「――むらちゃ……」
誰かに、呼ばれる声がした。
「……んん」
「おはよう、ほむらちゃん!」
「まどか……」
ほむらに名前を呼ばれると、声の主、鹿目まどかはクスリと微笑む。
「お昼の時間だよ。今日も一緒に食べよっ!」
そう言ってまどかは黄色の風呂敷に包まれたお弁当箱を、ほむらの前に差し出す。
「えっ?もうそんな時間なの?」
「そうだよ?ほむらちゃん、そんなに疲れてたのかな?」
意識が飛ぶ前の記憶が曖昧な故か、時間的にもかなりの間眠りに落ちていたようだった。
「大丈夫よ。準備したら直ぐに行くから、先に屋上で待っていて」
「うん!」
まどかは元気よく返事をすると、小走りで教室を後にする。
そんな姿を横目に見送ると、ほむらは鞄の中から、少し小さめのお弁当箱を取り出した。
(不思議なものね……)
取り出した弁当箱を見つめながら、ほむらは心中で一人ごちる。
その気持ちはどこから来たのか、ほむら自身分かっていなかったが、ふと、そんな風に思ったのだ。
(そろそろ行きましょうか)
弁当箱を片手に席を立ち、まどかやさやかが待つ屋上へと向かう。
平和で何の変哲もないどこにでもある普通の日常。
そんな日常を授受できるようになった現実をほむらはまだ受け止めきれていないのかもしれない。
「……ふふっ」
足取りは軽やかで、思わず笑みがこぼれる。
―この時既に、ワルプルギスの夜を撃退して数日が経っていた……。
天気は快晴。気温もぽかぽかしていた、絶好のお弁当日和。
「まどかのから揚げいただきッ!」
「ああっ!酷いよさやかちゃん!」
そんな日和の下で、ほむら達四人はいつものごとく昼食を食べていた。
「ほら、鹿目さん。私のから揚げ一つどうぞ」
「わぁぁ!ありがとうございます!マミさん!」
さやかにから揚げを奪われたまどかのお弁当箱。
その空いたスペースに、一学年上の先輩である巴マミからから揚げが供給される。
「あ~ズルい!あたしもマミさんのから揚げ食べたい!」
「人のモノ勝手に取っておいてよく言えるよね」
「あれ?まどかさん、ガチギレじゃん……」
「ふんっ」
さやかとまどかの見慣れた茶番劇を、ほむらとマミはクスクスと笑い合う。
幸せな日常。ごく普通の女子中学生が送ることのできる、ごく当たり前な幸せ。
こうしてみんなと笑い合える日々。
しかし、その完成された世界でさえ、ほむらはどこかしらの違和感を覚えていた。
(まどかも、美樹さやかも、巴マミも無事。なのに、この違和感は何なのかしら?)
胸の奥をくすぐるような。現状を強く否定するようなむずがゆく、気持ちの悪い感覚。
最悪の魔女、ワルプルギスの夜を撃退し、自身の望む理想の世界を手に入れた。
そう思っていたのに、どうしてこんなにも納得がいかないのか。
その違和感の正体をつかむことが出来ずに、ほむらは困惑していた。
「暁美さん、どうかしたの?箸が止まっているみたいだけど……」
「……あっ、いえ。すいません。少し考え事を」
いつの間にか、深く考え込んでいたのだろう。
マミに声をかけられ、ほむらの意識は再び引き戻される。
「おっ?なんだほむら、恋でもしたのか~?」
「そんなわけないでしょ。人のから揚げ盗るような人と一緒にしないで」
「な、なにおぉ~~!」
逆上したさやかをしり目に、お弁当のポテトサラダを口に運ぶ。
美味しい。でも、どこか物足りない。
味はちゃんとするのに、どこか物足りない。
どうやらその違和感はほむらから見える景色だけでなく、ほむらそのものを支配しているようだった。
●
―巴さん、放課後お時間いいですか?
昼休みが終わる直前、ほむらはマミにそう言い渡し、そして今、二人はマミの家にいた。
「すいません、わざわざお時間いただいちゃって」
「いいのよ。暁美さんが相談なんて珍しいし、それに頼ってくれてとても嬉しいわ」
マミはほむらに優しく微笑むと、行きつけのお店のケーキと紅茶をテーブルに並べる。
「それで、話って何かしら?」
程よい温度の紅茶をすすりながら、マミはほむらに尋ねる。
「実は、前々から少し様子がおかしいんです」
「えっ?それって私の事?」
「ああ、いえ。私の方です」
「……詳しく聞かせてもらえる?」
神妙な顔つきのほむらに対して、マミも事を悟り、ほむらに今一度向きなおる。
そして、ほむらはマミに対して、ここ最近感じていた違和感、そしてそれに関連することをすべて打ち明けた。
「なるほどね。話は大体分かったわ」
ほむらの話を聞き終わると、マミは紅茶を口に含み、しばらく沈黙した後、ほむらに質問する。
「その違和感はあなた自身が感じている劣等感とかじゃ、ないわよね?」
「劣等感?」
マミの口にした聞きなれないフレーズに思わずほむらは聞き返す。
「そう。ワルプルギスの夜を越えて、暁美さんは最大の長所である時間停止能力を失った」
「ええ」
「契約の効力とでも言うのかしらね。ともかくあなたは力を失い、今では使い魔にでさえ苦戦するほど、魔法少女としての力はもろいものとなっているわ」
「それ故に、あなたの魔女退治には同じ魔法少女である私が同行しないと話にならない」
「以前に持っていた力を失った絶望感。私や他の人の助けなしでは生きていけない魔法少女としての劣等感。もしかしてあなたが感じている違和感はそれじゃないかと思って……」
言い終わると、マミはどこか申し訳なさそうな瞳をほむらに向けた。
(なるほどね……)
実際、マミのいう事もほむらは十二分に理解することが出来た。
一般人がある日突然大金を手に入れ、生活の質を上げ、いざ金が尽きてきても、その質を元に戻すことが出来なくなる。
それに似た、いわゆる昔を懐かしみ現状を受け入れられない劣等感、違和感がその正体ではないかというのだ。
……が、それは違った。
「巴さんのいう事も理解は出来ます。しかし、今の私は現状に満足しているつもりですし、それこそ時間停止やあの時の力を懐かしくや羨ましく思うことも全くありません」
目的であったまどかを救い、それどころか美樹さやか、巴マミでさえ生存しているこの世界にどう文句をつけれるだろうか。
少なくとも、目的や能力面でほむらは一切の劣等感を感じてはいなかった。
「そう。なら逆に今の世界に足りないものってあるかしら?」
「足りないもの、ですか?」
「そう。暁美さん自身に問題が無いなら多分、その違和感はもっと別のところにあると思うの」
「例えば今日のお弁当。暁美さんがお弁当箱だとすると、鹿目さんや美樹さん、私はおかず。お弁当箱に問題が無いなら、問題はそれを彩るおかずが欠けているんじゃないかと思ってね」
「う~ん……」
マミのヒントをほむらは脳内で反芻しつつ、その意味を考えていた。
まどかやさやか、マミ以外に自身を彩る環境、もしくはその人物。
そんなものがあるのだろうか。
思考を巡らしながら、けれどもそれだというものが浮かばないえも言われぬ不快感。
けれど、その刹那、ほむらの脳内にはある一人のシルエットが浮かびかがる。
「……!」
「何か思いついたの?」
「巴さん!あの時、私とあなた以外に誰かもう一人いませんでしたか!?」
「あ、あの時?」
「ワルプルギスの夜の時です!あの時、戦ったのは私と巴さんだけでしたか!?」
「えっ?あれ、どうだったかしら……」
脳裏に浮かんだシルエットにほむらは確信的な何かを掴んだ気がした。
顔も、名前も、そんな大事なこともぼんやりとして上手く思い出せない。
けれど、それは誰よりも忘れてはならないような気がして。
「巴さん。あの時の私と巴さんの二人でワルプルギスの夜に勝算はあったと思いますか?」
「いきなりな質問ね」
「大事なことかもしれません。お願いします」
「……答えから言うと、イエスね。確かにあの魔女は強大で背筋の凍るような魔力を感じたけど、全く歯が立たない、とは思わなかった」
「そう、ですか……」
「でも、この二人でとなると本当にギリギリの戦いともなっただろうし、正直、負ける可能性も十分に計算できたわ。そういう意味だと二人で戦うというのはあまりにもリスキーすぎる気がする」
「それに、私と暁美さんは共に遠距離が主体の武器だもの。強力な攻撃を当てようとなると、あの魔女の使い魔をどうにかしなければならない。だとしたら、近接戦闘が得意な人を仲間に入れようともするはず……」
「近接……巴さん……ワルプルギス……」
頭に浮かんだシルエットを頼りに、マミが推測したワードを当てはめ、パズルの隙間を埋めていく。
ゆっくりと時間をかけ、一つ一つ丁寧に、まるで暗号を解くかのような作業。
そして……やがてパズルは完成する。
「佐倉……杏子」
暁美ほむらは口にした。
かつて共に戦った仲間の名前を。
初めて口にした気がするのに、呼びなれた名前を。
誰よりも強く、そして誰よりも優しいその名前を。
ほむらが誰よりも信頼し、誰よりも頼りにしたその少女。
赤く美しい髪を持つその少女の名前。
佐倉杏子。
ほむらの違和感の正体は、彼女だった……。