――暖かい。
まどろみの中、暖かな感覚。
夜間の冷えが厳しくなってきた昨今、この身に寄り添ってくれる熱。確たる意識もなくその熱に寄り添う。未だ、眠りのまどろみに浸ったまま。
寝間着越しにも感じる柔らかさ。肌を擦るように身動ぎしながら、密着の度合いを深める。暖かい、柔らかい、いい匂い。それらに満足し、薄れている意識を再度手放す。
ああ、癒される。隣に誰かが、誰かの熱があるというのはこんなにも幸せなことなのだろうか。
それが誰か、と識ることもなく暖かな眠りに落ちていく。
◇
「おはようございます!」
「おはよう、榛名」
私がベッドから身を起こしたのを確認した直後、元気良く挨拶してくれる秘書艦、榛名に応える。時刻はヒトゴーマルマル、少し前。既に榛名は身支度を整えて朝のお茶の準備をしている。
昨日の演習後、秘書艦だった金剛に交代の旨を伝えるのは骨が折れた。対呉鎮守府の演習、その旗艦たる金剛に対し秘書艦交代を伝えるのには多大な配慮が必要だったのだ。
最大の理由である護衛、あきつ丸との軋轢からであることを隠し演習の結果が理由でないこと、金剛の実力にも理由がないことを出来る限り説明し、出来る得る限り秘書艦交代の利を理解してもらう。難儀ではあったが、最終的には納得してくれたように思う。
今後も三時のお茶だけは一緒させて欲しい、という譲歩を許しはしたが、とりあえず交代は潤滑に出来たと思う。
そうして交代した秘書艦は彼女の妹艦、金剛型三番艦榛名。
次をどうするか少し悩んだが、彼女にお願いした。あきつ丸との不仲、その理由が分からない金剛の様子を窺い知る為にも、出来れば彼女の姉妹艦がいい。そうなれば候補は比叡、榛名、霧島。
比叡のこの間の行動を見るに秘書艦を任せるのが躊躇された。彼女とは少しずつ距離を近づけたい。そうなれば、榛名か、霧島。ファーストコンタクトとなった食堂でのことを思うと、積極的な反応だったのは榛名だ。
最終的には、所属する全ての艦娘に秘書艦をお願いするつもりでいる。
ならば、順番は些細なことだ。彼女は、榛名は素直で実直な性格のように思える。他人の機微に疎く真面目一辺倒な私に上手く合わせてくれるように思えたから、次の秘書艦を任せることにした。
ベッドに腰を下ろしたまま、榛名から紅茶が淹れられたカップを受け取る。流石、金剛の妹だ。
芳醇な茶葉の香りを愉しんだ後、口に運ぶ。丁寧に淹れられた朝の一杯。
香りと味をたっぷり愉しんだ後、朝の仕度を始める。あれ。
榛名は、何時の間にここにいたのだろう。
◇
んぅ?
無い。無い、無い。おかしい。
朝の執務室。今日も標高を更新する書類の山と格闘しようとするが、執務机に仕舞われているはずの万年筆が何時もの所にない。昨夜、確かに所定の位置に仕舞ったはずだ。
仕方ない、と所定の位置たる引き出しの最上段、その下の引き出しを開ける。馴染みの万年筆が並んでいる。その数、十本。精巧に、職人の手で丁寧に作られたそれらは物資不足の昨今、最高級品として評される品物だ。書ければそれでいい、という価値観に在る私に実家から押し付けられたそれら。
取り出してインクを吸わせる。さて、今日も無限の如く大量の書類を捌くとしよう。
◇
お昼。
万年筆を置き、凝り固まった肩を回す。今日処理すべき書類は未だ三分の二以上の量が残っている。昼食を済ましたならばまた昼休み返上で進めなければならないだろうか……辟易する。訓練学校に入る前に抱いていた提督のイメージと違う。
抱いていたイメージはもっとこう、執務机にどっしりと構えて溌剌と指揮をする感じだったはずなのに。やっていることは事務屋のそれに近い。無論実戦の出撃となれば地下にある作戦室に入り通信機越しに指揮もするし、演習の監督に外へ出ることもある。
だがそれらは私の仕事の一割程度だ。残り九割はこうして執務室で書類と戦っている。深海棲艦と戦っているはずなのに。戦うのは紙の山。地味過ぎる。
いや、分かってはいるのだ。軍とて役所、消しゴム一つ手に入れるのにも書類が必要だ。さらに擁するのが艦娘や妖精といった未だ解明の進まない特殊な存在である限り報告書の必要性が、そしてその量が増すことも。
だが分かっていても大変なものは大変だ。ストレッチを終え、榛名と共に書類を片付けているとノックの音。私のどうぞ、の声に扉が開く。
「司令、昼食をお持ちしました」
ご苦労様、と昼食を運んできてくれた霧島に礼を言う。台車に載せられたトレーが私と榛名の机へと配膳される。変化のない執務室に篭りがちな私にとって毎日の食事は待ち遠しいものだ。
今日は和定食。鰹節を絡めた獅子唐辛子と烏賊の炒め物、大根の味噌汁、青菜の漬物が添えられている。いい香り。後ほど片付けにきます、と退室していった霧島を見送り榛名と共に手を合わせる。いただきます。
「――ッ」
まずは、と箸を伸ばした炒め物。初弾命中。
舌を刺すような辛味に慌てて飲み物に手を伸ばす。この獅子唐辛子、偶にこういうことがある。
とてつもなく辛い物が混ざっていることがあるのだ、すっかり忘れていた。だがそうそう当たるものではない。
お茶でひりつく舌を癒し、気を改めて再び口に運ぶ。連撃。えぇぇ……。
冷や汗をかきながら同じく食事を進める榛名を見ると、ぱくぱくと問題なく食べられている様子。彼女の味覚が特殊でなければ、間違って青唐辛子が使われているわけではないようだ。
た、たまたま。そう、運がなかっただけだ、と今度は恐る恐る箸で炒め物を摘む。意を決して口に。神は死んだ。
結論を言うと全て『当たり』だった。私の皿に八本ほど入っていたが全てだ。どういう確率だろうか。
辛さを紛らわせる為に何杯も飲んだお茶もあってお腹が重い。舌は未だ痺れている。不幸だわ……どこぞの違法建築で有名な戦艦の口癖を、知らず知らずの内に心の中で呟いた。
◇
一日の職務を終え、一時の癒しの時間。
私室に添えられた浴室。一人分の湯船に手狭な洗い場。しかしこの時代、個人に与えられる物としては破格だろう。艦娘用の大浴場もこの舞鶴鎮守府にはあるが、未だ利用する勇気が持てない。
大きなお風呂はこの国の者として魅力的ではあるのだが。
戦闘での損害回復を可能とする入渠施設が備えられた艦娘用の大浴場。形としては大きな銭湯のようなそこは艦娘の慰安目的も兼ねた施設だ。艦娘達と同性である私はその利用を禁じられているわけではないが、一糸纏わぬ自身の姿を晒すことが躊躇われた。
無駄についた胸の脂肪、その先端が陥没していること。何より、この年齢に達しても茂る様子のない秘所周りの毛。同年代の女性と比べ、特徴的に過ぎるこの身を晒すのは気が引けていた。
髪を丁寧に洗った後、タオルに石鹸水を浸ける。そういえば。ふとして思い出す。
「あきつ丸、どこいったんだろ……」
何時もなら朝、執務室に出た所で直立不動にて私を迎えるあきつ丸を今日一日見ていない。彼女から何も聞かされていない為、榛名に尋ねたが知らない、とのこと。あきつ丸の立場は私の指揮下でありながら陸の意向も受ける為、その関係かと考えていたが私に断りなく姿を消すのは問題だ。
そもそも私の護衛と言った癖に勝手にいなくなるというのはどういうことだ。もしかして彼女の身に何か、と一瞬考えるが安全な鎮守府内で何か起こるものだろうか。念のため、お風呂から上がったら敷地内放送で呼び出しをかけてみようかな。
そう考えながら温かな石鹸水に浸けたタオルを手に身体を洗おうとすると、唐突に浴室の引き戸が開かれた。
「お邪魔します、提督。お背中を流しに参りました」
「えっ、ちょ、はる、な?」
突然のことに困惑する私を他所に、タオル一枚を手にした榛名が浴室に入り引き戸が閉められる。慌てて泡塗れのタオルで前を隠す。同性とはいえ何の用意もなく見られるのは気恥ずかしい。
特に私は自分の裸体に自信がない。
「失礼、しますね」
「ひあっ!?」
そんな私の様子に構うことなく背後で膝立ちになった榛名が石鹸水の入った桶を傍らに寄せる。
お願い、ちょっと待って。
口にするより前に無防備な背中へ彼女の両手が触れる。柔らかな掌の感触。手に取っていたのか、石鹸水の滑り。えっ、素手?
「せっかくの珠のようなお肌なのですから。僭越ながら私の手で洗わせていただきますね」
「やっ、あの、構いませんからタオルで……ひぅっ!」
「大丈夫です。お肩も凝られているようですので、マッサージも兼ねて、です。榛名にお任せ下さい!」
言うや否や、首筋、肩と撫でる様に彼女の掌が這う。絶妙な力加減で揉み解され、抵抗する気力が削がれていく。十指が複雑に蠢いて凝り固まった筋を程よく刺激していく。
泡の滑りが肌と肌とを密着させ、滑らかな摩擦を生み出している。気持ちいい。気持ちいいのだが、その、なんだか妙な気分になってきてしまう。
「あっ、ぅ……はるな、ぁッ……はぅ」
「そう。そのまま、榛名に身を任せて下さい、提督……」
耳元で囁かれる、榛名の優しい声。湯気の満ちた狭い浴室、狭さから自然と近づく互いの距離。
湯船に浸かっていないにも関わらず、逆上せたような心地になる。気持ちいい。
「あっ、そこ、ひ……」
「大丈夫。大丈夫ですよ……そのまま、力を抜いて下さい……」
両肩から、両腕へ。内も外も丁寧に洗われ、揉み解される。肩の力はすっかり抜け切り、ぐったりと背の榛名に体重を預ける。にゅるにゅると肌と肌とが摩擦しながらも、力の抜けた私を優しく支えてくれる榛名。
私の両腕をすっかり泡塗れにすると、続いて腰、脇腹に掌が滑っていく。僅かにむず痒さを感じ、内腿を無意識に閉じるが丁寧な掌の動きに解される。何もかも、任せてしまいたくなる。
そんな私を受け止めるように、抱きしめるような形で背後から私の前、お腹に掌が進んでいく。
大切なモノを慈しむような手つき。動物にとって急所である腹部に他人が直接触れているというのに不快感をまるで感じない。
感じるのはただ安心感と気持ち良さだけ。私は完全に榛名の掌に篭絡されていた。そんなお腹を揉み解していた両手が、そのまま、下、へ。
「――提督殿ォッ!」
ガラリ。びくり。
緩み切っていた身体が浴室の引き戸を勢いよく開ける音と声により一瞬で硬直する。
私は、何を。
私を正気に戻した乱入者はあきつ丸だった。普段の冷静な様子は欠片もなく、息を切らし慌てた様子。よく見れば黒の上下はあちこちが解れ汚れて、一部は破れている。何かと格闘でもした後かのような状態。
怪我は、と問う前にあきつ丸は私の背後、榛名に厳しい目を向ける。え、何?
「榛名殿、少しお話が」
「……すみません、提督。途中ですが失礼しますね。続きはまたの機会に」
少し平静を取り戻したのか、何時もの冷静なあきつ丸の声に榛名がにこやかに応えて、呆けた私を他所にタオル片手に浴室を後にしてしまった。
残されたのは何が起きたのか理解できない私一人。何だったんだろう、一体。
◇
結局、あきつ丸はボロボロになっていた理由についてまともに答えることはなかった。転んだらしい。子供の言い訳か。
幸い怪我はないようだったし、私の護衛である立場故の結果であればちゃんと話すはずだ、と結論した。彼女は頑なだがそれ故真面目だ、そういう部分は信頼している。
それにしても今日は妙に疲れた。変なこと続きだし、いくつか片付けたい書類もあるが明日に回そう。そう決めてベッドに腰を下ろす。ベッドサイトのテーブル、その上に鎮座する写真立て。その中で微笑む彼に就寝の挨拶を――。
「無い」
えっ、嘘。無い。無いったら無い。慌てて周囲を見渡す。どこにも落ちていない。勿論どこかに仕舞った記憶もない。常に定位置にある物だ、そんなはずもないのに部屋のあちこちの収納場所を慌てて探る。無い。そんな。
――嗚呼。お気に入りだったのに、どこにいってしまったのだろう。
就寝前に憂鬱な気分へ沈みながら、ベッドの下、ジェラルミン製のアタッシュケースを取り出す。別の場所に仕舞っている鍵を取り出して開いた。
重厚で頑丈なアタッシュケースの重い蓋を開くと、そこにはびっしりと一面に彼の写真。そこから写真立てに入れてあった物と同じ写真を取り出し、再度鍵をかけて仕舞う。ずっしりとした重み。千枚を超す彼の写真の重みだ。相変わらず愛おしい。
嗚呼、お気に入りだったのになぁ、あの写真立て。
同じく予備の写真立てに、大事に大事に彼の写真を入れて定位置に置く。彼の微笑みを目に焼き付けてから眠る。おやすみなさい。
ホラー回。ふふ怖。
着々と提督との距離を縮める榛名の裏で暗躍する影あり。あきつ丸頑張った、間に合った。
深海棲艦さんの出番はその内あります。ずっと書類やっつけてるだけだとようやく気づいた第七話。しゅ、出撃自体はやってますよ? 描写するタイミングなかっただけですヨ?
ご感想、お待ちしております。