「ねえねえ比企谷くん!」
「はい?」
そう言って、人の顔を被った可愛い悪魔が俺の耳元に顔を寄せる。
何をするんだ?と思いきや、彼女は口を開いて……
「E231系のドアの開閉音。しゅーぷすーーっ。…どう?似てるでしょ?」
「……」
似てるかどうかと聞かれたら…、まぁ似てる。
ちなみにE231系とは総武線で使用されてる車両のことだが、雪ノ下さんがなぜ
謎だが、謎解きはディナーの後で…。
この場でそのボケにツッコミを入れる気にもなれないしな。
と、言うのも、今俺たちが居るのは麻布にある有名ホテルの最上階。
それもウン万のコース料理を振る舞う高級レストランの窓際席だ。
窓の外には都心が作る夜景が映える。
「へへ、嬉しくってテンションが上がってしまったよ」
「…夜飯くらいでテンション上げないでくださいよ」
「違うし!比企谷くんと一緒に居れて嬉しいの!」
さいですか…。
まぁ、その笑顔を見てたらこっちも嬉くなりますけど…。
「それにしても、ここ高かったんじゃない?」
「…そうでもないっすよ」
メニューにある1500円のコーラには泡を吹き出しかけた。
150円のコーラが1500円、つまりは日頃の俺が過ごす世界とは単価が10倍も違うのだ。
そんな店で、バイトもしていない高校生がディナーの予約が取れるわけもない。
「ふふん、比企谷くんの愛が伝わるよ」
「何よりですね」
「愛してるー!」
もしかしたら、雪ノ下さんは自分のために俺が無理して高級ディナーを予約した、とでも思っているのかもしれない。
そう思うと心が痛い…。
このディナーを予約して、金を払ってくれたのは他でもない、
事の顛末はこうだ…
……
…
.
.
『あの、比企谷さん…』
『はい?』
『…こ、今度の土曜日に約束していたディナーなのだけど…、急に予定が入ってしまって…くっ』
『…あの、そんな歯を食いしばらなくても…』
『忌々しい会合が…っ。行きたくないの!私は比企谷さんとのディナーを優先させたいのだけれど…っ、ぅぅ…』
『ま、ママのん…』
『ごめんなさい…。あの、ディナーの席はキャンセルしていないから、妹さんでも連れて行ってあげて。ね?妹さんと行って?』
『あ、はい…』
『妹さんと行くのよ?絶対だからね!?』
『……』
『妹さんしか連れていっちゃダメだからね!?』
だからねーーー
からねーー
ねーー
ーー
.
…
……
あの必死さはなんだったんだろう。
でもまぁ、折角なのでと小町に聞いて見たが、生憎その日は他用で無理だと。
だから、仕方無しに目の前で頬を綻ばせる彼女を誘った次第です。はい。
「ん〜。このデザート美味しいぃ〜」
雪ノ下さんはデザートを食べるや頬に手をやり美味しいと連呼する。
なんだか少しあざとい…。
でも可愛い。
「はい、比企谷くん。あーん」
「…あーん」
「おろ。素直だ…」
そう言って、雪ノ下さんが差し出したフォークに食いつくと、それを仕向けた当の本人が目を丸くして驚いた。
「彼氏なら、これくらい普通でしょ?」
「ぁぅ…、そ、そうだね。私達、恋人同士だもんね…」
「…はは。照れてる…」
「うぅ…、照れてないよ!」
照れてないと言う割には顔が赤い。
それはテーブルの真ん中に置かれたロウソクが原因ではない。
ふと、彼女がもじもじと指をいじりだした。
ディナーの席も最後のデザートが運ばれてから時間が経つし、そろそろ出て行く頃合であろう。
「そろそろ出ますか」
「あ、うん」
最後に、目を奪われるほどに綺麗な夜景をスマホでパシャり。
後で小町に自慢しようと、窓の外を何気なく見つめると、窓越しに映った雪ノ下さんと目が合った。
その目がとても悲し気で、なぜだかこちらまで悲しくなってくる。
いつだったか、そんな目をした雪ノ下雪乃を見た事がある。
それは確か…、そうだ、生徒会選挙の時の雪ノ下だ。
言いたい事を言えずに、伝わるものだとばかり思い込んでいた彼女の目。
何を訴えて、何を考えていたのか、俺はその時に、言いたい事があるなら口に出してくれと言ったのだ。
一つため息を吐き、席から立ち上がり
「雪ノ下さん」
「…?」
俺は彼女に手を差し出す。
「手を。…恋人なら繋ぐのが普通でしょ?」
「っ、あはは…。優しいなぁ、比企谷くんは…。全部わかっちゃうんだもん。隠し事なんて出来ないよ…」
俺の手にそっと、まるで子犬のように頼り無い彼女の手が乗せられた。
「あの、ちょっと話があるから…。2人だけになれる場所に連れて行って?」
✳︎✳︎✳︎
で。
訪れたのは都内の繁華街にひっそりと佇む小さく静かなホテル。
世間一般で言うところのラブホテルだ。
無人のカウンターで部屋を選び、何も言わない彼女の手を強く握りながら、俺たちは指定された部屋番号を目指して廊下を歩く。
赤いランプが点灯する部屋の扉と、青いランプが点灯する部屋の扉。
赤が使用中で、青が空室であると理解しつつ、俺たちが向かう部屋の扉に青いランプが点灯しているのを確認する。
「…始めて来まし…っ!」
「ん!」
部屋に入るや、雪ノ下さんが突然にキスをしてきた。
それは舌を使わない優しいキス。
数秒後に離れるや、彼女の瞳がゆらゆらと揺らぐ。
…どうしたんだよ。本当に…。
「…ん。あの、とりあえず座りませんか?」
「っ、急にごめんね。でも、ずっと我慢してたから…」
ベッドに腰を下ろすも、繋がれた手は離れない。
ゆっくりと、俺は彼女の肩を抱きながら、その揺らいだ瞳の理由を問う。
「…そんな目をされると、俺も悲しくなるんですけど…」
「ご、ごめんね…。私…らしくないよね…」
「いえ、そんなことは…」
「…あのね、比企谷くん…」
暗く、落ちていくように。
俺はその言葉の続きを聞くことに恐れを抱いた。
例えば、親の決めた相手と結婚しなくちゃいけなくなったの…、だから、別れて…。だとか。
もう、こんな身体だけの関係は終わりにしよう。だとか。
留学するから別れましょう。だとか。
嫌な予感が頭を支配するのだ。
って、いつの間に、俺はこんなにも雪ノ下さんの事を愛おしく思ってたんだろうな…。
手を繋いでいるのに、彼女がどこかに消えてしまうんじゃないかと不安になる。
もっと抱き締めて、身体を繋ぎ、俺の物にしたいだなんて思ってしまう。
「…あの…」
その言葉は、俺の心を壊す言葉ですか?
それならば…。
聞きたくない…っ。
と、思っても、彼女の口は開き続けた。
それは非情にも、俺の人生を左右する言葉。
きっと数年後の俺は、この日の事を思い出す度に後悔するのだろう。
「……な、中出しして欲しいの!!」
「おまえ本当にシリアスな感じ出すなよ。一生な?」
こいつ、こういう所があるよな。
真面目な雰囲気だったじゃん。
あの切ない目とか雪ノ下(妹)にそっくりだったじゃん。
大事な事を言う前振りが長過ぎて、あ、コレガチなヤツかな?って思っちゃったじゃん。
「あ、そういうのヤってないんで。俺はこれにてドロンしますね」
「待って!私を置いていかないで!切実な問題なんだから!!」
「ふざけんなクソ野郎!離せ!俺は帰る!!」
「イヤよ!私をまた1人にするの!?知ってるんだからね!比企谷くんが私のお母さんや金髪のギャル子に身体を許したのを!!」
「っ!!?ち、違うし!か、身体とか許してねぇし!ちょっとスキンシップしただけだし!!」
「あー!浮気男の言い訳だ!!」
い、い、い、いい、言い訳じゃないんですけど!?
実際、身体を触っただけだし!?
い、挿れてねぇし!!!
「キミ、挿れてないからセーフとか思ってない?」
「っ!?」
「言っておくけど!私にも挿れてくれてないからね!?」
「…そ、そういうのはまだ早いと言うか…っ!べ、別に挿れずとも愛していますし!?」
「あ、愛しっ…!そ、それなら中出ししても問題ないよ!!」
「そ、それとこれは別だろ!」
「大丈夫大丈夫!偉い人が言ってたもん!!」
「あ!?」
「中出しは親孝行だって!!」
な、中出しは親孝行…?
コイツ…、まじで頭まで性欲に呑まれたか?
と、顔を真っ赤にさせた雪ノ下さんは焦ったさに負けたのか、強引に俺の肩を掴みベッドへ押し倒した。
あ、こいつヤバイ奴だ…。
「…っ、ひ、比企谷くん…」
ぽたり、ぽたりと、雪ノ下さんの口元から滴るヨダレが俺の頬に伝う。
「え、えへへへ。な、中出ししたらもう、結婚するしかないもんね?」
「…っ!け、結婚だと…?」
結婚ってアレか!?
指輪をプレゼントしたり、親御さんに挨拶したり、婚姻届を出したりする例の奴か!?
まだ18歳の俺に、結婚を決めさせるなんてのは酷な決断であろう。
ましてやこの状況で…。
「…私は、本気だよ…。比企谷くんと結婚したい。ずっと一緒に居たい…。子供も2人くらい欲しい」
「…最後が具体的なんですけど」
「比企谷くんにとって、私は遊べるだけの都合の良い女なの?」
先ほどと同様に、雪ノ下さんは寂し気な瞳で俺を見つめる。
ふと、俺は彼女と始めて身体を交えた日の事を思い出していた。
『陽乃は今日から俺の物だ』
その言葉に嘘はない。
彼女を俺の物にしたい、誰にも渡したくない本心から願っている。
それでも、結婚に踏み出すだけの勇気が俺には無く、こうして彼女をただただ悲しませて…。
「…雪ノ…、陽乃…。陽乃は俺の物だって、そう言ましたよね?」
「…っ、は、はい…」
「その言葉に嘘はありません」
「っ!」
そっと、俺に覆いかぶさる陽乃さんの頬を手で撫でる。
「…中出しとか、そんな既成事実なんて無くても…」
「うん…」
「俺からちゃんと言いますよ。結婚してくださいって」
「…する。結婚する!」
「はい。でもまだ、もっと俺が自立できるくらいに成長したら…」
と、それを言い終わる前に、彼女の唇が俺の口を閉ざした。
最初は優しく、後から激しく。
しばらく舌を絡ませてから、彼女は物欲しそうな顔で
「…すごく嬉しい…。ずっと…、ずっと君と…」
一瞬、彼女が
それを隠すためか、もう一度だけ舌を絡ませてくる。
君と…、の後に続く言葉。
妖艶なキスと彼女の柔らかな笑みに隠されたその言葉。
俺が聞く事の出来なかった彼女の言葉に、どれだけの想いが込められていたのか。
ずっと君と……
一緒に