「そういえば、お母さんが比企谷くんの顔が見たいって」
恥ずかしがり屋な太陽が灰色の雲に隠れた寒い日の昼下がり。
俺は呼び出されたままに訪れた喫茶店で、口に含んだモンブランケーキを思わず吹き出しそうになってしまった。
その原因は目の前に座るバカ女の発言だ。
「…っ、そ、そうっすか。それじゃあプリクラでも渡しておいてください。ほら、瞳が綺麗に修正された奴があるでしょ?」
バカ女ことバカのんは、ムスッとした顔で頬を膨らましながら、俺の事をやんわりと睨みつける。
この表情はアレだ。
本当に少し怒ってるけど、自分からは恥ずかしくて強気に言い出せない表情だ。
なんだかんだ、付き合い出してからは素直に彼女の事を理解できるようになっているのだ。
「…分かってるでしょ」
「理解しかねますね。…少なくとも、まだママのんに会うのは時期尚早かと…」
「だってバレちゃったんだもん」
「…バレた?」
「うん。ハウスキーパーの人に、比企谷くんから貰ったマフラーが見つかっちゃって」
「あげてないですけど…」
「それを受け取ったお母さんが、これは誰の?って。はぁ、オナニーした後にマフラーを置いたままにしていた自分を恨むわ」
何を人のマフラー使ってナニしちゃってくれてんの?
なんて突っ込む気にもならずに、俺は存分に呆れた溜息を吐きながら、ショボンとした彼女の頭を優しく撫でてやる。
「…バレちゃったのなら仕方が無いですね」
「ぁぅ…、ひ、比企谷くん…」
俺は雪ノ下さんの頭から手を離し、素早く帰り支度をする。
「別れましょう。俺はまだママのんに存在を消されたくありませんので」
「だめよ!見捨てないで!!私を見捨てないでよ!!あんな事までしておいて、飽きたらポイなんて卑怯よ!!」
「は、離せ!俺たちは利害関係で成り立つ関係だったでしょう!今や、あなたは俺にとって害悪でしかない!!」
「酷い!酷いことを言ったわこの人!!私を愛してると言ったじゃない!!」
「言ってねえよ!」
お客様っ!と、店員が止めに入るまで、雪ノ下さんは俺の腹部へ必死にしがみつき、俺はそれを引き離すべく頭を押さえつけていた。
それはもう修羅場と形容するに事足りる出来事で、周りの客から浴びせられる冷ややかで殺意のある視線は全て俺へと向けられている。
くそっ!
おまえらは何も知らないから俺を悪者と決めつけるんだ!
そんなの本物じゃねえよ!!
「はぁはぁ…、ちっ。…で?俺にどうしろと?」
「はぁはぁ。だ、だから、さっきも言ったじゃない。お母さんに会って」
「…会ってどうするんです。来月から大学生になるとは言え、俺は社会的には何の力も無い、ただの好青年でしかないんですよ?」
「ぅぅ、い、いつもみたいに助けてくれればいいじゃない」
「助けてもらいたいのは俺なんですけど」
いつもみたいに助けてよ、なんて弱々しく言う雪ノ下さんは、口をとんがらしながら「雪乃ちゃんのことはいっぱい助けてるくせに…」と呟いた。
…おまえは助けを求めるキャラじゃないだろ。
機嫌を損ねられても面倒なので、俺はモンブランケーキをフォークに刺し、雪ノ下さんに差し出す。
「…あーん」
「ん!おいひいっ!」
「…さすがに、家庭の事情を土足で掻き回すようなことは出来ません。…だけど…」
「んぐんぐ」
「顔を見せるくらいなら…、別に構いませんよ」
「んぐっ!!さすヒキ!比企谷くん愛してるー!」
さすが比企谷様ですわ!と、妹の方なら似合いそうなセリフを叫びながら、雪ノ下さんは再度あーんを求めて口を開けた。
あぁ、はるのんよ。俺は今、無性にマテリアルバーストをぶっ放したい気分だよ。
「…はぁ。はい、あーん」
「あーん!」
憎たらしい程に幸せそうな笑顔を浮かべて、可愛らしく頬を緩ませる姿は見惚れそうになる。
喜んだり、怒ったり、不安になったり、泣きそうになったりと大変な人だ。
「んぐっ。んっ、んぅ〜。えへへ、ごっくんしちゃった」
「……八幡的にポイント低いです」
.
…
……
………
で、何度か外からは見た事がある雪ノ下家に来たわけだが、広い敷地に建てられた立派な家と、並んだ黒塗りのリムジンに恐縮してしまう。
思わず門から玄関へと続く道で足が竦むのも俺だけではないだろう。
「緊張してるの?」
そんな俺の心情を察したのか、俺の手を引くはるのんが心配そうに振り向いた。
「…はい。今にも吐きそうです」
「うん。結婚の挨拶で緊張しない人は居ないよね」
「結婚の挨拶じゃないですから」
「でも安心してよ。今日はお母さんの機嫌も良いし」
「結婚の挨拶じゃないからな?」
「今度はお父さんも居る時に…、ね?」
「結婚の挨拶じゃねえって言ってんだろ」
あぁ…、どうしたもんかな…。
ママのんは一度しか見た事ないけど、きっと平気で俺みたいな庶民をクズだと切り捨てる人だ。
利用価値の有る無しだけで人間の分別を行うようなクソ人間に決まってる。
あー、やばいよなー。
俺みたいなクズ代表が雪ノ下さんと付き合ってるだなんて…。
…いや待て?
ママのんに俺のんとはるのんの交際をキッパリ断ってもらえば、角が立つ事なく別れることが出来る…。
そうなれば俺の平穏な堕落生活な戻ってくるわけだ…。
…ふむ。
逆境こそ最大のチャンスとはこの事か…。
「…へへ。ママのんは貧乏神を払えて、俺は悪魔を払える。…まさにwin-win!!」
「貧乏神?悪魔?何の話しをしているの?桃鉄?」
算段が立ったのと同時に、0から産み出す真理の扉は開かれた。
雪ノ下さんによって開けられた玄関を潜ると、どこかヨーロッパ調な雰囲気を醸し出すウェルカムスペースが俺を迎える。
「ほい、スリッパ」
「…?」
置かれたスリッパは、つま先に猫のぬいぐるみがあしらわれたファンシーな物だ。
コレ、雪ノ下に俺と由比ヶ浜でプレゼンした奴じゃん。
されども、出されたスリッパを変えろとは言えず、なんとも履き心地の悪い猫さんスリッパに足を通した。
「そのスリッパは私が雪乃ちゃんのマンションから盗んできた奴だよ」
「おまえ妹の私物を盗むなよな」
「だって私の彼氏が渡したプレゼントを置いておくわけにはいかないじゃない」
へへ、と笑う彼女の頭を叩きながら長い廊下を歩き続ける。
それにしても本当に長い廊下だな。
ラスボスが待ち受ける部屋って何でこうも前置きが長いかねえ。
初代ポケモンの四天王からワタルの部屋に行く廊下も謎に長かったしな。
「…じゃ、準備は良い?」
今更ダメですって言っても引き返せないだろう。
それならば早々に腹を括った方が楽で良い。
俺が首をクイッと動かすと、雪ノ下さんはリビングへと続く扉を静かに開けた。
「お母さん、お待たせ。比企谷くんが来てくれたよ。お土産も何も持たずに手ぶらで来てくれたよ」
「おまえが手ぶらで良いって言ったんだろうが!!い、いや、ママのん…、じゃねえや、雪ノ下さんのお母さん!お土産ならあります!コレ、つまらないものですが!!」
「マッ缶!?き、きみ、ポケットにマッ缶をいつも入れているの?」
そんな彼女の質問を無視し、俺は姿勢を正して一度頭を下げる。
大きなソファーに腰を下ろした雪ノ下家のお母さんは、以前に見た時と同様に綺麗な着物を着込んでいた。
本当に、二児の母とは思えない見た目の若さと、磨かれた自然な美しさ。
この親にして娘有りだな。
見た目が似てるってんなら性格も似てるはずだ。
雪ノ下のキツ目な性格とか、きっとこの人譲りだろう。
「あなたが…」
ママのんはそっとソファーから立ち上がると、優しい笑顔を浮かべて俺みたいなクソ人間に深くお辞儀をしてくれた。
その自然な動作は、雪ノ下が奉仕部の部室で見せていたモノを思い出させる。
「ようこそ、比企谷さん。陽乃に話は聞いているわ」
な、何を聞いているのかな…。
「雪乃に飽きて、陽乃にくら替えしたんですってね?」
はるのんマジ後で泣かす。