※この作品はR-18です。

艦娘抱けるかな   作:狂猫病

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人間の眼

 警備所の詰所から提督が出てくるのを、妙高は運転席でひとり待っていた。

 詰所の前には武装した若い『憲兵』がひとり、見張りとして立っている。『憲兵』とはいっても陸軍所属の『憲兵隊』ではなく、海軍が鎮守府警備のために新設した『特別警察隊』の兵士である。両者とも軍警察機能をもつことには違いがないので、そのあたりの縄張り事情に頓着しない艦娘たちの多くからはもっぱら『憲兵』で通っている。

 若い『憲兵』は生真面目そうに正面を向いて立っているのだが、ときおり妙高のほうへ横目で気にするような視線を送ってきていた。

 おそらくまだ新任なのだろう。近頃世間で噂の、艦娘とかいう存在が珍しくてしかたない──そうした好奇心が隠しきれていなかった。

 エンジンを止めた公用車の運転席に座ったまま、妙高は気づかぬふりを続けていた。

 しばらくして、提督が詰所の入り口から出てくるのが見えた。妙高はすぐにキーをひねってエンジンを始動させる。

 

「待たせたな。行くぞ」

 

 助手席に乗り込み、提督が言った。

 車の発進に合わせて見張りの兵士が律儀に敬礼を送ってきたので、妙高は小さく会釈を返した。提督も大儀そうに片手を上げて応える。

 

「だいぶ、絞られたご様子ですね」

 

 警備所外郭のゲートを抜けて一般の幹線道路へ入ったところで妙高が言うと、提督は小さく溜息をついた。

 

「たかが二日間の出張ごときで、毎度毎度書類だの署名だのやかましいもんだ。そもそもが軍令部での会議に招集されているのだから、そのあたりの事情を斟酌(しんしゃく)してくれてもいいもんだが」

「二日間といえど最高責任者の不在、緊急時の対応は警察隊の皆様も気になるところなのでは」

「近海の情勢はだいぶ落ち着いたし、榛名と加賀もようやく復帰できた。心配はいらんだろうさ」

 

 人気(ひとけ)のない海岸沿いの幹線道路を、ふたりの乗った公用車が走行する。

 制限速度を維持しながら、妙高はステアリングの操作に気を配っていた。姉妹で共同保有している車に比べれば、この公用車にはあまり乗り慣れていない。高速に乗ってしまう前に微妙なクセの違いを把握しておきたかった。

 提督が前屈みになって、暖房のスイッチを入れた。生暖かい風が吹き出してくる。

 少し迷ったが、妙高は尋ねてみることにした。

 

「提督、ひとつお伺いしたいのですが」

「何だ」

「今回の出張、私が同行することになったのには何か理由があるのでしょうか」

 

 前方に視線を向けたまま、訊いた。ガードレールの先に見える海は少々波が高いようだが、空そのものはよく晴れわたっている。

 提督はシートに躰を沈めながら答える。

 

「まずは運転手──と言ったら怒るか?」

「いえ、運転は好きなほうですから」

「休日には妹たちと、よく街に出かけているんだったな」

「はい、たいていは私の運転です。──妹たちも免許は持っていますが、皆それぞれに違った種類の危なっかしさがありまして、どうにも任せられませんので」

「なるほどな。わかるような気もする」

 

 提督はそう言って笑った。

 

「それから──明日の会議で、現場の状況に精通した艦娘が控えていてくれれば助かる。場合によっては議場で発言してもらうこともあるかもしれない」

「それは……緊張しますね」

「なに、いつものおまえの調子で客観的な意見を言うだけでいい。こういう外向きの仕事は初めてだろうが、妙高なら大丈夫だ」

「──ありがとうございます」

 

 微妙な面映(おもは)ゆさを感じながら、妙高は礼を言った。

 あらためて考えてみても、貴重な機会ではある。任務として外部の人間に接触している艦娘となると、広報として芸能活動をしている那珂や、情報収集任務も担当しているらしい陸奥など、数は限られている。あとは──。

 

「そういえば、吹雪さんも以前、軍令部への出張にご同行したことがあるとお聞きしました」

「吹雪自身からか?」

「いえ、陸奥さんからです」

「あいつはまたぺらぺらと……たしかに一度、吹雪を軍令部に連れて行ったことがある。だいぶ昔のことで、そのときは今回みたいな泊まりじゃなく日帰りだった」

 

 泊まり──そのことを意識すると、これまでとは別種の緊張が胸の中に広がる気がした。表面的には平静を装ったはずだが、気まずさが伝染したのか、提督がひとつ咳払いをした。

 

「いちおう言っておくが、部屋はちゃんと別に予約しておいた。あくまで今回は、仕事だからな」

「そうですか……楽しみにしていたのに、残念です」

 

 ことさら真面目くさった調子で妙高が返すと、提督は黙り込んでしまった。小さく笑って続ける。

 

「申し訳ありません、冗談でした」

「……妙高、真顔でそれはやめてくれ」

「失礼いたしました」

 

 妙高が重ねて詫びると、提督は笑いを噛み殺すように首を振った。

 車内の空気はいくらか和らいだものになったが、妙高の胸の奥には固いものがこびりついたままだった。

 

 

 ◇

 

 妙高が初めて足を踏み入れた海軍軍令指揮の頂点たる軍令部の内部は、その重厚な煉瓦造りの外観や警備の物々しさに反して、役所か官公庁の庁舎のような事務処理施設に似た印象が強かった。

 さすがに軍事施設の常で、各部署へのアクセスは警備付きのゲートで制限されており、通行にはその都度身分証の提示が求められた。

 しかしながら将官である提督にはさほど厳しいチェックはおこなわれることなく、妙高もあらかじめ渡されていた随行員としてのIDを示すだけであっさりと通行を許された。

 

「今日のところはとりあえず、お偉方への挨拶回りってだけだ」

 

 到着直後に提督が言っていたとおり、軍令部総長をはじめとした首脳陣の部屋を訪ねてまわるということになった。とはいえ実際に入室して重役に面会するのは提督のみであり、基本的に妙高は受付係や事務員たちのいる控室でただ待つばかりであった。

 職員たちや、あるいは廊下などで提督に声をかけてくる顔見知りらしき軍人たちからは、妙高は単なる随行員であるとしか認識されていないらしく、ほとんど注目を浴びるようなことはなかった。

 ごくまれに、妙に粘つくような視線で妙高の顔や躰を無遠慮に眺めまわす男たちがいた。不快に感じないわけではなかったが、無駄に波風をたてるのも馬鹿馬鹿しく、素知らぬ顔でやりすごした。

 

 挨拶回りの最後に提督が足を運んだのは、『第二部部長室』という札の下がった部屋だった。

 軍令部第二部といえば兵器や備品の調達管理部門である。書類上での艦娘の扱いは原則として兵器であり、その管理を担当する第二部は鎮守府との繋がりが深いということは妙高も聞き知っていた。

 これまでと同様に奥の部屋へとひとり姿を消した提督を、妙高は控室の椅子に座って待った。

 30分ばかり経ってドアが開き、初老の将官とともに提督が室外へと歩み出てきた。老将官の制服に縫いつけられている肩章からすると、階級は中将──これがおそらくは第二部部長であろう。

 椅子から立ち上がった妙高に、提督が声をかける。

 

「たびたび待たせてすまなかったな、妙高」

「いえ、とんでもない」

 

 首を振って答えた妙高を視界に捉えて、中将は目を剥いた。

 

「なんと、妙高だと──?」

 

 驚きの声を上げ、妙高のもとへとつかつかと歩み寄ってくる。

 すぐ間近に立って顔を寄せ、妙高のつま先から頭の頂点まで、躰を隅々まで確かめるように視線を幾度も往復させた。

 恰幅のいい体格に濃い髭面の中将は、ともすれば強面(こわもて)の印象でもあるのだが、まん丸の目がどことなく幼さも感じさせる。

 妙高は姿勢を正したまま困惑し、助けを求めるように提督を見た。提督は妙高に苦笑を返し、中将の後ろから声をかけた。

 

「部長、妙高が困っています。せめて紹介ぐらいはさせてください」

「ん──おお、おお。いや、失敬失敬」

 

 中将ははたと気がついたように顔を上げ、頭を照れたように掻きながらぺこりと下げた。直後に今度は腕組みをして上体を引き、賛嘆の眼差しを妙高に向けてくる。そのせわしなさに、妙高は思わず笑ってしまいそうになった。

 

「いやあ、しかし……美人だなあ、美しいなあ。凜としていて、優雅で、それでいながら力強い芯があって──やっぱり、いい艦なんだよなあ」

 

 誰に言うともなく、しみじみとした口調でつぶやいている。

 提督は妙高と眼を見合わせ、ふたたび中将にむかって呆れたように言った。

 

「私の前で部下を口説かんでもらえますか。お互い公務中でしょうに」

「ああ……いや、うん、すまんすまん。そんなつもりじゃあなかったんだが、ついな」

 

 中将が咳払いをして姿勢を正す。提督は小さく肩をすくめた。

 

「──妙高、軍令部第二部部長、内海(うつみ)中将だ。艦娘計画の発起人のひとりでもあり、鎮守府関連のあれこれでも面倒を見てもらっている」

 

 妙高は丁重に、深々と頭を下げる。

 

「重巡洋艦、妙高でございます。お話はかねがね、伺っておりました。平素のご支援、篤く御礼申し上げます」

「あ、いや……これはご丁寧に、どうも」

 

 中将がふたたび、ぺこりと頭を下げてくる。礼から躰を戻すと、中将は提督に向きなおった。

 

「おい提督よ、貴様、どうしてこのような名艦を外にほっぽり出しておいた? 中に入ってもらえば、武勇伝やらなにやら、積もる話もあったものを」

「艦娘を前にした部長は話が積もりすぎるから、妙高には遠慮してもらったんですよ。前に吹雪と会ったときもそうだったでしょう。我々はお遊びで来ているわけじゃないので」

「ふん……自分だけは毎日好きなだけ艦(ふね)をひとりじめにできるからって調子にのりおって。そのうちクビにしてくれようか」

「そうなれば部長の嫌いな方々も大喜びですね。私の代わりはご自分で務められますか?」

「それができれば、とっくにそうしとるわい」

 

 親子かあるいはそれ以上に年齢の離れてそうなふたりだが、お互いにどこか気安い口の利き方が心地よい。貴重なものを見られた嬉しさを隠しつつ、妙高は黙って控えていた。

 

「さて──それじゃ、我々はもうお暇しますね。あんまり油を売ってると、約束に遅れるので」

 

 提督が腕時計を見て言うと、中将はわずかに細めた目で、探るように提督を見た。

 

「なんだ、もう今から会うのか」

「ええ。この手のことは早いうちのほうが、先方もいろいろと都合をつけやすいでしょう? あらかじめ約束を取りつけておいたんですよ」

「まあ構わんがね。変なのを引き連れて行かないように気をつけろよ。向こうさんにあまり迷惑をかけんようにな」

「わかってます」

 

 軽く会釈すると、提督が踵を返した。妙高は、失礼いたします──とあらためて中将にむかって丁寧に頭を下げた。

 中将は白髪の濃い髭面に、いかにも人の好さそうな笑みを浮かべて幾度も頷いていた。

 

 

 ◇

 

 妙高の運転で、軍令部をあとにした。

 

「次の角を左」

 

 助手席からの提督の指示に従い、妙高は車を左折レーンに寄せる。信号待ちの間に、尋ねてみた。

 

「提督、行き先を伺っても?」

「ああ……夕食だが、約束があってな。いちおうそれなりの料亭だ」

「料亭」

「料理は美味いらしいぞ。俺もその手の店にはあまり行きつけてないんだが、それなりの相手だし、そのへんのラーメン屋みたいなところで込み入った話というわけにもいかんからな」

「そのような場に、私のようなものが同席してもよろしいのでしょうか」

 

 青信号で車を発進させ、周囲に注意しながらハンドルをきった。すでに陽は落ちかけていて、街の景色は人工灯の硬質な光に覆われはじめていた。

 

「当然だろう。おまえ抜きで飯を食うわけにもいかん」

 

 小さく息をついて、提督は続けた。

 

「今日は、いろいろとすまなかったな」

「何が、です?」

「ほとんど控室で待たせっぱなしだった。退屈しただろう」

「いいえ。初めての場所で、あらゆるものが新鮮でした。退屈などけっして」

「それと……失礼な連中も多かった。おまえのことを変な眼でじろじろと見る」

「ああ、それは──」

 

 妙高は軽く首を振って答えた。

 

「べつに提督がお気にされるようなことでは。私は特に何とも思いませんでしたから」

「組織柄のせいか、品のない連中も多い。不快だったろうが、よく我慢してくれた」

「いえ……そのような」

 

 妙高は否定しながら、横目で提督の様子を窺った。助手席で特に表情を変えることもなく、前方を見つめているようだった。

 将官という立場の提督ではあるが、軍令部内で確固たる地位を確立しているわけではないということは、今日一日、話しかけてくる者たちの態度で妙高にもなんとなく察しがついた。その年若さもあるだろうが、艦娘といういわば『際物(きわもの)』使いであることが、軍内において提督を浮いた存在にしている理由であろう。

 それだけに鎮守府と提督の数少ない味方であり加護者であるはずの中将の存在が、このうえなくありがたいものであるように妙高には感じられた。

 

「提督──中将とは本当に、仲がよくていらっしゃるのですね」

「ん? ああ、長い付き合いだからな。──考えてみれば、中将からもおまえはずいぶんと失礼な感じで眺めまわされていたな」

「まったく不快には感じませんでした」

「あの人は筋金入りの艦船マニアなんだ。自宅の書斎には洋の東西や軍民、年代を問わず、船舶模型がずらりでな。少年時代から続いている趣味だそうだ」

「──なるほど」

 

 中将のあの妙に幼さを感じる態度に、納得がいく気がした。艦娘としての、あるいは女としての妙高の姿よりも艦船としての『重巡妙高』という存在のほうが、中将の眼には大きく映っていたのだろう。

 まさに、憧れの船を前にしてはしゃぐ少年そのものだったに違いない。

 妙高は思わず笑みをこぼし、言った。

 

「こういう言い方は失礼かもしれませんが、中将は愛らしいお方であると思います」

「それならいいんだが──そこの角も左だ」

 

 提督の指示を受け、妙高はゆっくりと車を左折させた。

 緊張感が湧き上がってきていた。

 2回連続で左折──その意味を、妙高は頭の中で噛み砕いてみる。この近辺は完全にオフィス街らしく、目的地の料亭が近いというわけでもなさそうだ。

 ルームミラーとサイドミラーに意識を配り、周囲の車列の景色を先ほどまでの記憶と照合させた。

 

「どうだ?」

 

 唐突に提督が尋ねてくる。妙高は、慎重に答えた。

 

「右後方の紺色のセダンですが、軍令部を出てからずっと我々についてきているような気がします」

「そのようだな」

「いかがいたしましょうか? 中将のお話では『変なの』を引き連れて行かないように、とのことでしたが」

「さて、どうしようか。振り切る方策があるか?」

 

 妙高は思案した。

 どこかで急なUターンなどを試みることもできなくはないが、慣れないこの車両では事故のリスクが高く、確実に振り切れるともかぎらない。

 自分の運転技術を鑑みても、少し手間をかけても可能性の高い方法を採るべきだろう。

 

「車用の出入り口を複数そなえた施設などあれば、それを利用する手があるかと。あるいはドライブスルーに入って相手の出方を窺うか、最悪この車をどこかに乗り捨ててしまうということも──」

「よし。少し先、左手におあつらえむきの立体駐車場がある。そこへ入れろ」

 

 言われたとおりに、駐車場へと乗り入れた。上階へのアクセスは車両用エレベーターではなく、曲がりくねったスロープを昇っていく自走式だ。

 3階──という提督の短い指示に従い、車を進行させる。紺のセダンが妙高たちのあとに続いて入場してくる様子は見えなかったが、万一車間を空けてついてきていたとしても、この見通しの悪さなら妙高たちがどの階で降りたのかすぐに把握することは困難だろう。

 3階の奥で見つけた空きスペースへ駐車し、ふたり揃って車を降りた。同じ階の一角には月極契約らしいスペースが数台分確保されており、そこに停められていた一台の青い軽自動車を提督は指し示した。ポケットから出したキーでロックを解除しつつ言う。

 

「ご苦労だったな。運転は替わろう」

 

 あらかじめ尾行対策が用意してあったということか──周到さに呆れ半分で感嘆しつつ、妙高は助手席に乗り込んだ。

 立体駐車場からは、入ったときとは別の出口から退場した。出口付近に不審な車やバイクは見えず、どうやらうまく振り切ることに成功したようだった。妙高は安堵の息を吐いた。

 提督が前方を見つつ言う。

 

「俺たちがそのへんで飯を食うだけなら連中についてきてもらっても一向に構わないんだが、今回は相手がいることだしな」

「尾行してきた者の素性はご存じなのですか」

「九割がた軍令部、あるいは軍令部の依頼を受けたアルバイトってところか。海軍省の線は薄そうだ」

「軍令部──味方が我々の尾行を?」

「いくら知恵がついてきたとはいっても、深海棲艦が陸(おか)で俺たちを尾行したりはせんだろう? こういう陰険なやり方は人間特有のやつだ」

 

 提督はときどきミラーに視線を送りながら、ゆっくりと車を走行させている。妙高もそれとなく周囲の様子を窺ってみたが、尾行車らしき影は見当たらないように思えた。

 

「警察が運用している車両追跡システムを使われたら、さすがにこの手も通用しないんだが、海軍の大半の連中がそっち方面には疎くてな。まだまだこういうお茶の濁し方が効く」

「このような準備を以前からなさっていた──ということなのですね」

「この商売の必要経費みたいなもんだ。この車とあの駐車場の契約も、今回でほぼ使い捨てになる。ま、年に一回あるかないか、そんなにキツいってほどの手間でもない」

 

 提督はまっすぐに、目的地の料亭へと車を走らせた。

 料亭は駐車場からして、ほかの客と顔を合わせることのないプライバシーに配慮された造りであった。降りる前に狭い車内で制服を着替えた提督は、一見して海軍関係者であるとはわからないスーツ姿になっていた。

 愛想のあまり感じられない仲居の案内で通された十畳ほどの和室には、すでに先客が待っていた。

 二十代半ばぐらいの年頃に見える、端正な顔立ちをした女性だった。

 

「提督、ご足労いただきまして恐縮です」

 

 案内の仲居が退室したところで女性は立ち上がり、深々と頭を下げてきた。提督が、こちらこそ──と返しながら席を示し、妙高を含む三人はその場に座って落ち着いた。

 卓上にはすでに、豪勢な舟盛りが並べられている。深海棲艦が近海にも跋扈し刺身や寿司の材料となる海産物が高騰している昨今では、かなり贅沢な品だった。

 妙高を見やった女性が、軽く微笑んで会釈をしてきた。柔和そうな表情をつくってはいるが、長門や陸奥にも似た鋭い目もとが印象的だ。艶のある黒髪を、頭の後ろで簡素なお団子に束ねている。

 一般的なスーツ姿ではあったが、独特な緊張感のある雰囲気からして軍関係者であるのは明白であるように思えた。

 

「妙高、こちらは陸軍特殊作戦師団の山木(やまき)陽子少佐だ。陸軍における艦娘関連任務の担当をしていらっしゃる。──つまり、あきつ丸とまるゆの直接の上司ということだ」

 

 お世話になっております──と、陸軍少佐は妙高にむかってあらためて丁寧に頭を下げてくる。

 

「当軍所有の不肖の二艦より、妙高さんのことはよく聞き知っております。文武に優れた重巡洋艦で、鎮守府の皆さんからたいへん慕われているとか」

「いえ、そのような……私のほうこそ、おふたりにはいつも助けられております」

 

 この女性が、あきつ丸がよく口にしている『将校殿』なのだろうか──妙高はひそかに訝(いぶか)しんだ。切れ者そうな印象ではあるが、思っていたより年若い。さらに女性であること、少佐という階級を考慮に入れれば、艦娘関連任務は陸軍内でもかなり正道から外れた任務として扱われているのかもしれない。

 

「──例の進攻作戦の件だが、どうやら北、ということになりそうだ」

 

 前触れなく、自然な調子で提督が言った。少佐が鋭い眼を向ける。

 

「北、といいますと……つまり北端ですか? 流氷がやって来るこれからの時期に、という気もしますが」

「中将の情報では、すでに現地の基地はほぼ完成しているらしい。明日の会議次第ではあるが、冬の間に艦娘を基地内へ赴任させ、春から進撃開始というのが首脳陣の描いている画(え)だろう」

 

 なるほど……と少佐は視線を落とし、秀麗な眉をわずかにひそめて思案した。すぐに顔を上げて問う。

 

「それで、その作戦に陸軍が一枚噛める可能性というのは──」

「厳寒海域においては、艦娘の海上展開が十分にできないおそれがある。現地までの艦娘の安全な輸送手段と基地周辺の防備に関して、海軍の戦力だけでは心許ない」

「輸送と、基地防衛ですか……防寒具等の手配については?」

「最小限必要なものはこちらでも調達できるが、外套類や糧食関係はあればあるほどありがたい。上からの支給については、あまり期待できないだろうな」

「ふむ──」

 

 しばらく黙考したのち、失礼──と一礼して少佐は立ち上がり、退室していった。

 舟盛りの刺身に箸を伸ばしはじめた提督に、妙高は尋ねた。

 

「進攻作戦というのは──深海棲艦の拠点攻略ということでしょうか。わが国の北端から?」

「そう、一部では以前から噂でな。深海棲艦の拠点潰しと海域制圧を目的とした、艦娘主体の作戦だ」

「新しく建設された基地に艦娘が赴任する、と」

「流氷で海路が閉ざされている冬の間は、艦娘を籠もらせ防衛させる。長門たちのいる南方の前線基地と似たような状況だな。流氷が開けてから他の鎮守府の攻勢と合わせて進撃開始、うまいこと拠点を落としていければ、一気に北太平洋航路を回復できる可能性もある」

 

 妙高は顔をわずかに伏せ、思案した。

 軍令部が主導する艦娘主体の作戦は初めてのことで、それも新基地を建設する力の入れ具合というのは正直驚きだ。自分たちの働きが認められたということの表れでもあり、もちろん喜ばしくもある。

 その一方で、南方からの深海棲艦の反撃が激化しているこの状況下でか、という思いもあった。鎮守府では疲弊した前線要員の艦娘を入れ替えたばかりで、入渠中の金剛と赤城はいまだ復帰できていない。

 鎮守府にとって実質的な二正面作戦となるのではないか──不安に近い感情が胸の奥に渦巻くのを感じ、妙高は思わず眉をひそめた。

 

「──懸念はわかる」

 

 妙高が顔を上げると、提督は箸を置いてこちらを見ていた。

 

「苦しい状況下で、艦娘たちの負担を増やすことになる。だが、同時に大きなチャンスでもある。戦況そのものに対してもそうだが、艦娘の今後に対してもだ」

「──はい」

「勝ちもせず負けもしない程度の要員を送り込んで、なあなあの結果で済ませる手もあるかもしれないが、そういうのは俺たちの戦いじゃない」

「おっしゃるとおりです。深海棲艦を相手に、そうした馴れ合いめいたやり口が通用するとは思えません」

 

 艤装の力もあって艦娘が深海棲艦に優位をとれている現状では勘違いしかねないことだが、基本的には命のやりとりをしている相手なのだ。油断をすれば轟沈する艦娘を出しかねない。

 提督が頷いた。美味い刺身だ──と小声で言って、妙高にも勧めてくる。

 いただきます、と妙高は箸を取った。

 

「──もうひとつ、私には懸念があるのですが」

「何だ」

「そうした作戦の情報を陸軍の士官に流してしまうというのは、提督の脛に傷を抱えてしまうことになりませんか」

「もう傷だらけさ。ひまさらひとつふたつ増えたところで、そう気にすることもない」

 

 こともなげに提督は言って、笑う。

 

「ま、大丈夫だろう。俺たちはこれからの冬の季節に備えて、知り合いの陸軍士官に防寒装備の無心をしただけだ。輸送やら防備やらで陸軍が協力を申し出てきたとしても、それはあくまで連中が勝手にやってることだ」

「その……つかぬことを伺いますが、こちらの少佐はどのような繋がりで艦娘関係の任務に?」

 

 空席を眼で示して、妙高は尋ねた。

 

「内海中将の伝手(つて)だ。知り合いの教え子だとか聞いたな。とりあえずは信用のできる相手だと思っていい。協力要請なんかで、今後はおまえも直接連絡を取り合うことが多くなるだろう」

「聡明そうな方です」

 

 妙高の言葉に、提督は渋い顔をして頷いた。顔を寄せ、声を潜めるようにして言う。

 

「たしかに頭は切れるし、階級のわりには陸軍内でも顔が広い。──が、少しばかり上昇志向が強すぎる女でな。陸奥あたりとは似た者同士で折り合いが悪いかもしれんから、まずおまえに紹介してみようと思った」

 

 思いがけず間近な顔の距離に胸の奥が高鳴ったが、神妙な顔をつくって妙高は頷く。

 そのとき、部屋の障子がすっと開かれ、少佐が姿を現した。

 

「おや、おふたりで内緒話ですか。このあとのご予定の相談でも?」

 

 提督と妙高は思わず揃って背筋を伸ばしてしまう。にこやかな表情で、少佐が席に腰を下ろした。

 

「軍内の知人数名に、簡単な連絡を入れておきました。明日から早速手配にむけて動けそうです」

「そうか……それは助かる」

「ところで提督、個人的にお願いがあるのですが」

 

 少佐が眼を悪戯っぽく輝かせて、提督を見つめる。

 

「──似た者同士、と言われてしまうと逆に気になってまいりました。喧嘩はいたしませんのでぜひとも後日、陸奥さんのほうにもご紹介を」

 

 提督が天を仰いだ。

 少佐が、妙高に向けて愛嬌たっぷりに片目をつぶってみせる。妙高は微笑んで、小さく頭を下げた。

 

 

 ◇

 

 料亭での会談を兼ねた食事を終え、立体駐車場に戻って元の公用車に乗り換えてから、宿泊予定のホテルへ向かった。

 部屋は出発時に提督が言っていたとおり、別々のシングルルームだった。

 妙高は鏡のついた机の前にある椅子にひとり腰掛け、今日一日の出来事をひとつひとつ思い返していた。

 興奮していた。

 新しい場所に行き、新しく会った人間と挨拶を交わして話をした。仕事として車を運転し、味方に尾行される経験をした。陸軍士官の女性と食事をともにし、今後も連絡を取り合うことを約束した。

 ほぼ丸一日を、提督と一緒に過ごした。

 絶対に忘れることのできない、一日だった。

 明日もまだ大事な仕事がある。このまま寝支度をしてベッドに入ってしまえば、今日という一日を綺麗な記憶にしたまま、締めくくることができるだろう。

 しかし──。

 鏡を見る。

 心細そうな自分の顔が映っていた。

 その顔に、出発前日に見た妹──羽黒の顔が重なった。涙を溜めて妙高をきつく睨んできたその眼が、自分の瞳の中に見えた気がした。

 妙高は唇を噛み、椅子から立ち上がった。

 心は決まっていた。

 スーツの上着を脱ぎ、シャワールームに向かう。

 まずは躰を浄めようと、そう思った。

 

 

 

 

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