「陽乃!お父さんの言うことが聞けないのか!」
「うるさい!そもそもそういうのって古いし!」
ご近所の迷惑を考えない2人の大声がリビングに響き渡る。
時刻は22時を過ぎようとしているにも関わらず、その喧騒が鳴り止む気配は無い。
「古いとか新しいじゃないんだよ!」
「じゃあ何よ!?」
「私はおまえの幸せを考えているんだ!」
「ふざけないで!私だって相手の事くらい調べたんだから!」
私はテーブルを強く叩き、お父さんを睨みつける。
「ふん!丸岡さんのご子息は頭も器量も良い。何より育ちが良い。おまえの
「完全に政略結婚じゃない!丸岡グループとの繋がりが欲しいって言いなさいよ!ハゲ!!」
尚も言い合う私達を止める者は居ない。
お父さんの物言いに反抗する私はおかしいのだろうか。
ハゲ曰く、雪ノ下建設のために丸岡グループのご子息と結婚しろ。
さすれば私も丸岡グループも雪ノ下建設もwin-win-winだと。
…ふざけんな。
何を勝手なことを言ってんのよ?
は?なに?私を雪ノ下建設の駒にする気なのね?
はぁ〜〜ん。良い度胸じゃない。
このクソハゲめ…。
「おいこらハゲ…」
「おま、実の親にハゲとか言うなって」
「それ以上、その腐った口を開き続けるってんなら、あんたの一族末裔を全殺しにしてやるから」
「…おまえも死んじゃうぞ」
「言っておくけど、私にはもう貰い手がいるんだからね。もう真っさらな身体じゃないし」
「…ふん、比企谷八幡くんの事か?」
「…っ!なんで、お父さんが知ってるのよ」
比企谷八幡。
その名前をお父さんに話した事はない。
もちろん付き合っていることだって。
思わず力がこもった手のひらに爪が刺さる。
「冷静に考えろ、陽乃。もしもおまえが比企谷八幡くんと婚約したらどうなる?」
「し、幸せになるわ!」
「金も地位も名誉も友達も無い男が、おまえを幸せに出来るとでも?」
「ぐぬぬぬ」
「その点、丸岡氏のご子息はそれら全てを持っている。正に出来た男さ。彼こそおまえに相応しい。違うか?」
せ、正論を振りかざしてきやがった…。
このクソ野郎、正論をかざして私を屈服させにきやがった!!
お父さんの言葉を聞けば聞くほど、私のお腹に沸く怒りと悲しみが混ざり合う。
どうして、何も知らないこの人に比企谷くんを悪く言われなくちゃいけないのか。
どうして、私に偽物の幸せを押し付けようとするのか。
もう全てを投げ出したい。
でも、投げ出せない。
…私のせいで、比企谷くんにも迷惑が掛かるかもしれないから。
「分かったな?おまえは私の言う事を聞いていれば良いんだ」
ーーーーーー★
「ってお父さんに言われたの!!ねえ!比企谷くんはどう思う!?」
「…うん。もうdisられ過ぎて俺も胃が痛いっすわ」
周囲のお客さんの注目を浴びる程の大声。
私はいつもの喫茶店に、クソハゲの愚痴をこぼす為に比企谷くんを呼び出していた。
「私も心が痛いよ!」
「いやいや、金や地位や名誉も無いけどね?友達が居ないのは関係ないよね?それに、なんでおまえは論破されてんだよ。俺を想うなら言い返してくれよ」
「何も言い返せなかった!比企谷くんに何も無いから!!」
「親子でdisるの?親子で俺をdisるんですね?」
あぁ、この優しい声音が心地良い。
もっと近くで、ずっと側で、彼を感じていたい。
何者にも邪魔されず、出来る事なら幸せな空気を2人だけで味わい続けたい。
「…本当に、こんなに私は幸せなのに。なんでお父さんは分かってくれないのかしら」
「俺は幸せじゃないですけど」
「ねぇ、比企谷くん。いつもみたいに助けてくれるんだよね?お父さんと真っ向から戦ってくれるんだよね?」
「さっきから俺の話しを聞いてないよね?」
「そうだ!もう一層の事、子供を作っちゃうってのはどうかしら!?」
「もう一層の事、おまえ丸岡さんの所に預かってもらえよ」
名案よ…!
名案じゃない!
正に私だからこその閃きだわ!
凡人には到底たどり着く事の出来ない発想よ!!
かぁぁー!これぞ雪ノ下 陽乃の真骨頂ね!
「ふふ。完璧ね」
「…はぁ。少し頭を冷やして下さい」
そう言うと、彼は私のほっぺに冷たいグラスを軽くぶつけた。
その冷たさに、私は思わず身動いでしまう。
「っ…。な、なにプレイ?」
「落ち着けってんだろ」
「ぐ…。う、うん、ごめん…」
そのグラスを自らの口元で傾けると、いつものように冷静な彼が、小さく溜息を吐きながら、私から視線を逸らしてボソリと呟いた。
「…お父さんの言う事だって、あながち間違っちゃいないですよ」
「な、なんでよ!比企谷くんのことを悪く言うのよ!?」
「それはまぁ、ちょっとイラっとしましたけど。…俺が親なら、どこぞの馬の骨かも分からん奴に娘は預けたくないですね」
「ひ、比企谷くんは凄く良い人だもん!」
「…。どこらへんが?」
「うぇ!?」
「俺に丸岡氏とやらに勝てる部分なんてありますか?」
「や、優しい所とか…」
「…それ、何も無い奴を褒める代名詞みたいなもんじゃないですか」
彼の目の前に置かれた、いつものように甘いコーヒー。
ただいつもと違って、彼から甘くて優しい空気は漂って来ない。
ほんの少しだけ、冷たいような。
そんな感じ。
「…私の事が信じられないの?」
「そうは言いませんけど…」
「けど…」
「…」
比企谷君のことだから、私を幸せにするための思考を理路整然と頭に並べているのだろう。
惜しむらくは、彼の思考には人間味が足りないこと。
お金や地位、名誉だけじゃ、人を幸せにすることなんてできないんだ。
それは長年、私が様々な人間と関わって来て培った経験則。
ただ、彼にはそれが無い。
だから、自分と他人を天秤に掛けた時に、彼は自らの天秤をフワリと浮かせてしまう。
自分のことを誰よりも卑下する彼は、私を幸せにするための理論を構築できないんだ。
「…言葉や表現なんかじゃ伝わらない、キミだけが持ってる凄く綺麗なモノがあるんだよ」
「…なんすか、それ…」
「私はそれに惹かれたの。キミは私を誰よりも幸せに出来る。コレは確信よ」
「……」
でも、キミは弱いから。
自分に厳しいくせに、他人には弱いから。
「ねぇ。比企谷くん」
「…はい?」
「私の事、本当に好き?ずっと愛してくれる?」
「……」
「私は大好き。比企谷くんが居なくなったら死んでしまっても構わないわ」
「…はは。雪ノ下さんらしい言い方ですね…。俺も好きですよ。貴方の事が」
「そう。そうよね。そう思っていたし、そう願っていたわ」
「…?」
突然の問い掛けに、彼は戸惑いながらも私が求める100点満点の答えを返してくれる。
だからこそ、私はキミを信じられるし、私を救えるのはキミしか居ないと思ってるんだ。
「心から、キミに惚れて良かったと思っているわ。だからお願いね。私の婚約を破綻させてちょうだい」
「それはまた…。小難しい依頼ですね」
「この依頼を解決してくれたら…、ぷ、ぷ、プレゼントをあげるから…」
「プレゼント…?」
少しだけ恥ずかしい事を言うかもしれない。
頬が熱くて赤くなる。
キョトンとする彼の目を見ないように、私は小さく彼にだけ聞こえるよう呟いた。
「わ、私を、比企谷くんにあげる……」