――まで、後十八時間
レミリア・スカーレットが月の異変に気付いたのは当然のことだった。
吸血鬼である彼女の生活は夜が基本で、月を眺めることはいつものことだった。加えて普段地下で過ごしている彼女の妹――フランドール・スカーレットは、満月の日にだけ外であるいは屋敷内目一杯使って遊ぶ。
それは、フランが姉――レミリアの手に余る能力を持っているが故のことだった。
深い霧の隙間から覗くそれを見つめ、レミリアは目を細める。
初めてみる月の相貌。
それは、何かの始まりを暗示しているのか、はたまた――
「……」
無言で自身の知識を探って見ても、該当するものはない。
吸血鬼は取りあえず、パチェの意見を聞きに地下図書館へと降りて行った。
◇◆◇◆◇
西行寺幽々子が月の異変に気付いたのも当然のことだった。
白玉楼の主は食欲旺盛な所があった。加えて酒好きでもある。月見酒を楽しむことは、良くあることだった。
彼女の従者――魂魄妖夢はあの一件以来少し距離を置かれている。白楼剣を使って、愛する彼女とちゅっちゅっして、そして粘膜の触れ合いを、と考えていたが、半人半霊という特殊体質のため、剣の呪縛は脆く目的のゴールに達することなく崩れてしまった。
妖夢はいつものように側にいて、話はしてくれるのだが、手を近づけるとすっと身を引かれてしまう。
こんなことなら、普通にABCと段階を踏むべきだったのだろうが、後の祭り。
いまだ桜の花が残る西行妖を肴にお酒を飲んでいると、幽々子はそれに気付く。
ともすれば、彼女と彼女が動き出す。
ここにいても、妖夢との仲に変化はつきにくい。これを理由に外へと繰り出すのはどうだろうか? 彼女の目的は知っている。なら邪魔をしなければ大丈夫だろう。
「ねぇ、妖夢……」
幽々子は楽観的に考え、思いついたこと実行するため、従者に話し始めた。
◇◆◇◆◇
月。およそ三十日で一周期する衛星。満月の日を基準にアリスは自宅で稼働させている自律人形のメンテは行う。真夜中を過ぎ、床に入ろうとしたアリスは窓から空を仰いだ。月を見「ああ、明日は満月なんだ」と、思った思考の端に違和感を感じ、再び月を見る。月の一部が不自然に消失していた。この月の異常はあの巫女の仕事――変異なのだろうか。
家路についたアリスは、すぐに体を洗った。触れられた部分を強く擦ってもその感触は消えず、ただ肌が赤くなるだけだった。
夢想していた魔理沙との恋愛の階段は呆気なく崩れ去った。繕った服を渡しに行く気にはなれず、二日が経ち今に至る。
変異解決はあの博麗の巫女の仕事だ。誰がいつ、それを決めたのかは知らない。幻想郷を管理しているスキマ妖怪――八雲紫の仕事ではないのか。そもそも別に異変解決は誰が行っても良いのではないか。
明日魔理沙に話してみよう。
ずっと魔理沙を避けている訳にはいかない。
もう一度月を見た。
やはり月の一部が欠けていた。
翌朝、アリスは霧雨魔法店を訪れた。空は明るく、時折風が吹き、暑さはあまり感じられない。呼び鈴を鳴らす。足音が聞こえ、彼女がドアを開け出迎えた。
預かっていた服を渡す。意識的に彼女の顔だけを見る。
「ちょうど良かった。これから休憩しようとしてたんだ。上がってくれ。服のお礼もしたいな」
魔理沙に招かれて入ると以前来たときと同様、部屋は雑然と物が置かれていた。ただ食事をする為のテーブルの上は片づいていた。白い皿にクッキー、と一冊の分厚い本が置かれている。
「林檎と桃の紅茶があるんだが、どっちが良い? アリス」
「……林檎の方でお願い」
隣の部屋から聞こえる彼女の声にアリスは答え、椅子に座る。周囲は静かで彼女が動いている音だけが聞こえる。やがて、両手に湯気だったティーカップを持ち、
「お待たせ。好きな方を選んでくれたら良いよ」
と、テーブルの上に置いた。
ソーサーの上に乗ったカップは意匠が違った。白地に金色の幾筋もの流れ星をあしらった物と金色のハートマークを刻印した物。
「魔理沙がこんな茶器を持っているなんて思わなかったわ」
と言い、アリスは星のカップを選んだ。林檎の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「だろうな。この間アリスは紅茶が好きって言ってただろ。それに合わして奥から引っ張り出してきたんだ。人形の事はさっぱりだから、取りあえずはもてなしからって事でさ」
彼女は一度言葉を切る。
「そこにあるクッキーも食べてくれたらいいよ。全部は困るけどさ」
彼女は袋から服を取り出し、広げ修繕した箇所を確認した。破れていた部分は、同色の大小様々な星に象っていた布で隠されている。
「やっぱり上手だな。私にはこういう細かい作業は苦手でさ」
「別におだてなくても良いわよ」
返答し、アリスはクッキーを一枚とり、一口囓る。少しバターの味が強い。口直しをするように紅茶を飲む。
服を直し、彼女は椅子に座る。アリスと向かい合う格好で。
彼女はクッキーを一枚ぱくぱくと二口で口に放り込み、紅茶を一口飲む。が思いの外熱かったのか舌を出し、涙目になっている。
その姿を眺めながら、アリスはこのティータイムに月の異常について彼女に話した。
案の定、魔里沙は博麗神社に行くと言った。
一緒に来て欲しい。そして霊夢に説明して欲しいと言う。
二人で調査しない?
と、言いたかった。
あんな所には行きたくない。
アリスの重たい感情とは別に、魔理沙はどこか楽しそうにしている。ただ、こういうきっかけでもないと魔理沙と長く一緒にはいれない。
そんなことはない。ただ自分がそう考えているだけで――
魔理沙はアリスに了解をとり、残るクッキーを早口で食べ、紅茶で流し込んだ。
飲みかけの星のカップと食器類を纏めて、キッチンに置いて、彼女は外に出る準備をする。
手にはいつもの箒。
アリスの気持ちも知らず、魔理沙は喜々とした表情をして神社に向かう。
遅れてアリスもついて行った。
◇◆◇◆◇
正午よりまだ早い時間。魔理沙にとってこの時間に博麗神社を訪れるのは久々だった。風があり、時々帽子を押さえる。神社はもう近く。境内を掃除している人影が見えた。近づくにつれそれが博麗霊夢ではないことが分かる。珍しく彼女自身がコピーを召喚したようだった。
鳥居をくぐり着地する。遅れてアリスも、着地したようだった。
「あいつは?」
「……逃げてる」
「逃げてる?」
「……八雲紫が来たの」
「もしかして……」
魔理沙は彼女に月の事を尋ねた。
「うん、朝から咲夜と妖夢が、こっちに知らせに来てたそうよ」
「結構気付くんだな。月なんてそうそう眺める事なんてないのにさ」
「んー案外、人だけなんじゃない? 紅魔館の方だとレミリアが気付いたそうだし」
吸血鬼。夜行性だからか?
冥界の二人。あの主人が月見酒でもしていて、気がついたのか?
巫女の表情が変わる。箒を持つ両手に力がこもっている。
「八雲紫も異変には気付いている。朝からあの妖怪も来たそうよ。目星も付いているみたい。それで異変解決の為に今晩ここで、作戦会議をするって」
「作戦会議?」
「今回の異変解決に咲夜とレミリア、妖夢と幽々子も参加させるんだって。それで、勝手なことをされても困るからってね」
「そんな大事なのか、今回の異変は?」
「……見たいね。月、というか月の光が多くの妖怪にとって必要なものらしいんだって」
「狼男とか? 別に月が消えた訳のもないのになあ」
「さあ。私には何とも言えないわ……ただ私には彼女たちを囮に使おうとしているように感じるんだけどね」
「囮?」
「何となく……なんだけど。スキマ妖怪が言うにはとにかく早く解決させないといけないんだって」
巫女は両手で持っていた箒を片手に持ち替え、言葉を続ける。
「しかも八雲紫自身も解決に動くんだって」
「妖怪にとって重要だったら、それが普通だと思うんだけどなあ」
魔理沙は一度言葉を止め、続ける。
「でも、あいつの側にいて大丈夫なのか? 霊夢も咲夜も、散々酷い目にあってんのにさ。あっ」
「まあ、だから私がここに居るんだけど。今あの子は里の方に用事で出かけて、このままだと私が行くかも。八雲紫はこの間、しばらくは手を出さないって言ってたけど……あの能力だと、多分どこに行っても逃げ場なんてないしね」
魔理沙の言葉を待たず巫女は続ける。
「結局の所、力がものを言う訳だし……咲夜は反対だけどレミリアが乗り気みたいだし――」
巫女は箒を両手で持ち、尋ねる。
「魔理沙も……来てくれるんだよね?」
「ああ」
「良かったぁ」
笑顔で言葉を返す。
「魔理沙の好きなキノコも買ってきて正解だったわ」
「ん? どういうこと?」
「異変解決を手伝ってもらう事になるから、夕飯を出そうと思ってね」
「えっ、飯食えんの!」
「さっき里に行って色々材料買ってきたんだけど……」
「行くよ。うん。絶対行く」
ふと魔理沙は彼女のリボンがいつもと違って見えた。
赤いリボンに一カ所、薄桃色に五枚の桜の花びらが刺繍されている。
「あれ? リボン変えたのか?」
「……うん。買い物のとき一緒に買ったの。変……かな?」
紅白巫女は頬を少し赤らめながら、魔理沙に返事を求めた。
魔理沙は軽く答える。
「別に遠くから見たら大して違いなんて無いだろ」
「あーそー。そういう言い方、傷つくなー」
箒を片手に持ち替え、半目で不平を言った。
「まあ色気より食い……アリスはどうする?」
魔理沙はアリスの方を向く。
それで、巫女は笑顔でアリスを見る。
「初めまして……なのかな?」
「あぁ、そういえば――」
魔理沙の言葉を遮り、アリスは巫女の前まで歩くと、思いっきり相手の頬を叩いた。
遅れて箒が石畳に乾いた音を立てて倒れる。
巫女は何が起きたのか分かっていない様子で固まっていた。
魔理沙も突然の事で言葉を失っている。
時が止まったかのように静かで――
アリスが声を上げる。
「白々しいことを言うのね。人にあんなことをしておいて。魔理沙の前では可愛い子ぶって、裏では人を物色して。最低ね」
そして、
「魔理沙、私は帰るわ」
そう言い、アリスは踵を返し、飛んでいく。
叩かれた頬に手を当てる巫女に、魔理沙は謝った。
「あいつに説明してくる。そっちには夜行くから」
「……ごめんね。迷惑かけて」
夏の空気はもう感じない。
「別に。お前のせいじゃないさ……ただタイミングが悪かっただけさ」
口惜しい表情を滲ませ、魔理沙はアリスを追った。
◇◆◇◆◇
大通りから北に二つの通りを抜け、目印の寺子屋を探す。東西に伸びたこの通りは住居区画の為、時折生活音がする。建物が密集していて通りが日陰なのと、打ち水をしている御陰で暑さは感じない。西の方に歩いて行くと、右手側に二階建ての建物が見えた。正面に立つ。目印の寺小屋だった。開いた窓から中が見える。小さな机を並べて、子供たちが座っていた。
寺子屋から西に三つ先の住居。表札は付いていた。
上白沢慧音。
名前を確認し、霊夢は玄関の扉を叩いた。
◇◆◇◆◇
幻想郷の南東に位置する迷いの竹林。人里からは南に進めば行き当たる竹林。
複数ある竹林の入り口の一つに二人の妖怪が話をしていた。主に話をしているのは幻想郷の管理者の方だった。
話の終わりを伝えるかのように一陣の風が吹き、竹がしなり、ざわめく。
「……という段取りでお願いね。因幡てゐ」
兎は頷き、八雲紫から金銭を受け取ると、竹林の中へ消えていった。
NEXT EPISODE あと十七時間
すぐ後ろから魔理沙の声が聞こえた。
彼女の手がアリスの肩にかかる。
ぞわりとする悪寒。恐怖。
「放して」
自分でも信じられないほどの大声を上げ――
振りほどこうと大きく動かした腕が、手が――
魔理沙の頬を叩いた。
*
まるで二人の人間がいるかのような――