※この作品はR-18です。

艦娘抱けるかな   作:狂猫病

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仕事私事(しごとわたくしごと)

 執務室に入ってきた叢雲は、机で仕事をしていた提督を見て眉をひそめた。

 いかにも不愉快そうな口調で言う。

 

「なに──あんたまだ、仕事してたの。榛名さん、ついさっき出かけていったけど」

「出るのは別行動で、街で落ち合うことになっている。最近、門番連中が何かとうるさいんだ」

「門番って、『憲兵』さんたちのこと?」

「ああ。上のほうにご注進されると、あとあと面倒でな」

「でも、いちおう仕事なんでしょ──あんたと榛名さん」

「まあな」

 

 提督は、机の上に広げた書類へ視線を戻しながら答えた。ペンを走らせて署名をしていると、歩み寄ってきた叢雲が大げさに息を吐いた。

 

「ていうか、なに? まだ着替えてもいないじゃない。まさかその制服で行くわけじゃないでしょうね」

「さすがに着替えるさ。スラックスを穿き替えて、適当なジャケットを着るだけだから5分で済む」

 

 ばん、と小さな手が机を叩く。提督が顔を上げると、叢雲は眉をつり上げていた。

 

「もう選んであるの? その適当なジャケットとやらは」

「いや、まだだが──」

「馬鹿。もうちょっと真面目にやんなさい。あんなに洗練されて上品な格好の榛名さんの隣りに、適当な服のあんたが立ってるとか許されることじゃないわ」

「適当ってのは、適切って意味だが」

「屁理屈をこねない。ほら、もうそれはいいから」

 

 叢雲が、提督の手の中のペンを取り上げる。おい──と言いかけた提督に人差し指を立てて制し、それをそのまま提督私室のドアへと向ける。

 

「合わせだけでも私が見てあげるから、ちゃんとした服を着ていって」

「その前にもう少し書類を片付けておきたいんだが。帰りが遅くなるかもしれない」

「いいの、そっちは私が何とかするから。あんたは、いちばん大事な仕事に集中しなさい」

 

 叢雲が提督の手をとり、無理やり立たせてくる。叱りつけるような調子で言った。

 

「──外で一日一緒に過ごすなら、なおさらよ。デート並みにちゃんと気合いを入れて。中途半端なのは許さないんだから」

 

 

 ◇

 

 街の喫茶店で落ち合った榛名を助手席に乗せ、提督は当面の目的地へと車を走らせていた。

 私服姿の榛名は固い表情で、かしこまって座っている。目に見えて緊張している様子だった。

 

「どこに向かっているか、知っているか?」

 

 提督は軽い調子で尋ねた。隣りで榛名が背筋を伸ばす。

 

「いえ──申し訳ありません、存じておりません」

「そう固くならなくていい。つまり陸奥のほうからは、詳しいことを聞いてないんだな」

「非公式の訪問とだけ……なにか、支援者のような方のところへお伺いするのだろうかと考えていたのですが」

「それでほぼ正解だ。どちらかというと、俺たちのほうが支援者側かもしれないが」

「はあ……?」

「ま、着いてのお楽しみだ」

 

 鎮守府があるのとは違う方向の海岸地区への道に、提督は車を乗り入れた。

 道中で軽く世間話をいくつか振ってみたが、榛名の受け答えは固い。初めての鎮守府外の仕事で、かなり気負っているようだった。

 提督は話を続ける。

 

「──ところでその服だが、前に鎮守府にいたときに買ったのか?」

「はい。以前、金剛姉さまと街へ買い物に出た際に、百貨店のお店で。まだあまり着慣れていないのですが」

「大人っぽくていい感じだな。センスがいいと叢雲も言っていた。あいつはファッション警察だから信用できる」

「あ……ありがとうございます」

 

 榛名の声は、少しだけ弾んでいるように聞こえた。

 信号待ちで車が止まる。

 提督がさりげなく見やると、榛名はスカートの裾を気にしていた。黒のタイツを穿いているので全体的には落ち着いた印象にまとまっているが、丈はわずかに膝上だ。

 

「あの……もうちょっと長いスカートがあればよかったのですが、この格好で先方に失礼には、ならないのでしょうか」

「なに、生脚ってわけじゃないから大丈夫だろう。──そのリボンのついたカチューシャも可愛らしくていい」

 

 はっとした様子で榛名は頭に手をやる。

 

「あっ、これも、ちょっと浮ついた感じになってしまって心配だったのですが、陸奥さんが言うには着けていたほうがいいと……大丈夫でしょうか」

「問題ない、問題ない」

「──やっぱり、こんなときのためにスーツを持っておけばよかったと、後悔しています」

「そういうお堅い場所じゃないんだ。気安い格好のほうが、むこうも安心だろう」

 

 信号が青に変わり、提督は車を発進させる。

 

「先日いろいろといただいてしまってな。そのお礼を兼ねた表敬訪問ってだけだ。非公式のものだし、アポなしでもある」

「あぽなし……?」

「アポイントメント、事前連絡ってことだ」

「連絡なしで訪問を?」

「失礼ではあるが、致し方ない。あらかじめ連絡を入れたりしたら、えらいことだ。俺はまあ構わないが、榛名がな」

「はい?」

「行けばわかるさ」

 

 提督は笑いながら、ハンドルを操る。

 

 

 着いた先は、地元の漁港だった。駐車場に車を止め、敷地内にある漁業協同組合の事務所へと向かう。

 受付で非礼を詫びつつ来訪を告げると、奥の部屋から初老の組合長が姿を現した。

 すでに提督とは顔見知りで、驚きつつもにこやかに歓迎してくる。

 艦娘です──と提督が榛名を紹介したところで、集まってきた組合役員や事務員たちを含め、その場の空気は一変した。

 

「艦娘の方……でいらっしゃいましたか! こんなむさ苦しいところまで足をお運びいただきまして。ささ、奥のほうへどうぞ。ただいまお食事もご用意いたしますので」

 

 後退した額に汗の粒を浮かせつつ、組合長はしきりに頭を下げている。

 提督は、どうかお構いなく──と慎重に告げたが、事務所内は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。榛名は目を白黒させている。

 熱烈な歓迎を通り越して、熱狂的な崇拝である。

 今朝がた水揚げされたばかりだという魚の刺身と、近所の店へ大慌てで走った事務員が注文したらしい握り寿司を振る舞われたのち、小一時間ほど歓談してから外へ出た。

 

 事務所の外には、人だかりができていた。

 ほとんどが港に偶然居合わせた漁師たちのようだったが、どこにこれほどの数が──と驚くほどだ。

 呆然としている榛名にむかって、最前列のいかにも年季の入った漁師らしい格好の老人が、手拭いを外して頭を下げる。周囲もそれにならい、それぞれ帽子やタオルなどを取って頭を下げた。

 

「今年の秋刀魚(さんま)漁でも、ほんとうに世話になった──」

 

 老年の漁師は、しわがれた声で言う。

 

「──おかげさんでここいらでは、今年は一隻も深海棲艦に沈められることがねえかった。街の連中やマスコミの中には恩知らずもおるらしいが、俺ら漁師はみんな、あんたらに感謝してる。嬢ちゃんがたは、俺らにとっての救いの神さまで、護りの女神さまだ」

 

 周囲の男たちが神妙な表情で頷く。

 榛名は返す言葉もなく、ただ立ちつくすのみだった。

 あのう──と、提督たちの傍らにいた年若い漁師風の男が話しかけてくる。高校を出たばかりぐらいか、あるいは在学中であってもおかしくない年頃に見えた。

 若者は頭を下げ、遠慮がちな上目遣いで榛名にむかって言う。

 

「──よかったらなんですけど、握手、してもらえませんか」

 

 この馬鹿野郎──と叱責する声が、即座に周囲から飛んだ。若者は慌てて首を縮めた。

 問うように見上げてきた榛名に、提督は頷きを返した。

 榛名はその年若い漁師に歩み寄り、その手を丁寧に両手で握った。

 まだあどけなさの残る顔が、輝いた。周囲の漁師たちがざわめき、お互いに顔を見合わせている。

 すいません、よかったら俺も──と差し出されてくる手があった。榛名は笑顔で、快く応じた。

 次々と、手が差し出されてくる。

 若い漁師を叱責した漁師までもが、恥ずかしそうにごつい手を差し出してきた。

 差し出されてくる多くが、ささくれ立って荒れた手だった。

 榛名は、その場にいた全員と握手することになった。

 

 

 見送る人々の姿が見えなくなるあたりまで車が進んだところで、榛名が小さく息をついた。提督は笑って問う。

 

「疲れたか」

「あ、いえ……そういうわけでは。あんなに多くの方々に接することができたのは初めてで、驚いてしまって」

 

 榛名は、後方を気にするようにしながら言った。提督は正面を見たまま言う。

 

「漁業関係の方からは、艦娘への感謝を何らかのかたちで伝えたいと、以前から何度も話をいただいていた。感謝祭だとか懇親会だとか具体的な提案もあったが、管理上の問題があって実現しなかった」

「それでは……このお役目、なおさら榛名でよかったのでしょうか? あまり漁船護衛の任務には参加したことがなかったので、あのようにお礼を言われるのにはどこか気が咎めます」

「そういうのもまた、秘書艦の仕事ってことだろうな。艦娘たちの代表というわけだ」

「あ……」

 

 榛名が姿勢を正す。提督は頷いて言った。

 

「こういうのは初めてで大変だったろうが、いい仕事ぶりだった。俺も、榛名に感謝している」

「いいえ──こちらこそ、ありがとうございます。素晴らしい体験をさせていただきました」

 

 榛名が頭を下げる。

 提督は、言葉の調子を変えて言った。

 

「さてと──ではこのあと、どうするかだな。行きたいところはあるか?」

「行きたいところ?」

「そう、これでもう今日の仕事は終わりだからな」

「えっ……」

 

 榛名が驚いて見つめてくる。提督は笑みを浮かべて言った。

 

「教えていないで悪かったが、あとはずっと自由時間だ。もちろん、空気の読めない深海棲艦が押し寄せてこなければ、だが」

「それは、いいのでしょうか……? 私たちがふたりとも、鎮守府を離れていて」

「たまにはいいだろう。今はだいぶ状況が落ち着いてきたし、陸奥や叢雲もいる。榛名は秘書艦業務が忙しくて、あまり休みをとれていなかっただろう?」

「え、ええ……まあ。でも、榛名は見習いの立場ですので」

「もう一人前だ──で、行きたい場所は?」

 

 榛名の答えはない。

 横目で見てみると、顔を紅潮させて固まっている。

 しばらくは適当に車を走らせておくか──と、提督は内心で苦笑していた。その瞬間、ふと思いついたことがあった。

 

「そういえば、スーツを持っていないと言っていたな」

「え? あ、ええ……こういう外でのお仕事をすることになるとは、思っていなかったので」

「少し遠くだが、ちょっとした知り合いがやっている女性用スーツの店があるんだ。見つくろいに行ってみるか」

 

 榛名が息を呑む。返事を待たずに、提督は続けて問うた。

 

「ちなみに榛名は、電車は好きか?」

「え?」

 

 困惑した榛名の顔をちらりと眺めて、提督は微笑む。

 

 

 ◇

 

 叢雲は、暇をもてあましていた。

 空席の執務机をぼんやりと眺める。

 朝には坦々(たんたん)とこなすつもりでいたのだが、書類仕事があらかた片付いてしまって暇な時間ができると、どうしても余計なことを考えてしまう。

 奥の提督私室のドアに視線を向け、今日幾度目かになる溜息をついて目を閉じた。

 

「ノックノック」

 

 唐突な声に、叢雲はビクリと背筋を伸ばした。入り口の方向へ顔を向ける。

 扉に寄りかかるようにして、陸奥が立っていた。口もとに微笑を浮かべている。

 

「考えごとのお邪魔をしたかしら?」

「……いえ、ちょっと暇で眠くなっちゃって。何かご用ですか」

「ご用ってほどの用でもないけど」

 

 軽い足取りで陸奥がやって来る。

 

「──司令室のほうも、加賀が頑張っちゃうから暇で暇で。ちょっとこちらの様子見がてら、貴女とお喋りでもしようかなって。構わないかしら?」

「どうぞ。退屈してたんで、助かります」

「ありがと」

 

 陸奥は叢雲の前を通り過ぎ、執務机をまわった。提督用の椅子に、遠慮するそぶりをまったく見せずに腰を下ろす。

 座った際に、よいしょ──と小声で言ったのを聞きとめて、叢雲は小さく吹き出した。

 

「え、なに」

「いや──陸奥さんらしくないですよ。座るときによいしょ、なんて」

 

 笑って告げると、陸奥は目を見開き、すぐにつられたように笑いだした。

 

「やぁだ、そんなの聞かないでよ。お婆ちゃんだってバレちゃう」

「なに言ってるんですか、陸奥さんはバリバリ輝いてますってば。まさに女盛り、超女盛りです」

「『超』ってことは、もう盛りが過ぎちゃってない?」

「あ、そうか」

 

 おどけて、叢雲は口もとを押さえた。

 ふたり揃って、けらけらと笑い合う。

 叢雲は、意外な心持ちがした。

 業務や任務以外で、陸奥とはあまり話したことがない。常ににこやかだが隙のない雰囲気で、艦種の違いもあって壁のようなものを感じてもいた。

 だが、こうやって冗談を言って笑い合っていると、プライベートでなら意外とすぐにうち解けられそうに思えた。

 陸奥は機嫌よさそうに、提督用の椅子へと躰を預ける。しみじみとした様子で、深い溜息を中空に吐いた。

 

「──この椅子、本当に座り心地がいいのよねえ。そんなに高級品でもないけど、鎮守府内でいちばんだわ。自分で買うほどじゃないけど」

「強請(ねだ)れば、案外くれるんじゃないですか? あいつって、あんまり物欲なさそうだし」

「だめだめ、そういうところ、私には厳しいのよ。『馬鹿言うな』とか『自分で買え』で終わり。叢雲が可愛くお願いしたほうが望みがありそうだけど?」

「私も難しいと思いますよ。なんか『成果を上げれば』、みたいな交換条件出してきそう」

「あ、わかるわ。そういう小狡さがあるのよね、あの男。甘い艦娘には、とことん甘くするようなところもあるんだけど」

 

 そう言って視線を向けられ、叢雲は頷いた。

 

「そうなんですよね──欲しいなんてぜったい言い出さないだろうけど、榛名さんあたりにお願いされたらあっさりあげちゃいそうかも」

 

 なんとなく榛名の名前を挙げていた。

 陸奥がわずかに目を細める。

 

「そう、まさにそういうタイプに弱そうよね。素直で正直でまっすぐなタイプに」

「ですよね……」

 

 叢雲は、さざめくものを感じた。

 自分が素直なタイプではない、ということは以前から意識していたことだ。

 だが、いま引っかかっているのはそれ以外の何かだった。

 小骨が刺さるかのように、胸の奥が痛んだ。

 そのことをあまり直視したくなくて、叢雲はなんとなく机の上のボールペンを指先で弾いて転がした。

 陸奥が、右の手首を返して内側を見る。小さくて綺麗な腕時計をしていた。

 

「そろそろ、むこうの仕事も終わったころかしら」

「むこうって」

「だから、榛名と提督」

 

 叢雲は一瞬言葉に詰まったが、平静をよそおって言った。

 

「えっと……帰りは遅くなるかも、って言ってましたけど」

「そうね。仕事のほうはどんなに手間取っても、今ぐらいの時刻には終わってるはずだわ。だからあとは、ふたりの自由時間」

「へえ……」

 

 そうだったのか──と叢雲は内心で納得する。どうりであの男が終始、気まずそうな表情をしていたわけだ。

 陸奥が脚を組みながら言った。

 

「提督も榛名もここ最近、あんまり休めてなさそうだったから、ちょっと羽でも伸ばしてきなさいよって言ったの。ま、いろいろと都合もよさそうだし」

「陸奥さんが勧めたんですか」

「うん、そうよ」

 

 叢雲は黙った。

 デート並みに気合を入れろとは言ったが、本当にデートだとは想像していなかった。

 

 ──それならそうと言えばいいのに、あの馬鹿。

 

 小さな苛立ちに似た何かが胸中で渦巻くのを、叢雲は感じていた。

 陸奥が、座ったまま上体を傾けて叢雲を覗き込んでくる。

 

「どう思う?」

「なにが、です」

「貴女は、榛名が提督と外でデートしていることを、不平等だと感じている?」

 

 叢雲は、陸奥を見た。叢雲の内心を透かして観察してくるような、冷徹な眼をしていた。

 しばらく見つめ合ったあと、叢雲は目を閉じた。深呼吸して気持ちを落ち着け、言う。

 

「──不平等だとは、思いません。榛名さんは正式に秘書艦なんだから、司令官に同行するのは当然です。それにふたりがあまり休みをとれていないことは私も感じていましたから、いい機会じゃないかと思います」

 

 ふうん、と陸奥が鼻を鳴らす。何か面白がっているような雰囲気を、叢雲は感じた。

 

「じゃあ、羨ましいとも思わない?」

「外でデートできて、っていうことをですか」

「うん」

「それはちょっとは……思いますけど」

 

 仕方なく、叢雲は認めた。

 口先で嘘をつくことは簡単ではあるが、叢雲と提督が躰の関係をもったことを陸奥は知っているような気がしていた。

 艦娘と性的な繋がりをもたざるをえない事情が提督にはあり、そこに陸奥が深く関わっているであろうことは、さまざまな状況や様子から明らかだった。

 こんなところで強がったって意味はない──叢雲はそう思った。

 陸奥が少しだけ表情をやわらかくし、上体を戻した。長い脚を優雅に組みなおす。

 

「貴女ってやっぱり優等生だわ。なんだかんだで吹雪の妹ね。外見は全然似てないのに」

 

 言葉の意味がわからない──叢雲は溜息をついた。

 

「陸奥さんはいったい、何がしたいんですか」

「それって、かなり核心的な問いね。──私はいったい、何がしたいんだろう?」

 

 ふざけているのかと思って見ると、陸奥はそれなりに真剣な面持ちで執務机に頬杖をついていた。考え込んでいる。

 叢雲は言った。

 

「陸奥さんは、鎮守府のことを考えて行動する艦娘だと思ってました」

「それは、そのとおりよ」

「それなら、さっきの質問は何なんです? なんだか挑発というか煽りめいてましたよ。あれで私が、そうだ、不平等だ、って具合に吹き上がったら、鎮守府崩壊にも繋がりかねないと思いますけど」

「貴女の性格上、そういうふうにはならないでしょ」

「じゃあなんで、訊いたんですか」

「知りたかったから。貴女がどういう反応をするのか、どういう眼をするのか」

 

 悪びれもせずに陸奥は言う。叢雲は額を押さえた。

 

「どういう趣味なんですか、それ」

「個人的な趣味でもあるけど、いちおう仕事よ」

「そうしろって、あいつが頼んだ?」

「いいえ、私が自分で自分に課している仕事なの」

 

 陸奥は叢雲をまっすぐに見つめて言う。

 

「私は知らなくちゃならない──私たちが何者かってことを」

 

 

 ◇

 

 初めて乗る電車に、榛名は興奮しているようだった。

 提督は先頭の車両を選んで乗った。平日の昼間ということもあって席はかなり空いていたが、あえて運転席近くに立つことにした。

 子供のように眼を輝かせた榛名が、運転席の様子をかぶりつきで見ている。

 若い運転士は気づかぬふりをしてくれているようだったが、さすがにここまで張りつかれていると仕事がやりにくいだろう。遮光幕を下ろさないでいるのは、そういう規則があるからなのか、あるいは人が好いだけなのか。

 提督は苦笑し、やんわりと榛名に注意した。

 慌てた榛名は躰ごと向きを変えて、運転席から視線をそらす。それでも気になって仕方ないのか、ときおりチラチラと眼を動かしているのが可愛らしかった。

 

「電車は気に入ったか」

 

 提督が尋ねると、榛名は力強く頷いた。

 

「はい、大好きです」

「乗ったことがないのは意外だった」

「お買い物なんかには、金剛姉さまや霧島が車を運転してくれていましたから。ひとりで出かけるときにはだいたいバスで、遠くに行くことがなかったんです」

 

 バスとは、鎮守府の入り口にある警備所──いわゆる『憲兵』たちの詰所から、海軍が鎮守府のために独自に運行している定期バスのことだ。

 一日の運行本数は少ないものの、車両そのものやアナウンスは民間の路線バスと変わらないように偽装されている。市街地に入ってからは実際に一般客も乗車させているのだが、先客が艦娘であると気づかれるようなことはそうそうないだろう。

 榛名がふと、首を傾げて尋ねてくる。

 

「そのスーツのお店には、電車でないと行けないのですか?」

「いや、そんなことはない。ショッピングモールの中にあるから、大きな駐車場もある」

「ではなぜ、こちらに乗り換えられたのですか?」

 

 提督は榛名を見た。

 

「なんとなくな。榛名はこっちのほうが気に入るんじゃないかと思った」

「どうしてです?」

「前に、クレーンが好きだと言っていただろう。そういう乗り物系が好きなのかとな」

 

 榛名は驚いたようだった。

 

「え──言いましたか、そのようなことを、提督に……?」

「直接じゃない。かなり前だが執務室でお前たち姉妹がお喋りをしていたときに、聞こえてきたんだ」

「あ、お茶会のときに……お恥ずかしいかぎりです」

 

 赤面して榛名はうつむく。

 以前はよく金剛型姉妹で休憩を揃えて、なぜか執務室でお茶会が開かれていたものだった。執務室には、金剛が勝手に持ち込んだテーブルが今も置かれている。

 提督は笑って言った。

 

「べつに恥ずかしがるようなことでもない。どうしてクレーンが好きなんだ?」

「変……でしょうか」

「変じゃないさ。だがどちらかというと、男の子の趣味って感じではある。少し意外だった」

 

 ロマンを感じます──と、言っていた榛名の声が頭に残っていた。姉妹たちからの強い同意は得られていなかったようだったが。

 

「俺が思うに、『前世』のことが関係してるんじゃないか。榛名は港のクレーンが見えるところに、かなり長いこと停泊させられていただろう?」

「ああ──言われてみればたしかに、そんな記憶はあります」

「それで、大型機械みたいのが好きになったんじゃないかと思ったんだが」

「どう……なんでしょう」

 

 榛名は提督を見て、首を傾げる。まっすぐな瞳に見つめられて、提督はわずかに息苦しさに似たものを覚えた。

 

「どちらかというと……大きな機械そのものが好き、というわけでもないような気がします」

「ほう」

 

 提督は表情で先を促した。榛名は遠い眼で、流れていく外の景色を見やった。

 

「たぶんですけど、榛名は、誰かが働いている姿が好きなだけだと思うんです。先ほども漁港で、帰りには皆さん集まってこられちゃいましたけど、建物に入る前には船のところで働いている方々の姿が見えました」

 

 提督は頷く。

 漁港としてはもう遅い時間帯だったが、漁船のあたりにはたしかに漁師たちが作業している姿があった。おそらくは、次の漁の支度や船の手入れをしていたのだろう。

 

「ああした光景が、とても美しいものだと感じるんです。誰かのため、あるいは自分自身のために、するべきことを真剣にしている──その姿が尊いものだというのは、人でも機械でも、榛名には同じことのように思えて」

 

 提督は、榛名の整った横顔を見つめる。間近で見るとその整い方は尋常のものではないが、不思議に暖かみがある。

 

「でもそうやって一生懸命やっている人も機械も、その苦労や価値が必ずしも周囲に理解されているとはかぎらないと思うんです。あんなに重いものを支えているのに、傘もささずに雨風にさらされているのに、その頑張りや成果が多くの人に理解されているように思えなくて、だから──」

 

 榛名は横目で提督を見て、すぐにうつむいてしまった。ほんのわずかだけ、その頬が色づいているように見えた。

 

「──だから、言ってあげたいんです。よく頑張ったね、って。あなたの頑張りは、私が知っていました、見ていましたよ、って。それで──その苦労に少しでも寄り添ってあげることができたら、榛名はすごく幸せだな、って……」

 

 榛名は、そのままじっとうつむいたままでいた。

 暖かい気持ちにもなったが、なぜだかいっそうの息苦しさを提督は覚えて、窓の外を見やる。

 

 

 ◇

 

 榛名が嬉しそうに、手に持った紙片を眺めている。

 採寸と各種手続きが終わって渡されていた、スーツの予約票だ。店を出てからもう何度もバッグから取り出しては、広げて見つめている。

 提督は呆れ気味に言った。

 

「そんなに確かめなくても、服はどこにも逃げやしない。予約はデジタルでもできているから、それは無くしたって問題ないと店員も言っていただろう」

 

 顔を上げた榛名は少し照れているようにも見えたが、曇りない笑顔を向けてくる。

 

「ええ。でも、嬉しくて何度も見ちゃうんです。これは、榛名の初めてですから」

「まあ……初めてのスーツがそれなりに嬉しいものであるのは、わからんでもない。自分の給料で買ったとなればなおさらだ」

 

 提督はテーブルに頬杖をついて言った。

 仕事でも使うだろうから金は出す──と申し出たのだが、榛名は頑なに自分で払いたいと主張したのだった。

 記念にもなるのだから自分ひとりのお金で──という言葉に、提督は仕方なく折れた。

 採寸して、細かいデザイン調整までも可能だったが、すべて手作りのフルオーダーではなく、既存の型紙を利用するイージーオーダーという発注形式だった。受注生産とはいえ比較的安価なので、艦娘の給与であれば高すぎる買い物というほどでもない。

 紙を丁寧に折りたたんで大事そうにバッグにしまう榛名を眺めながら、提督はビニール製のベンチシートに深くもたれた。

 スーツの店と同じモール内にあるファミリーレストランに、夕食のために訪れていた。

 時間帯もあって、店内は家族連れや若い男女などでそれなりに混み合っている。もっと静かそうで高級な店も近くにあったが、今日の榛名はこういった賑やかな雰囲気のほうが喜びそうな気がしていた。

 すでに注文は終え、食事が運ばれてくるのを待っている。混み合っているので少しお時間をいただくかもしれません──と、注文をとった小柄な女性店員からすまなそうに告げられていた。

 榛名が『大丈夫です、いっぱいお喋りをして待っていますから』と笑顔で応じ、その店員は目を丸くして驚いていた。

 提督は言う。

 

「せっかくのスーツだが、今日みたいに外に出る仕事はそれほど多いわけじゃない。あまり着る機会はないかもしれないぞ」

「全然、大丈夫です。それならお部屋で着て楽しみますので」

「あの秘書艦用の小部屋でか」

 

 提督は失笑した。あの狭い部屋でひとりスーツを着て悦に入っている榛名を想像すると、微笑ましいものがある。

 榛名も笑って頷いていたが、ふと少し引き締めた顔つきになって言った。

 

「あの、提督──以前からお伺いしたかったのですが」

「何だ」

「榛名はどうして、秘書艦にしていただけたのでしょうか。今でもなにか夢の中にいるようで、あまり現実感がないのですが」

 

 提督は肩をすくめた。

 

「希望をとっただろう? 司令室での艦隊指揮と秘書艦業務と、どちらがいいか。加賀は艦隊指揮を希望したし、榛名は──」

「はい。榛名は秘書艦を希望しました」

 

 まっすぐに提督を見ながら、榛名は頷いて言う。

 

「──しかし、希望したからなれるものとは思ってもいませんでした。秘書艦は重要なお仕事ですし、榛名は叢雲さんのように吹雪さんのお手伝いをしていた経験があったわけでもありませんから。──なにか仕事上の都合とは別のお考えがあって、このような配置がなされたのかなと、そんなふうにも考えたことがありました」

 

 提督は思案する。

 榛名の言うとおり、加賀も含めたふたりの人事には、単純な能力や人手以外に別の要素が絡んでいた。

 最も大きな要素は、近いうちに出渠してくる金剛と赤城を中心とした、鎮守府内でのパワーバランスの問題だった。これは戦艦と空母という大型艦種間でのパワーバランスも絡んでいるうえに、大規模な作戦準備を進めている現状もあり、複雑な部分がある。

 さらに大きな理由として、ストレス値問題がある。

 前線から帰還した艦娘たちのストレス値は不明だが、提督たちが進めている『対処』に対するリアクションが予想できない。

 今後予想される困難な状況に対応するため、金剛や赤城の副艦的な立ち位置の榛名や加賀はあらかじめ味方につけておきたかった。

 陸奥による底意地の悪い言い方を借りれば、秘書艦という役職はそのための『餌』である、という側面もあった。

 提督は溜息をついた。

 

「今はまだ、いろいろと複雑な事情がある──としか説明できない」

「はい」

「だが榛名を秘書艦に任命したのは、そうした事情絡みの思惑ばかりからでもない。今日一緒に行動してみて、あらためてそれがよくわかった」

 

 榛名がまばたきする。提督は続けて言った。

 

「秘書艦というのは、間違いなく日陰の仕事だ。艦娘として華々しく海を駆ける機会は減り、戦果を挙げて称賛されることもなくなる。だがそうやって裏方にまわる役割がなければ、最前線を支えることはできない。そうだろう?」

「──はい」

「そういった日陰の仕事の重要性をわかってくれる艦娘でなければ、秘書艦を任せることはできなかった。そして今日、俺が予想していたよりもずっと深いところで、榛名はそれを理解していると実感することができた。榛名であれば──きっと大丈夫だと、秘書艦を立派に務め上げることができると、俺は思っている」

 

 感極まったように、榛名は目を見開いていた。

 提督は唇をわずかに噛んで視線をそらした。

 この言葉には、嘘はなかった。

 だが同時に、言わずにおこうとしている別の事情があることも事実だった。

 どこまでもまっすぐな榛名に比して、自分がひどく卑小な存在になってしまったかのような思いが提督を捉えていた。

 テーブルの並んだ通路の先に、こちらに向かってくる例の小柄な店員の姿が見えた。両手に、提督たちが注文した料理の皿を持っている。

 提督は葛藤を振り払うようにして、つとめて明るく言った。

 

「──さあ、そろそろ飯が来るぞ。堅い話は抜きにして、まずは食欲を満たそう」

 

 

 ◇

 

 夕食を終えて、ショッピングモールを出た。

 夜の街だった。

 平日の夜だがそれなりの人通りがある繁華街を、提督はゆっくりと歩いた。

 榛名は歩調を合わせて、すぐ横を歩いている。

 夜の灯(ひ)に照らされて、榛名の美しさは艶のある煌めきを帯びてきていた。

 提督はひそかに、片手の拳を握りしめた。

 今日の、最後の仕事が残っている。

 

 ──中途半端は許されない、か。

 

 執務室での、叢雲の言葉を思い出していた。

 意を決した。

 榛名の手をとって、握る。

 顔を見ることはできなかった。

 柔らかでしっとりとした手が、提督の手を握り返してくる。

 その手を引きながら、歩調を少し速めて通りを進む。

 極彩色の、いかにもな装飾の施された建物が目につく界隈にまで来ていた。

 周囲より少しだけ高級感のある背の高いホテルの前で、提督は立ち止まった。

 振り返って言う。

 

「断ってくれても構わない。これは、秘書艦の仕事というわけじゃない」

 

 榛名は真剣な眼差しで提督を見上げ、首を振った。

 

「いえ──榛名でよろしければ、喜んでお伴(とも)いたします」

「どういう場所なのかは、わかっているな」

「はい」

 

 榛名が躰を寄せ、腕を絡めてきた。服を隔てて、提督の二の腕に柔らかな感触が押しつけられる。

 

「──ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」

 

 提督は頷き、建物の中へと歩を進めた。

 

 

 

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