突如として開幕した聖杯大戦の第一戦、ジャック・ザ・リッパーとアヴィケブロンの戦いは静かな立ち上がりを見せる。霧の中からの奇襲を得意とするジャックに対し、アヴィケブロンは自身とマスターの身を守らせるようにゴーレムを展開し、四方を警戒して敵の動きを待っていた。
敵は少女の姿をしてはいるものの、現代まで逮捕どころかその正体を解き明かされてすらいない稀代の殺人鬼だ。一瞬の油断が命取りになることを理解しているマスターは、ピリピリとした緊張感を肌で感じながら彼女の奇襲に備えて神経を研ぎ澄ませていた。
「大丈夫、落ち着いて。僕と彼女なら、僕の方が優位だ。君のくれた情報が正しいのなら、この戦いは十中八九勝利出来る」
「それはつまり、100%勝てる訳じゃないってことでしょ? なら警戒を緩めちゃいけないよ。全霊で相手に当たらなきゃ」
「……油断のないマスターだ。少し、感心したよ」
優位は自分にあると語るアヴィケブロンの言葉にも決して慢心せず、確実に勝利を掴むために思考を巡らせるマスター。そんな彼に対して、やや感心したような口ぶりでアヴィケブロンが自身の思いを述べた時だった。
「っっ……!?」
ザクリと、何かが切り取られる音が響く。その音に振り向いてみれば、彼らの背後を守っていたゴーレムの体に亀裂が入り、粉々になるまで斬り刻まれる姿が目に映った。
それを行った犯人……ジャックは、狂気に満ちた笑みを浮かべ、なおもマスターに向かって突進してくる。彼女に対して残るゴーレムを向かわせ、防御態勢を整えるアヴィケブロンであったが、ジャックはそんなものは屁でもないとばかりにナイフを振るうと、瞬く間に彼らもただの土塊へと形を変えて崩れ去ってしまった。
「あはははっ! 今行くね、お母さんっ!!」
これで、もう彼らを守るものは何も無いはず。一呼吸置き、もう一度跳躍すれば手に届く距離にいるマスターに対してそう叫びながら、ジャックはナイフを握る手に力を込めた。
殺せる、彼を。愛しくて憎い自分たちの母親を、この手で解体することが出来る。愛する人の内部へ、子供として回帰することが出来るのだと歪んだ笑みを浮かべたジャックは、すぐ近くにいるであろうマスターへと飛び掛かるべく脚に力を込め……そこで、気が付いた。
つい今しがた壊したはずのゴーレムが目の前にいる。五体満足で、何事もなかったかのように彼らはジャックの前に立ちはだかり、岩で出来た腕を振り上げて攻撃の構えを取っている。その一撃は決して速くはなく、ジャックにかかれば躱す事はおろか拳が振り下ろされる前に返り討ちにすることだって容易い。
迷わず、彼女は目の前の岩人形を破壊する。鋭利な刃でその体を半分に裂き、そこから更に半分。またそこから半分……と、一瞬の間に数十にも渡る斬撃を繰り出したジャックは、突如として出現した障害をほんの1秒もかからない内に破壊してみせた。
これで、今度こそ、障害は消え去った……そう思って再び前を向いた彼女の目に飛び込んできたのは、到底信じられない光景であった。
「……なに、これ?」
自分の行動を邪魔するゴーレムが、また出現している。それも1体だけではない、ざっと数えても10体以上のゴーレムがジャックの前に立ちはだかり、標的であるマスターの姿を覆い隠しているのだ。
たった今、10秒も経たない内に5体ものゴーレムを破壊してみせたのに、その間にその倍以上の数のゴーレムが出現したことに困惑を隠せないジャック。そんな彼女に対して、マスター同様にゴーレムの体を壁とすることでその姿を隠しているアヴィケブロンが淡々とした口調でこう告げた。
「無駄だよ。君には僕のゴーレムたちを突破することは出来ない。君と僕では、相性が悪過ぎる」
「ふ、ふふ……っ! 自信があるんだね。でも、私たちだって負けてないよ。こんな人形、全部解体しちゃうんだから」
「それでも構わない。君がこのゴーレムたちを全て破壊し終える頃には、僕はその倍の数のゴーレムを生成しているだろう。君が1体壊すのなら、僕はその間に2体のゴーレムを生み出す。この数の差は埋まらない。埋めることは出来ないんだ」
アヴィケブロンの言葉に対し、ジャックはギリリと歯軋りして苛立ちを耐えた。それは、彼の言うことがハッタリでも何でもなく、事実を述べているということに気が付いていたからだ。
しかし……それを言い換えるならば、暗殺が失敗すると彼女は並の英霊程度の力しか持たないということである。直接戦闘ならば三騎士のクラスは勿論のこと、狂戦士相手でも苦戦は免れないだろう。相手が女性ならば宝具での攻撃で撃破することが出来るかもしれないが、それら全てが通じない相手の場合……つまり、今のような戦いの場合は、非常に苦しい展開になってくる。
ジャックには一気に敵を薙ぎ払うことが出来る対軍宝具はない。一対多数になった場合、彼女が出来るのは着実に敵を1体ずつ撃破していくことだけだ。
ジャックには女性以外の相手に対する決定打がない。男性は勿論のこと、性別の概念どころか生物として認識されていないゴーレムを倒す方法は手にしたナイフでその身を切り裂く他にないのだ。
そう、これこそがアヴィケブロンが言っていた自分の優位である。性能こそ高くはないものの、瞬く間にゴーレムを生成して疑似的な多対一の構図を作ることが出来る彼ならば、対単体相手に特化したジャックの弱点を突くことが出来る。数体のゴーレムに自分たちを守らせ、その他のゴーレムに彼女への攻撃を命じれば、単体への近距離攻撃しか戦う術を持たない彼女を完璧に封殺することも可能なのだ。
「……でも、そんなにバンバンゴーレムを作ってたら、魔力切れも早いんじゃない? その時が、あなたたちの最期だよ?」
「忘れたのかい? 僕の横にはマスターがいる。いざという時には令呪による支援が受けられるということさ。加えて、ここは僕たちの本拠地、君からすると敵地だ。もう少しすれば、異変に気が付いた仲間たちが駆けつけてくれるだろう。そうなったら1対8の勝負になる。如何に君が強かろうとも、8人の英霊を相手に勝利、もしくは逃走することが可能だと思うかい?」
ちっ、と霧の中から舌打ちが聞こえた。ジャックもまた、この戦いの勝利条件が違うということに気が付いている。だからこそ、ああして苛立っているのだろう。
敵地に侵入し、攻撃を仕掛けたジャックの勝利条件はただ1つ、『カルデアのマスターの首を取ること』だ。それが成せなかったとしても英霊の1人でも殺すことが出来れば成果は上々ではあるが、その最大のチャンスである最初の一撃を外した時点で、彼女の任務達成確率はがくっと下がってしまっていた。
逆に、アヴィケブロンの勝利条件は単純だ。ただ『時間を稼げばいい』……それだけなのだから。
一番の危機であった初撃は凌いだ。そこからは時間をかけ、ジャックの動きを封じるだけでじわじわと有利を広げることが出来る。最悪の場合、戦いを膠着状態に陥らせるだけでも仲間の救援が来るまでの時間を稼ぐには十分なのだ。
「僕が君の立場に立ったなら、ここは撤退の判断を下すよ。君は失敗した、もうマスターの暗殺はおろか、他の英霊を倒すことすら出来ない……大人しく帰った方が、身のためだよ」
ピキリと、ジャックのこめかみに青筋が走った。彼女を慮ったようなアヴィケブロンの言葉は、彼女の心には挑発としか捉えられなかった。
確かに、今の状況を冷静に分析するならばアヴィケブロンの言った通りにするのが一番なのだろう。だが、ジャックは自分を馬鹿にした嫌いな奴の言葉に従うことを良しとしなかった。何が何でも、彼の度肝を抜いてやろうと子供じみた……実際子供なのだが……意思を固め、彼女は自身の切り札を使うことを決意する。
確かに、真正面から斬りかかれば、大量のゴーレムを相手にしなければならないだろう。しかし、奇襲をかけられる場所はまだ存在している。……上空だ。
マスターとアヴィケブロンの四方はゴーレムの守りによって固められているが、その頭上はがら空きである。跳躍してゴーレムたちの頭を超え、自身の射程範囲内に彼らを捉えることが出来れば、暗殺は可能だ。
そして……そのための必殺技も存在している。本来、女性にしか通用しない自身の宝具【
強化内容は至極単純、『自身が対象を女性と思い込むことが出来るのならば、その人物は女性として判定される』。例え相手が男であろうと、ゴーレムであろうと、何であろうと、ジャックがそれを女だと思いさえすれば、全ては女性として判定されることになるのだ。
それは決して容易いことではない。だが、カルデアのマスターが相手ならば話は別だ。何故なら、彼はジャックにとっての『おかあさん』なのだから。
おかあさんとは母親だ。母親は勿論、女だ。ということは、カルデアのマスターは女である。自分たちの母親は彼でなのだから、彼は女であるはずだ。自分たちを殺し、命として芽生える前にその可能性を潰した、あの母親たちと同じ存在であるはずなのだ。
「ああ、おかあさん……! 今、いくね。おかあさんのこと……
恍惚とした、今にも蕩けそうになっている人間が口にするような声。甘い愛と苦い憎しみの感情を入り混じらせたその呟きを漏らし、ジャックは跳ぶ。
猫のようにしなやかに、音もなく高く跳躍した彼女は、見事にゴーレムたちの頭上を跳び越え……そして、そのアイスブルーの眼に標的を捉えた。
忘れない、忘れられるはずもない。大好きで大嫌いな自分たちの母。探し求めたその姿。やっと、やっと、やっと……彼を
「此よりは地獄。わたしたちは雨、炎、力――殺戮をここに」
生命が生まれ落ちるその瞬間のように、ジャックはマスターの元へと降下していく。宝具発動の詠唱を終え、握るナイフを振りかざし、脳裏に赤い鮮血が舞い、臓器が零れ落ちる光景を想像しながら、彼女が堕ちる。
まだ彼は気が付いていない。自分の死の瞬間を、ジャックの存在を。最期の最期まで、彼は自分たちのことを見もせずに死んでいくのだと思うと、ジャックの胸には一抹の寂しさが宿る。だが、その感傷に浸ってこの好機を逃すほど彼女は愚かではなかった。
口元に狂気の笑みを浮かべたジャックは、その瞬間に敢えて大きな声で叫びながら、彼の命を摘み取るために自身の宝具を発動する。
「さよなら、おかあさん……【
多くの水子たちの恨み。母親に捨てられた子供たちの怨念。それらが呪いとなり、刃に上乗せされた死がカルデアのマスターへと辿り着く。
彼の首が、腕が、脚が、腹部が……辿り着いた殺人の結果によって切り裂かれ、バラバラに飛び散った。ものの一瞬の間に、彼は解体された死体となって、その場に崩れ落ちた。
終わった、何もかもが。戦いも自身の望みも、この瞬間に叶えられた。その小さな胸に押し寄せる充実感と寂しさを感じながら、バラバラになって弾け飛ぶカルデアのマスターの死体の元へと落下していくジャックは、飛び散っているであろう彼の鮮血を浴び、せめてもの記憶として母親の遺す最後の温もりを感じようと目を閉じ――
「……あ、れ?」
――頬に触れたそれが、液体ではなく砂のような個体であることに気が付いて、小さく声を上げた。
何かがおかしいと、ジャックがそう気が付いた時にはもう、彼女の足は地面についていた。たった今、彼女が解体したマスターの死体のすぐ近くに落下したジャックは、その瞬間に背後から何者かに抱きしめられたことに驚き、眼を見開く。
それを行ったのはアヴィケブロンだった。完全に不意を打って、マスターを殺害してみせたジャックの登場に驚きもせず、ただただ命令を果たす人形のように彼女の体に組み付き、がっしりと拘束してくる。それと同時に彼らを守っていたゴーレムたちが反転し、それぞれがスクラムを組むようにして一部の隙間もなくジャックとアヴィケブロンを囲んだ。
何かがおかしい。いや、何もかもがおかしい。ジャックがそう思った時には、もう全てが手遅れになっていた。
轟音と衝撃、熱がジャックの体を叩く。何が起きたのかもわからないまま、ジャックはすぐ近くのゴーレムの体に叩きつけられ、呻き声を上げる余裕すらないままにその場に倒れ伏した。
爆発したのだと、彼女は思う。何かがすぐ近くで爆発して、それでこんなに痛い目に遭ったのだと、そう思った。その衝撃はドームのように陣形を組んだゴーレムたちの間で一切逃げ場がないように封じ込められ、その内部にいたジャックに多大なるダメージを与えた。ぼんやりとしか考えられない彼女には、何が爆発したのかはわからなかったが、きっとこれは全てカルデアのマスターとアヴィケブロンの作戦通りなのだろうなということは何となく理解出来ている。
そして、そんな彼女の考えが正しいことを証明するかのように、近くの地面が盛り上がったかと思えば、そこからゴーレムに抱えられた2人が姿を現し、痛みに呻くジャックを見下ろしながら会話を始めた。
「作戦通り、だね。君の読みがこの上ないほどに当たった。爆発の威力も丁度いい。彼女を退去させず、されどこれ以上の戦闘続行は不可能な状態にまで追い込めたよ」
「あう、あ、うぅ、う……」
「……ごめんよ、ジャック。痛くして本当にごめんよ……」
全てのナイフを取り上げられ、ボロボロになった体をゴーレムに拘束されたジャックの姿を見て、カルデアのマスターは胸を痛めた。今までもこうして戦闘不能ギリギリまで英霊たちを追い詰めたことはあったが、幼い英霊であるジャックが全身を傷だらけにして血を流す姿は、彼の心を深くまで抉る。
元から肌面積を多く晒す服装をしていた彼女だが、今はその時よりも更に露出が激しいマイクロビキニ姿になっている。股間に食い込むほどの下着と乳首を何とか隠せる程度の上服。それだけしか身に纏っていない彼女の服装には防御力なんてものがあるはずもなく、所々に突き刺さっている岩の残骸があまりにも痛々しく見えて仕方がない。
こうするしかないとはわかっていても、見ていて良い気分のするものではない。許しを請うように呟きつつ、ジャックの頭をそっと撫でたマスターに向け、彼女は憎しみの籠った眼差しを向けると苦々し気に吐き捨てた。
「また、わたしたちを殺すんだね……わたしたちはもう、いらない子なんだよね……? だから、おかあさんはわたしたちを捨てたんだよね……?」
「ジャック、違う! 俺はそんなこと思ってない! 君を捨てるだなんて、そんなことするはずがない!」
「嘘つき! だってソロモン様が言ってたもん! おかあさんがわたしたちを捨てたって、そう言ってた! だからわたしたちが苦しんでも、泣いてても、助けに来ないんだって言ってたもん!」
「ぐっ……!」
徐々に晴れていく霧の中、涙声で叫ぶジャックの言葉により深くまで心を抉られる。自分は、彼女たちを見捨てたつもりはない。だが、彼女たちが苦しい時に手を差し伸べることが出来なかったことは確かだ。実質的に、見捨てたと思われても仕方がないのだと、カルデアのマスターは言葉を詰まらせて苦しそうに呻く。
それでも、彼はジャックへと向き直ると、彼女と対話すべく彼女の目を見た彼は、彼女の表情が先ほどまでとは大きく違っていることに気が付いた。
見開かれた目は驚きの色に溢れ、表情全体が信じられないという感情を示している。そして、ジャックのアイスブルーの眼に映っているものを見て取ったマスターは、彼女と同じような表情を浮かべると急ぎ背後を振り返った。
霧が晴れ、良く通るようになった視界の果てに、彼女はいた。手に弓を携え、その弦を引き絞り、狙いを天に定めて、彼女は立っていた。
そのまま、彼女は無言でその矢を放つ。高く、高く……上昇していくその矢はその頂上で眩く輝き、無数の光の矢へと変化して、そして――
「隠れるんだ、マスター! 敵の第二陣だ!!」
――アヴィケブロンのその言葉を耳にして、まだ戦いが終わっていないことを察したマスターたちの下へと、矢の雨が降り注いだ。