震える寒さを感じながらも、心はとても温かくて。
腕の中にある温もりをしっかりと感じ取る様に、ほむらはこれでもかと強く抱きしめる。
「きょうこっ……きょうこっ……」
「……」
自分の足は震えているだろうか。体は震えているだろうか。
でもそれは寒さの影響ではなく、きっと安堵や切望の裏返し。
「お前……」
古く寂れた教会内で、待ち人の声がこだまする。
どうしてか、その声を聞くたびに、不思議と心に何かが込みあがってくるような気がした。
「杏子、あなたにはいろいろ聞きたいことが――」
「お前、どうしてここにいるんだよ」
「……えっ?」
それは本当に彼女が発した声だったのだろうか?
ほむら自身がそう勘違いしてしまえるほど、今の声は低く冷たいものだった。
見れば杏子は困惑と懐疑を含んだ眼差しをこちらに向けている。
「何で……何でお前がこの場所を覚えてるんだよ」
「それはこちらのセリフよっ!どうしてあなたは私達に幻術をかけるような真似をしたの!?」
「……チッ、それに気が付いてるって事は、アタシの幻術が弱かったってことか」
杏子は呟くようにそうごちると、それまでの表情を一新させ、鋭い目つきをぶつける。
「まあいいや。それで、今更のこのこ現れて何の用さ?」
「……いろいろ聞きたいことはあるけれど、本当に聞きたいのはただ一つよ」
「へぇ。何さ?」
「どうして、幻術までかけるような真似をして私達の前から姿を消したの……?」
言うまでもない一番の疑問。
その答えを一番に知りたくて、今日ここへ来た。
やっと手にした理想の世界。誰も欠けることの無かった運命。
それを手にしたのに、杏子が去る理由は無いはずなのに。
だからほむらは杏子が“本当の”理由を告げるまでは決して帰らない腹積もりでいた。
「理由?そんなの簡単じゃん。あんたとあたしの関係なんて単なる利害の一致だけだったし」
自嘲するような、苦笑するような。
そんな表情で杏子は理由を語り始める。
「ワルプルギスの夜を倒す。あたしはそのグリーフシードをいただく。あんたは街を守る。アタシらの関係なんてそれだけじゃん?」
「そ、それは……」
杏子の言う事は何一つ間違っていなかった。
利害の一致だけで結んだ共闘関係。
そこには友情だの信頼だのそんな感情的なものが含まれているはずが無かったのだ。
それはすなわち、関係が解消された際にはお互いが分かれ合うことも無理はない。
いや、むしろそれが必然的であったとも言えるだろう。
ならばなぜ、ほむらは佐倉杏子という魔法少女にこんなにもこだわるのだろうか。
(なぜって、そんなの……)
そんな事、自問するまでも無かった。
答えは考えるまでもなくあっさりと導き出される。
それは、長いループ生活の中で芽生えた感情。
佐倉杏子にとって暁美ほむらとはこの時間軸でしか関係を築いていない相手。
しかし、時間遡行者暁美ほむらにとって、佐倉杏子とは幾重にもわたるループ生活の中で、時間を共有し、長くその人柄に触れてきた人物。
つまり、杏子にとっては利害関係だけの薄っぺらい繋がりでも、ほむらにとっては友情や信頼を置くには十分すぎる相手だった。
さらに自分が一定以上の感情を抱いた相手は放っておけなくなる性格も幸いしてか、今の感情に拍車をかけている。
「でも、わざわざ幻術をかけるような真似をあなたがするとも思えないのだけれど」
もしも杏子のいう事が本当ならば、ほむらは自分のわがままを彼女に押し付けているだけに過ぎない。
そんな気持ちの一方通行など相手にとってはただの嫌がらせだ。
が、ほむらは佐倉杏子という人物をおそらく誰よりも知っている自信があった。
そもそも杏子はその願いの影響から幻術魔法が使えないはずである。
それがいつ戻ったのかよくわからないが、そんな苦手分野を駆使してまで記憶を消し去りたい理由が何かあったのだろうとほむらは推測する。
だからこそ、先ほどの理由が杏子の真意だとは思わなかった。
「そんなの、またあんたらの勝手な都合に付き合わされるのはごめんだからに決まってんじゃん」
「本当に?」
「……何が言いてぇんだ?」
「あなたがそんな関係だと割り切っているなら、そんな気持ちを考慮している私が助けを請いに来ると思うの?」
「今実際にアタシの前に現れている奴がよく言うよ」
「今私は別に助けを請いに来てるわけじゃないもの」
浮ついていた心はやがて落ち着きを取り戻し、癖の様に長い髪をなびかせる。
真意をいの一番に話してくれるようなら、それこそ佐倉杏子とは言えない。
彼女は誰よりも優しくて恥ずかしがり屋で、その上不器用な子だった。
ならば、少しカマをかける必要があると、ほむらは踏んだ。
「あのさぁ、あんたおちょくってるわけ?」
「そうね。本当の理由を話さず全てから逃げちゃうような人をおちょくって悪いかしら?」
きわめて相手の神経を逆なでするように言い放ち、若干口角を上げニヤリと微笑む。
それが杏子の癪に障ったのか、彼女はほむらの胸倉をつかみあげると、そのまま手に力を込める。
「ってめぇは……!!」
「……」
本人から感じるものすごい怒気に若干気圧されながらも、同時にほむらは確信していた。
(ああ、やっぱり杏子は優しい子ね)
胸倉をつかまれていざ殴られようとしていても、ほむらは殴られる心配など微塵もしていなかった。
自分の願いで家族を引き裂いて、最愛の人から悪魔と罵られ、全てを失っても彼女はその優しさを捨て切れてはいない。
魔法や力を手に入れても、それを暴力や他人の不幸に使うことは決してしない杏子の優しさと強さ。
そんな少女があんな理由でこんな回りくどいことをするはずがない。
「……ねえ、杏子」
「……なんだよ」
込める力や鋭い目つきは変わらないが、声には応えてくれる。
「どうしても……教えてくれないの?」
懇願するように、か弱い声でそうつぶやいた。
まるで杏子の心底に眠る良心に訴えかけるような作戦。
でも、実力行使の選択肢が封じられている今、ほむらにできることはこれくらいしかなかった。
「教えるもなにも、さっき言った通りじゃねえか!」
「あなた、どうしていつもそうなのよ……」
「ああ?お前何言って……」
「どうしていつもそうやって嘘ついて自分の気持ちを覆い隠すの!?」
気が付けば、柄にもなく大声を張り上げていた。
「優しいあなたがそんな理由でそんな回りくどいことするわけない!」
「お前があたしの何を知ってるってんだ」
「知ってるわよ!!私はあなたの事をよく知ってるっ!!」
「それは違う時間軸のアタシだろっ!」
「違うわっ!!あなたはどの世界でも佐倉杏子本人だったっ!!」
「………」
作戦だと割り切っていた筈なのに、感情というのは厄介なもので・・・・・・
気が付けば、ほむらの瞳には大粒の涙があふれ出していた。
「うぅ……きょうこのばかっ……おおばかっ……」
もう完全にクールな暁美ほむらのイメージは崩れ去ってしまっただろう。
けれど、そんなことがどうでもよくなってしまうほど、この時のほむらは感情的になっていた。
「……はぁ。なんで泣くんだよ」
「……きょう、こ??」
刹那の感想はあったかい、だった。
涙を流し、昔の自分に巻戻ってしまったほむらは杏子の腕の中に抱き留められる。
それはとても意外で、けれどもとても優しい抱擁で。
瞬間、ふわりと杏子の匂いが鼻腔をくすぐり、その懐かしさが想起される。
まどかともさやかともマミとも違う杏子だけの匂い。
背丈はそんなに変わらないはずなのに、まるで体全体を包まれているかのような感覚。
その感覚はほむらの涙を止め、胸の高鳴りを呼び覚ました。
「……ありがとな、ほむら」
その声はどの時間軸でも聞いたことが無い、やわらかくて温かい声だった。
「あんたの涙を見たら、なんかそう言いたくなっちまってさ……ごめんな」
「ううん、あなたは謝らなくていいわ。謝る必要なんてないっ」
「つまらねー意地張るのは止めにするよ」
杏子はほむらを抱き留めたまま、言葉を続ける。
「あんた、最初に言ってたよな。この世界を守るための目的の事」
「……ええ」
鹿目まどか。それはほむらの願い、希望。
その人を守るため、約束を果たすためほむらは魔法少女になった。
そして、それをほむらはワルプルギスの夜の前にマミや杏子に打ち明けていたのだ。
「結果的にアタシ達はあいつを倒して、あんたは理想を手に入れたんだ。そうだろ?」
その投げかけにほむらはコクリと頷く。
「だったらさ、あんたの本当の幸せって多分ここから始まる筈なんだ。鹿目まどかや友達たちと何ら変わらない学園生活を送って、マミと一緒に魔女退治して。それがあんたがこれから送るべき人生なんだよ」
「その中にアタシの居場所はないし、居たいとも思わない。だからアタシはあんたの元を離れたんだ」
「そんなっ……杏子あなたっ……!」
「いいんだよ、それが正解さ。でもあんたやマミは変なところで気を遣うから、アタシなんかでも気にかけてくれるんだろうなって思ったらこうせずにはいられなくてさ……」
「それにアタシは一度幸せを壊した側の人間だ。その罪を償うまでは、自分が自分を赦せるようになるまでは幸せを甘受できる世界には居られないんだよ」
「だからな……ほむら」
初めてとも思える、名前を呼ばれた後、ほむらを包んでいた温もりは消え去り、背中を軽く押される。
「っ……杏子!」
「アンタは今の世界を大事にするといいよ。アタシはアタシでこの世界を生きていこうと思うんだ」
そう言って、杏子は今日初めての笑顔をほむらに向けた。
「そんなっ!それじゃあなたは……!!」
「大丈夫さ。アタシだって前を向けてる。それに心配されるほど弱くもない。だから、あんたは気にせず自分の道を行けばいいんだよ」
言い終わると、杏子はソウルジェムを取り出し、何やら呪文を唱え始める。
すると、急にほむらの視界は歪み始め、意識が遠のいていく感覚に襲われ始めた。
「……っ!!!……きょ……こ……」
朦朧とする意識の中で、何とか名前を口に出そうとするが、それも叶わず、ほむらの意識は深淵へと誘われていった。
―けみさん
――あけみさんっ!
「暁美さんっ!!」
「んんん・・・・・・」
聞き覚えのある声に呼ばれ、ほむらは目を覚ます。
「巴……さん?」
「よかった!どこか怪我してない?」
「怪我……??」
完全に意識が覚醒していない中で、ほむらはゆっくりと体を動かす。
若干自由が利きにくいと感じながらも、別段気になるところは無かった。
「あの……どうして私が巴さんの家に?」
見ればほむらはつい数時間前までいたマミの家のベッドに横になっていた。
「それはこっちのセリフよ!買い物に行こうと家を出たら玄関先であなたが寝ていたんだもの」
「……えっ?」
「何か……あったのね?」
ほむらの顔つきが微妙に変化したのを見逃さず、マミは質問する。
「……はい」
ぼんやりと思い出す先ほどまでの憧憬。
幻術の影響か、まだ完全に細部までは思い返せないが、それでもそれがリアルであったことには疑いようはなかった。
「すいません、今はまだ休んでいてもいいですか?」
「勿論よ。暁美さんの準備が出来たらその時に教えてちょうだいね」
「はい。ありがとうございます」
ぺこりと頭を動かし、礼を言うとマミは小さく微笑み、部屋を後にする。
電気を消され、一人になった部屋でほむらはぼんやりと天井を見上げていた。
「……杏子」
呟いた名前はすぐに消え、暗闇に飲まれていく。
けれど、あの時見せた寂しそうな笑顔と、包まれた温もり、
そして、胸の高鳴りは未だに消えることなくほむらに焼き付いて離れることは無かった。