※この作品はR-18です。

艦娘抱けるかな   作:狂猫病

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恋の檻 文字の空

 提督は、ストレス値の一件を瑞鶴に打ち明けることにした。

 翔鶴のストレス問題について瑞鶴の協力を得るためには、ある程度の情報の共有が不可避であるからだ。

 具体的な数値や順位は明かさず、あくまで艦娘全体の問題という前提で、慎重に言葉を選びながら話を進めた。

 翔鶴が高いストレス値を示していることを告げられても、瑞鶴は大きく表情を変化させることもなく、提督の横に枕を並べて黙って聞いていた。

 ひと通り話し終えた提督が天井に向かって息をつくと、瑞鶴が裸の躰をすり寄せるようにして胸の上に乗り出してきた。

 

「なるほどね。そういうことなんだ」

「……そういうことだ。おまえも姉妹艦として、なにか──」

 

 瑞鶴が人差し指を立てて、提督の話を遮る。

 

「ちょっと待って。その前に確認しておきたいことがあるんだけど」

「……なんだ?」

「翔鶴姉のストレス値が上位だって提督さんは言ってたけど、それってつまり、翔鶴姉より上位の艦娘もいたってことだよね。そっちの件はもう解決したの?」

「それは……まあ、いちおうな」

「どうやって?」

「……面談した」

「誰が」

「俺が」

「ふーん……そう」

 

 瑞鶴は細い眉の片方をぴくりと動かし、探るような視線で提督を見つめた。

 

「──まさか、話を聞いてそれで終わりってことはないでしょ? そんな簡単なことなら、瑞鶴に話を振らないよね」

 

 提督は言葉に詰まる。意外なことに──と言えば失礼ではあるが、瑞鶴の頭の回転が速い。下手な嘘やごまかしは逆効果だろう。

 

「うん、そうそう。正直に言いなよ」

 

 提督の心の動きを読んだように、瑞鶴が駄目を押した。

 お手上げだ──と提督は両手を掲げて示す。

 仰向けのまま上体を起こし加減にすると、傍らの瑞鶴をまっすぐに見据えて言った。

 

「わかった、言うよ。──何人かの艦娘たちとも、こ(・)う(・)い(・)う(・)関係になった。それがすべてってわけじゃないが、ストレス値問題というのが大きな契機だったのは事実だ」

「そう……やっぱりね」

 

 瑞鶴が訳知り顔で頷く。ついで、提督を鋭く睨んだ。

 

「提督さんさ、あの馬鹿ともしちゃったでしょ」

「あの馬鹿ってのは、その──」

「そう、おなじみ夜戦馬鹿、『かわうち』さんよ」

 

 提督は目を閉じ、胸の内で溜息をついた。

 抱いた艦娘たちには念のため口止めをしておくのだが、機密保持の観点からすると、どうにも川内が危なかっしい。留守中の阿武隈騒ぎの一因でもあると報告を受けており、奔放かつ正直な性格がどうにも仇となっているようだ。

 瑞鶴が意地悪げな視線で提督を見る。

 

「あいつさ……ここんとこ前より夜戦夜戦騒いでない気もするし、様子が明らかに変な感じだったんだよね。それでこないだの壮行会のとき、ちょっと個人的に観察してたの。そしたら提督さんを見てるときのあいつの眼、まさに『女』って感じでキラキラしてて……ちょっと笑えるぐらい」

「それは……ほかの艦娘から見てもバレバレか?」

「んー……どうだろうね。私はまあ、なんだかんだあいつとは付き合い長いからさ」

 

 提督は溜息をつき、額を押さえて思案した。

 任務上は別行動になることの多い瑞鶴が気づくぐらいだから、三水戦所属の艦娘たちが川内の態度に不審を抱いている可能性は高いだろう。考えてみれば、以前にも旗艦代理の矢矧や駆逐艦たちの前で親しげに躰に触れられたこともあった。

 眉を寄せて悩んでいると、傍らで小さく吹き出す音がした。

 瑞鶴が、眼で笑っていた。

 

「厄介なやつに手を出しちゃったね、提督さんも」

「まったくだ。少し、後悔してる」

 

 提督は苦笑して、首を振った。

 瑞鶴も、鼻を小さく鳴らして笑った。目を伏せたその表情は、どことなく物憂げな気配を含んでいるように提督には見えた。

 

「どうした? 表情が暗いな」

「ん……べつに。提督さんも、仕事、きつそうだなって」

「おまえたちに比べれば、気楽なもんさ」

「……そっか」

 

 瑞鶴はぼんやりとした口調で言った。

 人差し指を提督の鎖骨に沿って往復させている。心ここにあらずといった様子で、自分のその指の動きを見つめていた。

 唐突に顔を上げ、口を開く。

 

「ねえ、提督さん」

「なんだ」

「──私とセックスしたのは、提督としての仕事? それとも自分の意志?」

 

 澄んだ緑の瞳が、提督を捉えていた。

 提督は思わず開きかけた口をいったんつぐみ、深呼吸する。

 瑞鶴を正面から見つめて、口を開いた。

 

「俺の意志だ、と言いきってしまいたい気持ちはある。……が、艦娘のストレス値の件を考えていなかったとは言えないし、翔鶴のことが頭の隅にあったのも事実だ」

「つまり……?」

「──つまり、意志による選択ではあるが、仕事でもある。どちらか片方だけだと断言することはできない」

 

 聞きようによっては冷たい返事だ──言ってからそれを実感し、提督の胸の内に苦いものが広がる。

 予想に反して、瑞鶴はわずかに表情を緩めた。

 ゆっくりと数度頷き、穏やかな眼で提督を見て言う。

 

「提督さん、楽な答え方しないんだね。わざわざ、めんどくさくなるかもしれないこと、言ったりして」

「──ひねくれ者だからな」

「ううん、逆。馬鹿が付くほど正直で、誠実だと思う。……だからみんな、あなたのことが好きになる」

 

 瑞鶴は顔を寄せ、提督の唇の端に口づけした。

 裸の胸と肩を、瑞鶴の髪の先が撫でるように触れていった。

 

「ねえ──」

 

 唇をわずかに離して、瑞鶴が言う。

 呼気が頬のあたりをくすぐって、こそばゆい。

 

「──私と、友だちでいてよ」

「友だち?」

 

 顔を引いて、提督は瑞鶴を見つめた。

 瑞鶴はきまり悪そうに目をそらし、口を尖らせる。

 

「……なによ。そんな変なこと、言った?」

「──友だちか」

「そう、友だち」

 

 瑞鶴は向きなおり、提督の胸の上に頬杖をついて顔を支えた。

 

「友だちが、いいよ。……そうじゃないと、縛られたままだもん」

 

 言った瑞鶴は、遠くを見るような眼をしていた。

 

「縛られたままとは……おまえのことか?」

「私もそうだし、提督さんも。それから……いろいろ」

「いろいろ、なのか」

「うん……いろいろ」

 

 繰り返して言った瑞鶴は、なにか別のことを考えているようだった。

 翔鶴のことか──と訊くことは、ためらわれた。

 結局のところ、瑞鶴が自分から話そうとしなければ、核心となる情報は得られないだろう。

 不意に、瑞鶴が明るい笑顔を向けてくる。

 

「とにかく、友だちのほうが気楽でいいでしょ。たまの休みに映画観て、お茶して、散歩して、それで……ちょっとセックスしたり、イチャイチャしたり」

 

 提督は瑞鶴に合わせ、笑顔をつくった。少し皮肉そうな調子で、言葉を返す。

 

「そういうことを、おまえは友だちとするものなのか」

「提督さんは、ちょっと特別な友だちだもん。……そうね、セックスとかイチャイチャは、お互いの友情の確認ってことで、どうかな?」

「どうかなって言われてもな──」

 

 提督が頬を掻きながら言うと、瑞鶴は無言で躰を押し付けてきた。

 細くなめらかで、柔らかい瑞鶴の全身の感触に、提督は昂ぶりを覚える。

 枕元のデジタル時計のアラームが鳴った。退室時間30分前を示す報せだ。

 提督は眼だけで、瑞鶴に訊いた。

 瑞鶴が頷き、唇を寄せて言う。

 

「もうちょっとだけ……確認しようよ、友情」

 

 提督は笑んで、返事の代わりに素早く瑞鶴と躰を入れ替え、組み敷いた。

 躰の下で、瑞鶴が嬉しそうな悲鳴を上げた。

 

 

 繋がったまま、瑞鶴が提督の首に両腕をまわした。

 腰の動きを協調させながら、熱っぽい眼で提督を見つめて言う。

 

「ねえ……提督さん。翔鶴姉のこと、どうにかしたいんでしょ」

 

 提督は動きを止めず、呼吸を整えてから瑞鶴に訊いた。

 

「なんだ、突然だな」

「うん……ちょっといま、いいこと思いついたの」

「いいこと?」

「うん、とってもいいこと──翔鶴姉の物語を、ハッピーエンドにしてあげる作戦」

「──作戦、だと」

 

 快感に息を乱した瑞鶴が、小さく差し出した舌で唇を舐めながら頷く。

 提督は我知らず息を詰め、その凄艶な表情に見入っていた。

 

 

 ◇

 

 ローテーブルの向こう側で、翔鶴が紙製の直方体のパッケージをうっとりと眺めている。

 提督が持参した、日本酒の箱だ。

 翔鶴が日本酒好きだというのは、三日前の日曜日にホテルで瑞鶴から聞くまで、ついぞ知らない情報だった。

 顔を上げて視線に気づいた翔鶴は、取り繕うように、わずかに照れの混じった笑顔を向けてくる。

 提督も、翔鶴に微笑みを返した。

 

「開けないのか」

 

 訊かれて、翔鶴は慌てて首を振る。

 

「い、いえ──今夜は、そういうわけには」

「なんだ、ほかの連中に遠慮してるのか」

「ええと、あの……」

 

 翔鶴が横を向き、部屋の窓を覆ったカーテンを眺める。厚手の布の向こうに、夜の海の気配がかすかに漂っていた。

 

「──皆さん、夜を徹しての任務中ですし、留守を預かる正規空母は私たち姉妹だけですから」

「任務といってもただの夜間航行訓練だし、おまえが今夜の当直というわけでもない。──べつに、構わんだろうよ」

 

 翔鶴は困ったように口もとを押さえ、パッケージの表書きを眺める。内心の誘惑の声が提督にも聞こえてくるようだ。

 やがて、羞恥と喜びがないまぜになった笑顔で、小さく頷いた。

 

「──では、瑞鶴が戻ったら、少しだけいただくことにしましょう。提督もご一緒に、ぜひ」

 

 仕方ない──といった感じで、提督は首を傾げてみせた。

 翔鶴は嬉しそうな笑顔を見せ、酒の箱を大事そうに両手で元の紙袋に戻した。

 提督は頭を掻き、さりげなく室内を眺める。

 

 五航戦のふたりが暮らすこの部屋は、フローリングされた十帖ほどのワンルームだった。

 艦娘が実際に生活する部屋に足を踏み入れるのは、提督にとってほぼ初めてのことだ。若い女性の部屋特有のふわふわとした雰囲気と香りに、どことなく落ち着かない気分がする。

 壁際にぴったりと並べて置かれているシングルベッド2台が、もともと部屋に備え付けの唯一の家具だった。

 ローテーブルやその下に敷かれているラグマット、翔鶴の背後に見える鏡台、デスク、カーテンの掛かったカラーボックスといった家具は、姉妹ふたりで買い揃えたものなのだろう。

 

 酒をしまった紙袋を小脇に置いた翔鶴が、提督に向きなおる。

 

「提督……先日、無理なお願いを聞いていただいただけでなく、今日このように素晴らしいお土産までいただいてしまって、どのようにお礼を申し上げたらよいか──」

 

 ローテーブルは透明なガラス製であるため、翔鶴が太腿の上で両手を揃えているのが天板越しに見えた。

 見慣れたいつもの和装風の装いをしている翔鶴だが、勤務中とは違って胸当てを着けていない。いかにも女性らしい、瑞鶴とは違った意味でのスタイルの良さが際立っている。

 

「べつに無理なお願いってもんでもなかったし、礼を言いたかったのは俺の本当の気持ちだ。──実に、楽しいデートだった」

 

 翔鶴が両手を胸の前で小さく握り合わせ、嬉しそうに顔を輝かせる。

 

「まあ──本当ですか。あの日は、帰ってきた瑞鶴も、とても嬉しそうにしていたんです」

「あいつが素直に喜んでいる姿は、あまり想像できないな」

「ええ。もちろん、『べつに』とか『普通だった』とか、いつもの強がりを言ってましたけれど。それでもあの子も話したくてうずうずしていたんでしょう──結局どんなデートだったのか、いろいろ話してくれましたよ」

「──いろいろ、話したか」

「はい。それはもう、いろいろと」

 

 純真な笑顔で翔鶴が頷く。

 提督はさりげなくその笑顔を観察したが、裏になにかの意図が隠されているようには見えなかった。

 さすがにホテルの件まで聞いてはいないだろう。仮に聞いていたとして、この邪気のない笑顔を意図してつくれるなら、役者というレベルを超えた腹黒ぶりだ。

 翔鶴は、ローテーブルの隅に置いてある自分の携帯電話を覗き込み、そわそわと操作を始めた。

 

「もう、瑞鶴ったら、すぐ戻るって言ってたのに。──あら、さっきのメッセージは読んだのね? えっと、もう一回……提督さんがずっとお待ちになってるわよ、と──」

 

 独り言をつぶやきながら、翔鶴はぎこちない手つきで画面を操作する。落ち着かなげなその様子は、いかにも妹想いの姉としての愛情に満ちているように見え、愛らしいものだった。

 

「本当に瑞鶴のことが好きなんだな、おまえは」

 

 提督が言うと、翔鶴は顔を上げて提督を見つめ、満面に笑顔を浮かべた。

 

「はい──瑞鶴は、私のすべてですから」

「すべてか」

「すべてです。──あの子のそばでともに生きていけるのが、艦娘となった私の最高の幸せなんです」

 

 理想のハッピーエンド──ホテルの浴室で瑞鶴から聞いた言葉を、提督はふと思い出した。

 瑞鶴のそばで生きていくことが翔鶴の理想であるなら、その瑞鶴と提督を結びつけようとしていることにはどれほどの意味があるのだろうか。

 提督は、持参したもうひとつの紙袋を傍らから取り上げ、ローテーブルの上に置いた。

 

「……これは?」

 

 翔鶴が不思議そうに小首を傾げて訊く。

 

「瑞鶴に、ちょっと頼まれていてな。べつに大したものじゃない」

「……何でしょう?」

「本だ」

 

 翔鶴が首を反らすようにして背筋を伸ばした。目を見開いて、本……と声にならない言葉を発する。

 翔鶴の様子を観察しつつ、提督は続けた。

 

「日曜日、話の流れで、あいつに本を貸してやることになってな。執務室で埃をかぶってたのを何冊かと、あいつが興味をもちそうな新刊を適当に持ってきた」

「それは……ご面倒をおかけしまして……」

 

 顔を引き攣らせて翔鶴が言う。胸の前で、両手の指先がせわしなくこすり合わされていた。

 

「──とにかく、あいつがいれば直接渡してそれで終わりだったが、不在のときにはもうひとつ、頼まれごとがあってな」

「もうひとつ、頼まれごと……ですか」

「本棚に並べておいてくれ、とな。──なんでも、カラーボックスが本棚代わりだって話だったが」

 

 翔鶴の後方にあるカラーボックスを覗き込むようにしながら、提督は紙袋を手に立ち上がった。

 狼狽を露わにしながら、翔鶴が膝立ちになって両腕を振る。

 

「い、いえ、そんな、結構です。それは、私があとで、やっておきますので……!」

「必ず俺が、自分の手で並べるように頼まれたんだ。引き受けたからには、きっちり仕事をこなさせてもらう」

 

 慌てふためくあまり、立ち上がるのもおぼつかない翔鶴の脇を抜け、提督はカラーボックスの前まで歩を進めた。

 幅の広いそのカラーボックスのカーテンは、どうやら手づくりのもののようだった。突っ張り棒をレール代わりにして、プラスチックのリングを取り付けた布が前面に垂らされている。布地は、飛ぶ鶴の模様が入った和風のものだ。

 提督は紙袋を床に置いてしゃがみこみ、カーテンの端に右手を伸ばした。

 瞬間、左の二の腕に柔らかい衝撃を感じる。

 翔鶴が提督にすがりつくようにして、両手で抱きとどめていた。

 

「だめ、だめ……! 提督、そこは、見ないで……!」

 

 翔鶴は提督の制服の前後を握りしめ、必死に顔を振る。

 泣き出さんばかりに崩れかけたその表情に驚きながら、提督はカーテンから手を離した。

 

「どうした、翔鶴」

 

 問われて、翔鶴はふたたび首を左右に振る。

 

「とにかく、だめなんです、提督。そこは、私の──」

 

 提督を見上げた翔鶴が、呆けたように硬直する。

 お互いの顔が、すぐ間近にあった。

 提督は息を呑み、その潤んだ瞳に見とれた。

 自分のものでない、髪の石鹸の香り、体温と鼓動、息遣い──翔鶴のあらゆる要素が、制服を隔てた先から提督の内側へと侵食してくる。

 

「だめ……」

 

 みずみずしい色をした、張りのある唇が動く。

 提督は、わずかな震えを帯びたその動きに見入り、吸い込まれるように自分の唇を重ねていた。

 やわらかい、女の唇だった。

 腰と背に腕をまわし、引き寄せる。

 翔鶴の躰はどこまでも柔らかで、濃密な香りとほのかな体温が、どこまでも提督に女を意識させるものだった。

 唇を離した提督は、翔鶴の目が悩ましげに閉じられるのを見た。

 

「だめ……」

 

 もう一度、翔鶴が言った。

 脱力して崩れ落ちそうな翔鶴を片腕で支えたまま、提督は右手をカラーボックスのカーテンに伸ばす。

 かららら……と乾いた音をたててプラスチックのリングが滑っていく。

 棚の上から2段のほとんどすべてに、本が並んでいた。

 端から題名を眼で追って、提督は理解した。

 すべて、恋愛小説だ。

 実際に中身を読んだことのあるものは、それほど多くない。それでも、著者名、出版社、装丁の雰囲気、そして題名から、匂いたつような恋愛の物語の気配が漂っている。『恋』というそのものずばりの題名の文庫本まであった。

 翔鶴が、提督の肩口に顔を埋めるようにしてうつむく。耳朶まで、顔が真っ赤に染まっていた。

 

「──たかが小説だ、翔鶴。そう恥ずかしがることもない」

 

 言いながら、提督は翔鶴の抑圧を理解する。

 恋に焦がれる本心を抑えつけ、妹の恋の成就を願いつつ、それでもなお恋に惹かれる自分を止めることができなかったのだ。

 檻の中に囚われているかのように、恋という呪いに縛られていた。

 物語の中に自分を遊ばせているその時間だけ、翔鶴の精神は自由であったことだろう。

 提督はふと、恋愛小説の占拠している段の下に、気持ちばかりの漫画本と実用書が並んでいることに気がついた。おそらくこれが、瑞鶴の書棚だろう。

 持参した紙袋から本を掴み出し、一冊ずつ漫画本の隣りに並べていく。

 

「瑞鶴は──」

 

 唐突に、翔鶴が言った。額を提督の肩口に押しつけ、制服に両手でしがみついたままだ。

 

「瑞鶴は、何も言いませんでした。私がこうした小説を読み漁っていることを知りながら、何も言わないでいてくれました」

「そりゃそうだ。誰が何を読もうが、そいつの自由だからな」

 

 提督は本を並べ終え、息をついた。

 左手で、翔鶴の背をさすりながら言う。

 

「──読むだけなら問題ないが、瑞鶴をおまえの物語の主人公みたいに扱うのは、やめたほうがよかったかもな」

 

 翔鶴がはっと顔を上げ、弱々しく表情を歪める。悲しそうな眼で、本棚を見つめた。

 

「私は……私の行動は、あの子の重荷……だったのでしょうか」

 

 提督は少し思案し、首を振った。

 

「重荷にしかならなかった──ってことはないな。少なくともおまえのおかげで、俺と瑞鶴は友だちになれた」

「友だち──」

 

 翔鶴が目を丸くして提督を見る。こうした表情の翔鶴は、瑞鶴よりはるかに幼く見えるような気もして、小憎らしいほど可愛らしい。

 

「──それから結果として、ありがたいことに、俺はこうしておまえとキスすることができた」

 

 翔鶴がいっそう大きく目を見開く。

 提督に抱きついたままの自分の状況を認識してか、あたふたと意味もなく身じろぎを始めた。

 腕のなかで暴れようとする翔鶴を抱きしめつつ、提督は言う。

 

「翔鶴、教えてくれ。──おまえの本当の望みはなんだ。俺はそれを、知らなくてはならない」

 

 翔鶴が動きを止め、提督をふたたび見つめた。やがてその唇が震え、かすれかけた声を発する。

 

「提督、私は……私は、あなたのおそばに、ずっと──」

 

 瞬間、場違いな短い電子音が翔鶴の言葉を中断した。

 音の方向にふたりが顔を向けると、ローテーブルの上で翔鶴の携帯電話の画面が点灯しているのが見えた。

 翔鶴が提督に向きなおり、どうしたら──と言いたげな眼で訊いてきた。

 提督は苦笑して腕を解き、小さく顎をしゃくる。

 弾かれたように翔鶴がローテーブルに取りつき、携帯電話を拾い上げてせわしない指遣いで画面に触れた。

 数秒画面を眺めたあと、困惑した瞳を提督に向ける。

 

「どうした」

 

 提督が訊くと、翔鶴はもう一度画面に眼を落とした。

 ふたたび顔を上げ、曖昧な笑顔を浮かべて言う。

 

「あの……瑞鶴からのメッセージで、その……今夜は軽巡の部屋に泊まるので、こちらには戻らないと──」

 

 携帯電話を胸に抱きしめるようにしてかき抱き、なにかを問いたげな瞳で提督を見つめる。

 無言でうつむいた翔鶴の頬は、ひどく紅潮しているように見えた。

 

 

 

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