オリ魔女がでます
「何だぁ?この結界は……」
バシャバシャと歩く度に響き渡るのは、結界内に張り巡らされた水たまり。
杏子とほむらが足を踏み入れた結界は、まるでそこが水槽の中なのかと錯覚してしまうぐらい、水とアクリル板がちりばめられている場所だった。
「綺麗っちゃ綺麗だけどなー」
警戒は怠らずとも、横目でそれらの景色を堪能する杏子は、まるで少年のそれであったが、ほむらはそんな事にも気を留めず、この魔女の性質について思考を巡らせていた。
(こんな魔女、過去に見たこともないわ……)
結界内が水浸しである事、結界に進入して既に数分経つのに使い魔一つ見当たらないこと、いつまでたっても魔女の気配が近づいてこないこと。
これまでと違う、イレギュラーな展開にほむらは若干の戸惑いを感じつつも、それを杏子に悟られぬよう、必死で思案を巡らせる。
無理やり着いてきたのに、手助けどころか杏子の不安を煽るような、足手まといになるようなことになってはいけない。
その決意を一心に、ほむらは杏子と同じくバシャバシャと水たまりを進み、結界内部を進んでいく。
「なぁ、ほむら。お前もこの結界がちょっとばかしおかしいことに気が付いてんだろ?」
いままで少し後ろを歩いていた杏子が不意にほむらの肩に手を置き、先行くほむらに静止をかける。
「……ええ、まあ」
「だよなぁ……。結界内は水浸し。おまけに使い魔一つ見当たりやしねえ。はっきり言って異常だぜ、こんなの」
杏子は小さくため息をすると、やれやれといったように頭の後ろで手を組みお手上げのポーズをした。
(隠していても、お見通しね……)
ついさっき悟られない様にと気を引き締めなおしたのに、どうしてこの人はそれを手に取る様に気が付いてしまうのだろう。
自分の事はいつも棚に上げる癖に、他人の事は気にせずにはいられない。
けれどそんな優しさにほむらは惹かれて、その優しさを守りたいと思うようになったのも、また事実。
「……ふふっ、ほんとあなたってお節介よね」
「あー?なんだいきなりてめぇは」
「なーんでもないわよ!」
「いみわかんねぇ……」
仏頂面の仮面道化師、暁美ほむら。
杏子のほむらに対する最初のイメージはそんなものだった。
何を考えているのかわからず、それを悟らせようとはしない。
だが、向こうはこちらのやり方や願い、その他もろもろを理解しているという奇妙さ。
お互いが絶妙にかみ合っていない歯車の様な存在。
共闘し、反発し、ワルプルギスの夜まではとても友と呼べる存在ではなかった。
しかし、あの夜を越えて杏子も、そしてほむらもまた変っていき、これまで決してかみ合うことのなかった歯車は、遂にゆっくりとかみ合い始めて来たのかもしれない。
これまでほむらが被っていた仮面はやがて消え去り、今では自分の目の前で、こんなにも楽しそうに笑っている。
数日前の面影は未だに残っているものの、もはやその姿は過去のものとなり、本来の暁美ほむらの姿が見えてきた気さえする。
気丈に振る舞っている風を装い、実は誰よりも心弱く臆病で、奥手な人物。
それは、しっくりくるようで、こないようで何とも不思議な感じさえした。
でも、今の杏子にとって一つだけ言えること・・・・・・それは
「でもまぁ、あたしは今のあんたの方が好きだな」
目の前でなんとも楽しそうに、ここが結界内であることさえ忘れて、にこやかな笑顔を浮かべているほむらに対して、杏子は柔和な笑顔でそう漏らした。
「…………えっ?」
「あー?」
その言葉が結界内に響いた途端、ほむらの表情は突然かたまり、身体を硬直させる。
「なっ!?おいほむら!大丈夫か!?まさか魔女のしわざかっ!」
あんなに楽しそうに微笑んでいた人物が、次の瞬間表情を固まらせ、その動きをピタリと止めた事態に杏子は敵襲を感じ、すぐさま臨戦態勢に入る。
「ハァァァ!!」
手を合わせ、自身固有の縛鎖結界を周囲に張り巡らせ、安全を確認したのち、杏子はほむらの安全確認へと向かう。
「おいっ!どうした!何があったんだよっ!?」
「…っ!……ッッ!!」
問いかけにも口をパクパクさせるだけで、全く動こうとしないほむら。
心なしかその表情には熱の気があり、明らかな異常が見て取れた。
「魔女か!魔女の魔力によって身動きが取れなくなったんだな!」
「……チッ!仕方ねぇ」
杏子はすぐさまほむらを、俗に言うお姫様抱っこで、抱え上げると塞いでいた結界を解除し、これまで来た道を全速力で引き返し、
やがて、その結界を後にした……
●
ピンポーン。
夕暮れ時、学校が終わり一息ついていた巴マミの自室にインターホンが鳴り響いた。
「あら?誰かしら」
モニターを確認すると同時に
「どちら様ですか?」
と、確認するとともに、モニターに映る驚きの人物の姿を目にし、巴マミは驚きの声を漏らした。
「さ、佐倉さん!?そ、それに暁美さんまで!?」
モニター越しには杏子とほむらの姿。
それも、杏子がほむらをお姫様だっこしている状態……
(えっ、どうやってインターホン押したの?)
真っ先に浮かんだ疑問を口に出す前に飲み干し、マミは大急ぎで玄関に向かい慌てて扉を開く。
「さ、佐倉さん、これは……!?」
「話はあとだ。マミ、とりあえずコイツを寝かせてやってくれ」
「わ、分かったわ」
口を開くなり、ものすごい剣幕で詰め寄る杏子に気圧され、マミは杏子を部屋に通し、自身のベッドへとほむらを寝かせる。
「マミ、とりあえずコイツにあんたの治癒魔法を施してやってほしい」
「えっ?暁美さんに?」
「ああ、頼む。生憎あたしは治癒魔法が不得手なんでな」
「見たところ、外傷は見当たらないんだけれど……」
「いいから頼む。やってくれ」
「……分かった」
いくつもの疑問はあれど、これ以上ない神妙な顔つきで懇願する杏子の気持ちを無下にすることは出来ず、マミはおもむろにほむらに自らの治癒魔法を施してゆく。
「サンキュ。あたしは向こうの部屋で待っとくから」
「ちゃんと説明はしてくれるんでしょうね?」
「ああ。だから頼んだ」
そう言い残すと杏子は部屋から去り、マミはマミで魔法へと集中し始める。
目の前に横たわる暁美ほむらに外傷は見受けられず、これといった治癒の手ごたえがあるわけでもない。
肝心のほむらは気を失っているため、話を聞くことは出来ないが、うっすらと染まった頬に違和感を感じつつも、マミはお願いされた通り魔法を続けた。
「お待たせ。一応一通りの魔法は施してきたわ」
「そっか。サンキューな……」
数分後、治療を終えたマミは杏子が待つ部屋へと移動し、テーブルの上に紅茶とケーキを用意すると、杏子の方へと向き直り、話を始める。
「それで、いったい何があったというの?」
「ああ、実は……」
それから杏子は今日あったことをマミに逐一報告を始めた。
ほむらが自分を訪ねてきたこと。自分と共に戦うといい始めた事。
これまで見たことのない結界に入った事。ほむらが結界内で突然動かなくなり言葉を発せなくなった事。
それら全てを一つ一つマミに話した。
「そう、そんな結界が……」
「ああ。魔女の気配は確かにあんだけど、魔女どころか使い魔一ついやしねえ。それで油断していたところをやられたってわけだ」
杏子の話を聞き終わると、マミはクスリと微笑んだ。
「あん?なんか笑うところがあったか?」
「ああいえ、こっちの話だから気にしないで」
(そう。暁美さんはやっぱり佐倉さんを放っておけなかったのね)
あの夜の話がマミの脳内を駆け巡り、ほむらの決心が間接的に読み取れたことを可笑しく思うと同時に
杏子の話に出て来た謎の結界の存在を気にし始める。
「佐倉さんの話通り、あれが魔女の仕業だとすると、恐らくその魔女を退治するまで、暁美さんはあのままだと思うわ」
「……マミもそう思うか」
「ええ。恐らくあなたの事だから自分のせいだと思い込んで、これから一人で退治しに行こうとか思っているんじゃないの?」
「なっ!そ、そんな事ねえよ!」
「そういうとこ、ホントに変わらないわね」
「う、うっせー!!」
図星を突かれ、慌てふためく杏子を見ながらマミは柔らかく微笑む。
「いいわ。私もその退治に付き合ってあげる」
「なっ!?本気で言ってんのかマミ!」
「当たり前じゃない!正体も何も分からない魔女相手に一人で突っ込むなんて、いくら佐倉さんでも危険すぎるわ」
「あたしは別に……」
「いいから!ほらっ!そのケーキと紅茶を飲んだらさっそく行きましょ?」
「……はぁ、かなわねえなぁ」
昔の様なやり取りを終えると杏子も苦笑し、目の前に用意されたケーキにようやく手を付けた。
「おっ、やっぱりうめぇ」
「あら、ありがとう」
「これ、マミの手作りだろ?」
「あら、どうして?」
「マミの味がする」
「……佐倉さん、嬉しいけど言葉は選んだ方がいいわよ」
●
「……ここね」
「ああ」
ケーキと紅茶で英気を養った二人は、杏子にとっては再び、マミにとっては初めてとなるあの結界の前へと来ていた。
既に日は沈み、ただでさえ暗かった路地裏はまさに闇一色といった感じに二人を包み込んでいる。
「マミ。昼間より魔力が強い。中の様子が教えた通りとも断言できねぇ。気抜くんじゃねえぞ」
「分かったわ。なるべくお互いの距離を取らずに行動することにしましょう」
「……じゃ、行くか」
「ええ」
突入前、二人は一瞬顔を見合わせると、昼間とは違う、闇の誘う結界へと侵入していき、
やがてその姿は、結界内に完全に飲み込まれていった……