深夜にほど近い時刻である。
主照明が落とされた大食堂は薄暗く、提督の眼の前にある大きなガラス窓には、ふたつの影がぼんやりと映っていた。
昼間であれば港湾の突堤を望むことのできる、窓際のカウンター席だ。
隣に腰掛けている陸奥が、溜息をついた。
「吹雪の件は、たしかに私の責任よ。そのことを否定するつもりはないわ」
そう言って陸奥は、紅茶の入ったカップに手を伸ばす。食堂に常備されているティーバッグとポットのお湯で、陸奥が手ずから淹れたものだ。
提督は黙ったまま、ガラスに映った陸奥の影を眺めている。
カップを持ったままの影が、わずかに手を広げて肩をすくめる。
「だって──貴方の秘書艦から今の状況を訊かれて、適当なこと言ってごまかすわけにもいかないでしょ? 明日のブリーフィングにだって吹雪はもともと参加する予定なわけだし、貴方から口止めされてるわけでもなかったんだから──」
「わかった、もういい。ここにおまえを呼び出したのは、べつに釈明を聞きたいからってわけじゃない」
ガラスの中で陸奥の影が、拗ねたように提督とは反対の方向を向く。
「じゃあ、なによ」
「艦娘としてのおまえの、できうるかぎり客観的な意見を聞きたい。──吹雪が、前線の副司令に適任かどうかだ」
陸奥が、小さく息をつく。
「それはもちろん、適任よ。能力的な部分だけで判断するのなら、私の中ではもともと吹雪が最有力候補だったのよ」
「それなら今日の午後、なぜ吹雪の名前を挙げなかった」
「挙げたら素直に、ああなるほど名案だ──って貴方は言ってくれたかしら?」
ガラスに映った陸奥と、提督は視線を交える。判然としない像だが、強気に提督を睨んでいるのがわかる。
「──それに、彼女には
「……適任か」
「この上もなくね。艦隊運用や作戦立案については、貴方のそばで実地で学んでいるし、補給や兵站の重要性も理解している。性格的にも、長門との相性はきっといいと思うわ。前線の仲間を助けたいっていう、強い想いもある。それから……前線に出たことがないっていう負い目も、吹雪にとっては大きなモチベーションのはずよ」
ひと息に話してしまうと、陸奥は紅茶のカップを口に運んだ。
提督は、思案する。
陸奥の言うとおり、最古参の艦娘でありながら、吹雪には前線基地での勤務経験がない。
所属する三水戦はすでに数度の前線派遣を経験しているのだが、そのたびごとに吹雪は隊を一時的に離脱し、鎮守府に居残っている。
秘書艦という役職持ちであることが、残留の理由であった。
そのことで吹雪から直接不満を言われたことはないが、内心に忸怩たる思いがあったのは確かだろう。
三水戦が鎮守府にいる間、吹雪は秘書艦の業務がどれほど多忙であっても、隊の哨戒任務への参加に強いこだわりを見せていた。
前線副司令に立候補するつもりだったとは、吹雪の性格からして考えられない。作戦への志願は、ひとえに窮地の仲間を助けようという意志の表れに違いなかった。
自分を納得させるように提督は細かく頷き、口を開いた。
「吹雪には明日、ブリーフィングが終わってから支度をさせる。午後いっぱいもあれば、装備の調整と荷造りを済ませられるだろう」
「それってつまり──」
問いかける陸奥の影に、提督は頷きを返した。
「三水戦と十一駆は鎮守府に残す。さすがに近海の守備から水雷戦隊をまるごと抜くわけにはいかない」
「吹雪単独で、作戦に追加」
「そういうことだ」
陸奥はカウンターに頬杖をつき、何かを考え込むように下を向いた。
提督が黙っていると、やがて陸奥は抑えた声で言った。
「──いちおう言っておくけど、今の前線の状況だと規定の日数で戻ってこられるとはかぎらないわ。責任ある立場なら、なおさらね。そのことはわかってる?」
「ああ」
「納得、してる?」
提督は、正面のガラス窓からも視線をそらした。腹立ち紛れに中空を睨み、小さく舌打ちをする。
「いいか、俺個人の納得なんてそれほど大きな問題じゃないんだ。吹雪が前線に必要な能力を備えた艦娘で、あいつ自身も作戦への参加を望んでいる。ならば、どこに俺の個人的な感情が介在する余地があるっていうんだ。するべきことは、明白だろうが」
「……個人的な感情は、いつだって、どこにでも介在するものよ」
「まさに屁理屈だな。現実として、選択肢はない。迷うだけ時間の無駄だ」
陸奥が黙り込んだ。
珍しく険しい眼をしてカップの中の紅茶を睨んでいたが、やがて、表情を和らげて顔を上げた。
「選択肢なら、あるでしょ」
そう言って微笑み、提督に直接顔を向けてくる。
◇
翌日は朝から鎮守府全体が、どこか浮ついたような雰囲気に包まれていた。
大規模作戦の直前に特有の、祭りの前日を連想させる空気だ。
午前中に実施された最終ブリーフィングのあとも提督は司令室に居残り、編成された各分隊の長を務める艦娘たちと、細かい行動指針のすり合わせをおこなった。
居残り組の防衛割り当てと支援部隊の手配が済み、作戦に参加する艦娘たちの準備がすべて完了したことを提督が確認したのは、日没をかなり過ぎてからのことだった。
提督が執務室に戻ってくると、秘書艦用の机に吹雪がいた。
昨日の夕方と同じように、古い記録ファイルを机の上に広げている。作業に集中しているせいか、提督が入室してきたことには気づいていないようだった。
提督は、そっと背後の扉を閉めた。
机の上に開いたバインダーファイルの中身に、吹雪は眼を走らせている。手を伸ばせば触れられる距離にまで提督が至って、ハッと気がついたように顔を上げた。
「し、司令官……! いつから、そちらに」
「たったいまだ。──ずいぶんと集中していたな」
「あ……はい。昨日やり残していた書類の整理の続きを。中途半端なままだったので」
立ち上がろうとする吹雪を、提督は手で制した。秘書艦用の机に片尻を乗せるようにして、椅子に座ったままの吹雪と向かい合った。
「支度は終わったか」
「はい。十一駆のみんなに手伝ってもらって、なんとか。装備の調整も、白雪ちゃんと叢雲ちゃんがすごく協力してくれて」
「連中は納得してるか? お前が隊を離れて作戦に参加することを」
「大丈夫です。昨日の夜、ちゃんとみんなで話し合いましたから。少しだけ揉めちゃいましたけど……でも最後にはみんな、わかってくれたと思います」
「叢雲だが」
「──はい」
「夕方に食堂の廊下ですれ違ってな。周りの眼もあって話はしなかったんだが、睨まれてしまった」
提督は冗談めいた口調で言ったが、吹雪はわずかに顔を曇らせて目を伏せた。
「私も、叢雲ちゃんには叱られました。自分の立場をもっとよく考えなさいって」
「とは言いつつ、おまえの支度には協力した」
「……はい。司令官とあんたが決めることだから、って言ってくれて」
唐突に吹雪は言葉を詰まらせるようにして、黙り込んでしまう。うつむいたまま、何かを考え込んでいる表情をしていた。
沈黙が降りる。
微妙な気まずさに提督は視線をそらせ、傍らに置かれているバインダーを見やった。
「これは、ずいぶん昔のを引っ張り出してきたんだな」
「えっ……あっ、はい。古いほうからやろうと思ってたので」
提督はファイルを引き寄せ、綴じられている報告書を眺める。
鎮守府が対深海棲艦用の防衛施設として稼働しはじめて間もない頃に作成された、手書きの哨戒記録だった。よく見慣れた、今と変わらぬ吹雪の文字だ。
「たかが近海の哨戒のくせに、金剛と赤城までメンツに入ってるな。ずいぶんと燃費の悪そうなことをしている」
「このときは、まだ艦娘の数が足りませんでしたから。敵がどこにどれぐらい潜んでいるかも、手探り状態でしたし」
「──『哨戒中に敵の小規模船団と遭遇。交戦後、敗走した敵艦の追撃中に敵拠点を発見。彼我の戦力差から損害が拡大、やむを得ず撤退に至る』、か」
提督は概要を読み上げ、小さく首を振る。
「子供の戦争ごっこじゃあるまいし、ずいぶんと無謀なことをやったもんだ」
「……このときのこと、私ははっきり憶えています」
吹雪が顔を伏せたまま言う。
「敵の拠点でいいようにやられて、ほとんどみんながボロボロの状態で、鎮守府に帰投したんです。逃げてる間はもちろん必死でしたけど、全員無事で陸地に上がったら急に安心して、みんなで笑い合いました。『失敗しちゃったね』なんて言って、それこそ、ぜんぶ遊びだったみたいに」
「着任したばかりの艦娘は皆、自分の命や戦いそのものを軽く考えているところがあるからな。当時はまだ、そのあたりのことを教育する体制ができていなかった」
「はい。それで、みんなでケラケラと笑っていたら、提督が来られて──」
「顔を真っ赤にしていたか」
「いえ、青ざめていらっしゃいました。ほんとうに、お顔が真っ白に見えるほどに」
吹雪が顔を上げて提督を見る。澄んだ瞳に気圧され、提督は息を呑んだ。
苦笑するふりをして、さり気なく視線をそらす。
「──それで?」
「それで、みんな一緒にお叱りを受けました。特に金剛さんと赤城さんは厳しく叱られたので、おふたりともとても小さくなってしまって」
「だから、憶えていたというわけか」
「ええと……ええ、まあ」
吹雪は曖昧に口ごもった。
金剛と赤城──提督は妙な符合に思いを巡らせる。前線基地で現在の司令と副司令を務める二艦だ。先の戦闘で手ひどくやられたというふたりは、鎮守府へ無事に帰還して笑い合うことができるのだろうか。
「あの、ほんとうは、もう少しだけ続きがあるんです」
遠慮がちに、吹雪が言った。
提督は吹雪に視線を戻し、微笑んで先を促してやる。
「私は比較的損害が軽微なほうだったので、明石さんに躰を見てもらったあと、すぐに執務室に戻りました。それで、司令官が私を見るなりおっしゃったんです──」
吹雪がまっすぐに提督を見つめて言う。
「『おまえがついていながら、そのざまか』、と」
「それは……八つ当たりだな。腹立ちまぎれに言ったんだろう」
「いえ、怒ってらっしゃるような感じではなかったです。すごく冷静な声で、でも、とても厳しい言い方で……『金剛はすぐに熱くなるところがある。赤城は一見冷静でも、敵の撃破にこだわりすぎる。おまえにはふたりの性格がよくわかっていたはずなのに、どうしてブレーキをかけなかったんだ』と」
「ふたりの性格がわかっていて組ませたのは、どこのどいつだって気もするが」
わざとおどけたように提督は言ったが、吹雪は黙って首を振った。
「司令官に叱っていただいて、私は自分がするべきことを何もしていなかったんだって、そのとき気がついたんです。ただの駆逐艦だからとか、ほかの艦娘のほうがもっと強いからとか、そうやって自分に言い訳してちゃいけない、私がみんなのお姉ちゃんみたいなものなんだから、だから、みんなを護らきゃいけないんだって……そう、思ったんです」
吹雪の膝の上で、痛々しく見えるほど強く、両手が握りしめられていた。
後悔と自責が、提督の腹の底で蠢いている。
椅子の上で小さくなっている吹雪は、初めて出会ったときよりも、はるかに頼りなげな少女のようにも見えた。
提督は吹雪の手を見つめながら、言う。
「──たったひとりで、何もかもを護れるわけじゃない。おまえが何かを止めようとしたって、それがかなわないときは必ずある」
「はい……わかっています」
「ましてや、おまえは駆逐艦だ。敵戦力を見誤れば、おまえが沈むことになる」
「はい……でも、私は、自分にできることをするつもりです。みんなのためにできることを、なにか、ひとつでも。だから、私は──」
吹雪は提督を食い入るように見つめ、なぜか突然、悲しそうに眉をひそめた。またも、うつむいてしまう。
提督は目を閉じて息を整えてから、言った。
「今夜はもう休もう、吹雪」
吹雪が顔を上げた。何かをためらうような眼をしている。
提督は、乱雑に書類が散ったままの机の上を眺めた。
「ファイルの整理が、まだ終わってないか」
「……はい」
「それが最後だ。片付けたら、もう今日は仕事を上がれ」
吹雪の唇が震える。何かを言おうとしたが、言葉にはならない。
提督は、静かに言う。
「今夜は……一緒にいてほしいんだ。来てくれるか、吹雪」
長い沈黙のあとで、吹雪はそっと頷いた。
◆
駄目だ──と答えた提督の顔を、陸奥が上目遣いで覗き込む。カウンターに両腕を乗せた前屈みの姿勢で、観察するように見つめてきた。
「理由を尋ねてもいいかしら?」
「自分でわかっているはずだ。おまえには内地での仕事がある。前線に派遣することはできない」
陸奥が微笑む。
「それってつまり、私がやってる『スパイごっこ』のこと?」
「そうだ」
「そんなに大事な仕事になるって、最初に貴方から頼まれたときには聞いてなかったんだけど?」
「それだけの成果を、おまえが自分自身の才覚で挙げたんだ。今では、情報こそが鎮守府の独立性を守る命綱だ。もう、それなしでは」
「なしでは?」
「……おまえたちを護りきることができなくなる。艦娘と鎮守府は、もはや軍内だけでなく財界も巻き込んだ権益争いの構図の中に組み込まれつつある。それを知ることができたのも、おまえが持ってきた外部の情報のおかげだ」
陸奥が窓の外の暗闇を眺め、長い溜息をつく。
「……なんだかずいぶん、責任重大なことになっちゃったわね。最初はお遊び半分の副業のつもりだったんだけど」
「すまないが、現状ではおまえの代役がいない。デリケートな仕事であるだけに、適当なやつに任せることはできない」
「私だって、戦闘の現場に出ることはあるのよ。もし沈んじゃったらどうするつもりだったの?」
「わかっている。今はまだ手がまわっていないが、そのうち誰かをおまえの下に──」
提督は言葉を止めた。陸奥が横目で、どこか面白がるような視線を投げかけていた。
「まさか、おまえ」
「そのうち、なんて悠長なことを言ってる場合じゃないでしょ。自分のバックアップでもあるわけだし、私が個人的に仕込んで用意したわ」
「勝手なことを……相手は艦娘だな?」
「当たり前でしょ。私の持ってる情報源のステータスと接触の仕方、新規開拓のコツなんかは、おおむね伝えてあるわ。もし私に何かあったら、彼女が自分から後任として名乗り出てくるはずよ」
「俺に無断で、そんなことを──」
「待って。この仕事を本格的に始めたときに、貴方は私に言ったわよね。経費は予算内から好きに使っていい、報告は事後で構わない、私の自由な裁量で仕事を切り盛りできる、と」
「確かに言ったが、それは」
陸奥が人差し指を立てて、提督の言葉を遮る。
「後任の育成も仕事のうちよ。私は自分の裁量内だと判断してそれをやった。気に入らないならそう言ってくれれば、私は貴方のやり方に従う」
提督は言葉を失って、茫然と陸奥を見つめる。余裕に満ちた微笑を浮かべた陸奥は、提督の視線を受け止めていた。
提督は額を抑えて、こめかみを揉んだ。
「──いや、それでいい。おまえのやり方のほうが正しい」
「本当に?」
「ああ。金は出すが口は出さない、おまえは鎮守府の利益のために行動する──そういう約束だった」
「信頼してくれる上司がいるのは、ありがたいことね」
「ときどき、おまえに指揮権を乗っ取られるんじゃないかと思うときがある」
「それ、褒め言葉として受け取っておくわ」
息をついた提督を見据えて、陸奥が言う。
「──さて、これで貴方には迷うだけの余地が生まれたわけね。吹雪か、私か」
「ずいぶんと、愉しげだな」
「もちろん愉しいわ。ひとが難しいパズルに頭を捻るさまを眺めるのは、本当に愉しいもの」
陸奥は艶然と微笑んだ。
「私は明日、いつでも出られるように準備をしておく。たとえ作戦開始の3秒前であったとしても、貴方が吹雪との交代を命じてくれるなら、私は行ける」
陸奥が立ち上がった。提督の肩に手を添え、耳もとに口を寄せてきた。鼻孔を刺激する甘い花のような香水の匂いに、提督は内心で狼狽した。
囁くような声が、提督の耳をくすぐる。
「今夜はじっくり、ふたりで
◆
ベッドの上で、小さな躰を抱きしめる。
吹雪の肌はいつもと変わらず温かく、シャワーを浴びたばかりのせいかわずかに湿っていた。シャンプーと石鹸の匂いの下に、どことなく甘い肌の匂いがする。
唇を吹雪の首筋に押しつけるように這わせながら、吹雪の寝間着を脱がせていく。
すぐに、ともに全裸になった。
吹雪が、提督の首にすがりついてくる。寄せ合った頬に、吹雪の顔の熱が伝わってきた。
「司令官……」
提督は手を伸ばし、秘所に触れた。かすかな湿り気を帯びてはいたが、潤いというほどには濡れていなかった。
指で入り口を押し開くようにしながら、空いている人差し指でそっと前庭の部分を刺激する。
「はっ──あ……」
吹雪が震えた声を漏らす。
すぐに、吹雪が溢れさせているのが提督にはわかった。分泌された愛液が指に絡みつき、湿った音をたてている。
首にすがりついている吹雪と、視線を合わせた。
髪をほどいている吹雪からは、普段の姿よりも少し幼い印象を受ける。半開きの唇の間で、小さな舌が何かを求めるように、わずかに動くのが見えた。
提督は下半身を押し込むようにして、吹雪の膝の間へ割って入った。
濡れた肉の狭間に、みずからの硬直を突き刺す。
「は、あっ……!」
性急に侵入された吹雪は短く叫び、躰を反りかえらせる。
陰茎を締めつけるきつい感触に、提督も小さく呻いてしまう。
快感よりも痛みが勝るのか、吹雪は眉根を寄せて表情を歪めていた。
提督がためらいかけたその瞬間に、吹雪が下半身を動かした。
腰をわずかに浮かせ、提督を迎え入れようとする。
ほんのわずかな動きだが、健気な仕草だった。
思わず提督は、呼んでいた。
「吹雪──」
唇を引き結んでいた吹雪が、提督を見る。
微笑んだ。
目を細めて、笑ってくれた。
提督の背に両手をまわし、密着をせがむように力を加えてくる。明確な吹雪の意思が、伝わってくる。
提督は吹雪を胸の中に抱きしめ、動作を開始した。
深く、深く──吹雪の奥を、芯を、己の触角で探る。
激しく叩きつけるように、腰を振っていた。
吹雪は懸命に、受け入れている。
己の獣じみた律動を自覚しつつ、提督は制御することができない。
吹雪を見つめる。顔を歪めつつも、切なげな視線が返ってきた。
そっと、唇がつき出される。
求めている。
応じて、吸った。
舌を絡める。
両腕で、抱きしめる。
いっそう激しく、腰を振った。
結合させた口内から、混じり合った唾液とともに、乱れた呼吸がこぼれていく。
前触れもなく、提督は達した。
痺れるような快感に、思わず声を上げていた。
密着したまま吹雪を全身で抑えつけ、内部に精をそそぎ込む。
腕の中で吹雪が、弱々しく、震えた。
射精してしまっても、硬度はいっこうに衰えなかった。
お互いに呼吸が落ち着き加減になるのを待って、ゆっくりと動作を再開させる。
今度はごく穏やかに、吹雪の反応を見ながら腰を回転させるように動かした。
放ったばかりの精液と愛液が混じり合い、膣口からくちゅくちゅと秘めやかな音が響く。
すぐに、吹雪は切なげな吐息を漏らしはじめた。
「司令か、ん……」
苦しげに、吹雪が提督を呼ぶ。提督は、吹雪の頭を胸に抱いた。
小さな手を提督の背にまわし、吹雪がすがりついてくる。
「ごめんなさい……わたし……」
「謝るな」
「でも──」
「謝らなくていい」
提督は、強く腰を押し出す。
「んっ……」
提督の胸の中で、吹雪が息を詰める。抱きしめた躰から、とくとくとせわしないリズムを刻む吹雪の鼓動が伝わってきた。
ゆっくりと、柔軟な感触を確かめるように、提督は吹雪の内部を撹拌する。
少しずつ、提督を受け入れるばかりだった吹雪の様子に変化が生じてきていた。
自身の快感を高めるために、提督の動きに下半身を協調させている。
耐えがたいといった表情で、吹雪が深く溜息をつく。
呼吸のリズムが、乱れていく。切迫した喘ぎが、次第に啜り泣きに変化していった。
「泣いてるのか」
提督が尋ねたが、吹雪は無言だった。ただ、額を提督の胸に押しつけてくる。
「なぜ、泣く」
重ねて、提督は尋ねた。
背にまわされた手に、わずかに力が込められる。
「ごめんなさい……怖くて」
小声で、吹雪が言った。
提督はゆったりと動作を続けたまま、重ねて問う。
「なにが、怖い」
「わかり、ません……なにもかもが、わからなくなっちゃいそうで」
「怖がることはない」
「でも、怖いんです──ほんとうに、きもちが、いいから」
胸の中で、吹雪が顔を上げて提督を見つめてきた。泣き腫らしたように、目の周りを赤くしている。
「きもちがいいから、なにもかも、忘れてしまいそうで……だから、こわい」
「忘れていいんだ。俺とこうしている間は、忘れてしまえばいい」
「だめ……わたし、もう……」
吹雪が語尾を不明瞭に口の中でつぶやいて、目を閉じる。
提督は強く腰を押し出して、蕩けきった吹雪の最奥を突く。
「ああ……」
横を向いた吹雪が、切なげな吐息とともに声を漏らす。
快感の極限が、近づいていた。
思うさまに精を放出したあとの気怠い余韻に浸りながら、吹雪の顔を見つめる。乱れた前髪が、汗で額にはりついていた。
「前線に、行ってくれるか」
提督が問うと、吹雪は一瞬だけ泣き出しそうに顔を歪めた。
すぐに目を閉じてそれをこらえるようにし、絞り出すような声で答える。
「支度は、できてます」
「おまえにしかできないことが、たくさんある。長門を助けてやれるか」
「司令官──」
吹雪が目を開ける。揺れる少女の瞳の中に、提督は自分の姿を見た。
「ごめんなさい……わたし、わたし──」
提督は苦笑してみせる。謝らなくていい、と重ねて言う気にはなれなかった。
吹雪が言いつのろうとしてか、口を開きかける。
瞬間、提督は吹雪を引き寄せて、その口を自分の唇でふさいだ。
ついばむように唇を探って、離れる。
「吹雪」
「──はい」
「愛している」
吹雪が口を半開きにして、呆然とした表情をする。瞳に、さまざまな感情が浮かんでは消えた。
「何を今さら、と思われるかもしれないが。情けないことになかなか言うことができなかった。──すまない」
「そんな、私こそ──」
吹雪は言葉を呑み込み、目を伏せた。
「──私こそ、情けないです。秘書艦という大事なお仕事をいただいて、司令官をおそばで支えなければいけないのに、それなのに、私は──」
「吹雪」
「──はい」
「おまえは、強い」
吹雪が顔を上げて提督を見る。
提督は頷いた。吹雪の裸の肩を、手の甲でそっと撫でる。
「こんなに小さな躰をしているのに、どこにそんな強さがあるのか。俺も──この鎮守府のありかたも、おまえのようでありたいと思っている」
「司令官、そんな……」
吹雪は困ったような表情で、居心地が悪そうにもじもじと身悶えした。提督は構わず続ける。
「俺は──おまえたちとともに生きていきたいと思っている──深海棲艦との戦いが終わったあともだ。そのためには、もっと強くならなければな」
吹雪が目を見開き、ついで顔を輝かせる。月にかかっていた雲が晴れるかのような、気持ちのいい笑顔だった。
提督は笑って、吹雪の頬を軽くつまんでみる。
「いい顔だ。やっぱりおまえは、そういう顔がいちばんいい」
「司令官、ほんとうに……ほんとうに、わたしたちと、ずっと──」
「強くならないとな。今は明確な敵がいるおかげで俺たちも必要とされているが、連中がいなくなれば、とたんに厄介者だ」
あるいはその逆も──と提督は胸の内でつぶやく。いずれにしても鎮守府と艦娘の将来は、そう簡単に順風満帆とはいかないことだろう。
「司令官、私、頑張ります……! みんなで、一緒に生きていけるように、私──」
頬をつままれているのを気にかける様子もなく、吹雪が勢い込んで言った。
提督は顔をうつむけて、ただただ小さく笑う。
明け方になって、どちらからともなく目覚めた。
出立の準備が始まるまでは、まだ時間があった。
離れがたさから、胸が詰まる。だが、交接を求めはしない。
これ以上、肉体的に交わる必要を感じなかった。
裸の肌の一部を触れさせて、ただ見つめ合う。
それだけで、躰より深いどこかが繋がっている気がした。
「司令官」
吹雪が呼んだ。
提督は、視線を向けて応える。
やわらかく微笑む吹雪は、朝の薄い光の中で、母のような姉のような、大人びた気配をまとっていた。
数拍のためらいのあとで、唇が動く。夢うつつに提督は、わずかに震えるその声を聞いた。
「愛しています、わたしも──あなたを」
◇
開け放った執務室の窓から、提督は陽光に輝く海原を眺めていた。艦娘たちの残していった幾本もの白い航跡の曲線が、遠目にもはっきりと見える。
快晴だが、吹く風は露出した肌を刺すかのように冷たい。
季節はすでに、冬にさしかかりつつあった。
窓を閉め、屋外の景色に背を向ける。
仕事はいつものごとく溜まっているのだが、執務机にすぐにとりつくような気分にはなれなかった。
部屋暖房のスイッチを入れることも億劫で、いい加減にソファーへと躰を投げ出した。
靴を脱ぎ散らかして横になったところで、室内の空気が揺れた。コツコツと高い足音が、提督のすぐ近くまで来て止まる。
「見送り、しなくてよかったの?」
頭の後ろからの声に振り返らず、提督は天井を眺めたまま、ああ──と答える。
「──どうして、とは訊かないようにするつもりでいたのだけれど」
背後から聞こえる陸奥の声は、どこか寂しげな気配を含んでいた。
「そういう結論になるとは思ってなかった。貴方と吹雪には、もっと自分たちが幸せになれる結論があったはずなのに、なぜ──」
「陸奥」
提督は片手を上げて遮った。
「頼みがある」
「……なに?」
「膝枕」
「え?」
「膝枕をしてくれないか。少し、眠いんだ」
長い、沈黙があった。
溜息とともに、陸奥が言う。
「──今回だけ、特別よ」
吹雪に比べると、陸奥の太腿ははるかに弾力があり、首の後ろに感じる質感が豊かだった。
頭の位置が少し高いことを提督が告げると、陸奥は、大根足で悪かったわね──と言って提督の額を小突いた。
「……ねえ」
「なんだ」
「セックスを体験したら、ものの見方って、変わったりするものなの?」
提督は片目を開けて、陸奥を見た。
すました顔で、陸奥が見返してくる。
「なによ」
「何を言い出すんだ、おまえは」
「べつに。ただ、私には理解のできないことが、世の中にはいっぱいあるんだなって、少し思い知ったから」
そう言って陸奥は、先ほどまで提督が眺めていた窓の外の景色に眼を向ける。視線の先には、変わらず海が広がっているはずだ。
「セックスをしたら、今までわからなかった何かが理解できるようになるかって、そう訊きたいのか」
「うん。まあ、そういうことよね」
「ならない」
「あ、ならないんだ」
「ならないな。正確に言えば、少しはわかるようになることもあるかもしれないが、そのぶん見えなくなるものも増える。差し引きゼロか、下手すればマイナスだ」
陸奥が含み笑いをする。
「なるほど、上手いことを言うわね。それはきっと、理屈だわ」
「おまえは、理屈が好きだろう」
「うん、好きよ」
「なら、絶対にマイナスだ。わからんことが余計に増える」
「それって、自分の体験から?」
「そうさ。俺も、屁理屈タイプだからな」
陸奥が笑って頷き、腿の上にある提督の頭も一緒に揺れた。
揺れが落ち着き、陸奥の躰から力が抜けていくのを感じながら、提督は言う。
「なあ陸奥」
「なあに」
「おまえは特に人間との付き合いが多いだろうから言っておくが、好きでもない相手とセックスするのはやめておけ。絶対に後悔する」
「ふーん、なるほどね」
「それから、『仕事』で自分の躰を使おうとは考えるなよ。上司として、それだけは禁じる」
「ふふ……了解」
陸奥の手が提督の頬に触れる。意外なほどに、温かい手だった。
「優しいところ、あるのね」
「そうなんだよ。意外にもな」
「それに、紳士だわ」
「あまり
心地よく、陸奥の腿が揺れる。
提督はひとつ大きなあくびをした。
「眠いんだ。少し、寝るぞ」
「うん」
「15分経ったら起こせ」
「仕事?」
「まあな、いつまでも寝てられるほど、いいご身分じゃない」
「いいえ、いいご身分よ。私の膝枕でお昼寝できるんだもの」
提督は笑みを浮かべ、躰を脱力させた。すでに頭の隅が、眠気で
「おやすみ、陸奥」
「おやすみなさい、提督」
陸奥のまとう人工の花の香りに包まれて、緩やかに意識を墜落させていく。
ふと顔を横向けて、なめらかな太腿の肌に頬をすりつけてみる。
甘い香りの奥に隠れた女の匂いを、確かに嗅いだ。