私の娘は聡明で賢い。
これは自慢では無くて事実。
男社会とさえ呼ばれる業界で会社を運営する雪ノ下家にとって、女児しか生まれなかったことは周囲からも嫌味な陰口で語られていたことだろう。
だが、そんな陰口をも一掃するだけの実力が内の娘にはあって、あの子は自らの力で周りの声をかき消してきた。
…これは私のエゴだろうか?
この子になら…、陽乃になら会社を任せても大丈夫。
男社会であろうと、陽乃になら。
そう思う手前、私自身には何が出来るのか。
それは彼女のための土台作りだろう。
丸岡グループは彼女にとって必要である土台なのだ。
…。
そんな私の親心もつゆ知らず、どこぞの馬の骨とも分からん歳下と結婚するなどと言うものだから、私ともあろう人間が感情的に怒鳴ってしまった。
「……比企谷…八幡…」
…陽乃。
彼の名前を私が知らぬわけないだろう。
ましてや、高校生の頃に我が家の自家用車で轢いてしまった男の子だ。
忘れるわけがあるまい。
雪乃と親しくしてくれた男の子。
陽乃のことさえも大切にしてくれる男の子。
堅物な家族に、ほんの少しの和らぎを与えてくれた男の子。
どこか頼りなさそうな雰囲気を持つものの、雪乃や陽乃の事を見守る瞳はどこか強くて柔らかい。
そんな彼を、陽乃は好きになったのか…。
「…ふぅ」
子を持つ親よ、誰でも良いから私に教えてくれ。
娘の幸せを願うならば…。
私はどうするべきなのだ?
ーーーーーー★
「陽乃さん?顔色が優れないけど大丈夫?」
そう、心配そうに私へ問いかけてくる男は、茶色い髪をイヤらしく肩まで伸ばし、目にかかる程長い前髪を仕切りにイジる。
もちろん、そいつにアホ毛は生えていない。
威圧するように高価そうな腕時計を見せびらかす手首も、首に掛かる金色のネックレスも、全部全部大嫌い。
顔は甘く見積もっても70点程度だろう。
声のトーンは無駄に高くて苛立つし。
塗りたくられた香水の香りには鼻を摘みたくなる。
ただ、そんな男と私が居る所はーーーー
「奥様、こちらのプランに合わせて白いウエディングドレスをお勧め致します」
ーーー結婚相談所。
ブライダルコンシェルジュと対面するように、私はこの男と……、丸岡グループの息子と並んで座っている。
普通ならば籍を入れてから訪れるべき所なのだろう。
ただ、こうして急かすように結婚式を準備すると言うのは、相手方の丸岡グループにも雪ノ下建設を逃したくないという意識の表れなのかもしれない。
「陽乃さんならどんなドレスでも似合いそうだね」
「…そうね。私ならどんなドレスだって似合うに決まっているわ」
予定ばかりが進む婚約。
お金の力とは凄いもので、昨今の予約で殺到する式場すら直ぐに押さえることが出来るのだ。
ゲス男の丸岡くんは嬉々としてブライダルコンシェルジュに理想の結婚式を提案していく。
どうしてこの男は、出会って間もない人との婚約に胸を躍らせているのだろうか。
否、私の美貌とスタイルがコイツをそうさせているんだ。
人の外見でしか好意を抱かない痩せた人間だ。
私はそんな人を信用しない。
中身を愛してくれる。私の本物を根っこから愛してくれた彼だけが、私の愛した唯一の人間なのだから。
比企谷くんと私が交わした愛の約束から1ヶ月。
未だ、私の婚約は破棄されていない。
「……信じてるからね。比企谷くん」
ーーーーーーー★
「最近では政略婚なんて聞かないものね。比企谷さんが不思議がるのも分からなくないわ」
そう言って、小洒落た喫茶店で紅茶を傾ける着物の美人。
彼女はまるで、子供に優しく言い聞かせるように俺へ向けて言葉を発した。
別に不思議になんて思ってはいないさ。
ただ、珍しいなぁって思っただけ。
「ふふ。なんだかんだ言っても、貴方は陽乃の事が大好きなのね」
「ふん。安泰の就職先を横取りされるのが気に食わないだけですよ」
「照れてる。可愛い」
ママのんはふわりと笑いながら、俺のアホ毛を寝かせるように頭を撫でてきた。
こんなに優しそうで綺麗な人妻が存在するとは…。
もうさ、ママのんが俺を養ってくれよ…。
婿養子とか、なんかお金持ちなら出来るんでしょ?
なんて。
「…俺からしたら、大企業同士の思惑なんて想像に出来ませんが。まるでゴジラとモスラが戦っているのを遠目に見ているような感覚ですよ」
「面白い事を言うのね」
「照れたり慌てたりすると饒舌になる。俺の悪い癖らしいです」
「そうなの」
「陽乃さんに言われたんです。ほんとに、あの人の前では照れて、慌ててばかりです…」
「ええ」
やはり優しく、ママのんはただただ俺の言葉を聞いてくれる。
『私の婚約を破綻させて。』
そんな事、ただのガキである俺に出来る訳がない。
ましてや、それがただの婚約ではなくて、企業同士の政略的な物なら尚更だ。
勝てない賭けには賭けないのが俺の信条。
だって、負けた時に痛い目を見るのは俺ばかりじゃん。
失敗して傷つくくらいなら、何もしないまま現状維持で…。
……ああ、逃げて逃げて、何も見えない暗闇で、何も聞こえない静寂の中で、ただただ1人っきりの時間をーーーー。
ーーそんな詰まらない時間を、俺はもう耐えられない。
あの人の影がチラつくから。
陽だまりの中で微笑むあの人がうるさいから。
笑顔が眩しいから。
……ほんと、好きすぎて困ってんだよ…。
「…比企谷さん。私はね、陽乃の幸せを願う旦那の気持ちも分かるの」
「…っ」
「でもそれ以上に、貴方なら陽乃を幸せにできるとも確信しているわ」
「…」
確信してる…。か。
親子揃って同じ事を言うんだな…。
俺に何を期待してるのか、陽乃さんは決まって俺を頼って笑顔を向ける。
彼女の面影そっくりに、ママのんはゆっくりと紅茶を傾けて、静かに俺の瞳を見つめた。
「…確信してるわ」
「……」
「うん。確信してる。私はね」
「……?」
「…確信してるからね。…うん、だからどうにかしてちょうだい。てへぺろ」
「え、ちょ、ちょっと待て。ママのんがどうにかしてくれるんじゃないの?」
「うえ!?わ、私が!?」
「おまえめっちゃ頼りになる感じで話してたろうが!!」
「ええぇ!?私はただ比企谷さんを応援しようと思っていただけなのだけれど!?」
「クソくだらねえよおまえの応援なんて!!」
「!?」
なんなんがよ雪ノ下家は!
ロクな奴が居ないじゃないか!!
てんで役に立たん!
相談した俺がバカだった!!
「ご馳走様でしたさようなら。もうお会いする事はないでしょうけど」
「ちょ!ま、待って比企谷さん!冗談よ!冗談だから!」
席から立ち上がる俺の腰にママのんがしがみ付く。
なんだってこの家系は俺の腰ばかりを狙って引っ付いてきやがる!
うざったいったらありゃしない!
「分かったわ!ゆ、雪乃と結婚したら?そしたら陽乃とも隠れてゴニョゴニョできるし!偶に雪ノ下家へ顔を見せてくれたら私も比企谷さんに甘えられるし!」
「最低かよ!おまえは娘の結婚を何だと思ってるんだ!?」
「あぅ、怒鳴らないで!…わ、私だってどうして良いのか分からないの…。助けてよ、私の事も助けてよ!!」
ひ、開き直りやがった…。
ママのんの威厳はどこへ行った?
本来ならママのんが権力を振りかざせば万事解決も出来るのに…。
なんなんだこの人妻は!
「はぁ…。助けるも何も、俺は陽乃さんの事を取り戻せれば良いだけなんですけど…」
「け、結婚式の日取りはもう間近よ…。だ、だから、今から何かを変えようって言うのは難しいと思うの…」
「ちっ。先言えよ…」
「ぁぅ…」
もうさ、陽乃さんさえ俺の物にできれば後はどうでもよくなってきたわ。
雪ノ下家の事とか考えて、事は荒げずに穏便に、なんて考えてたけど、もうこんな家族はどうなろうと知ったこっちゃねえよ。
俺は陽乃さんのためだけに動く。
もう、後戻りは無しだ。
「それなら、その結婚式をぶち壊してやる」
「!?」
次回が最終回ですー。