赤に。黄に。橙に染まる山中。
紅葉に染まる山の隙間を縫うように走る黒塗りの車上で揺らされる。
神戸から舞鶴まで。車で大体三時間の道のり。たったそれだけ。なのに、とても長い距離のように思える。
士官育成の為の訓練学校、神戸に設立されたそこで二年。人の理を超えた妖精、そして艦娘運用を担う士官……提督と呼ばれる座を目指して二年だ。
たった二年。
されど、濃密な二年だった。手書きを複写した教科書、訂正や注釈の紙が挟まれるのには慣れた。
昨日まで学んだことが違っていた、こうだったと修正され続ける。それに合わせ最適を議論、彼女達を率いるに正しい論理を導き出す。
神戸の訓練学校は学ぶ場所でありながら、妖精に、艦娘達について研究する場所だった。何処もかしこも人手不足のこの世の中、愚痴る気はないし一人何役もこなさなければならない公僕に準じそして正真正銘の公僕、軍人になることに何も異論はない。望むところだ。
後部席、私の隣に座る彼女はそうではないようだが。
「クソが。クソがクソがクソが。あいつら相変わらず聞く耳持っていやしねぇ。大体お前らが捻じ込んだ『卒業試験』だろうが。その結果が黒だったっていうのに何で着任させるんだ。いくらもう一人が行方不明になったからって問題あるのは分かってるだろうが。いい加減私に提督やらせりゃいいだろうが。そんなに私が恋しいのか。なんならいっそ腹上死させて」
怖い。
いや、私は何も聞いていない。
ぶつぶつとさっきから上層部の采配への不平を垂れ流し続けている隣の彼女、海軍本部付きである山科中佐の愚痴を、不遜過ぎる言葉を私は聞いていない。
運転席で黙秘を貫いたまま安全運転に努める壮年の男性、立花さんも同様の姿勢を保っているようだ。賢明だ。
卒業試験。訓練学校で彼に続き次席の成績で修め、提督着任となる寸前に捻じ込まれたある試験。
それは、艦娘との面接。
目的どころかその内容についても知らされないまま、人類の希望、超上の存在である 艦娘と初の接触。どう至れば合格となるのか、何が加点で何が減点となるのか知らされぬまま挑んだそれ。
試験官、否、試験対象と言うべきか、私が対面した彼女はかつての練習艦の名を冠する香取と呼ばれる艦娘だった。
秩序を感じさせるスーツ、知性を感じさせる眼鏡。緊張する私に落ち着かせるように 微笑みを見せた彼女。
だが。
――いざ対面した途端、香取さんは錯乱した。
「少し遠い海までイきませんか。イきましょうそうしましょう」
人生初の艦娘との接触。
彼女の第一声は内容に反して血走った目、興奮した呼吸から察するに最低だった。
私の何が彼女の琴線に触れたのか。未だ理解出来ないが即座に監察官達の手で隔離されたことから、この試験を捻じ込んだ者達が期待する結果からかけ離れていたのだろう。よかった。正直身の危険を感じていた。
艦娘運用を担う鎮守府運営を支える山科中佐、自身が提督の座を狙う彼女からすれば試験結果において黒であるらしい私を提督に据えさせるのに不満を隠す気はないようだ。
彼女の言い分を聞くに、提督へ着任するに問題のある私がそれを成せたのはもう一人、同時期に鹿屋基地へ着任するはずだった同期の行方不明も理由となっているらしい。
今、あの子はどうしているんだろうか。
私と違い卒業試験を問題なくクリアしていたらしい彼女、指揮能力においては私よりも優れていると感じていた彼女は鹿屋基地への着任を目前として行方知らずのままだ。
物静かで気弱そうでありながら、訓練学校で誰よりも提督の座に執着していた彼女を、直向な彼女を私は好ましく感じていた。
運動や射撃等軍人として最低限のものについては常に最下位でありながら、総合成績は私に次ぐ三位。全国から掻き集められた秀才達の神戸でありながらその順位を得ていた彼女が失われたのは多大な損失と言うべきだろう。
それに比べ私の成績は平凡だ。父や母、周囲の人間から求められるがままに成す。それを繰り返してきただけの人間だ。
訓練学校を主席で、私達に先んじて卒業し提督の座にある彼に準ずる指揮官としての能力を見せた行方不明の彼女に比べて私のそれは平凡を言う外ない。
国家としての機能し得る限界、もしかしたらそれを超えているかもしれない人材不足の現状を理由に私が提督になることに不満があることは仕方ないと思う。
兎に角。
問題のある私は着任出来るらしい。
それならば。
追いつける。並び立てる。
訓練学校を主席で卒業し提督の座にある、元婚約者の彼。
彼の父が海軍を突然辞めたことから旨みが急落した為、婚約は破談となってしまった。まだ私達がお互い幼い頃のことだ。
私の実家は陸軍でそれなりの重鎮の立場にある。とはいっても、この国の陸軍は深海棲艦登場以降、辛酸を舐めさせられ続けている。
深海棲艦、奴らに通常兵器の効果はなく、艦娘によってのみしか対抗できない。そして奴らの活動域はその名の通り海。最近陸上型と呼ばれる個体も確認されたがそれらも全て孤島の上だ。
艦娘登場まで人類は深海棲艦に対し敗北に敗北を重ね、人類同士の戦争ならば要になる陸軍は縮小や他への転用を余儀なくされている。
立場の弱まった陸軍は、基地航空隊に活路を見出そうとしたりもしているようだがやはり海軍に比べ求心力を落とし続けている。
そういった事情から艦娘運用の権利を掌握する伊東家に次ぎ、海軍で大きな派閥である彼の家へ縁談が持ちかけられた。結果は先の通り破談とはなったが。
とりあえず破談にしてはみたものの、実家は未だ私の使い道について決めかねているらしい。だからこそ陸軍でそれなりに意味のある私の行く末、私が選んだ道が海軍、それも提督という進路を押し切ることが出来た。
最初は、実家への反発だった。勝手に決められ勝手に破談にされた婚約、陸軍という巨大な怪物に献上されるだけのこの身。それに反発し、叛逆せんと海軍の門を叩いた。
これからは海の時代、それを認めなければ、とか。艦娘による海の奪還こそ人類全てが協力して成すべきこととか色々理屈は捏ねはしたが、結局は幼い反発心である。否、反発心だった。
訓練学校で再会した彼。
向こうは覚えていないのか、そもそも知らされていなかったのかは分からないが、面影を残すその顔を見てすぐに理解した。その名を確認して確信した。
彼との再会で、私の反発心は霧散した。懸命に訓練や勉学に励む姿。真っ直ぐな性根、美麗な容姿。彼への恋心を自覚した時、婚約を破談した両親への恨みは更に深くなった。
それから、私が提督を目指す理由は変わってしまった。
――彼の、隣にありたい。
提督への道を懸命に目指し、途上にある彼に告白することは不誠実に思えた。実際、挑んだ娘達は須らく撃沈されていた。
彼女達に比べ私は冷静だった。今は、ダメだ。
訓練と勉学に励み、その先、訓練学校を卒業し提督の立場に立つ。彼の隣に、立つ。
私と同時期に卒業し提督への着任が決まっていた彼女が、私と同じだ、とは知っていた。
そんな彼女が行方不明になったということについては不謹慎に僥倖だと思うつもりはない。だが、好機であることは認識している。
誠実であろうとする自身でありながらも、この好機を逃す気はない。
彼に、周囲全てに認められて夫婦となった初日、その夜には。
鼻の奥底から熱いモノが込み上げる。
優しい彼だ、精一杯浪漫を考慮した展開を用意してくれるはずだ。
部屋は和室がいい、仄かな明かりに照らされる畳敷き、一組枕二つの布団。
三つ指立てる白襦袢の私を大和男子らしく迎える彼。
でもちょっと俺のモノだと強引に押し倒してくれると尚良い。そして若い性の勢いのまま抉じ開け押し込む彼を受け止める私――。
布団に一滴の赤が零れ落ち……妄想が加速し過ぎた、私の悪い癖だ。こっそり鼻から零れた赤いモノを拭う。
立花さんが舞鶴鎮守府まであと少しと告げてくれる。車内の重い空気が幾分か和らいだ気がした。
まずは、鎮守府運営を軌道に載せる。大陸との海上輸送を安定化させ国内の物資不足を緩和させる。
それが私に、舞鶴鎮守府に与えられた火急の任務だ。
私がそれを成した時、私は彼に胸を張って告白し夫婦となれる。何を賭してでも成す。
無駄に脂肪のついた胸に誓いながら、漸く山の谷間から見えた蒼海を眺めた。
◇
「五月雨っていいます! よろしくお願いします!」
「百武 環です、よろしくね」
山道を抜けた先、学校のそれを思わせる門で出迎えたのは白露型六番艦の名を冠する少女、駆逐艦五月雨。
くりくりとした大きな瞳、腰を超え足元まで届く蒼の長髪。純白のセーラーが眩しい。清楚、純真を絵に描いたような少女。
彼女の案内に先導され舞鶴鎮守府への第一歩を踏み出す。
同道してくれた山科中佐は私の到着を確認すると立花さんと共にすぐに引き返していった。忙しいらしい。
敬礼の後、案内してくれる道すがら五月雨がこの鎮守府について説明してくれる。
明朝、この鎮守府に転任となる艦娘達が到着する。彼女達は既に機能している横須賀、呉、佐世保の各鎮守府から抽出されこちらに転任、戦力不足を埋めてくれるとのこと。
よって今日は五月雨しかこの鎮守府にはいないが、秘書艦としての訓練は受けており一生懸命頑張るのでお世話は任せて欲しい等。
緊張しているのだろうか、手振り身振りを交えて早口になっている。小さな体躯、細く短い手足を精一杯大きく動かすと長い髪がゆらゆらと揺れる。可愛らしい。
「では今日は荷解きと明日からの準備にしましょう。五月雨、手伝っていただけますか?」
「はい! 私、頑張っちゃいますから!」
歯切れのいい返事。着任初日、私も緊張してはいるがこの分なら何とかなりそうだ。いい子みたいでよかった。
だが。
荷解きを開始して、実家から持たされた食器が落とされ破砕された数が三個目を数えた辺りから不安を新たにせざるを得なかった。決して態とではないはずだが、何故何もない所で転倒出来るのか。
食器などあまり執着もないし気にはしないのだが、地面に額を擦り付ける勢いで謝罪する五月雨を落ち着かせるのに荷解き作業の大半を占めるに至った。
そんな波乱もありながらも何とか作業を終え、夕食、入浴、そして就寝前。
真新しい執務室、自分の物となった大きな卓上に資料を並べて一人その内容を再確認する。
この舞鶴鎮守府の設備について、五月雨を始めとして私の指揮下に入る艦娘一人一人について等。
戦艦、空母、巡洋艦、そして駆逐艦。一通りの艦種が配備される予定だ。各鎮守府から抽出されて転属となる艦娘が主体だが、新たに建造された艦娘も少数配備される。
その筆頭と言うべきはやはり戦艦、それも同型艦である四人だろう。
金剛型、一番艦金剛に続く比叡、榛名、霧島。
希少な戦艦型の艦娘、それが四人も配備されるとは。それだけ、この舞鶴に期待がかかっていると見るべきだろう。
横須賀により近海の制海確保、佐世保により南方への海路の安全が確保され、それらを支える訓練部隊としての役割を持つ呉の後。
舞鶴鎮守府の設立目的は日本海側の制海確保、そして大陸側との輸出入の安定化が主となっている。
山科中佐からはそれに加え指揮下の艦娘、その錬度向上を急ぐように言われているがそれも主目的が困難かつ激戦になるであろうからだと思う。
明日からは忙しくなりそうだ。今日は早めに休むとしよう。机に広げた資料を片付け、執務室の明かりを落とす。
私室は執務室の隣に直結している。一人で使うには大き過ぎる部屋は調度品が乏しくも実家の自室と大差なく、訓練学校の寮とは大違いだ。
訓練学校時代は軍人となるため耐えてきたが、所詮箱入りの私にとって広く採られた窓や余裕のある大きなベッドはありがたいものだ。
さらには専用の浴室まで備えられているというのだから提督という立場がどれだけ重く見られているかが良くわかる。
軍服を脱ぎ、整えてハンガーへ。シャツ等を洗濯籠に畳んで入れ、寝間着へと着替える。明日はマルゴーマルマルに起床、朝の仕度を整えたらいくつかの執務、その後艦娘達を迎えることになる。
「……おやすみなさい」
ベッドの脇、サイドテーブルの上に在る写真立て。
その中で優しげに微笑む彼にここ最近の習慣を済ませる。彼は今頃どうしているだろうか。
既に呉鎮守府の提督となって艦娘を指揮している彼。伝え聞くに新人ながら破竹の勢いで戦果を上げているそうだ。
明日、この舞鶴にはその呉から転任する艦娘も何人かいる。是非話を聞かせて欲しい。彼とは訓練学校を卒業してから未だ逢う機会はなく、電話すら出来ていない。
――私の恋心は、未だ秘めたまま。
だが、同じ提督同士となれば何かと接触する機会も多くなるはずだ。演習であったり、大規模作戦であったり。
国の行く末に関わる任務に何を浮かれるのかと言われそうだが、任務は全うする。その上で私の恋路も進める。私は出来る子。
そう最後に意気込みながらふかふかのベッドへ身体を預ける。この高揚感の中、眠れるだろうか。
しかし緊張から疲れていたのか、存外、泥濘に浸っていくかのように睡魔に誘われる。
彼との再会は目前だ。希望に満ちた明日を確信し心地よく眠りに落ちた。
◇
真夜中。
新月の夜は全てを覆い隠すように暗闇で世界を包んでいる。侵入者はその暗闇に身を隠し、目的の場所へ音もなく、否。転んで床を強打して大きな音が発した。
侵入者は慌てて周囲を見渡す。元よりこの室内、建物、敷地内に彼女と目標以外存在しない。その目標も気づいた様子もなく、規則的な寝息を微かに響かせるのみ。
胸を撫で下ろすと、より慎重にゆっくりと目標へと接近を再開する。後、数歩。
――やはり、美しい。
侵入者はそう結論付ける。暗闇の中でも人外の力を持つ彼女ははっきりとその魅力的な美貌を再確認していた。
まっすぐ伸びる艶やかな黒髪、幼さを残しながらも整った顔。何より掛け布団を押し上げる胸の大質量。思わず伸びそうになった手を押さえつける。
今すぐ襲い掛かりたい。圧し掛かり、押さえつけ、思うが侭に蹂躙したい。
そんな獣欲を黙らせる。煩い、黙れ黙れ。まだ、初日だ。こんな獣欲に任せたならば、即座にこの手から彼女は零れて逃げてしまう。
もう一度自制を強固にして既に触れられる距離まで近づく。
「……ぁっ」
近づいたことで気づく、濃厚な、蜜の匂い。
とっくに限界まで隆起している先端からじゅわり、と先走りが零れ白いスカートを汚しているのを自覚する。この匂いは、不味い。
鎖で縛った獣欲が再び暴れだすのを感じる。頭に血が上る。自分の呼気が煩い。ダメ。ダメだってば。
甘美な蜜に誘われるように、侵入者は目標への距離を零にしていく。
暗闇の夜。誰一人、それを咎める者はいなかった。
夜這い怖い超怖い。