マリアンたちは故郷ウェーランズへ戻るため北の道へ、リュウは街へ戻るため東の道にそれぞれ別れた。
リュウと別れた一行は周囲を警戒しつつ、山道を進む。
マリアンは馬車の窓を少しだけ開け、隣に歩くディールに話しかけた。
「リュウ、来なかったわね。来てくれると予想してたんだけど…」
「ええ…とても残念です。」
「ふふ、落ち込んでるわね。やっぱり恋人候補が一緒に来てくれないとそうなるわよね?」
「そんな関係じゃないですよ。彼女は恋人じゃなくて友です。」
「あら、そうなの?二人で抱き合ってたって聞いたけど。」
「否定はしません。あそこでヴァリが来なかったらもっと深い行為に入ってたかもしれませんし…。」
ディールは妖艶な笑みを浮かべてマリアンに微笑む。
マリアンも微笑むが、すぐに真剣な顔なり、ディールに問いかけた。
「リュウの反応、どう思った?」
ディールも真剣な表情で返す。
「怯え方が尋常じゃなかったですから、…あれは完全に怖がってます。リュウの言っていたあいつ…間違いなく奴隷時代の主人ですね。」
「ええ。あの怖がり方は鞭を見たときと同じだった。」
「逃亡奴隷の多くは、主人に対しての恐怖もありますが、必ずといっていいほど怒りの感情を持っています。自分にひどいことをするんですから当然ですけど。でもリュウからはそれを感じなかった。恐怖のみです。あれだけの腕があれば、殺してやるくらいの怒りを持っていてもおかしくない。でも主人の名前を言うことも恐れてた。相当ひどい目にあってたと思います。」
「なんとか恐怖の根源を取り除いてあげたいけど…問題はそいつが誰なのかということね。」
「あたいもそれが気になってた。」
ディールの後方で周囲を警戒していたアシェルも話に絡んでくる。
「途中から自分のこと『私』から『あたし』に変わってたからね。」
「あなたが元主人の名前は?なんて聞いたから、あの子が立ち直るまで大変だったのよ!」
「あたいも悪かったと思ってるよ。でもあそこまで怯えるとは思わなかったんだよ。」
「気づきなさいよ!馬鹿!」
皆でリュウの肩に手を置いた後、少し落ち着いたときにアシェルがそんな質問をしたせいで、リュウは再び震えはじめたのだ。
涙を流し、首を降って「嫌だ…嫌だ」と呟くリュウをマリアンが抱きしめ、赤ん坊をあやすように辛抱強く話しかけ、ようやく落ち着かせたのだ。
「リュウをあそこまで怯えさせる主人…許せないけど、そこらにいる貴族ではないわね。」
「リュウはわたしが危ないと言ってたわ。仮にもわたしは領主の娘…その勧誘を断ったと言うことは、相手は相当な権力を持っているということ…。」
「でもいる?領主の娘の力を凌ぐ相手って?」
「帝都の権力者しかいないわね。それもかなりの上層部。リュウの口振りだと領土一つを潰せるほどの力の持ち主…」
ここでロビーナも話に加わる。
「ですが、おかしいですね。逃亡奴隷が発生すれば、全国に手配書が回ります。見せしめにしないと逃亡する奴隷が増えますから…。でもそういった手配はされてない。」
「あの目立つ髪だからな。手配されればすぐに捕まるはずだ。」
「手配されないのは、主人のメンツかもしれないわね。奴隷が逃げたということは奴らにしてみれば、管理がしっかりできていなかったということ…それを公表することを恥じたために、自力で捕まえようとした。そして逃げられた。」
「可能性はありますが…リュウへの調教を見る限り、そいつのお気に入りだったことは間違いありません。そう簡単に諦めるでしょうか?」
「諦めずに刺客を送り込んでくる可能性は高いわね。リュウもそう思って一ヶ所に留まるつもりはないのかも。」
「いずれにしても、リュウをウェーランズに置くのは難しかったかもね。」
「そうね…まだ時期じゃなかったのかも。」
話を聞いていたマリアンは息を大きく吸い込み、勢いよく吐き出した。
「馬車を止めて。」
ロビーナはすぐさま馬車を止める。まだ体調が万全ではなかったかと、心配そうな顔を向けるが、マリアンはなにかを決意した表情を浮かべていた。
「皆馬車に集まって。」
マリアンの指示に従い、馬車に集まる。
ヴァリだけ周囲を警戒するため、少し馬車から離れた位置にいる。
「皆も知っている通り、今ウェーランズは危機的状況に陥っているわ。お父様が病に臥せっていることをいいことに兄ファルダン一派が好き勝手やっているからよ。このままじゃ国が滅びてしまう。お父様もそれを危惧しておられる。先月お父様に呼ばれてお部屋をうかがった時に、お父様はわたしにウェーランズを継承させるとおっしゃったわ。今回の視察は国の運営を学ぶことを目的にしていたけど、そのほかに他国の民がどんな生活をしているのか知りたかったからよ。わたしは他国のようにウェーランズを豊かにしたかった。民が不自由なく暮らし、互いに支えあえる国が周りにあるのだと信じていた。でもそれは大きな間違いだった。民を奴隷のように扱い、私利私欲を満たす役人や貴族。そんな者たちを放置する領主。ウェーランズとなにも変わらなかった。この帝国そのものが腐敗している。自分の領土だけ豊かになればと考えていた自分が恥ずかしい。」
マリアンは拳を握り、悔しそうにうなだれる。
そんな主を心配そうに見つめる面々。
マリアンはもう一度大きく息を吐くと、再び語り始める。
「今回の視察でわたしは自分の描いていた帝国がただの理想だったと気づいたわ。今この瞬間も帝国にいる民は苦しんでいる。それを知ってしまったからには、もう見て見ぬふりはできない。民に為の国を、わたしの理想の国を作りたい。そのためには今の国をどうにかしなければならない。わたしは…帝国に代わる国を作る!」
一同は目を見開き、周囲を警戒する。
今マリアンが言ったことは帝国への反逆だ。だれかに聞かれていれば、マリアンは反逆罪で処刑されてしまう。
「お嬢様!そのようなことをこの場で…」
「ロビーナ、わたしは決めたの!何年かかっても、わたしはこの理想を実現する!皆に反対されたとしても!」
マリアンはロビーナを見つめる。その瞳には一点の迷いもなく、強い輝きが宿っている。
「わかりました。お嬢様の夢はわたしの夢。ご一緒させていただきます。」
「このセディーンも共に行かせてください。微力ながら協力させていただきます。」
「わたしもお供に加えてください。あなたに救われた命、どうぞご自由にお使いください。」
「あたいも行くよ。奴らに一泡ふかしてやりたいし。」
「…わたしも行く。」
全員がマリアンに向かい敬礼する。全員がマリアンの理想のために運命を共にすると決めた。
「ありがとう、みんな。」
マリアンは目に涙を浮かべる。
自分の言ったことがとんでもないことだとはわかっている。
だが、覆す気はない。
「お嬢様、今後そのことは口にしてはいけません。兄君に知られれば大変なことになります。今お嬢様がすべきことはウェーランズを継承すること。それがこの理想の第一歩であり、最低条件です。兄君は領主様がお嬢様を後継者に任命したことを知っています。だから、今回このような事件を起こしたのです。これからも様々な妨害をかけてきます。武力行使であれば我々で撃退できますが…」
「わかってるわ。あいつもわたしを引きずり下ろそうと必死になってる。でもわたしは屈しないわ。半分だけだけど、わたしにも誇り高きウェーランズの血が流れてる。」
ファルダンとマリアンは母親が違う。
ファルダンの母は帝国からきた貴族であり、性格は傲慢で、自分と息子のことしか頭になく、領主オーストが病に臥せったのも自分の息子にウェーランズを継承させるために毒を盛られたという噂もある。
オーストの看病をすることもなく、今もウェーランズで摂政として権勢を誇っている。
マリアンの母は、元々はウェーランズの豪族の末裔であったが、家族を養うために屋敷で使用人として働いていた。
ある時、オーストが流行り病に倒れたとき、妻が病をうつされると離れていったのに対し、積極的に看病した。
オーストは必死に看病するマリアンの母に惹かれ、病が完治したあと第二婦人として迎えた。
だが、マリアンを産んだ際にこの世を去った。
オーストは子供たちに分け隔てなく接したが、特にマリアンは可愛がった。
母がいない寂しさを感じさせないように特に目をかけていた。
オーストは領主のなかでは珍しく、領民を大切に扱った。
マリアンの母からウェーランズの民について習い、それをマリアンに伝えた。
かつての誇り高いウェーランズの民の話にマリアンは夢中になり、自身でウェーランズについて調べたりもした。
ファルダンたちからは蛮族の血と馬鹿にされたが、マリアン自身はウェーランズの民の血が流れていることを誇りに思っていた。
帝国内の領主はそのすべてがかつて三国を統一した帝国の民の末裔であり、地元民の血は一切入っていない。そのため領民からは帝国人と呼ばれていた。
オーストも帝国人ではあるが、民からは好かれていた。
マリアンもそんな父が大好きで、父のようになりたいと積極的に領民と接してきた。
その結果、領民からは好かれることになったが、ウェーランズの支配層にいる帝国人には嫌われる存在となっていた。
「今回の件、支配層の連中も絡んでいるはずよ。戻ってから皆には迷惑かけるかもしれないけど、わたしはあきらめない。理想を実現するために。みんなのことを信じてるわ。」
一行は大きな志を胸に、ウェーランズへ向かう。
だがこのとき、ウェーランズで大変な事件が起きていることを彼らはまだ知らなかった。