゃ」
そこで村長が見せてくれたのは自分には雑草にしか見えない草の束だった。ヤバイ、これ絶対解らねぇよ、と思いつつも浮かび上がった畜生妖精が勝手に話を進めてオーケイを出してしまう。こん畜生、と思いながらもこれはチュートリアル、
やらない事にはゲームが始まらないのだ。諦めて流されることにした。
「これで冒険開始ですよ! 冒険開始! まずはその第一歩ですよ!」
「テンションたけぇな」
「この後貴方の悲鳴が聞こえると思うとそりゃあもう心躍って」
無言で蹴りを繰り出すと焦ったように畜生妖精が飛行し、蹴りを回避した。外れた事に舌打ちしつつも視線を先へと向ける。村長に言われたとおりに村の東を出れば広がっているのは砂浜の道よりは少し広くなっている土の道路と、そして前方へと真っ直ぐ伸びる道だった。唯一の武器である剣を鞘に入れたまま、そして木のバックラーを装着したまま、道を真っ直ぐ歩いて行く。
ただその先、正面にはいくつか見慣れない姿が転がっている。
半透明で、ややピンク色で、そして膝丈ぐらいまでの大きさを持ったスライムのような生き物だった。どうやら此方の事は察知していないので、近づく前に足を止めてみる。
「なぁ、あれってスラ―――」
「ゼリーです」
「スラ―――」
「ゼリーくんです。ちなみに亜種でゼリーちゃんもいるのです。公式四コマをよろしく」
「ほんっと、お前仕事に関しては雑だな」
「いや、まぁ、それは良いんですけど道を邪魔する様にいますよアレ」
それなんだよなぁ、と呟く。ぶよぶよ蠢くスライム―――ではない、ゼリーは道路の上を転がってはいるが、退くような気配は見せない。避けて通ろうとすると道路横の平原を通るハメになるのだが、其方の方が道路よりも遥かに多くのゼリーがぶよぶよ跳ねているのが見える。
「つまり戦え、と」
「そういうゲームですから」
「身も蓋もねぇ―――ってこれ言うの何度目だ」
「さあ、早く早く! ぶち殺すのです! 殺すのです!」
テンションクソ高い畜生妖精の戯言を聞き流しつつ、右手で左腰辺りにぶら下がっている剣を鞘から抜いた。重い、というよりはズシリ、とした感触があった。当たり前だが現実でもこんなものは握った事がないし、VRMMO系列とは疎遠だったからバーチャルでも握るのは初めてだ。ましてや自分で振るう、なんて考えた事もない話だった。それを察知したのか、
「おやおや、初めてですか」
「うん……正直振り回して戦うとか絶対無理って思ってる」
「まぁ、その様子を見るからにはそうでしょうねぇ。こいつを倒せばレベルが上がってレベルが2になります、そうすればステータス振りとスキル振りが解禁されるのでちゃっちゃと終わらせちゃいましょう。たぶんマスターは近接の人よりは後衛の人ですねー、まぁ、ぐぐいっとどうぞ。コツは良く見る、怖がらない、そして冷静に、って感じで」
「……まぁ、頑張ってみるか」
左手に装着したバックラーで庇う様に前ににじり寄りつつ、右手で握った剣を後ろへと引いた。こう、漫画で見た事のある兵士の様な構えだ。後ろから畜生妖精ががんばれ、いけるぞー、姿だけはいいぞぉ、と声をかけて来る。そこまで聞いたところで動きを止め、剣を鞘の中へと戻し、そして振り返って畜生妖精の所へと戻った。
「アレ、どうしたんですかマスター」
「思いついた―――今、ここには俺が使える遠距離攻撃手段があったって事を」
「えっ」
畜生妖精―――エカラをそのまま右手で掴んだ。リアルで遊んだことのある野球を想い出し、華麗にフォームを決めつつ、
「畜生スマッシュ!!」
「こん畜生がぁぁ!!」
全力で飛び込みながら飛び上がり、スマッシュの要領で畜生の姿をゼリーの中へと叩き込んだ。予想よりも軽く、そして力強く跳べた体と筋力に驚きつつ、全力で妖精を叩き込まれたゼリーはその胴体を貫通されて歪み、一瞬だけ歪むとそのまま砕けて溶けだした。勝利の確信に拳を握ってガッツポーズを決める。
「―――良し!」
「良しじゃねぇぇ―――!! 人をなんだと思ってるんだこいつ!」
「便利な道具」
「おまえ私以上に畜生だよ!!」
へへへ、とニヤけているとホロウィンドウがポップアップし、レベルアップの報告が行われた。そこにはレベルが1から2へ、APを5、そしてSPを3と、そして初期レベルアップボーナスに10入手したと表示された。同時にインベントリ、スキルのタブが解放されていた。インベントリの中は予想通り空っぽ、しかしスキルの方は複数のタブが存在しており、そこからスキルなんかを選べる仕様になっているらしい。そのスキルもタブを一気に全部広げてみると大量に出現する為、かなり困惑する。
「うぉ、WIKIで一応確認したけどかなり多いな」
「てっめー、この私を無視するとは良い度胸だなぁ。だけどこれも仕事だ、畜生メガネに説明してあげましょう……こほんこほん」
エカラが咳払いをした。剣よりも効率のいい武器だから次回からこいつで道中のスラ―――ゼリーを倒すかぁ、と計画を進めながら、前に飛んだ妖精の言葉に耳を傾ける。
「それじゃあとっても簡単に説明しますがSPはスキルポイント、APがアビリティポイントのクッソ簡単な略称です。SPを消費してスキルを取得したり育てたり、そしてAPでステータスを上昇させるのです。基本的にステータスを上げる時のAPは一律ですが、SPの消費はスキルのランクや習熟具合で変わってきます。魚鱗島にいる間はAPとSPは軽くリセットできる仕様なんでチュートリアルがてらちょっと遊んでみましょうか」
「ほうほう」
言葉はアレだが、ちゃんと仕事はするよなあ、と思いながら言われたとおりにホロウィンドウを操作する。まずはAPの分配から。分配できるのは筋力、魔力、敏捷、そして体力の四つとなっていた。それぞれそのままのアバターの要素に直結しており、筋力はインベントリの保有重量に、魔力はMPの最大値と成長率に、敏捷は素の移動の効率にも影響し、そしてなんといっても体力はスタミナ、どれだけ活動し続けられるか等とそれぞれが重要な要素を担っている。
「MMOを遊ぶ上で特化型ビルドが基本的にお約束と言っていますがEX:Worldだと考えなしにそういうビルドするとマジで死にます」
「マジかぁ」
イエス、と書かれた看板をどこからともなく取り出しながら妖精が答え、それを投げ捨てた。
「筋力がなければ基本的に道具を多く持ち歩く事ができません。なので触媒や替えの矢弾を持ち歩くならまず筋力がないと話になりません。そして魔力を上げないとMPの最大値の伸びがクソなのでMPを消費するスキルや技能の行使が死にます。ちなみにポーション飲めば即時回復するという訳ではないので、ガブ飲みすりゃあええねん! という考えは甘えです。そして敏捷がなければこの広い世界、大陸を効率的に歩き回る事は出来ません。あとついでに言えば一定以上の速度がないと超高速で動ける相手に反応すら出来ませんしね。そして最後に体力がなければ基本的に何も出来ません。根本的に歩く、戦う、作業する、その全てにスタミナが要求されてくる上にこれ、見える数値としては管理されません。なのでそれが唯一可視化できる数値である体力は重要です」
割と真面目な内容の話に頷き、考えさせられる。
「バランス良く、ではなく計画的に、必要最低限の数値を見極めながら上げていけ、って事か」
「それが賢いやり方ですね。特化型ビルドも居るにはいるんですが、介護してくれる人がいないと話にならないので数は少ないです。まぁ、そう言う連中程爆発力は凄いんですけどね。ちなみにレベルキャップは現在サービス初期という事もあって100です。来月にはレベル150まで地域開放と共にキャップ解放予定ですよ」
「ほー」
中々タメになる話だった。レベル上限が100だとしたら1レベル上がるたびにAPが5貰えるとして、100になる頃には99x5で合計495のAPが与えられるという事だ。SPもその調子で言えば3x99で297だが、ボーナスで10追加されているからどこかでボーナスか、或いは追加で獲得する手段があるとでも考えておくべきなのだろう。
とりあえず畜生妖精がこの島にいる限りはステータスとスキルのリセットは利くと言っている。だったら少し割り振って実験するのもいいだろう。とりあえずAPを全部体力へとぶち込んでみる。その選択肢を確定させるが、特に何か変化があるようには感じなかった。
「まぁ、島を出るまではお使いクエストさせられるので敏捷と体力を底上げしておくのが一般的ですね。5あげた程度で大きく変わる訳じゃないですけど、数時間動き回れば嫌でも違いは分かってくるって感じで。そんじゃあ次はSPの割り振りの方をやってみましょうか」
ステータスウィンドウを一旦消して、そしてその代わりにスキルウィンドウを表示させる。半透明のウィンドウには様々なタブが存在しており、【武器】【魔法】【生活】と大まかに分けて三つに分かれており、その中に更に【アクティブ】と【パッシブ】で分けられており、そこからさらに細かい条件で分類されていた。
「まぁ、パパっと見ると大量にあって何がなんだか、って感じがしますので、まずは習得チュートリアルです。まずは《鑑定》を習得しましょう。【生活】タブの【アクティブ】を選択してください。そこの【商業】用のスキルの中に《鑑定》のスキルがあります」
言われたとおりに操作すれば《鑑定》スキルを発見する。習得に必要なSPが1だと表示される為、遠慮なく習得する。習得された《鑑定》スキルは現在ランクF、だと表示されている。どうやらレベルではなく英字のランク式でスキルの強さは管理しているらしい。
それが終わったのを告げると、それじゃあ、と声を零しながら横へとスライドする様に飛行し、そして先ほどまでゼリーがいた所を指した。もはやゼリーの姿は溶ける様に消えてしまったが、その代わりに半透明のボールの様なものが残されていた。
「それを見ながら意識して《鑑定》を使って見ましょう」
「えーと……《鑑定》、って別に口に出す必要はないんだよな?」
「思考制御なので必要ありません。一応必要なスキルもいくつかあるんだけどねー」
なるほど、と思いつつもゼリーの残したボールに《鑑定》が発動した。直後、その横にホロウィンドウが出現する。
ゼリー玉 ランク:F
半透明のスライム型のモンスター・ゼリーが落とす一般的なアイテム。
やや甘く、そのままお菓子感覚で食べる事が可能。
「おぉ」
ドロップしたアイテムの情報が出現していた。どうやらそのまま取得出来るらしく、片手で掴んで持ち上げると若干ぶよっとした感触がするが、ゼリーというよりはグミに近い感触があって、触れているだけでも割と楽しかった。
「討伐し、そしてドロップを出現させたのはマスターなんでドロップアイテムの権限を現在保有しているのはマスターです。そのまま拾ってインベントリへの収納を願えばインベントリにしまい込むことが出来ますよ」
「うぉ、マジだ。すっげぇな」
こういうのは面白いなぁ、と思いつつ何度かゼリー玉をインベントリの中に出し入れし、そして消す。それが終わったら視線をちゃんとチュートリアルをし始めた妖精へと向けた。
「と、まぁ、そんな感じでスキルは戦闘や魔法に関する事ばかりだけじゃなく、生活とかを便利にするためのもんとかもあります。んじゃあ最後に【魔法】の【アクティブ】タブをレッツ・チェック」
指定された画面をチェックする。そこには様々な種類の魔法の名前が並んでいた―――数は多くなく、属性別に別れている感じだった。
「スキルは最初からそこに表示されているのが全てではありません。最初はFランクから開始するスキルですが、ランクを上げて行けばそこから派生するスキルなどが出現します。それ以外にも条件を達成する事で解禁されるスキルがあります」
そう言われた直後、
ポップアップと共にスキルが解禁されました、と表示された【魔法・アクティブ】タブを眺めていると先ほどまでは属性魔法しか存在していなかったが、そこにいくつか新しいスキルが追加されているのが見えた。
「―――まぁ、今風に誰かから教わったり、伝えられたりすることでアンロックされたりもします。今アンロックされた奴は基本チュートで解放される奴なんで気にしない方向で」
「おー……しっかし、初期からこんなにあると何を取得すればいいか困るなぁ」
「その為のWIKIだよ」
絶対言うと思った。ともあれ、此方もステータス同様この島にいる間は自由にリセットできるらしいし、少しだけ考えて割り振る事にする。さっきゼリーを攻撃した感じ、あんまりこっちが強くなくても少し離れた位置から強くぶっ飛ばせば倒せる、って感じがあった。とはいえ、ここまで色々とスキルが用意されていると逆に困る。軽くWIKI見てきた時にこういうのがいいなぁ、というのはあったが、実際目の前にしてみると凄い悩む。
「WIKIを見た感じ物理型と、魔法型で分かれているらしいけど……」
そーですねぇー、と若干言葉を伸ばしながらエカラが答える。
「まぁ、ぶっちゃけ畜生メガネはどうあがいても殴り合いが出来そうにないから、ハメて殺す遠距離の魔法型がオススメだべ」
「ほーん……」
そのままどんな魔法があるのかを確認する。炎、水、風、土の基本の四属性に光と闇の属性それに無属性魔法や召喚魔法なんてものが存在する。これが今の所習得できるアクティブ系統の魔法かぁ、と思いつつ、とりあえずSPを消費してそれぞれの魔法を取得してみる。初期で取得するのに必要なSPは1だから取得するだけなら簡単だった。
そこからワンランク上げるのに必要なSPは3、1レベル分のSPを一つ丸ごと必要としているのでランク毎に必要なSPは加速度的に増えるだろうなぁ、なんて考えていると、魔法を習得した傍から新たな属性魔法がリストに追加された。
「今ので解ったと思いますけど特定の組み合わせで解禁されるスキルもあるからぁ! ……まぁ、たぶんWIKI見れば一発なんですけどねぇ!」
「それな……という訳でWIKI見ちゃおうか!」
「催促した私が言うのもアレだけどお前も別ベクトルで容赦ねぇよな」
ゲームを真面目にやる奴が馬鹿なのだ―――そんな事を考えながら外部サイトへ、EX:WorldのWIKIへとアクセスする。そこで初心者向けオススメのスキル構成を検索し、チェックして見る。ついでにそれぞれの魔法の性質、何が使えるか、というのもチェックして見る。こういうチェックと準備は何事にも大事だと思っている。故に足を止めて、浮かべたホロウィンドウに表示するWIKIのページを畜生妖精と共に見る。
「やっぱ器用貧乏は死ねるんだなぁー」
「そうですねー。マジックユーザー目指すなら魔法を二種ぐらいに絞り込んでパッシブで補強パターンが王道ですからねぇ。あ、このテンプレいいんじゃないですか闇と無にパッシブ詰め合わせの組み合わせ。畜生メガネらしくじわじわと嬲り殺しにして行くスタイルですよ」
「おまえ根本的に俺に喧嘩を売ってるな? ん? いいんだぞ? またエカラスマッシュ炸裂させて掲示板ではやらせても」
「このプレイヤー外道すぎない?」
オススメは解るがとりあえず使用感を確かめる為にもこのままにする―――まぁ、戦いがメインなのがVRMMOというゲームのジャンルだ。となるとそういう方向で楽しめる様に探しておいた方がいいだろう。
正面、道の先へと視線を向ければ目的である石碑のある岬まではまだまだ距離がある―――遠くに見えるナイフの様に尖った大地の先には十数メートルほどの切り立った岩壁が見える。その先に石碑があるのだろうか。だがそこまで続く道の途中、他にも色々とゼリーが転がっているのも見える。スキルを色々と試すには十分な相手だろう。
「―――とりあえず移動しながら色々試しますか」
「レッツ・ジェノサイド!」
戦闘と聞いて一気にテンションが上がり始めた妖精の姿に、こいつは本当でこれで良いのか? なんて事を考えつつも適当にアクティブ系統の魔法スキルを習得し、その実験を開始して見る。
召喚陣から出現した炎で出来た蜥蜴はぷよぷよぶよぶよと転がるゼリーへと向かって跳びかかって行く。その炎で生み出された体そのものが武器である火蜥蜴は炎の牙をゼリーの体に食い込ませ、そしてジュゥ、と音を立てながらゼリー体を蒸発させながら噛み千切り、あっさりとゼリーを消滅させた。戦闘を終了させた火蜥蜴が振り返り、此方へと視線を向けて来るので良くやった、と伝えてから魔法を解除する。
減っていたMPの最大値が元に戻った。
「うーん……まぁ、今ん所一番使いやすいのは召喚魔法かなぁ」
「下僕に働かせて後ろから眺めているという黒幕スタイルが非常にお似合いでしたね」
「うるせぇ」
道路の上にいたFランクで召喚できた召喚生物、サラマンダーの消滅を確認してからインベントリにゼリー玉を放り込んだ。
だけどなんというべきか―――根本的に戦うの無理だな、俺。それが感想だった。
とりあえず魔法というものを使ってみた。数秒間のチャージ時間を終えると放つことが出来るのが魔法であり、属性別に色々と放つことが出来たのだが、なんというか―――怖い。チャージ中は完全に無防備だし、足を止めていないといけない。なのでチャージ中にゼリーに先ほど一回接近されてしまい、一発ぶよぶよした体当たりを喰らうハメになってしまったのだが、
これが意外と痛い。
サッカーボールを勢いよく蹴りつけられた、という感じの痛みだった。ぶつかった時にバックラーではなく右腕で庇ってしまい、戦闘が終わった後で袖の下を見たら軽く赤くなっていた。痣になるほどの力はなかったのはチュートリアルのエネミーらしいが、それでも痛い事に変わりはなかった。ゲームを進めれば更に強い、致死性の攻撃と痛みを繰り出す敵が増えて来るのだ。
そんな連中を相手に無防備に突っ立ってチャージしろ? 無理を言うな。
これが無理なのに武器で戦うとか無理に決まっている。
だから使ってみたのが召喚魔法だった。これなら予め召喚し、そして戦わせればいい。それでいて自分はその背後から援護するか指示を出すか、戦闘には直接的に介入せずに安全地帯に居られるのだ。ぶっちゃけた話、自分が直接戦うような事は無理なので、これが最善案だった。
「ふむ、まぁ、召喚魔法は悪くはないですよ。必要なリソースの大半が魔力だから特化型を構成し易いですし、足りない部分は自分ではなく召喚した存在に補わせればいいですからね。同様の理由で《テイミング》を習得してテイマーなルートも人気です。自分の代わりに戦うモンスター等を用意する必要がありますが、若干育成ゲーが入るのでそっちが好きな人には割と人気です。後はそうですね……ややマイナーでアングラですが《死霊術》を使うネクロマンサールートなんてのもありますね。暗黒畜生メガネには割とお似合いですね」
「お前を捕獲して調教してやろうか」
鬼畜メガネ、とバッシングを送ってくる妖精を無視してほんとうに色々とあるんだなぁ、と感心しつつ、自分の中で方向性を固めて行く。こういうゲームはある程度ソロで戦えないとお荷物扱いだろうし、完全に支援職というのはまずありえないだろう。となるとやはりある程度個人で戦力を選出できつつ自分は手を汚す必要のない、そういう立ち回りが出来るスキル構成が欲しい。
テイマー特化か、或いは召喚特化か。どっちかだなぁ、
何度もスキルをリセットさせつつ歩き続ける事二時間ほど、畜生妖精とも大分漫才が板について来たな、なんて事を考えていると魚鱗島の東端に到達してしまった。断崖絶壁―――とまではいかないが、それでも垂直に道を塞ぐ巨大な岩壁の姿が正面にあった。
その上の方に石碑があるのがここへと近づく途中に見えた。
岬になっている為、回り込む事なんて出来ず、直ぐ横は断崖絶壁となっている。素直に目の前の岩肌を登るべきなのだろうが、見上げ、そしてそびえたつその景色に自分がこれを登れるか? と問うてみる。
いや、無理だろ、と素直な諦めが湧いた。
「良し―――帰るか」
そう言った途端、目の前にエカラが滑り込んで来た。
「いやいやいや、何を言っているんですか。これぐらいプレイヤーの初期値だけでも余裕で登れますよ。ほら、最初に私を投げやがった時にいつも以上に跳べたりしてびっくりしませんでした? 現実よりも力が良く入った筈ですよね? 初期値でも十分動き回れるように設定していますから、騙されたと思ってちょっと登ってみてくださいよ」
ささ、と言ってエカラが退き、正面の岩肌が残された。それを注意深く観察してみると指や足を差し込めそうな隙間が割と多く存在しているのが見えた―――これもチュートリアルの一部か。そう考えて諦める事にした。ふぅ、と軽く息を吐きながら手を隙間の中に入れ、しっかりとつかんでから自分の体を引っ張り上げる様に上へと向かって移動して見る。リアルの自分の体よりも遥かに反応が良く、そして力強く手ごたえを返す体はあまりにもあっさりと登攀を成功させてくれる。
「おぉ、マジで登れる」
「初期値でもアスリート並に動けるようになっているんですから、そりゃあ当然ですよ」
これだけ力強く体が動くのは感動ものだった。ロッククライミングなんて初体験だったが、こんな風に体を動かすのは中々悪くなかった。それに体力にレベルアップ分のAPを振り分けている影響か、腕が疲れるような事も特に感じず、十数メートルの岩壁をあっさりと登り切ってしまった。
そうやって魚鱗島の岬へと到着した。
テーブルトップ型の大地は緑に包まれており、その中央には石の台座の上に鎮座する荒削りの石碑が存在していた。そこには何らかの文字が刻まれていたが、あいにくとそれは自分の知らない言語だった。近づいてちゃんと《鑑定》するか、或いはもしかして語学関係のスキルがあるのかもしれないから、それを使えば結果は違うのかもしれない。ただ今、ここを見て解るのは素晴らしい景色である、という事だ。
石碑を中心に緑が広がり、そこには色とりどりの花々が咲き誇っており、その背後には大海原の姿が広がっている。
風に揺れる花弁が散り、それが風に巻き上げられて岬の先へ―――海へと向かって花吹雪の様に舞って消えて行く。
見惚れるようにその景色をしばし、登り切った直後の状態で足を止めて眺めていた。特に何かを注意する訳でもなく、ただただ眺め続けていると、
「……どうですか? これが冒険者の醍醐味という奴です。リアルでは決して見る事の出来ない景色をこうやって独占する事が出来るんです。素敵でしょ?」
腹立たしい話だが―――素敵だと思ってしまったため、そこは認めざるを得なかった。こういう風景を見る為に世界を旅するのであれば―――うん、悪くはないと思う。海で感じたあのリアルな感触、何年も感じなかった風景に対する感動。リアルではどうあがいても都内から出る事は出来ないだろう。コスト的にも、そして時間的にも。だけどこの世界でなら他のVR世界よりもリアルに物事を感じ取れ、そして楽しめる。
そう考えるとゲームも悪くはないのかもしれない。
「―――うん、悪くはない。悪くはない」
「ふふふ、じゃあ薬草の採取を行っちゃいましょうか? もう解っていると思いますけど《鑑定》のスキルを使えば使えるもの、使えないものを大雑把に見分けることが出来ます。ただし大雑把なので、レアな素材とかアイテムには気が付けない場合もありますので、それらを見逃したくない場合はスキルのランクを上げるか、或いはそれ専門のスキルでも習得してください」
肩の上に座り込むエカラの言葉に従って《鑑定》を使ってみると。それに反応する様に小さなホロウィンドウがいくつか出現し、それが採取対象である薬草である事を識別させる。なるほど、こうやって素材を集めるんだ、と素材採取のやり方に関して理解する。また、同時にこういう事があるからにはやはり生産システムもキッチリしているんだろうなぁ、と予測する。
「来るまで二時間もかかっちゃったし、さっさと採取するか」
「まぁ、戦闘と検証ありで二時間ですからね、帰りはもうちょい早いでしょう。ちなみに《識別》のスキルがあれば品質や類似品、コピー品とかも確認が出来るようになるのでそっち関係に進むなら同時に取得しておく事もオススメです」
「なるほどなー……まぁ、適当に進めるか」
答えながら薬草の採取に乗り出そうとしたところ、風が吹いた。
『―――き―――え、ま―――か』
風が吹くのと同時に聞こえたのはかすれた音の様な言葉だった。男か、女かすらも解らないそんな言葉は声ではなく、直接脳内に文字がインプリントされたような感覚だった。軽く周りへと視線を向け、それから肩の上の畜生妖精へと視線を向ければ、ニヤニヤと笑みを浮かべる姿が見えたため、これもイベントなのか、と察することが出来た。なので落ち着いて視線を石碑の方へと向ければ、軽い風が吹き、それが青い原型を生み出して行く。
青白い半透明の存在―――輪郭はぼやけており、男か女か、それすら解らないあやふやな存在だった。見た感じ、それは典型的なゴーストと呼べそうな存在だった。石碑の前に出現したゴーストはしかし手も足も無いような、そんなギリギリの存在に見えた。
「イベントですよイベント! プレイヤーに目的意識を植え付ける為の!!」
「今良い所だから黙っててくれない?」
あ、すいません、と答えられながらゴーストへと向き直る。それを受けてゴーストはちらり、と妖精へと視線を向けてから此方へと視線を戻す様な、そんな気配を感じた。あ、このゴースト、結構いい人なのかもしれない。そんな事を考えながら頷きを返す。
『我が声が聞こえますか―――』
「あ、そこからリトライなんですか」
「ほんとお前黙ってよ? ほら、先を続けるかどうか凄い困ってるぞ」
「いやぁ、ムービーシーンの背後でブレイクダンス踊りたくなるタイプなんで……あ、どうぞどうぞ」
ほんと畜生だなこの妖精、なんて事を考えながらも、ゴーストの言葉に意識を向けた。
『我はもはや名も姿も忘却し、掠れ行くナニカであった残滓……しかし今一度我が声の届く者と出会えた幸福に感謝する』
「これ絶対託されるパターンですよ、絶対託される―――」
妖精を素早く掴んで岬の下へと向かって全力で投げ捨てた。お前、一回メンテナンスされて来い、と追撃で罵声を浴びせながらゴーストへどうぞどうぞ、と言葉を放つ。それを受けてゴーストはしばし、困った様な雰囲気を溢れさせていたが、数秒後、落ち着きを取り戻した。
『我はかつて海を越えた向こう側からここへと渡って来た戦士……もはやそれが何故か、何であったのかは忘却の果てにある……それが霊としての運命であるが故に……しかしそれでも覚えている事はある。我々が守ろうとした物は無事だったのか、守るべき者達はどうなってしまったのか……未だにその未練だけが我をこの地へと縛りつける』
良くあるMMOの展開だなぁ、とは思う。何かを見つけ、託され、そしてそれを確かめる為に広い世界へと出て行く―――そんな王道のパターンがMMOにはあったりする。実際、現地人主人公だった場合はこれが冒険に走り出させるための解りやすいモチベーションで目的だからだ。それに何かを確かめる、という行動は行き先を指定する為の行動でもある。だから次、ゴーストが要求してくる事は解っている。
『故に異邦人よ、われは願う……どうか確かめてほしい。我々が命を賭して守ったものが今もそこにあるのかを……』
その言葉にうんうん、と頷き、答えた。
『……そうか安心し―――えっ』
「えっ、なんでこいつ断ってやがんだ」
ゴーストも、そして戻って来たばかりのエカラも完全に停止しているので、言い返す。
「え、もクソねぇよ。なんで俺が初対面で特に親しくもない奴の頼みを聞かなきゃいけないんだよ」
「ぐうの音もでないド正論である」
『え、いや、確かにそうではあるのだが……』
だから、と言う。
「
此方の言葉に一瞬完全に固まったゴーストはしかし、直ぐに復活した。
『不可能だ……我はもはやただの霊、ここから離れる程の力もない』
「いや、手段はある。そうだろ畜生妖精」
「いやぁ、あるにはありますよ。その霊を使役して連れ出せばいい、それだけなんですから―――つまりは《死霊術》です」
『確かに霊を使役し、従える術であれば可能だが―――いや、本当に頼めるのか?』
ゴーストの戸惑った様な言葉と同時に、ホロウィンドウがポップアップする。
まだ解放されていなかった《死霊術》の魔法、そしてそのパッシブ関連が解放された。WIKIを確認すれば霊体に接触し、使役しようと思考する事、そして相手がそれに対して好意的、或いは認める事が条件となっている。スキルを一旦リセットしつつ、さあ、と目の前のゴーストに呼びかける。元戦士であるならそれにふさわしいだけの戦闘経験がある筈だ―――召喚したり捕まえたりするよりはこっちの方が遥かに信頼が置ける。
「俺に忠誠を誓い! 俺の下僕となり! 俺の手足となって動く事を誓えば! 俺が貴様を使役し、この島から出る時に共に連れて行き、その記憶を探ってやろう! あぁ、ただし目的が達成しても俺の下僕のままだがなぁ!」
「流石畜生メガネ、いう事もやる事も過激ですね! よ、このクサレ外道!」
笑いながら再びエカラを岬の下へと向かって全力で投げ捨てた。そしてゴーストへと向き直る。
「さあ、どうする。俺に忠誠を誓うか、否か」
さあ、と言って片手を前に差し出す―――若干悪役ロール入っているが、これが割と楽しい為、しょうがない。正義の味方をやるよりは悪役の方がテンション上がりやすいよな、なんて事を考えながらゴーストの反応を待っていると、ゴーストが反応を返した。
『解った―――忠誠を誓おう』
「ならば良し!」
スキルを一旦リセットし、そしてスキル画面に入力する。取得するスキルは《死霊術》、《テイミング》を中心として自分ではなく従僕を戦わせる事を中心としたスキル構成にする。予め歩きながらWIKIを見ていたおかげでスキル構成の構想は出来上がっていた。故に後は従僕を強化する為のパッシブやアクティブの魔法を取得し、準備は完了する。
《死霊術》のランクF魔法に相互で同意した場合、契約する事を可能とする魔法がある。
「我が名はマスター! 俺に忠誠を誓え! 《アンデッド・コントラクト》!」
別に魔法の名前を口にする必要はないのだが、これは気分という奴だ。まぁ、仕方がないだろう。そう思いながらかっこつける様に右手を前へと突き出せば魔法が発動する。ゴーストの足元に黒い魔法陣が出現する。一瞬出現し、広がった魔法陣はまるで歯車の様にバラバラに回転し、上がり、停止する。直後、歯車の魔法陣から光が上がり、それがゴーストを包んだ。
Warning! Low On Maximum MP!
MP最大値がごっそりと削れた事をホロウィンドウが警告と共に表示する。だがそんな事実よりも目を見張るのは正面の出来事だった。MP最大値の
曖昧で半透明だった青白い姿は硬質な鋼へと変貌する。足と両腕が出現し、胴体、そして頭に至るまでの全てが黒、そして深い蒼色の色褪せた鎧へと変貌した。足の指から頭に至るまでの全てが鎧に包まれ、隙間なく鎧に姿を隠された存在は鎧を被っている、のではなく鎧そのものが本体の様に見えた。いや、記憶を無くしていた、と言っていた。だからおそらくこれは外装、それしか思い出せなかったのだろう。
色褪せ、若干錆びて、それでいてやや欠けている―――それでもそれは騎士を思わせる様な厳格な鎧姿だった。どこか気品をその鎧には感じた。
そうやって実体を得たゴーストは前へと一歩踏み出し、そして膝を付いた。
『―――これより契約に従いマスターの手足として、その従僕として忠誠を誓い、戦いましょう』
声ではなく再び文字が、言葉がイメージとして浮かび上がる会話方法に変化はなかった。とはいえ、姿がこうやって構築できるだけ大きな変化なのだろうが。
「おう、よろしく頼む」
と、そこまで言った所で呼ぶべき名前がない事に気づく。元ゴーストに名前を思い出したかどうかを聞いてみるが、鉄の擦れる音と共にそのヘルムを横へと振った。
『マスターの魔力を頂く事によってこういう風に限定的に姿を取り戻す事は出来ましたが、それでも失った記憶は戻りません。故に私の事は好きにお呼びに』
「んじゃあ無難にナイトで。他に形容する言葉がないし」
「安直ですねぇ! ですが面白いもんを見れたのでそれもまた良し!」
エカラが飛行してくる。という訳で解説です、とサムズアップを向けて来る。
「こういう契約系、異邦人側に大きく存在を依存する者と契約した場合、体力だったりMPだったりの上限を召喚中は大きく削られます。召喚していなくても維持コストの関係で軽減はあっても上限は完全に戻りません。見た所畜生メガネのMPは契約で六割削れてますが、非召喚状態、つまりは実体のない霊体状態へと戻せば三割まで半減できる筈です」
エカラの言葉を聞いてナイトが頷く。
『現在は多くの力を割いて貰って恐縮ですが、記憶を取り戻せばかつて修めていた技能を取り戻しながらもっと契約を効率化させる事も出来るでしょう。現在は最低限以下の力しか発揮出ない事をお許しください』
「それを言ったら俺なんかロクに戦えないからな―――まぁ、約束は守る。その代わり出来る範囲で全力で応えてくれ」
『了承しました、マスター』
とりあえずこれで戦力はゲットだ。MP最大値というコストがヤバイレベルで重いが、召喚解除して霊体化させればそれもマシになる。記憶を取り戻せば取り戻すほど強くなって行くらしいし、今はどれぐらい強いのか割と楽しみな所でもある。そんな事を考えつつも薬草を採取する前に、忘れないうちに石碑へと接近する。無論、文字は読むことが出来ない。だからスキルウィンドウを開いて余ったSPを【生活】の中にある《語学》に放り込めば、読めなかった石碑の文字が自動翻訳されることによって読めるようになる。
そこにはこう書いてあった。
ほとんど削れてしまって読めなくなっていた。これじゃあまるで情報が取得できないなぁ、なんて事を考えたが、進むべき道しるべは出来ていた。
帝国―――それがここを出た時の目的地だ。
「そう言えばさ、畜生妖精」
「なんですかねぇ、畜生メガネ」
「……俺以外でこういう風にスカウトした奴はいるのか?」
無論、《死霊術》でナイトを使役する事に成功した話だ。
「そりゃあいますよ。ただ序盤がクッソ大変なので長続きせずにアカリセした人とか多いですけどね。でもまぁ、ニッチではありますが人気のある職業ですから少数ですが存在はしますよ。ちなみに同じ人物はいない半ガチャ状態ですからここ」
「いらん情報までこいつ……!」
まぁ、それはさておき、さっさと薬草回収と戦力確認を行ってしまおう。《鑑定》スキルを発動させて薬草の位置を確認し、採取を始める。手持ち無沙汰なナイトがちょっと居心地悪そうなので作業に参加して貰いつつ、サクサクと依頼の方を進める為に膝を折る―――邪魔なバックラーと剣はたぶん、もう二度と使う機会はないだろうなぁ、とインベントリに投げ込みながら十数分ほど、作業を進めた。
それが終わればサクサクと帰りの時になる。
そしてそこで行うのはリアルでなら確実にタダでは済まないであろう高所からの飛び降り。
ナイトの片腕に抱えられるように飛び降りれば、凄まじい衝撃と共にあっさりとノーダメージで着地する事に成功した。たぶん今の自分のステータスなら間違いなく反動か衝撃でダメージを受けていたので、その動作だけでもナイトの実力が自分を遥かに超えている存在であるのが理解できた。ただそれだけでは非常に心配であるが故に、戦闘実験を行う事にする。
と言っても、この岬との間の道に出現する敵はゼリーのみらしい。最低限の攻撃手段でどれだけ検証になるのだろうか? 何てことも考えたのだが、一切文句をいう事もなくナイトはしたがってくれた。二十メートルほどの距離を開けてぶよぶよと跳ねるゼリーを攻撃の目標に据える。
「じゃあ、何が出来るか確認したいしアレの撃破を頼む」
『拝承しましたマスター』
そう言うとナイトの右手に出現する物があった。
それは一本の槍だった。形状は
ナイトの鎧も、その槍も、記憶を取り戻せば改善するのだろうか?
そんな事を考えている間に、ギチチ、と鋼鉄の掠れる音を響かせながらナイトが左腕を動かすと、右腕とは違ってまるで獣の腕の様な、強大な爪を模した様なガントレットが存在していた。それを広げ、
大地を蹴った―――足元の大地を粉砕しながら一気に接近し、爪の様なガントレットでゼリーを掴み、千切りながら跳ねあげた。それが胴程の高さまで上がったところで一切の容赦もなく、素早く突撃槍が真っ直ぐ叩き込まれ、弾け飛ぶようにゼリーの姿が一気に砕け散った。大地に落ちる前に片手でゼリー玉を左腕の上に落とす様に捉え、振り返るナイトに対してエカラと二人でその姿を評価した。
「これはSSRっすわ」
「物凄くSSR感強い」
『SSR……?』
若干困惑した様子のナイトに、まるで問題はなく、良くやったと言いながらゼリー玉を受け取ってインベントリの中へと放り込む。今の動きを見ただけで解る―――自分とはまるで格が違う。多分自分なんかが鍛えてもあんな風に動く事は絶対に出来ないだろうと思う。MP上限を常に圧迫され続けるだけの価値はある、と確信できた。
「いやぁ、中々に引きがいいですねぇー。スキルガン乗せでしたし」
その言葉に首を傾げた。
「……ん? 発動したスキルって見れる物なのか?」
その言葉に妖精がそうですねぇ、と呟く。
「まぁ、どうせWIKIのスキル欄を細かく観察すれば解るでしょうし言っちゃいますけど、基本的には他人のステータスやスキルってのは見れません。ですが発動中のスキルに限り観測が可能になるスキルとかも存在します。《鑑定》からの派生なんでガッツリ育てておくといい感じですね」
「ほー……もっかいスキルの成長チャート見直しておくか」
「発言がインテリメガネっぽい、やり直し。もっと根暗で鬼畜っぽく言い直そう」
「ぶち殺すぞナマモノ」
しかし良い事が聞けた。そういう類のスキルもあるらしい―――MP上限が圧迫されているという事は純粋な魔法型とはそこまで相性が良くないはずだ。だったら別方面で支援とかが行えるスタイルを見つけた方がいいのかもしれない。ともあれ、ナイトは自分には過ぎた実力を持っている様な気もする。慢心して痛い目に合うのは嫌だし、適度に臆病になりつつ進もうと決める。
―――それはそれとして、
「レベリングと素材集めの為にも帰り道で見える範囲のゼリーがいたら狩っておくか。そこらへん、消耗とかあるか?」
『我が体は現在マスターの魔力によって構築されています。故になにかあっても要求するのはそれだけかと』
コスパもいい―――これはかなり良い手駒を手に入れたな、とほくそえみながらナイトによる蹂躙を解き放ち、魚鱗島の村への帰路を進むことにした。
村へと到着する頃には片っ端からナイトが蹂躙したという事実もあって、レベルは3まで上がっていた。APとSPは一旦温存し、チュートリアル中にまた何か新しいスキルが来るかもしれない、なんて事を考えつつこれ以上は楽しみが半減するし、極力WIKIを見ない事に決めた。段々とだがこのゲーム自体を楽しみ始めている自分がいた事に軽く苦笑しつつも、ナイトを霊体に戻して隠しつつ、村へと到着した。
村長は村の中心でやや心配そうな表情をしていたが此方が傷なく戻って来た事、そして薬草の束を見せた事に直ぐに笑みを見せてくれた。
「おぉ、異邦人殿、無傷とは流石ですな。いや、このぐらいは当然と言うべきですかな。ではでは、薬草はそのまま、此方へと来てくだされ」
半裸の漁師がいないのはやや寂しかったが、村長に引き連れられ案内された先は村長が出て来た家―――つまりは自宅だろう。お邪魔します、と軽く声を零して入った先には人が一人暮らすには十分なスペースがあった。中央には焚火と鍋が、他にも棚や作業机らしきものも見えた。村長は此方へと来なさい、と言って作業机へと手招きしてくる。それに従って近づくと、
「薬草を取って来たという事はゼリーは倒せたんじゃろう? ゼリー玉を一個ワシに貸してくれんかのう?」
「あ、どうぞ」
インベントリからゼリー玉を取り出してそれを村長に渡す。それを受け取ると嬉しそうに笑みをこぼし、ありがとうと答えながら薬草、ゼリー玉、そして瓶に入った水を取り出し、並べた。
「薬草は噛んでから患部に塗れば即席の傷薬にもなるんじゃが薬として加工した方が遥かに効果が高くなるんじゃ。それを今から見せるから、しっかりと見てるんじゃぞ?」
「あ……はい、お願いします」
日本人の気質か、軽く頭を下げると、うむ、と声を零しながら老人が薬草を取り、それを少量の水を混ぜながら乳鉢でごりごりと磨り潰し始めた。慣れた手つきではあるが、焦ってはいない。ゆっくりと、しかし力を込めながらしっかりと薬草を磨り潰して行く。
「良いか? 焦っては駄目じゃ。ゆっくりと、しかしちゃんと、ダマの一つも作らずにペースト状になるまでしっかりと磨り潰して行くんじゃ。焦って速度を乗せると駄目になるから空気を含むように丁寧に大きく、確実に磨り潰すんじゃ」
そう言って村長は丁寧に此方の指導をしてくる。
それは最下級の回復薬の作り方だった。薬草を磨り潰してペースト状にしたら、そこに薬草2に対してゼリー玉を1で混ぜ込み、ダマになる部分を確実に潰しながら丁寧に混ぜて行く。そうやって丁寧に混ぜ込むとゼリー玉と薬草が混ざり合うので、そうやって出来たペーストが塗り薬になる。すり傷や浅い切り傷程度だったら簡単に治せるらしい。それに水を混ぜて溶かす事で飲み薬にする事も出来て、そうやって飲むと減った体力の回復や、ある程度の内臓のダメージを癒せるようになるらしい。
そうやって村長が一回実演すると、
「さ、やり方は見せたじゃろう、なら異邦人殿にも出来る筈じゃ」
そう言って此方にもやってみる様に言ってくる。それと同時に新たにスキルで《計量》等のスキルが出現する。どうやら生産そのものはスキルで行うのではなく、この世界に沿ったルールや法則を守って行う物らしく、スキルは品質や効率を上昇させる為のサポートらしい。極論、生産を行う為にはスキルの類いは一切必要ないというシステムになっていた。
ただこれはこれで面白そうだった。村長が教えてくれた回復薬の作成は【錬金術】と言われるカテゴリーの生産活動だったらしい。レベルの低い錬金術であればこんな風に普通の調合や調薬なんかとやる事は変わらない。しかしレベルを上げて行くと魔力を混ぜる必要があったり、魔力の流れを読む必要があったりと工程も複雑化してくるらしい。だけどそれこそが錬金術のキモ、魅力だとも村長は説明し、
そしてその説明が終わるころには初めて完成させた回復薬が自分の前にはあった。戦闘の方はちょっと自分ではついて行くのは無理かなぁ、なんて事を考えたが、此方、錬金術だったらかなり楽しい―――というか此方の方が楽しかった。
「しかし、なんというかお手伝いのつもりで薬草を取って来たのに逆に教わってしまって凄く申し訳ないです」
「ほっほっほ、気にする必要はないわ。異邦人殿がこんな辺境の島に収まっている様な器とは思えないからのぉ。だったらここから出て行く前に、道を教えるのが老骨の役割じゃろうて」
チュートリアルであるのは理解しているし、目の前にいるのはNPC―――つまりはAIだ。だけど己がAIだと知らず、ほんとうの人間の様に思い込んでいる彼らの姿はまるで本当の人間の様だった。だからか、少しだけそうやって見返りのない好意を見せてくれる村長の姿が嬉しかった。
それを知ってか知らずか、村長はマイペースにほっほっほ、と笑い、
「錬金術に興味があるみたいだのぉ、《計量》や《識別》のほかに《魔力制御》等があるとやりやすいぞ……もう少し他のレシピにも挑戦してみるかの?」
「是非お願いします」
「ほっほっほ、意欲的な生徒を得るのははて、何十年ぶりじゃろうなぁ……時代遅れの錬金術ではあるが、この老骨が少し教授しよう」
そう言う村長もどこか楽しそうで、棚にある素材を持って来て欲しいと頼んでくる。そこからは純粋な授業が始まる。どんな素材が使え、そして何が使えないのか、それをスキルだけではなく自分の知識で識別し、そして判断する方法を簡易的にレクチャーしながら、村長が知っている初心者向けのレシピを幾つか教えてくれる。
こう言っては非常にアレだが―――大学の講義なんかよりもずっとこっちの方が楽しかった。
そうやって半日も村長の所で錬金術を学び、剣とバックラーを返還した。基本的な戦闘、生産、そして成長システムを経験した所で既に魚鱗島はチュートリアルをする為の場所としての役割を果たしていたのだ。名残惜しさを感じつつも、港では友人との合流の約束がある為、何時までも時間を魚鱗島で過ごしている訳にもいかないのだ。故に錬金術の授業を終わらせた所で名残惜しさを感じつつも、友人と合流する為、そしてナイトとの約束を守る為にも魚鱗島をその日の内に出る事にした。
それを村長に告げると、寂しさを感じつつも何時でも島に戻れると慰め、そしてあの半裸の漁師に船に乗せてもらい一番近い港にまで送ってもらう運びとなった。
―――一番最初に足を踏み出したあの砂浜には桟橋があった。
そこには小舟がいくつかあった。小舟はそう大きくなく、人が並んで乗るとしたら四人程度でギリギリ、というレベルの小舟だった。ただそれにしたって人一人が漁をして捕まえた魚を乗せるだけなら十分すぎる大きさだった。そもそもあの村は自給自足で成り立っていたから、交換する為の魚を必要としないのだ。
桟橋の先には半裸の漁師が本土へと船を出してくれる為に待っていてくれたが、
その前に一つの別れをしなくてはならなかった。
「いやぁ、マスターはほんと今まで見て来たプレイヤーの中でも中々凄いアレっぷりを披露してくれましたねー。割と個人では楽しめたので、本土の方での活躍を期待していますね。ログ閲覧できるんで」
「最後の最後までお前の適当さは結局どうにもならんかったな」
「それが個性だからぁ!」
若干呆れつつも、小さく笑ってしまう。畜生妖精―――エカラはチュートリアルの案内人だ。彼女が案内するのはこの魚鱗島にいる間のみだ。ここを出て本土、本プレイをする為の大地へと向かえば、必然的に別れる事になっているのだ。そこに少しだけ寂しさを感じつつも、それを表情に出すのは間違っているだろうから、
「じゃあな、畜生妖精。次の初心者にはもうちょっと優しくしろよ」
「さようなら畜生メガネ、私の代わりにその友人とやらをボッコしておいてください」
軽く手を振ってそこから言葉はなく―――半裸の漁師に頼んで船に乗せて貰う。
海に出る小舟は大海と比べれば圧倒的に小さく、そして頼りない。だけど船尾でオールを動かし船を操作する漁師の姿はその性格とは裏腹に堂に入ったものであり、何年も練習し、そして繰り返してきた男の姿を見せていた。その為、特に心配になるような事もなく、ゆっくり、ゆっくりと小さくなって行く魚鱗島の姿を眺めて行く。
『―――寂しいのですかマスター?』
「少しだけな」
霊体となったナイトは船の横、ふよふよと他人には見えない状態で浮かんでついて来ていた。誰にも干渉できず、干渉もされず、見られない状態だった。だからこうやって小さな船の上でも遠慮する事無く安心して話すことが出来る―――半裸の漁師が少し恐れるような視線を向けてきているのがアレだが。
「なんだかんだでノリがあってたからなー」
『マスターとあの妖精の掛け合いは長年連れ添った友人の様に見えました』
「まぁ、それぐらいお互い遠慮なしだったな」
気の合う相棒だったなぁ、なんて事を呟きながら徐々に遠ざかる島の姿を眺めていた。水平線に飲まれて消えて行くその姿に心の中でさようなら、を告げてから視線を正面へ、船が進んで行く先へと向けた。その先にメインとなる舞台の本土が存在する筈だが、未だにその姿は見えてこない。
「とりあえず情報収集だ、情報収集―――帝国ってのを探らなきゃな」
『その名さえ思い出せないのが実に口惜しい所です』
名前がない。記憶がない。肉がない。ナイトに残されたのはその鋼だけだ。それと繰り出す動きがその存在、アイデンティティの全てだ。それ以外をすべて忘却し、そして失っている―――正直人間ならまず発狂しているもんだよなぁ、としか言えない。ナイトが一体どんな苦痛をその鎧の下で感じているのかはとてもだが常人である自分には理解できないだろう。出来る事と言えば慰めなどを口にする事ではなく、記憶を探ってやる事だろう。
ナイトと自分の関係は相互契約によって成り立っているのだから。まぁ、全ては自分が本土に到着してからの話だろう。
それにしたって、
「本土―――本土か、どういう場所なんだろうなぁ……」
「本土か? 確か俺は戦の気運が高まりつつあるって話を聞いてたなぁ」
此方の呟きを拾った漁師がそう返してきた。戦争―――イベントとしては十分すぎるよなぁ、というのが自分の感想だった。
「確か国は大きく分けて二つあるんだっけ」
「おう、本土の方は大きく分けてギルドラン帝国とラステン共和国に分かれているぜ。ただ、まぁ、なんでも聞いた話によるとどっかで建国しようとした馬鹿がいるらしくて、それが戦争に繋がりそうなんだってよ。まったく、大人しくしてられないんかねぇ……」
脅かされない現実の生活を持っている人間として、漁師のその言葉に答える事の出来る言葉はなかった。しかしその代わりに、ギルドラン帝国という言葉を見つけることが出来た。霊体のナイトにその名に聞き覚えがあるか否かを視線で聞いてみるが、返答は静かな首の横振りだった。この程度でフラグが進行する事はないらしい―――流石に甘かったか。
ともあれ、小舟は波に揺られつつも静かに本土へと向かって進んで行く。ゆらゆらと波に揺られながら進んで行く姿はきっと、頼りないだろう。だけど、新しい冒険がこの先待っているのだと考えると、心はずっと踊りっぱなしだった。
Name:マスター
Level:3
Status:
AP:10/15
筋力:1 魔力:6 敏捷:1 体力:6
Skills:
SP:16/19
《死霊術:E》 《テイミング:E》 《魔力強化:F》 《鑑定:F》 《識別:F》
《計量:F》 《魔力操作:F》 《闇魔法:F》 《語学:F》
Tips!
スキルのランクは最低値がFであり、全てのスキルは最初Fで始まる。そこにSPを注ぐことによって次はEになり、そこからDに、Cに、B、A、Sと上がって行き、特殊なクエストを完了する事によってマスター級という事でスキルのランクをMにすることが出来る。