見知らぬ、天井。
目を覚まし最初に視界に写った天井に困惑するが、すぐにここが舞鶴鎮守府、その私室であることを思い出した。
そうだ、今日から私は正式にこの舞鶴の提督となるのだ。壁掛けの時計に目をやるとまだ五時少し前。私は目覚ましを必要としない性質だった。
ベッドから上体を起こし、両腕を上げ背筋を伸ばす。カーテンの隙間から朝日が射している。今日も、いい天気だ。
さあ、早く朝仕度を整えよう。今日は舞鶴へ転任となる艦娘達を迎え、本格的な鎮守府運営が開始される初日だ。
まずは何から取り掛かるべきか、執務の手順を頭の中で組み立てようとして。
「……んぅ?」
股間に違和感。
はしたないな、と思いながらも寝間着の下を広げ確認する――漏らしたッ!?
水気を感じた瞬間、背筋が凍りつく。そんな、こんな年にもなって。いや、違う、でも月の物でもない、下着は変色しているが赤や黒に近い色ではない。
何だろうこの粘り気のあるモノは。ぬるぬるとして不快だ。端の方は渇いて薄く固まっているようだ……まさか、その、いやらしい夢でも見てしまったのだろうか。
しかし私の知る恥ずかしい分泌物とは違うようにも思う。だったら、一体……?
結論はさて置き、時計の針は待ってはくれない。とにかく、朝仕度を整えなければ。寝間着を洗濯籠に放り込み、汚れた下着片手に備え付きの浴室へ向かう。
全く、もう。何故かは分からないが大事な朝早くから手間を取らせてくれるものだ。
流石に何かで汚れた下着をそのまま洗濯籠に入れるわけにはいかない。世話係が洗濯する際目についたら不味い。とりあえず水洗いしてロッカーの奥でこっそり乾かすことにする。
それにしても何だろう、この汚れは。嗅いだ事のない、生臭い匂い。嫌な臭いのはずなのに妙に嗅いでみたくなる。いやこんなことをしている場合じゃない、急がなければ。
朝のシャワーは習慣だが思わぬ手間だ。手早く片付け、バスタオルで身体を拭って新しいシャツに袖を通し、髪を乾かし整え白の軍服を身に着ける。提督の、白。
あぁ、ついに彼と並び立ったのだと感じる。姿見に白を身につけた自身を映して僅かばかり想いに浸る。否、これからだ。見事艦隊を運用してみせてからだ。
臆病な私は彼への告白を先延ばしにしてしまっているのだろうか。違う、一世一代の告白の為の材料をしっかり揃えたいだけ、そう思い込む。
さあ、早速トラブルには見舞われたが特に今日一日を頑張ろう、と意気込んだところでノックの音が三度響く。五月雨だった。
「お、おはようございます、提督。朝食をお持ちしました!」
「おはよう、五月雨。ご苦労様です」
敬礼に返礼し、五月雨を迎え入れる。うーん、まだ緊張しているのか、ぎこちない。
彼女等艦娘と親密になりメンタルケアを行い、その実力を十全に発揮できるようにするのも私の仕事だ。ふむ。
「よければ、一緒に食べませんか?」
「そ、そんな……いえ、ご一緒、します……」
私の誘いに最初は謙遜しそうにしつつも、恥ずかしそうに承諾してくれる。自分の分もとってきますね、と踵を返した五月雨に慌てなくてもいい旨を告げる。
だが、忠告は無駄だったようだ、廊下の先で五月雨の転ぶ音が響いた。盛大な音だったが大丈夫だろうか。鎮守府初の入渠施設利用がこんな理由であって欲しくない。
その後、一応無傷で戻った五月雨と朝食を摂った。出来るだけ無難な話題を振り、いくらか打ち解けられただろうか。最後の方は素直な笑顔を見ることが出来た。
無邪気に笑う彼女は天使のようだ。堅物、どうしても良家の娘としての振る舞いを求められてきた私には眩しすぎる程。
そんな彼女との時間はあっという間に過ぎ、片付けてくれた五月雨を見送った後執務室へ。
いくつかの書類を片付けていくとあっという間にヒトマルマルマル、十五分前。
これから講堂に集まった艦娘達との初顔合わせだ。気合を入れていこう。
◇
講堂での艦娘達に対する挨拶。手に汗握りながらも何とか形にはなっていたと、思う。
居並ぶ個性豊かな艦娘達、その数三十名。彼の運営する呉は百を超える数を擁していることから比べれば少ないが、新人の私に与えられる戦力としては破格だろう。
陽炎型を中心とした駆逐艦達、それらを率いる軽巡洋艦。正規空母や重巡もいるし、さらに戦艦の金剛型。強いて言えば潜水艦がいないくらいだろうか。
だが潜水艦の運用は特殊であり難しいとされている。確認されている数も他に比べ少ない状況だ。求めるのは欲と言うべきだろう。
そんな彼女達への挨拶を済ませ昼食時。基本的に食事は執務室で摂るつもりでいる。食事は癒しの時間、上官と常に席を並べるのも気を使わせてしまうだろう。
しかし同時に会食は親密になるのに有効な手段の一つだ。だから何か用があったり、なくても偶には艦娘達が利用する食堂に顔を出すつもりだ。
そして今回は先の理由。食堂へ足を運んだ私に気づいた艦娘に気にせず食事を続けるよう告げて、私もカウンターで食事を受け取る。
食堂は厨房直結のカウンターで定食を受け取り、居並んだテーブルで頂くスタイルだ。メニューは毎食決められているが、給金や間宮券で特別な食事を注文することも出来る。
厨房の管理、食事の提供は給糧艦伊良湖が中心となって後は他の艦娘達が持ち回りで担当する形だ。鎮守府内の掃除などの雑用も同じく。
何せ、鎮守府内には人間は提督一人だ。理由については軍機とされ、私達にも知らされていない。艦娘の扱いから考えるに、どうも艦娘と人間の接触を限定させる意図を感じてはいるが。
必要であることは知らされる。軍とはそういう所だ、だから知る必要はない。
だが出撃や遠征を行いつつ、鎮守府内の管理についても交代を考慮し運営しなければならない身としては頭の痛いことだ……これは、愚痴ね。
そう結論付けて食事の載ったトレーを手にテーブルを見渡す。さて。
「ヘーイ! こっち、こっちネー!!」
席につきながらも片腕を高く上げ、跳ねる様に私を呼ぶ声。
ブラウンの長髪、特徴的なヘアバンド型の電探。肩を肌蹴させた巫女装束を思わせる袖が跳ねると共に大きく揺れている。
金剛型一番艦、金剛。
独特なイントネーションで呼びかける声に応え、その姉妹艦達と共についているテーブルを目指す。
敬礼の要なし、と告げて金剛の正面の席につく。隣は榛名、その先に霧島。金剛の隣には比叡だ。既に艦娘達の顔と名前は頭に叩き込んでいる。
「ようこそデース! 提督とご一緒出来て嬉しいヨー!」
「こちらこそ、お招きありがとうございます。お邪魔しますね」
「そんな、お邪魔だなんてとんでもないです! 榛名達は大丈夫です!」
ありがたく歓待を受けながら、食事を始める。今日は初日だからだろうか、少し豪華に刺身定食。鯛、秋刀魚、蛸。若芽と豆腐の味噌汁に、胡瓜の浅漬け。
味噌は白味噌だ、実家と同じで少し嬉しくなる。会話をしながら食事を楽しむ、いや、今回訪れた目的はそれだけじゃない。
「あの、実はお願いがあって今回こちらに来たんです。今週、貴女達の何方かに秘書艦をお願いできませんでしょうか」
そう。今回食堂に足を運んだのは最初に秘書艦をお願いする艦娘を決める為だ。
秘書艦とは提督の執務、そのサポートを専任とする艦娘のこと。提督の執務は多岐に渡り、その量は膨大となる。
様々な担当を決めるにしろ、提督への直接的な補助は必要であり、海軍本部でも奨励している。
そして秘書艦ともなれば執務の間常に共にいることとなり、親密となるにも有効とされる。
だから、基本方針として秘書艦は交代制、一週間程度で順番にお願いしようと思っている。
執務では書類仕事が主となる為、適正の高い艦娘に集中させるのも一つの方法だがまずは指揮下の艦娘達との距離を近くすることを優先させたい。
とはいえ最初を誰にお願いするか。五月雨にお願いするかとも思ったが、どうにも適正は低いように思う。彼女にもいいところはあるはずだし、出来ないこともないはずだ。天使だし。
だが、私自身が今日からの新人である。訓練学校で一通り学んだとはいえ不慣れな提督、それに加え不向きな秘書艦では不安が残る。
資料を見るに他の艦娘達の秘書艦としての適正は大差ないように思えた。なら、私が接しやすそうな娘にお願いしようと今回食堂で探すことにしたのだ。
その結果、積極的に声をかけてくれた金剛、そしてその姉妹艦達。彼女達にお願いすることにした。
「……ッ」
「……」
「……?」
「……」
先から、金剛、榛名、比叡、霧島。反応は区々のようだが、全員無言。視線が交差、乱れ絡みあっているように感じる。え、嫌だったりする……?
「――提督、ワタシに任せるネー!」
あ、良かった。微妙な間こそあったが金剛が手を上げてくれた。彼女の姉妹艦達にも機を見てお願いしよう。内心面倒だとか嫌いとか思われているのかもしれないが。
そうだとしたら若干傷つくがまだ初日、少しずつ打ち解けていきたいと思う。そんなこんなで金剛と軽く打ち合わせをして早めに席を立つ。実家では怒られそうだが早食いは軍人の嗜みだ。何より処理すべき書類が未だ富士のような標高を保ったままだ。
食後のお茶に付き合えないことの謝罪、三時のお茶を約束し食器を返却。ご馳走様でした。さて、富士を削る作業に戻ろう。
◇
「提督は働き者過ぎマース! 夜更かしはお肌の天敵ヨー?」
「……あ、もう一時、ですか」
気づけば、日付が変わっていた。
正直、ここまでかかるとは思っても見なかった。
金剛に忠告されるまで集中して書類仕事を進めていたが、書類の富士は標高を三分の一にした所だった……特別こういったことが不得意という自覚はない。ないのだが、やはり量が多過ぎた。
本部から届く命令書、それを実行する為の編成、必要な資材の供出許可、その資材を集める為の遠征の編成、それに必要となる資材の供出許可。
それらに加え装備の管理、設備の管理、艦娘の管理。やはり私一人には、ちょっと、少し、多くない?
泣き言を言いたくはないが他の鎮守府はどうしているのだろうか。特に彼。想い人の彼の健康が心配になる。所属する艦娘が多ければその管理に必要となる書類が多くなるのは明白だ。
あぁ、彼の声が聞きたい。逢いたい逢いたい。うーあー!
……疲れている。うん、今ダメになっていた、私。
「そうですね……今日は、休みましょう。金剛も、遅くまで付き合わせてしまいましたね、ご苦労様でした」
「No problem! 明日も頑張りマショー!」
明るく前向きな彼女の言葉に癒される。明日また書類が追加される事実から目を背けてじんわりと心が温かくなった。いい娘だなぁ。
書類を片付け、おやすみなさいを告げて執務室の隣、私室の扉を開ける。職場から寝室まで徒歩十秒、何て素晴らしい職場だろう。涙が出てくる。
それでも彼と再会するまで女性として磨き続けなければ、衣服をしっかりと整えて仕舞い、着替えようとする。するのだが。
「……あの」
「What? Oh、お着替え手伝いますヨー!」
「いえ、違っ……ど、どうして……?」
当たり前のように私室に着いてきた金剛に尋ねる。え、え? 何で……?
「秘書艦ともなれば提督のおはようからおやすみまでどころかその間も一緒にいるのが当然ヨー?」
そうなの?
教本には書いていなかった。書いていなかったが、小首を傾げてそれが常識であると言い切る金剛。そういう、ものなのだろうか。
確かに私一人が利用するには大きいベッドではある。不慣れな私へ小まめに助言し、気遣ってくれた彼女を好ましいとも思っているし、同性だ、気後れこそすれ抵抗感はそれほどない。
訓練学校でも同期と同じ部屋ではあった。流石にベッドは別だったが。床やソファーで眠る、眠らせる訳にもいかないし……うぅん。
「さっ、提督も早く着替えてこっち来るネー」
悩んでいる間に金剛は何時の間に持参していたのか、着替えを済ませ自分の枕まで用意してベッドの上、隣を空けている。同じ釜の飯を食うと言うし、寝相やいびき、寝言を指摘されたことはない。
……大丈夫、だよね、うん。
お邪魔します、と着替えを済まし空けられた金剛の隣に身を横たえる。香水だろうか、柔らかな香り。誰かに添い寝されるなんて幼少の時以来だ。自分以外の香り、そして暖かな体温。懐かしいような、安心する感覚。
長時間の書類仕事で疲れた頭がようやく与えられた睡眠の時間に喜んで飛び込む。何とか小さな声でおやすみを伝え、私は急速に睡魔に襲われていった。
「……Good night、提督……」
どこか妖しげな彼女の声は、その意味を私に理解させることなく聞き流されることとなった。
何をぶっかけられたんでしょうね、パンツの中に。天使がそんなことするわけないだろ!
金剛型のヒエラルキーは金剛>比叡>榛名=霧島です。お姉様の言うことは絶対。
そして提督業は超絶ブラック。労基何それ食えるの。
果たして今度も無事朝を迎えられるのか。箱入り娘ちょっとチョロ過ぎて連載がすぐ終わりそうですがその内援軍が来ます。乞うご期待。早く来てくれー!
ご感想お待ちしております。