「吹雪って、今夜はどこで寝てるの?」
ベッドの上で、裸の川内が上体を起こしながら訊いた。
わずかに汗を浮かせた川内の肌は、提督私室の照明によって橙色に輝いて見えた。
「十一駆の部屋だ」
提督は短く答え、川内に背を向けてベッドの縁に腰掛けた。陰茎からコンドームを外し、口を縛ってベッド脇のごみ箱に捨てる。
提督は無意識に溜息を漏らしていた自分に気がついたが、川内は頓着した様子もなく話を続けた。
「いつもは、あっちで寝てるんじゃないんだよね。もしかして、気を遣わせちゃったかな」
「……もしかしたら、そうかもな」
『部室』で川内と交わったあと、私室に場所を移してさらに躰を重ねた。『部室』には一水戦が哨戒から戻る時刻が近づいていたし、一度の交接だけでことを終えるにしては、ふたりとも気持ちが昂りすぎていた。
執務室の机の上には『十一駆の部屋で寝ます』と書かれたメモがあった。しばらく眺めて、小さなハートマークが遠慮がちに紙の隅に描かれていることに提督は気づいた。
「川内、ひとつ訊きたいんだが」
提督は川内に背を向けたまま言った。からりとした川内の声が返ってくる。
「いいよ。なんでもどうぞ」
「……おまえ、俺が吹雪と寝ていることは知ってるんだろ」
「うん」
こともなげに、川内は答えた。
提督は息を吐き、続けた。
「その俺と寝て、おまえと吹雪の関係は大丈夫なのか」
長門や神通の場合とは違って、川内を抱いたのは提督としての『仕事』ではない。吹雪がそれを了解しているとしても、川内と吹雪の関係がこれまで通りとはいかないのではないか。
そのことが、いつまでも頭の隅に引っかかっていた。
川内の応答がない。
振り向こうとした瞬間、背後から柔らかく抱きつかれた。提督の胸の前で、川内が腕を交差させている。背中に柔らかな感触があった。
「そんなこと心配してくれてたの? 提督も馬鹿だよね」
提督の顔の横で、川内がからかうように言った。身を硬くした提督に構わず、言葉を続ける。
「私と吹雪ならさ、そのへんうまくやっていけると思うよ。付き合い長いし、お互いよくわかってるつもりだから」
「……そうだったな」
この場合の『付き合い』というのは、『前世』からの縁のことも意味しているのだろう。艦娘として生まれる以前にも、ふたりは同じ水雷戦隊での時間を共有している。
「私と吹雪って、馬が合うっていうかさ……相性いいんだよね。瑞鶴あたりが言うには、私がずぼらだから真面目な吹雪とバランスがいいってことらしいんだけど」
「……吹雪は、おまえに世話になりっぱなしだって言ってたぞ。買い物にも付き合ってやってるんだろ」
「どっちかっていうと、私が無理矢理ついてくんだけどね。ひとりで選ばせると、吹雪は服とか靴とかめっちゃ地味なのしか買わないから」
川内はくすくすと笑った。提督の肩に顎を乗せると、つぶやくように言う。
「あんななりでも意外と器がおっきいんだ、吹雪は。きっと提督にも、そのうちそれがわかると思うよ」
そう言って、提督の頬に軽く口づけした。目を細めて笑い、愛嬌を添えて首を傾げる。
「だから──もう一回えっちしよ?」
提督は呆れて川内を見た。屈託なく、にこにこと笑っている。
「『だから』って、全然理屈が繋がってないぞ」
「そうかな? 上手く繋げたつもりだったんだけど」
川内はそう言って、中途半端な大きさになっている提督の陰茎に手を伸ばした。その手を押さえつけ、提督は言った。
「駄目だ。お開きだ」
「えー、なんでー。もっとしよーよ」
「今夜は3回もしたし、明日──というかもう今日だが、俺は朝から仕事なんだ。おまえだって、三水戦の『朝番』があるんじゃないのか」
『朝番』とは、水雷戦隊の日常業務である1日3回の哨戒任務のうち、もっとも早い時間に行われるものだった。最近では鎮守府近海に深海棲艦が出現することはまれであり、哨戒は『お散歩』程度のものであると艦娘たちの多くには捉えられていた。
「あ、そっか。忘れてた」
川内は不服そうに鼻を鳴らした。提督の肩に顎を乗せて黙り込む。
やがて思いついたように顔を上げ、口を開いた。
「──じゃあさ、
「今夜? それは、今日の夜ってことか」
「うん。今日は『朝番』終わったらもうまるまるフリーだし、次の日の午前中も空いてるんだ。今夜なら、今よりもっとゆっくりできるじゃん」
提督は頬を掻きながら思案した。
日付が変わって、今日は金曜だ。提督の仕事に明確な休日はないが、それでも土日、特に午前中には余裕ができる。翌日の起床をさほど心配する必要がないという意味では、川内の言う『今夜』のほうが提督にも都合がよかった。
しかし、ふた晩続けて川内と過ごすというのは──。
そこまで考えたところで、不意に川内が提督の耳に顔を寄せ、そよ風のように囁いた。
「今夜はさ、思いっきりえっちしよーよ……いっぱい気持ちよくしてあげるから……ね?」
思わず生唾を呑んだ。陰茎を包む快楽が脳裏をよぎる。
逆らえず、提督は頷いていた。
「やった! 今夜だからね。約束よ!」
提督から離れた川内が胸の前で手を合わせ、邪気のない顔で喜びの声を上げた。
◇
「──え、それで、川内と寝たの?」
陸奥はパフェのグラスにスプーンを突っ込んだまま手を止め、提督を見た。
提督は頷く。
「そうだ。昨夜、部屋で抱いた」
どこか後ろめたさを感じて、『部室』でも交わったとは言わなかった。
一瞬だけ驚いたように目を見開いた陸奥は、探るような視線で提督をじっと見つめた。
「それって、艦娘のストレスの件とは関係ないのよね?」
「一切、ない。俺のプライベートでの出来事だと思ってくれればいい」
「……ふーん」
相槌をうってグラスに視線を戻した陸奥は、考えこむような表情を浮かべながら、パフェ用の長いスプーンで底に溜まったアイスクリームをつついた。
提督は陸奥から視線を外し、『間宮』の店内を見やった。
午前と午後の営業時間の合間ということもあり、奥まった席に座る提督と陸奥のほかに客はいない。厨房の奥から、かすかにテレビの音が聞こえてくる。間宮と伊良湖は気を利かせたのか、提督たちに品を出したあと、観たいドラマがあると言って奥の座敷に引っ込んでいた。
提督は湯呑みに手を伸ばし、中の緑茶をすすった。
早朝、川内は提督私室のベッドでひと眠りしたあと、吹雪が来る前に自室に戻っていった。
ほどなくしてやってきた吹雪に、提督は川内を抱いたことを告げた。吹雪はただ一言、わかりました──とだけ言って微笑み、頷いた。そのまますぐ三水戦の『朝番』に参加するために出ていき、戻ってからも川内のことに触れることはなかった。
ここ数日の報告書の作成が溜まっていて吹雪は忙しそうだったが、表情を見るかぎり機嫌はけっして悪そうではなかった。
それでも、川内が今夜ふたたび来るということを、提督はなかなか言い出せずにいた。
不意に、陸奥が顔を上げた。
「吹雪は、あなたが川内を抱いたことを承知しているの?」
「ああ」
「そう──」
陸奥は目を伏せ、グラスの中の溶けかかったアイスクリームをスプーンですくった。
「──なら、私から特に口出しすることはないわ」
そう言って、アイスを載せたスプーンを口に運ぶ。
提督は軽く背を伸ばした。
「てっきり、説教でもされるかと思ってたんだが」
「いろいろ訊きたい気持ちはあるけど、いいわ。勘弁してあげる。貴方が自分から艦娘との仲を深めようとしてくれるのは、いいことだと思うし」
陸奥は話しながら器用にパフェの残りをたいらげると、満足そうに小さく息をついてスプーンを置き、空のグラスを脇によけた。
提督も陸奥にならい、眼の前の空の丼鉢を机の端に寄せた。
「それで、おまえの話ってのは? 例の、次の艦娘の件か」
机に両肘をつき、若干前のめりになって提督は言った。奥の座敷や外にまで話し声が聞こえることはないだろうが、つい小声になってしまう。
「そうよ。忙しいところ悪いんだけど、ちょっと急いでもらいたくて」
「何かあったのか」
「
「……意味がよくわからんな。手短に言えよ」
「──四水戦が前線から戻ってくるわ」
陸奥はそう言って、机の上で指を組んで黙った。
たしかに、あと一週間で四水戦が鎮守府に帰還する予定だ。規定通り75日間、前線基地での連続勤務が終了する。特に大きな損害や問題の報告も受けていない。帰投予定日の2日前に、交代として一水戦が前線基地に出向くはずだった。
そこまで考えたところで、提督は息を呑んだ。
「陸奥、一水戦の中で特にストレス値の高い艦娘は」
「阿武隈よ。全体だと上から9番目」
陸奥が深く頷いて言った。
提督は額を手で押さえて呻いた。
「よりによって、また旗艦か。──迂闊だった」
「私も吹雪も、気がつくべきだったわ。ここしばらく、いろいろあってみんな忙しかったから」
二水戦の演習での失態から、『研究会』やら訓練の監督やらが普段の業務に加わり、吹雪も陸奥も多忙の日が続いていた。現に、秘書艦の吹雪は今も執務室で報告書や計画書の整理に追われている。
頭を抱えかけた提督に、陸奥が冷静な口調で言う。
「一度前線基地に出てしまえば、原則として75日間は戻れないわ。実戦で二水戦の件みたいなことにならないように、阿武隈には出発前に面談しておくべきだと思うの」
「なぜもっと前に──」
「昨日気がついて言おうとしたら、貴方に追っ払われたんじゃない。──たしかに、無理にでも言っておくべきだったと、あとで後悔したんだけど」
陸奥は一瞬だけ目を伏せたが、すぐに明るい表情で顔を上げた。
「でも大丈夫、一水戦の出発日までまだ5日あるわ。貴方なら、ひと晩あればどうにかできるでしょ。立て続けで悪いけど、今夜にでも面談して、あとは──」
そこまで言って、陸奥はいぶかしげな表情で提督を見た。
「どうしたの? ずいぶん深刻そうな顔だけど」
「……今夜は、川内と約束がある」
提督の言葉に、陸奥が目を剥いた。
「約束って──抱くってこと?」
「そうだ」
「そんな、なんでふた晩続けて川内と」
「それはだな、なんと言うか……」
口ごもる提督の様子に、陸奥が眉をひそめた。提督は逡巡したが、顔を寄せて小声で言った。
「具合が良くて……あまり続かないんだ。だから、あいつが満足してないんじゃないかと」
「具合って……何よ。体調?」
提督は顔をしかめ、首を振った。
「そうじゃなくて。わかるだろ、ほら、あれの」
「そんな言い方で、私にわかるわけないでしょ。はっきりしなさいよ」
提督は舌打ちした。小声ながら語気を強めて言った。
「あいつの『あそこ』の具合が良すぎて、挿れたらすぐにイッちまうって言ってんだよ……! そんくらいわかれよ……!」
驚いた表情で、陸奥が身を引いた。ゆっくりと深呼吸し、唇をわずかに歪めて横を向いた。
「なんていうか……サイテー」
「……おまえがはっきり言えって言ったんだろうが」
陸奥は横目で提督をちらりと見た。唐突に軽く吹き出し、笑いを噛み殺すようにうつむく。
「なに笑ってんだよ」
「だって、貴方がちょっと顔赤くしてるの、おかしくて」
「恥を忍んで言ったのに、そんなふうに笑われると傷つく」
「ほんと、ごめんね。──でも、その手の問題は、私じゃ助けられそうにないわ」
向きなおった陸奥は、すました顔で言った。
提督は息を吐いた。
「とりあえず、今夜の川内との予定をキャンセルするってのはどうだ」
「それは駄目。夢中になってるものを取り上げられた川内は、ただの駄々っ子よ。騒ぎまわって変な問題を起こされたら困るでしょ」
背を丸め、一心不乱にルービックキューブをいじくり回していた川内の姿を思い浮かべた。たしかに、あの状態の川内から玩具を取り上げることはできそうにない。
「となると、今夜は川内を抱いて──」
「そうね。もう当分は必要ないってぐらい、満足させてやらないと」
提督は腕を組んだ。
「そうは言うが、やっぱりあいつの『あれ』がなあ……」
「そんなに、すごいの?」
「構造の問題じゃなくて、あいつが自分で動かすんだ。しかも、こっちの反応を面白がってやってる」
「へえー……じゃあ、動かすなって言っても駄目かしら」
「言ってみたんだが、聞きやしない。まあ気持ちいいからいいか──って思ってたが、とんだことになった」
ふたりして腕組みの姿勢になって、黙り込んだ。
提督は、昨夜の私室での交接を思い出していた。
川内は、けっして不感症というわけではなく、むしろ内部はかなり敏感そうだった。それだけに感じてくると言いようのない不安を覚え、すぐに提督を絶頂させようとしているのではないだろうか。
普通のカップルや夫婦なら長い時間をかけて解決する類の問題だが、今夜すぐにとなると、これは難しい。
不意に、陸奥がつぶやくように言った。
「いちおう、今思いついた作戦があるんだけど」
身を乗り出し、提督を小さく手招きした。顔を寄せた提督に、耳打ちするように話す。
聞き終えた提督は、呆れて陸奥を眺めた。
「なんだ、それは。それが作戦なんて言えるか」
「だって、ほかに思いつかないんだもん」
陸奥が口を尖らせる。
「そもそも、あいつがそんなの嫌だって言ったらどうにもならんだろ」
「頼むだけ頼んでみなさいよ。もし断られたら……そのときは自分でどうにかするのね」
◇
私室に入るなり、川内が飛びついて接吻してきた。提督の口内に、舌を挿し入れて軽く絡める。
「へへ……やっとだね」
唇を離し、瞳を煌めかせながら川内が言った。
提督は勢いに押されつつも、なんとかその場に踏みとどまった。
「シャワーは浴びてきたか」
「うん! 今日はもう午後にすることなくってさー、夕方食堂が開くまで昼寝してたよ」
言いながら提督から離れ、軽やかにステップを踏んでベッドへと飛び込んだ。
枕に顔をうずめ、健康さで張り詰めた白い脚をばたばたとベッドに打ちつけている。
提督が歩み寄ると、服の袖を引っ張って引き寄せ、両腕で首にしがみつきながらふたたび接吻した。
「提督も、シャワー浴びたね」
提督の首もとに鼻を寄せ、言った。
「ああ、ついさっきな」
「べつによかったのに。提督の匂い、好きだよ」
言いながら、川内は提督の服のボタンに手をかけた。その手を、提督は掴んで止めた。
不思議そうに、川内が見上げる。
「今夜はちょっと変わったやり方で始めたいんだが」
「変わったやり方?」
提督は頷いて川内から離れ、部屋の隅の衣装箪笥へと歩み寄った。一番下の引き出しから目当ての道具を取り出し、枕元に戻る。
川内に向かって掲げるように示した。
「これだ」
「それって……手錠だよね」
提督は頷き、枕元に腰掛けた。
「もし嫌なら無理にとは言わないが……おまえにつけてもいいか」
銀色に鈍く光る手錠を川内はじっと見つめていたが、やがて上目遣いで提督を見た。
「いいよ。面白そう」
「よし。そこに寝っ転がって、両手を頭の上に上げてくれ」
ベッドの頭側、横木の隙間に鎖を通し、川内の両手に手錠をかけた。きつすぎない程度に注意してリングを締める。
「これで、痛くないか」
「うん、大丈夫。……ちょっと興奮するね、こういうの」
川内は頭上に視線を向けながら、腕を振ってがちゃがちゃと手錠を鳴らした。
「あっ、服脱いでからのほうがよかったんじゃない?」
「いや、とりあえずそのままでいい。……あとは、これもつけてほしいんだが」
提督が手に示したものを見て、川内は目を見開いた。
「それって、アイマスク?」
「そうだ」
「手錠に目隠し……そういうの、好きなの?」
川内はからかうように言った。提督は頷く。
「隠していたが、実はそうなんだ。もし嫌なら──」
「ううん、全然オッケー。面白そうじゃん。やろーよやろーよ」
川内が拘束されたまま身を乗り出そうとして、手錠の鎖が音をたてて揺れた。
提督は川内の頭を抱え、アイマスクをつけてやった。
目隠しされた川内が、きょろきょろと首を振る。
「おおー」
「どうだ?」
「全然見えない。なんか……敵に捕まった女スパイって感じ」
川内は口もとに笑みを浮かべ、中空に顔を向けている。提督は、川内の唇の端に軽く接吻した。
「ひゃっ」
川内は躰を震わせて声を上げ、口を開けて笑った。
「あはは……すっごいびっくりした。これ、やばいね」
「実はもうひとつ、ちょっとしたサプライズがある」
「え? なになに?」
シャワールームの扉へ顔を向けると、内側から小さな頭がこちらを覗いているのが見えた。
提督が手招きすると制服姿の全身を現し、そろりそろりと歩み寄ってくる。裸足の足音はカーペットに吸われ、ほとんど聞こえない。枕元に立ち、困惑気味の笑みを浮かべている川内に顔を寄せた。
「川内さん」
吹雪が言った。
驚いた川内が上体をひねろうとしたため、手錠の繋がれている天板ごと、ベッドががたりと揺れた。
「えっ、え、え……ふ、吹雪……?!」
「はい、吹雪です」
吹雪はにこにこと頷いて言った。
川内は声のする方向に必死で顔を向けたが、おそらくは何も見えてはいないのだろう。微妙にずれた方向の虚空を見上げている。
「なに、なに……どういうこと?」
「あの……驚かせちゃってすみません。怒らないでくださいね。私、おふたりの手伝いに来ただけですから」
「て、手伝い?」
吹雪がしっかりと頷いた。優しげな眼差しで、拘束された川内を見つめながら言う。
「川内さんに、本当に満足してもらうためのお手伝いです。今夜は、いっぱい気持ちよくなってくださいね」