(1)【Normal】
怒気を含んだ声が響く。
その声とともに巫女の腹部に相手の靴先がめり込む。
それが何度も続き、今度は頭を踏みつけた。
憎悪に染まった瞳が巫女を見下ろしている。
激痛に呻きつつも巫女は状況の打開を図るため、思考する。
と――
「……霊夢」
遠くから黒白の魔法使いの声。
その少女の声で、相手の動きが止まった。
彼女の助けはない。
たとえ望んでも、それは永遠にないだろう――
この状況を脱するのは自信の力だけ――
巫女は見上げる。
相手の右手が巫女の顔面にゆっくりと近づいていた。
紅魔戦線(1)
八月も半分を消化した幻想郷は雨も降らず、酷暑が続いていた。
風がほとんど吹かないせいか、木々のさざめきは少ない。そのせいか蝉の鳴き声が周囲によく響いている。
太陽がじりじりと大地を焼き、地表には熱気が漂っている。
照りつける日差しから隠れるように、日陰になる神社の縁側で二人の少女が座っていた。
「はぁー。あちぃー」
霧雨魔理沙は日差しの暑さに呻いている。
つばの広い真黒三角帽をかぶり、上は白のブラウスの上に黒のベスト、下は黒のスカートの上に白のエプロンを身につけている。年は十代半ばで、茶色がかった黄色い瞳。人形とも思えるほど端正で愛くるしい顔つきに、ウェーブがかった腰まで届くブロンド。アクセントとして片側だけ髪を一房だけ三つ編みにしている。
魔理沙は、隣に座っているこの神社の巫女に声をかけた。
「霊夢、アイスは無いのか?」
「あんたがこのあいだ食べたので最後って言ったでしょ」
覇気のない声で、巫女――博麗霊夢は友人の質問を返す。年は魔理沙と同じく十代半ば。栗色の瞳。赤い巫女服に、膝が覗く赤いスカート。顔の両脇に一房の髪を髪飾りでまとめ、腰まで届く黒髪を大きなリボンで束ねている。
「まだ新しいの、買ってきてないのかよー」
「こう暑いとね。動くのが面倒になるのよ」
「んー、他に涼しくなるものは。水浴びとか? 風鈴とか? あとはー」
「水浴びって、水風呂にでも入るの?」
「いや、去年のアレなんか良いように改良してないのか?」
魔理沙の言うアレとは、使用者の周りに球状の水の膜を構成するものだ。幼児を監視下の元で安全に水浴び、あるいは泳がせる為のものなのだが、いかんせん今の彼女らの体では小さすぎた。
「あんなの使い道ほとんどないからね。風鈴はあっても良いかもね」
「じゃあ、今度買ってきなよ。あとアイスも」
「……あんた、それ目当てでここに来たの?」
「えっ。……そんなことはない。うん。私はこの間あげたリボンを、お前が使ってくれているのか気になってだな」
彼女の言うリボンは、つい最近誕生日を迎えた霊夢に魔理沙がプレゼントしたものだ。
彼女のトレードマークでもある赤いリボン。今迄と違うのはリボンに白いフリルがあしらわれている点で、それは今霊夢の髪を纏めている。
魔理沙からプレゼントをもらうのはこれで二度目だ。一度目は酒とつまみだった。前回より色気が増している。つまり魔理沙とあっておよそ二年経ったということだ。霊夢にとって、はっきりとは覚えてはいないが、母がここに戻らなくなった時期と、魔理沙と出会ったのが同時期だったと思う。
「そんなの、ぱっと見れば分るでしょ。いつもこっちに来る理由になんないでしょ」
半眼で見返す霊夢に対し、魔理沙は巫女を見つめ、相手の両肩を掴み、
「実は私は……お前のことが好きなんだ」
「……はいはい、そうですかそうですか。うれしいうれしい」
霊夢は腕を払い、魔理沙の言葉を軽くいなす。
「つれないなあ」
二人の側にある空いたグラスの氷が、からんと涼しげな音を立てた。
たわいもない少女たちのおしゃべりが続く。
小さな雲が太陽を隠し、日差しが弱くなる。
その様を見て、魔理沙は思い出したように話の話題を変えた。
「霊夢は霧の湖を知っているか?」
「確か……魔法の森の北にあったような……」
巫女は空を見上げながら、聞き覚えの少ない地名を頭の中で反芻する。
雲は今も太陽を隠している。
「そうそう。あそこはさ、いつも霧に包まれているんだけど。最近ちょっとした変化があってさあ」
「どんな?」
「霧の一部が赤くなってるんだ」
「何それ。怪談話?」
「いや、ホントだって。……だったら、これから見に行かないか? どうせ、暇なんだろ?」
「失礼ね。……まあ、いいか。ちょっと準備するわね」
霊夢はグラスを片付けに部屋に入っていった。
雲が通り過ぎ、再び太陽が顔を覗かせた。
二人は神社を後にし、空高く舞う。幻想郷という世界を見渡す。この幻想郷は東の国の山奥に存在する。幻想郷には不可視の結界が展開しており、それは先ほど二人がいた博麗神社の巫女、つまり博麗霊夢が管理している。神社はこの結界――博麗大結界の東の境界近くに位置する。霧の湖は神社から西の方に位置する。人里を超えた先の魔法の森。魔理沙の住んでいるこの森の北の方に、件の湖が広がっていた。
「ほら、見えた。霊夢。あれだ」
魔理沙が指さした先を霊夢は見やる。湖を覆う白霧の中に、赤く染まった霧が一部漂っている。
「あそこは、たしか……」
霊夢は記憶を探る。霊夢が答えを引っ張り出す前に魔理沙が答えを言う。
「紅魔館だよ」
「……たしか、吸血鬼が住んでるとか」
「ああ、姿は全くっていいほど見かけないけどな」
遠くから見ているせいか、建物の姿は見えなかった。
「このまま、異変解決と行くのか? 霊夢」
「……いえ。あれなら何も実害とかなさそうだし。このまま霧が広がって、回りに害をなすようだったら考えるわ」
「とりあえずは様子見か」
「ええ」
魔理沙の言う異変解決は博麗の巫女の代々の生業の一つである。
他は人里での祭事である。
吸血鬼が起こした異変は、一度解決されたと聞いていた。それは彼ら吸血鬼が幻想郷に侵入したおよそ四百五十年前の事である。異変の理由など霊夢は知らない。
二人は吸血鬼という異種族に大した驚きはない。なぜなら、この世界には、様々な種族が存在するからだ。
この幻想郷には人以外に、妖精、妖怪、亡霊、魔法使い、妖獣、獣人、天狗、鬼、仙人などの種族が存在する。霊夢自身はほとんど出会ったことがないが――
人は妖に食われ、妖は人に退治される。不安定ながらも維持していた人と妖のバランスは、吸血鬼の出現により一気に崩壊した。それを解決したのが博麗の巫女だそうだ。
博麗家はこの幻想郷の歴史と同時に存在しているそうで、千年以上は続いている名家だと、霊夢は母親からそう聞いている。
しかし、今では博麗の子孫は、博麗霊夢ただ一人。母親は霊夢に博麗の巫女としての教育を施した後、姿を消してしまった。正確には”後”なのかも分からない。今も生きているのか、それとも死んでいるのか。そういえば、入れ違いと言っては失礼か、魔理沙と出会ったのは母がいなくなってからだったような気が……。
考え事をしていると、魔理沙が声をかける。
「見たいものも見たし、私はそろそろ家に帰るぜ」
「……そうね。私はちょっと人里の方に行って買い出しに行くわ」
「それじゃあ。霊夢、アイス買っといて」
「はいはい。分った分った。それじゃあ」
森の方に向かう魔理沙を見送り、霊夢は人里の方に向かった。
NEXT
触手が絡みつき、巫女の体を少しずつ下へ下へと引き寄せられる。