「佐倉……杏子」
どうして今までその存在を忘れていたのか。
どうして思い出そうとすらしなかったのか。
そんなことを考えることすら億劫になるほど、ほむらの頭から、彼女の名前は消えていた。
(いや、消えていたというよりはむしろ……)
その存在ごと、【無かった】ことにされているみたいだった。
「巴さん、あなたも思い出しましたか?」
「ええ、あなたが名前を口ずさんだ瞬間に、記憶がいきなり湧き出て来たみたいに、ね」
暁美ほむらだけでなく、佐倉杏子と旧知の仲である巴マミでさえ、記憶の改ざんにあっている。
ほむらやマミと交流があり、尚且つそんな幻術じみたことが出来る人物など、彼女たちは一人しか知らなかった。
「これ、恐らく佐倉さんが私達に幻術をかけてたってことになるのよね?」
困惑と悲愴を混濁した瞳でほむらを見つめながらマミは呟く。
「ええ、恐らく……」
マミの手前、確定のハンコを押すのは気が引けたため、ほむらは言葉を濁す。
が、どちらにせよ、この件に佐倉杏子が絡んでいることは確定的だった。
ならば……
「……でも、どうしてこんなこと」
「…………」
問題はそこにあった。
佐倉杏子は言わずと知れた魔法少女である。
強さ、俊敏性、魔法少女向きの性格。
それら全てをとっても平均以上で、味方ならばこれほど頼もしい存在もなかなかいなかった。
事実、ほむらもその強さや、竹を割ったようなキッパリとした性格に惚れ込み、有事の際にはいの一番に相談を持ち掛けていた。
ワルプルギスの夜撃退時も、協定関係を結んでいたとはいえ、杏子の利益が圧倒的に少ないにもかかわらず、彼女はほむらやマミの手助けをしてくれたのだ。
そんな不器用で意地っ張りな、けれど誰よりも優しくて、人一倍仲間想いな杏子に、いつしかほむらは信頼以上の何かを寄せるようになっていた。
(あの時、何かあったかしら……)
解けた記憶をさかのぼり、心当たりを見つけようとするが、一向にそれらしきものは見当たらない。
佐倉杏子が何故自分の存在を消してまで、二人の元を離れようとしたのか。
思い当たる節が全くと言っていいほど無く、ほむら、マミ共にお手上げ状態だった。
「このまま考えていてもらちが明かないわ。もう遅いし今日はこの辺でお開きにしましょうか」
パンと小さく手を叩き、マミはおもむろに腰を上げる。
見れば時計は午後七時を回り、窓から見える景色は薄暗くなっていた。
「……そうします」
マミに続き、ほむらも腰を上げた。
―――
―――――
「暁美さん、貴方はこれからどうするつもり?」
マミの家を後にしようとしたとき、ふとそんなことを聞かれる。
「とりあえず、今日一日は家で理由を探してみようと思います」
「……そう。私もいろいろ考えてみるから、何かわかったら教えてね」
「はい。今日はありがとうございました」
「いいえ。またいつでも遊びに来てね」
笑顔で手を振り見送るマミに一礼すると、ほむらはマミの家を後にする。
「……さてと」
マミの家を出て、ほむらはすぐさまバス停へと向かった。
もちろんそれは家に帰るためではなく、もっと別の場所に向かうためだった。
(風見野行のバスはまだあるわね)
行先は隣町の風見野市。
それは佐倉杏子の生まれ育った町でもあった。
マミにああいった手前、抜け駆けするような形になってしまったことに多少の罪悪感を感じながらも、ほむらは確認せずにはいられなかった。
頭の中で考えることはいくらでもできる。
けれど真実を知りたいなら、直接本人を問いただす方が簡単で手っ取り早い。
杏子のテリトリーに大体の目星はついており、会ったらまずは何を聞くか、何を話すかを優先的に考える。
(不思議なものね……)
累計で言うと何百、何千と顔を合わせ、その度に会話を交わしていたのに、高々数週間空いただけで、柄にも緊張している自分にほむらは苦笑する。
目的のバスが到着し、ほむらはそれに乗り込むと、座席に腰を下ろし一息つく。
ブロロロとエンジンをふかせ、ほむらを乗せたバスは目的地の風見野市へ向けて出発した。
(まだ、近くにいればいいけど)
窓から外の景色を眺めながら、杏子を思う。
自身の存在を隠すようなことをした人間が近くにとどまるとは考えにくい。
だから、これは確認だった。
佐倉杏子がこれから行く先に姿を現さなかったのなら、それはもう金輪際の別れであると。
(大丈夫……よね)
一瞬だけ、ソレを想像しほむらの胸はきつく締め付けられる感じがした。
(まだ、ありがとうやいろいろ言いたいこともあるのよ)
「きょうこ……」
景色を眺めたまま、ほむらは消え入るような声でその名前を呟く。
不安と期待が入り混じったその声は、眼前に映る暗闇に小さく吸い込まれ、やがて消えていった。