「なあ、お前は何でそこまで出来るんだ?」
「ん……?」
一枚の紙を手にして考え事に耽っていたカルデアのマスターは、不意に自分に投げかけられた言葉に対して間抜けな声を上げて質問を口にした男へと視線を向ける。視線の先には、部屋の壁にもたれ掛かった状態で何とも形容し難い不思議な表情を浮かべたイアソンが居た。
「こんな危機的状況、普通なら心が折れているだろう? 何でお前は諦めない? 何が目的でここまでやって来れた?」
「えっ、と……?」
「良いだろ? 答えて見ろよ……こうやって仲間になれたのも何かの縁だ、少しはお互いを理解することを楽しもうじゃあないか!」
「う、う~ん……」
投げかけられたイアソンの言葉にマスターは首を捻った。そんな彼に向け、イアソンは矢継ぎ早に質問を送る。
「やはりあれか? 女たちを取り返して抱くのが一番の生き甲斐か? 全員見目麗しい女性だ、あのマシュとか言う娘も良い体をしていたしな! あれを抱く時は心が躍っただろう?」
「どうだったかなぁ……?」
珍しく友好的なイアソンに対し、カルデアのマスターは苦笑を浮かべて見せた。そして、改めて自分の戦う理由を考えてみる。
大切な仲間を取り戻す為、世界を救う為、カルデアの皆の為……様々な答えが浮かび、そして消えて行く。そうやって考え続けていた彼は、はたと気が付いてしまった。
「……何で、だろうな……?」
「……は?」
「なんかしっくりこないんだ。俺は何で戦ってるんだろうな……?」
今、自分が戦う理由は分かっている。一番の理由は囚われた仲間を救う為だ。ソロモンの元で苦しんでいる仲間を救う為、自分たちは戦っている。しかし、本元の戦いを始めた理由はなんだったのだろうか?
思えば始まりはなし崩しだった。アルバイトに募集して、訳の分からない場所に連れて来られ……あれよあれよと言う間に人理焼却だなんて大事に巻き込まれ、今の様な危機的状況に放り込まれた。
今になって思う、何で自分は絶望しなかったのだろうか? 普通なら、とっくに心が折れていてもおかしくないだろうにだ。
「……わかんないや。最初の一歩の理由がわからないんだ」
「………」
自分が戦う理由、それは自分自身でも分からない。そう答えたカルデアのマスターの正面では、イアソンがその何とも言えない複雑な表情を更に深めていた。それはマスターの答えが予想通りであった事への喜びでもあり、同時に悲しみでもあったのだろう。とにかく、彼の答えはイアソンの予想通りだったのだ。
「……始まりの一歩は思い出せない。でも、ここまで歩いて来れた理由は分かる……皆が居たから、皆に支えて貰ったから、ここまで歩いて来れたんだ。だから俺は皆を救いたい、それが一番の理由かな」
「はっ……まるで聖人君子だな。恐れ多い事だ」
「そんな言い方するなよ、嫌みな奴だなぁ……」
なおもにこやかに自分と話すカルデアのマスターの表情を見たイアソンは、ぐっと口を真一文字に結んで顔を背けた。腹立たしい様な悲しい様な、それでいて嬉しい様な……そんな複雑な感情を胸に浮かべた彼は、顔を背けたまま静かに口を開く。
「……お前と俺は正反対だ。俺にとって仲間とは駒であり、自分の目的を果たす為の道具でしか無かった……尊敬や敬愛の感情もあるにはあったが、決して信じると言う事はしなかったんだ」
「知ってるよ、お前の振る舞いを見てれば全部わかる」
「……だからだろうな、結局俺は誰からも見捨てられ、裏切られた。死の際にも誰も助けてはくれなかったし、前にこのオケアノスに召喚された時は魔神柱の生贄だ! ……まったく、碌な死に方をしない。俺は誰も信じなかったからこそ、誰にも信じられなかったんだろうな」
「それがわかっただけ良いじゃない。少しは成長出来たでしょう?」
「馬鹿か、貴様は! ……それを理解したとして、俺は自分を変えるつもりは無い。俺は……もう自分を変えても意味が無いからな」
吐き捨てる様に、後悔する様に、イアソンが言う。顔を伏せ、少し辛そうにしながら、彼は話を続けた。
「俺は王になりたかった。誰からも敬われる、立派な王になりたかった……名誉だけが目的じゃあない。俺は、誰もが幸せに暮らせる国が作りたかった。その思いは今だって変わっちゃいない。聖杯があれば、俺は自分とそこに住まう者の為の国を作り上げるだろうさ」
「ああ、うん……そう、だったな……」
小物臭く、そして人間の屑と形容するのが相応しいイアソンに似つかわしくないその願い。真っ当な英雄らしく、筋が通ったその願いを聞いたマスターは、かつてその願いを踏み躙ったメディア・リリィの言葉を思い出していた。
「あなたはすぐに全てを裏切る。そういうふうにしか生きられない人だから。だったら、裏切られないように世界ごと沈んでしまったほうが楽でしょう。アナタは永遠に国に帰ってはいけなかったの」……それが、彼女のイアソンへの評価だった。彼女はただ真っすぐに彼を愛していた。その全てを知り、醜さを知っても愛し続けていた。それはもしかしたら神の意図による偽りの思いだったのかもしれない、だがこの言葉だけは、イアソンと言う男を見つめ続けて来たメディアと言う女の心からの思いである事は確かだ。
悪い人間では無いのだろう。だが、性根が腐り切っているのだ。それは生まれつきの物であり、誰かによって歪められた物では無いのだ。だから罪悪感もあまり感じず、平然と非道な行為を行えてしまう。そして、それこそがイアソンが王になれない最大の理由だった。
「……俺は王になりたかった。その為にチャンスを掴もうとした……それが裏切りの上にあるものであろうとも、俺は自分の夢を優先したんだ。お前はそれを醜いと思うか?」
「……わからないよ。でも、正しくないとは思う」
「ははっ、正しくないか……庶民らしい答えだ。俺を否定する不敬は、まあその凡庸さに免じて許してやろう」
泣きそうな、それでいて笑いそうなイアソンの表情。その下に隠れている感情は、如何なるものなのだろうか?
カルデアのマスターには分からない。彼とはこの特異点で出会い、こうやって面と向かって話す機会もこれまでなかった。こうして話をしてみて、彼もまた人並みの感情を持つ人間であると言う事を確認出来たくらいだ。
茫然とした表情を見せるカルデアのマスターに対し、荒くなった呼吸を整えながら……イアソンは、今度は彼の目を真っすぐに睦めながら言った。
「……お前は、
「は……?」
「お前は普通でいろ。笑いたい時に笑い、怒りたい時に怒り、泣きたい時に泣け……普通の、只の人間であろうとしろ。決して人を越えようとはするな」
切実な願いの様な、深い忠告の様な……はっきりとこれが何かとは明言出来ないイアソンの言葉にカルデアのマスターはぽかんとした表情を浮かべ続けていたが、それでも彼の話を真摯に聞き続けてもいた。
「これからの戦いでお前が人を越えなければならなくなった時、お前はそれを拒否しろ。お前は人であり続けろ……お前は決して、王や神になろうとするな」
「……それ、どう言う意味?」
「人間性を捨てるなと言う事だ。人を越えようとすれば、自ずとそれを捨てなければならなくなる……これまでの戦いで、そんな存在に出会った事は無かったか?」
「………」
イアソンの言葉を受けたカルデアのマスターは、脳裏にランサーのアルトリアの事を思い浮かべた。
聖槍の効果によって神に近しい存在となった彼女は、人間味を失っていた……イアソンが言う事は、彼女の様な存在を指しているのかもしれないと思ったマスターに対して、イアソンはなおも話を続ける。
「人が人を越えても、その先には悲劇的な末路しか待っていないぞ。神の力を得た俺が言うんだ、間違いない」
「……イアソンの使い方が間違っていたんじゃなくって?」
「それもあるかもな……だが、お前は俺以外にも悪い例を知っているはずだ。お前の最大の敵こそ、人を越えようとしている最悪の王なのだからな」
自分たちの最大の敵、ソロモン王……魔術王にして、グランドの冠位を持つサーヴァント。そして人類史において、最も優れた王の一人でもある彼は、手にした力を使って世界を崩壊させようとしている。同時に、英霊たちを自分の奴隷として従えているのだ。
確かに彼はもう人間であろうとはしていないのだろう。人を越え、神になろうとしているのだろう。それは傲慢では無く、自分の実力に裏付けされた思いなのだから彼がそう思うのも仕方が無いのだろう。
だが、それを許容出来るかどうかはまったく別の問題だった。
「お前の敵は強い、お前が逆立ちしたって叶う訳も無い……だが、お前はそこに並び立とうとするな。それは、お前がお前でなくなる事を意味している」
「俺が、俺じゃなくなる……?」
「……お前の周囲にいる奴らはな、今のお前が好きなんだ。お前に今のまま変わらないでいて欲しいと願ってるんだよ。お前が力を欲して変わってしまえば、必ず良くない変化が起きる……必ずだ」
カルデアのマスターは考える、自分が自分を捨て去ってでもこの戦いに勝ちたいかどうかを……そして、その答えをYESだと認めた。
仲間を救えるのなら、今まで自分を助けてくれた皆を守れるのなら、自分はどうなっても良い。そんな心の底からの思いをイアソンは否定する。
「お前にはまだ普通の感覚がある。その感覚を決して捨てるな、お前はお前で在り続けろ……人として、愛されるお前で在り続けるんだ。決して神や王になんてなろうとするな、自分を捨てるんじゃあないぞ」
「……それでも、変わらなきゃいけない時が来たら? 力を求めなきゃいけない時が来たらどうする?」
「……簡単だ、誰かを頼れ、利用したって良い。お前が正しくお前で在り続ける以上、力を貸してくれる存在はいる筈なんだからな」
「でも、俺は弱い。弱い人間のままでは居たくない……」
「……弱い人間の何が悪い? 大事なのは、自分に何が出来るかだ」
「え……?」
「……力が弱い、賢くない、そんな人間ごまんと居る。だが、自分に何が出来るかを正しく理解している人間ってのは案外少ないもんだ。俺はそれを導ける、王に相応しい力をもっているんだ。戦いはからきしだがな」
肩を竦め、ふざけた様に笑うイアソンは腕を組んだ後でカルデアのマスターへと言った。
「何でも出来ると豪語する人間には碌な奴は居ない。その逆も然り、何にも出来ないと言う人間は総じて屑だ。自分に何が出来るのか? それをまずは理解しろ……きっとそれが、お前の一番の武器になる」
告げたい言葉を全て口にしたイアソンは、そのままマスターの持っていた紙をひったくった。そして、そこに書かれている文字を見ながら彼へと叫ぶ。
「これが組み分けだな? 頭に叩き込んでおいてやるから、お前はお前の出来る事をして来い! 分かり易く言えば、魔力供給の時間だ!」
「え、あ、うん……」
背中を押される様にして自室から追い出されたマスターは、扉を閉める前にイアソンをじっと見つめた。そして、心の中で感謝の思いを浮かべる。
不器用にも、彼は自分の事を心配してくれたのだろう。その感謝の気持ちを言葉にする前に、イアソンは非常に苛立った様子で口を開いた。
「ああ、それと勘違いするなよ! 俺はお前を助けようとしてるんじゃあないぞ! お前が死ねば、俺も道連れだ。そうなったら向こうのメディアに何をされるか……ああ、考えただけでも恐ろしい!」
「あ、はあ……?」
「もう一つついでに言うが、さっさと行け! お前の女たちにお前を呼んで来るように言われているんだ! お前が少しでも遅れたら、タコ殴りにされるだろうが!」
自分の不利益を主張し、カルデアのマスターを追い払おうとするイアソン。これが照れ隠しなのか、それとも本心なのかは彼のみぞ知ると言う奴だろう。
なんにせよ、このままここに居ても彼の機嫌を損なうだけの様だ。せっかく感謝の気持ちを持った訳だし、それに免じてこの場は退散するとしよう。
「んじゃ、また明日……頑張ろうな、イアソン!」
別れの言葉を口にして、マスターは女英霊たちが待っている部屋へと歩き出す。その背中をイアソンがムカついた様な、それでいて誇らしげな表情で見つめていたのであった。