あと五時間
アリスが去って、しばらく欠けた月を眺めていた巫女は部屋に戻った。
丸い木製テーブル。その真ん中に浅い鉄鍋。中には牛肉、白菜、玉葱、しらたき、焼き豆腐、榎、椎茸、麩が醤油、砂糖、酒で味付けした煮たもので、つまりはすき焼き。畳の床に、厚めの鍋敷きが敷かれ、その上に大きな釜が置いてある。中は焚いたご飯。
奥側に二人が座り、縁側のほうには、妖夢と幽々子、その反対側に十六夜咲夜とレミリアが座っていた。二組のカップルの間に、魔理沙とアリスが座っている。受け皿にいくつか具材を取ってはいるが、積極的に食べている感じではない。早々になくなると思われたが、案外ゆっくりと食べられていた。
「ねえ、咲夜。私に食べさせて」
と、レミリアが言えば、
「ねえねえ。妖夢、私に食べさせて」
と、幽々子が言う。
「今度は私が食べさせてあげる」
と、更にレミリアが言えば
「妖夢、あ~んってして」
と、幽々子が言う。
やたら自分達カップルのラブラブ度合いを競い合っている。主人同士で。従者達は恥ずかしいながらも主人につきあっていた。魔理沙はそれを気にせず、黙々と食べていた。
しばらくして具材が少なくなってきたので、巫女は鉄鍋を運び、シメとしてうどんを茹でた。
それをあっという間に六名が平らげ、片付けをしようとすると幼い吸血鬼が巫女に声をかけた。
「ねえ、霊夢。デザートは? プリンとか出せないの?」
「そんなのないわよ」
ぴしゃりと巫女はお子様吸血鬼の言葉を返す。
レミリアは頬を膨らせる。
それを見て、魔理沙は笑いながら、
「吸血鬼と言っても、見た目通りの子供だな」
と言い、巫女が入れたお茶を飲む。アリスも苦笑しながら両手で湯飲みを持ち、口をつける。
ぎぎぎとレミリアは魔理沙を睨み、しばらくすると顔を従者の方へ向け、熱っぽい声で話す。
「じゃあ、デザートは、咲夜の身体で……」
吸血鬼の言葉を聞き、魔理沙とアリスは同時にお茶を噴き出す。
「うわっきったねー」
「それはあんたもでしょ」
従者のメイドは顔を赤くする。アリスも顔を赤くした。
巫女は雑巾と布巾を取りに一度へ部屋を出る。
受け取った雑巾で魔理沙は畳を拭きつつ、
「おかしいだろ、お前。プリンの次が身体って」
と言う。アリスは布巾でテーブルの上を拭いている。
「あんたが私を馬鹿にするからでしょ」
相手を半目で睨み、レミリアはさらりと言った。
「じゃあ、私は妖夢を――」
「斬りますよ」
妖夢は主人を睨む。
にこやかに言う幽々子の冗談は、従者に通じなかった。
お茶で一息ついていると、咲夜が巫女に聞く。
「霊夢、いつになったら、あの妖怪はやって来るの?」
「さあ? 夜、としか聞いてないのよねぇ」
食事が終わり、ただ八雲紫の登場を待つのみ。
彼女の疑問に、巫女は明確に答える事は出来なかった。
「待たずに、こっちから動いた方がいいんじゃない?」
「どこに行かれるのですか?」
七名の声とは異なる声が、レミリアに質問した。
「どこに、って適当に飛んでれば、見つかるんじゃない?」
「それは無謀ですね」
吸血鬼は、他六名が向けている方向に顔を向ける。この部屋の天井近くの隅に九つの尻尾を持つ八雲藍が空中にいた。妖狐は言葉を続ける。
「今回の異変の元凶は、昔から姿を隠しています。貴女様が行った異変とは異なるのです」
「どうせ、どこかの妖怪がやっているんじゃないの?」
「それでは、レミリア様は妖怪のいる北の方に行かれるのですか? だとしたら見当外れですよ」
そう言い、狐は巫女の方に顔を向ける。
「博麗霊夢。貴女は今回の異変に対しどこに向かいますか?」
「……南」
巫女が言った言葉を聞いて、魔理沙が言う。
「幻想郷の南の方っていえば、太陽の丘と無名の丘の花畑と、迷いの竹林しかめぼしいものはないけどなぁ」
「ですが、それが正解です」
急いでいるのか、狐は言葉を続ける。
「正子までには行動を起こしますよ。こちらも色々と準備をしておりますので、今しばらくお待ち下さい。その間これ暇を潰していただければ――」
八雲藍が放り投げたそれを巫女は受け取る。小さな箱。
「それではまた」
八雲藍は空中に消えた。
「幽々子は今回の事、紫から何か聞いていないの?」
「いいえ。単に面白そうだからね。はい、上がり」
巫女の言葉に返答しつつ、亡霊姫は二枚のカードを山になっているカードの上にのせた。
Jと書かれた二枚のカード。絵柄のマークは異なる。
八雲藍がこちらに渡したのは、トランプだった。
異変を早く解決しないといけないという割に、暇を潰すアイテムを渡す。緊張感のない状況。とはいえ、春雪異変の事があってか、魔理沙と咲夜――特に咲夜は主を引き留め――は、大人しくこの状況に従っている。
巫女、レミリア、妖夢の三人は遊び方が分からなかった。
三人は周りにルールを教えてもらいつつ、トランプを使ってゲームをした。
ババ抜き、七並べ、大富豪、ポーカー。
結局、八雲紫が来るまで遊んでいた。
◇◆◇◆◇
上白沢慧音に言われた通りにスペルカードを一枚作った。霊夢が作ったスペルカード――霊符「夢想封印」。このスペルカードを使い、彼女の言う命名決闘法案の対戦を行った。対する彼女のスペルカードは、未来「高天原」。ルールを聞き、取りあえず決着がついたときには、日が暮れようとしていた。
早めの夕食をとり、お茶を飲みながら、慧音は幻想郷の歴史について語り始めた。
「およそ千三百年前、千年前と四百五十年前。幻想郷で大きな変化の節目が今言った年ね。順番に説明するわ。まず千三百年前、八雲紫が幻想郷に幻と実体の境界という結界を張った。理由は数の制限と人と妖のバランスをとる為ね。けれど、人は弱い。結界を張った結果、妖怪の数が増え、次第にそのバランスが崩れていった。そして千年前、八雲紫は増長した妖怪を引き連れ、月に対して戦争を行った。勝てば月に余剰分の妖が移住、負けても必要数の妖怪を間引ける形で、どっちに転がっても都合のいい形にね。結果は敗走。彼女は月からの猛追を退ける為に博麗家に依頼。彼らは博麗大結界を張る事になった。最後に四百五十年前。吸血鬼レミリア・スカーレットが幻想郷に進入した年――」
◇◆◇◆◇
正子まであと三十分ほど、いい加減ゲームに飽きてきた頃――
「待たせたわね」
声と共に八雲藍同様、スキマ妖怪が空中に現れた。
「かなり遅れたから、手早く説明するわ」
八雲紫はテーブルに散らばったカードをさっと脇にどけ、数枚の写真を置いた。巫女を含め七名が写真に目を落とす。
一枚目。頭頂部に白いうさ耳がついた、肩まで届く黒髪の少女。見た目のその幼さはレミリアに近い。ピンク色のワンピース姿。首元には、にんじんのネックレスを着けている。
二枚目。ストレートの長い黒髪。少女とも、かといって女性とも言えない見た目。ピンク色の上着は胸元に大きなリボンがあしらわれている。下は赤いスカートを履いている。
三枚目。長い銀髪に紺色の帽子。見た目は大人の女性といった感じで、服は左右で紺色と赤色と色が違う。上着と下のスカートで配色が異なっている。
四枚目。真っ黒。何も写っていない。
「今から一週間前、月から一羽の兎が逃げ出した。残念だけど姿は分からなかったわ」
紫は手にある差し棒で、真っ黒の写真を示した。
「彼女はすぐに同じ月の住人だった月人に保護されたわ。この二人に」
二枚目と三枚目の写真を交互に指し示す。
「名前は、黒髪の方が蓬莱山輝夜。もう一人の銀髪が八意永琳。二人は共に月からの逃亡者という立ち位置。千年以上前から。だから彼女を連れ戻す為の来ると予測される月の使者を退けるため、本当の月を隠した。今、夜空にある月は本物ではないわ。満月の時に彼らはやってくると、この二人が考えたから。二人がいる場所はここから南にある迷いの竹林の中にある永遠亭という屋敷。“迷いの”という名前の通り、ここは月人の特殊な結界が張られている。入り口が五十を超えるわ。だけど屋敷にたどり着く道は一本だけ。竹林は貴女達の紅魔館と同じく空間を広げているみたいね。一筋縄ではいかないわ」
「貴女の能力で、直にその屋敷には行けないの?」
幽々子は友人に問う。
「残念だけどね。月面戦争の事は知っているでしょう? 幽々子。向こうの方が技術は遙かに上。中の空間が常に流動して出口が定まらないのよ。私と藍の二人がかりで調べているけど、全部ダメ。残る経路は十四……そうそう、彼女は地上の兎の妖怪。名前は因幡てゐ。彼らと同じ永遠亭に住んでいるわ」
スキマ妖怪は、残った写真を示した。
「今回の異変解決はあくまで偽りの月を消して、本物の月を表に出す事。話し合いで済めばいいけど……まあ無理でしょうね。この異変は今夜中に、夜を止めてでもケリをつける。そのために、夜は私が止めるわ。協会を弄ってね。さて、異変解決のルール上、相手を殺す事は不可。特に八意永琳、彼女を殺すのは御法度よ。理由は彼女が薬師である事。幻想郷にある薬事あるいは薬の進歩、恩恵は多大なものよ。彼女の御陰でかなりの病気が治るきっかけになったし、彼女が作った避妊薬の恩恵は知っているでしょう? 説明はこれぐらいかしら?」
「ちょっと待って。どうしてそこまで詳しく分かるのよ」
「別に全て知っている訳じゃないわ。予想が立てやすかっただけよ」
「それに、こっちの結界は効果がないの?」
「いえ、彼らが来たのは博麗大結界を張る前だから効果はあるわ」
「でも、兎は降りてきたんでしょう?」
「今回月から降りてきた兎は、特殊なのよ。月面戦争時に、私が博麗家に頼んだ緊急脱出用の護符が使われたんだから。向こうにとっては使い方も分からないだろうから放っておいたんだけどね」
「つまり今回の異変の原因はあんたが作ったって事ね」
「まあ、そうなるわね。だけど、あれには使い方なんて書いてないのに、偶然発動しちゃったようね」
巫女はそれ以上何も言わなかった。色々言っても時間の無駄。そういった感じで――
一方的に話を進める相手に、レミリアは面白くないようで口を挟もうとしたが、メイドに口を塞がれいた。
紫は地図をテーブルに広げる。手書きのざっくりとしたもので、竹林の外形が書かれている。所々にレ点が合計十四カ所、ついていた。
「各場所の近くの地面に、数字を書いてあるわ。各自でその通路を調べ、目的地に向かう。誰がどれを選ぶかは、これで決めましょうか。私が触るとまずいだろうから、妖夢、貴女がやって」
紫はテーブルの脇にどけたトランプを指さす。
幽々子に促され、妖夢がAからKを各一枚、ジョーカー一枚を取り、カードを切る。
レミリア、幽々子、魔理沙、巫女の順にカードを引く。銘銘カードをテーブルに置いた。
レミリアが引いたのはQ、クイーン、つまりは十二。
幽々子が引いたカードはA、エース、つまりは一。
魔理沙が引いたカードは八。
巫女が引いたカードはジョーカー。つまりは十四。
◇◆◇◆◇
迷いの竹林にある永遠亭。
食事の片付けを終えて、割り当てられた自室にいるレイセン、もとい鈴仙・優曇華院・イナバの元へ因幡てゐは向かった。ノックをせず、ふすまを開ける。部屋を眺める。部屋の真ん中には、すでに寝るための布団を敷いてあった。
鈴仙は小さな机の前で本を読んでいた。永琳から渡された本を読んでいるようだった。
こちらに気付いた鈴仙に、てゐはスキマ妖怪から頼まれた事を師匠の言葉として伝えた。
◇◆◇◆◇
巫女は六名に数枚の護符を渡した。
紅魔館の二人が先に出て、次いで白玉楼の二人が出て行く。
どこか不安げな表情を巫女に見せつつも、魔法使いの二人も出て行った。
六人が出て行った。
残っているのは巫女とスキマ妖怪。
「さて、貴女には夜を止めてもらうわ」
「……さっきは、あんたがするって言ってたけど」
「異変解決は、博麗の役目よ」
「夜を止める意味合いは?」
「牽制みたいなものね。あとは……それ」
紫が目配せする。見ると、日傘があった。
「夜明けまでに終わらせないと、あの吸血鬼が立ち往生するわよ。まあ、案外なんとかなるけど……あのメイド、主人がわざと私に深く関わらないように、手を打ったってことよ」
「……だけど、私はあんたのように境界弄るなんて」
「別に、全ての夜を止める必要はないのよ。この幻想郷だけ。この結界の中だけいいのよ」
「……」
八雲紫は一個の丸薬を巫女に渡す。
「これを飲みなさい」
「これは……」
「霊力を回復させる薬よ」
「……本当ですか?」
スキマ妖怪は舌打ちをした。
「時間がないって言っているのに……嘘か本当かなんてどうでも良いでしょう? 説明したところで、貴女にはこの異変の中で死んでもらうのだから。どうせなら、あの子に役に立って死ぬ方が、貴女にとって幸せでしょう」
「……」
「貴女の使命は異変の解決。博麗の巫女として当然のこと――」
「私は死ぬつもりなんて……」
「今の貴女は主の敵よ」
「そんなことは……ない」
「主の横恋慕しといて、よく言うわね」
「違……」
紫が巫女の首を掴み、ふすまの間にある柱に叩き付ける。
「リボンまで変えてあの魔法使いの気をひいて……」
「……」
「人に逃げるなとか言っといて、自分が逃げてるんじゃあねぇ。使えない人形ね」
「……」
「今の貴女のことを知ったら、あの子がどう思う?」
「……」
「全て目茶苦茶になる。私の言いたいこと、分かるわよね?」
紫は巫女の首から手を離す。尻もちをつき、背中を柱に預ける巫女。
紫は苛立ったように喋る。
「五分で準備しなさい」
スキマ妖怪は外へ出ようと歩いて行く。
「あんたの目的は――なんでしょう?」
紫は足を止めた。首だけで振り返り、冷たい右目が人形を睨みつける。
「だからあの子にあんなこと、したんでしょう」
八雲紫は何も言わない。
「それで上手くいかなかったから、今度は――の魔理沙に同じ事をしたんでしょう?」
答えはない。
「馬鹿じゃないの? あっちが駄目ならこっち、だってさ……ホント馬鹿みたいに単純ね……そんなことで簡単にいくと、本気で思っていたの?」
スキマ妖怪が体をこちらに向ける。
「ホント、直接あの子に言ってあげれば、案外あんたの思い通りになったんじゃないの?」
八雲紫は、二人の間にあるテーブルの縁に足を掛け、押し付ける。
テーブルは畳を滑り、台が巫女のみぞおちにぶつかる。
いつの間にか髪を上から掴まれた。
「あんたのしていることは全部無駄――」
そのまま顔面を二度、いや三度叩き付けられる。
鼻が痛い。
鼻血は出ない。人形に血は流れていない。
紫は巫女の手から丸薬を取ると、髪を引張り、顔を天に向ける。指で口をこじ開け、強引に薬を開いた喉に押し込んだ。
咳き込む人形。
なおも強気に巫女は言葉を続ける。
「霊夢は……多重人格なんでしょう? アリスが言っていたわ」
その言葉を聞き、八雲紫は笑みを浮かべる。
「そうね。どちらに転んでも良かったのだけれど。あれは、辱めを受けると同時に精神強度を測る装置だから――」
紫は笑みを崩さない。
相手を手玉に取ったという感じで、言葉は続く。
「貴女、食べ物は受け付けないんでしょう?」
その言葉に巫女は俯き、目を見開く。
「貴女が飲んだ薬は、その多重人格を癒やす薬――」
紫は笑う。妖怪の言葉は続き、相手より優位に立とうした言葉は無意味になる。
「――博麗霊夢は零から偶然に作り上げたと思っているようだけど、実際の所は、これを少し応用しただけなのよ」
「……だけど、そんなことをしたら、貴女の――」
「別に。使えなければ、他の役割を与えるだけよ」
言うべき言葉は見つからない。
「喋りすぎたわね。サービスであと三分待ってあげるわ」
紫は踵を返し、外へ出て行く。
さっきまで大勢いた部屋は、静かだった。
八雲紫の言う事が本当なら、もう時間がない。
何か出来る事は――
おそらくは――ない。
「あはは」
ただ、乾いた笑いしか出なかった。
時間はない。
立ち上がり、テーブルを元に戻す。
棚から前に見た家系図を探しだし、テーブルの上に置いた。
夜を止める。
時間は流れていく。
博麗霊夢は二人のやりとりを知ることが出来る。
人形の五感を共有することが出来るからだ。
しかし、二人分の情報処理は脳に負担がかかる為、基本的には共有化のスイッチはオフにしている。
霊夢は人形の異常をするため痛覚だけは、オンにするつもりだった。
しかし、スイッチを入れたのは上白沢慧音の長い話が終わってから――
”博麗霊夢”が二人のやりとりを知ったのは、この異変が終わる頃だった。
NEXT EPISODE あと三時間
??の前にうっすらと光る一つの人影
*
微かに??の耳に歌声が聞こえた