偽りの終わり
夜明け前。
彼女が言っていた通りの場所に枯れたように黄色くなっている竹が、他の竹にもたれかかるように四本、適当な間隔で立っていた。右から二番目の黄色い竹の側を、かき分け進むとほどなく獣道が現れた。霊夢は真っ直ぐに伸びる細い道を進み、竹藪を抜けた。広い空間に、どこか高尚さを覚える立派な和風の建物。霊夢の正面には玄関などと言った扉はなかった。それが元々なのか、それとも魔法なりを使って見えなくしているのか霊夢には分からなかった。時間がなかった。注目してほしいと言わんばかりに存在する一つの丸窓に向けて、霊夢は護符を放つ。弾かれることもなく、はめ込まれたガラスが割れた。霊夢は素早く、その窓から永遠亭に侵入した。
◇◆◇◆◇
そう遠くないところから窓が割れる音が因幡てゐの耳に入った。彼女がいる部屋の近くに、窓がある部屋は台所である。てゐはふすまを開け、ひょこひょこと台所の扉の前まで進んだ。外開きの扉の窓は高い位置にあり、彼女の身長では覗けない。てゐは不用心にも、ドアノブに手をかけてしまった。
◇◆◇◆◇
霊夢の入った薄暗い部屋を見渡す。台所だった。かまどが四台あり、大きな流し台と調理台がある。収納庫と思われる大きな棚が二台置かれていた。正面には木製の扉があった。ドアに向かう。ドアの後ろで音が聞こえ、ドアノブが廻る。扉が開くタイミングを合わせ、霊夢は扉を思いっきり蹴りつけた。扉は勢いよく開く。何か柔らかい物を挟んで、「きゅう」と小さい声と共に壁にぶつかった。扉の先は廊下が左右に続く。直感が右だと告げる。
床を蹴り、宙を飛び板張りの廊下を急いで進む。不意に、背中に衝撃が走った。さらに右腕と右太腿に激痛が走る。余りの痛さに集中が途切れ、浮遊できなくなり、勢いよく廊下に体をぶつける。慣性に従い、体が滑り、頬が床を擦る。痛みを堪えて、立ち上がる。床を蹴り、宙を舞う。霊夢の眼前にふすまの開いた部屋が見えた。
◇◆◇◆◇
鈴仙・優曇華院・イナバの能力を無効化させるには、視界を塞ぐことである。こちらの能力を把握したなら、相手はそう動く。こちらの視界の外から攻撃する。全てパターン。あとはこちらの能力を理由する形だが――
再び、玄関から気配。白髪の少女が躍り出る。紙切れを鈴仙の前方の床に向かって投げた。再度視界が遮られる。後方に跳躍し――さらに後方で音がした。それに気を取られ、鈴仙は視界をクリアにするのが若干遅れる。視界がはっきりとした瞬間、鈴仙の足元近くに数枚の紙切れが床に張り付いた。連続して視界を遮るつもりか。そう鈴仙が考えた瞬間、紙切れが拡大し、そこから幅一メートル、高さ三メートルほどの氷柱が次々と生えた。氷柱の表面はダイヤモンドカットされたように滑らかで、鈴仙の顔を鏡のように映す。それを見て、鈴仙は笑みを零す。どうやら、こちらの能力を反射させることが目的のようだ。残念ながら、鈴仙は自分の能力の耐性は持っている。波長を操る能力はさまざまな応用が効くため、玉兎の能力の中では最大とされており、そのため能力の暴走を恐れ、小さい頃に徹底的に教育されたからだ。綿月姉妹のペットと言う位置づけは、彼女たちが月の民の中でも強力な能力を持ち、何かあっても鈴仙を御せると考えたからだ。
鈴仙は氷柱の上から回り込むだろうと、顔を上げる。
――↑↓――
妖夢は紅魔館のメイド――十六夜咲夜に教えられた作戦通りに、護符を投げた。相手の行動はこちらの予想通り。氷の柱が兎の前に出現した。妖夢は上へと跳躍し、氷を蹴った。
――↑↓――
「えっ」
鈴仙の思惑とは違い、氷柱がこちらに向かって倒れてきた。咄嗟に後方に飛ぶより、鈴仙は手で支えようとしてしまった。重い。手が滑り、慢心していた彼女の額に氷が直撃し、月兎は無様にも氷柱の下敷きになった。
◇◆◇◆◇
なんとか夜明け前にケリが着き、瀟洒な従者は息をなで下ろす。
四人は永遠亭の玄関にいる。
咲夜は兎の目をハンカチで塞ぎ、エプロンを裂いてロープ代わりにして氷柱に縛り付ける。作業を済ませ、咲夜は主に声をかけた。
「お嬢様、帰りましょう」
兎のスカートをめくっていた吸血鬼が、従者の方を見る。
「もうすぐ夜明けです」
「でも夜は止めているんでしょう?」
「それももうすぐ元通りです」
一拍おき、咲夜は続ける。
「すみませんがお嬢様、日傘を忘れていますので、神社の方に戻らないといけないのです」
「どうして持ってこなかったのよ、咲夜」
「お嬢様が吸血鬼だと知らない方にとっては、あの傘を見て弱点を見抜かれる可能性もありましたので」
こちらの配慮が気にくわないのか、レミリアはむくれている。
「夜のデートでしたら、いつでも言っていただければ、お受けいたしますよ?」
「……」
「帰って、プリン作りましょうか?」
「……わかったわ。帰りましょう」
咲夜の言葉を聞き、幼い吸血鬼は従者に従った。
「と言う訳で、私達は帰るわ」
白玉楼の二人にそう告げると、返事を待たずに二人は永遠亭の玄関を出て行く。それを見て、幽々子は妖夢に言う。
「私達も帰りましょうか」
「え? でも、先に進まないんですか?」
「霊夢が解決してくれるわよ。それに、お腹空いたしね」
「え? 幽々子様、かなり食べていませんでしたか?」
「妖夢の手料理とは別腹なのよ。さあ、帰りましょう」
「……わかりました。何が食べたいですか」
「あのー」
幽々子と妖夢の会話に、床に転がる鈴仙が控えめに割って入る。
「そのー、帰るんだったら、解いてもらってもいいですか?」
「……」
「かなり冷たいと言いますか……痛いと言いますか……助けてもらえませんか?」
「大丈夫よ。今の季節、それくらいで丁度いいと思うようになるわよ」
ブルブルと震える兎に対し、にっこりと死刑宣告のようなことを言う。
「さあ、帰りましょう」
少し心配になりながらも、妖夢は主の後をついて行った。
◇◆◇◆◇
八雲紫は前の空間を大きく開いた。八意永琳の放った矢はスキマ妖怪に届く事なく、それに吸い込まれた。開いた空間の手前にもう一つ空間を開き、そこから永琳の後ろに回る。移動と同時に取り出した日傘を赤青の薬師の右肩にぽんと置いた。任意の場所にスキマを作るのは、頭の中で三次元座標を設定して行う。さらに言えば幻と実体の境界という結界の中は紫にとっては箱庭。任意の場所の三次元座標はログとして幻と実体の境界に記録してある。主な移動はこのログを通して行う。この永遠亭も幻と実体の境界の中に存在する以上を移動は簡単。空間をゆがめられても、数カ所、座標を指定し、スキマを作り、実際のと誤差を調べ計算すれば、容易に修正ができる。細かいスキマを作り出すのであれば、絶対座標から相対座標に変えればいいだけ――
「いきなり攻撃してくるなんて、随分と物騒な薬師ね」
「それは貴女達が勝手に人の家に土足で入ってくるからでしょう?」
「許可は取ったわよ。貴女じゃないけれど」
「てゐの事ね」
「こちらは早くいつもの月に戻して欲しいのよ。これでもあの月に依存しているものがここには多くいるの」
「でもそんな事をすると、月の使者が来るかもしれないのよ。レイセンを取り戻しにね。下手をすれば、月面戦争の報復をされる事になるかもしれないのよ」
「その月面戦争の結果から、もう一つ結界を張ったから大丈夫よ」
体を動かさず、永琳は言葉を返す。
「けど、鈴仙は地上に降りた。随分とざるなんじゃないかしら」
「彼女、紙切れを使ってこっちに来たんじゃないかしら?」
相手の言葉を待たず、八雲紫は続ける。
「それは結界の術者が作ったアイテムだからよ。あの戦争の時に保険として作成してもらったものよ」
「……つまり今回の発端は貴女だという事ね」
「まあ、そうなるわね。だからという訳ではないけれど、ちょっとした土産を用意したのよ。気に入ると思うわよ。藍」
主人に呼ばれた式神――八雲藍が永琳の前方に現れた。それだけではない、開いた隙間から藍が手を引き、金髪の少女が躍り出た。
「紹介するわ。私の式神の八雲藍。そして、彼女がメディスン・メランコリー。毒を操る能力の持ち主よ」
◇◆◇◆◇
夜明けは近い。
悲鳴が響き渡る。
「ちょっと加減まちがえちゃったかしら?」
軽い口調で輝夜は言う。
巫女の右腕は肘から数センチ上から切断され、右足は膝上から拳一つ分上のところで切断されていた。作り物の体のせいか切断面は黒い。出血はない。激痛をこらえつつ、合図する。
「魔理沙、もう少しで結界が消える。だから……」
「ああ、分かってる」
魔理沙は帽子の中に手を突っ込み、ミニ八卦炉を取り出し、構える。
赤い壁が消え、黒い魔法使いが叫ぶ。
「マスタースパーク」
彼女が握るミニ八卦炉から眩い光と共に展開した巨大なエネルギーの塊が、輝夜の弾幕を消し飛ばす。
距離があるため、その光の渦を難なく輝夜は躱してみせる。
アリスはブックホルスターから魔導書を取り、呪文を唱えた。金髪の人形遣いの周りに十体の人形が現れた。
「魔理沙、合図をしてくれたら、次は私がやるわ」
黒の魔法使いは返事をし、軌道を修正し輝夜を狙う。
ミニ八卦炉から光が消える。アリスが叫ぶ。
「マリオネットパラル」
六体の人形が三人の前方で円を描くように均等に配され、防御結界が発動した。虹色に光る魔方陣が人形を接線に展開し、月人の弾幕を弾いた。
残る四体の人形に攻撃の指示をする。
よろめく巫女の体を魔理沙が支える。その魔理沙に巫女は呻くように忠告する。
「相手は不死身なの。まともに戦っても無意味なのよ」
「そんな馬鹿な……」
「だから……私は霊夢が来るまで粘るから、二人は逃げて」
アリスの人形の攻撃を気にせず、輝夜は距離を詰めていく。人形のもつランスが体を突き刺しても気にしない。いや、わざと突き刺され人形の動きを封じていた。ランスを引き抜こうとした一体の頭を掴み、潰す。残りの三体は輝夜からすでに離れていた。
「なっ」
アリスが声を上げる。不死身たる証明を見たのだろう。
「こんなの、どうしたら……」
「こっちがただ消耗されていくだけ……だから逃げて」
「私の結界ももうすぐ切れるわ」
巫女は魔法使いの体を押しのけ、構える。
無数の護符を投げる。直接輝夜は狙っていない。護符は輝夜の周りで弾ける。飛び出したいくつかの氷柱が輝夜の体を貫いた。輝夜の動きが止まる。
アリスの結界が解ける。
「今のうちに……」
「ライフスプリングインフィニティ」
輝夜の落ち着いた声。その声で三人の周囲を細いレーザー光が格子状に囲った。格子の隙間は人が通るほどのものではない。
「ここは偽りの夜空。終わらない星空。きれいな舞台を用意したのだから、もっと愉しみましょう」
楽しげに笑いながら、体に突き刺さった氷柱を引き抜いていく。傷が三人の前で再生されていく。
「ぐっ」
巫女は忌々しげに呻く。
「霊夢、下がれ」
魔理沙は巫女の服を掴み、無理矢理後退させる。
マジックアイテムを構え、輝夜に向かって、白い閃光を放つ。魔理沙が放った光でレーザー格子に穴が開き、三人はそこから逃げ出す。
光が消え、巫女が結界を展開する。
「魔理沙もアリスも逃げて。こんな馬鹿げたゲームに参加するのは私だけで十分だから」
「出来る訳ないだろ、お前――」
「霊夢が来れば解決するから。だから――」
「だからと言って一人に出来る訳ないだろ。こんな状況で」
「私だって死ぬつもりなんてないわよ」
「お前、その体でよく言えるよな」
「私だって霊夢に伝えないといけない事があるのよ。だから死なないわ」
二人の口論にアリスが割って入る。ランスを振りかざす人形は全て破壊されていた。
「このまま三人のローテーションで防御していった方が確実だと思うわよ」
「……邪魔だって言っているの」
冷たく巫女は言い放つ。
「私は霊夢じゃなくて、お前が」
「何でそんな事言うのよ。霊夢は良くなる。アリスだって」
「マリオネットパラル」
「だから、私は死ぬつもりはないんだって」
「お前一人でどうにかできるもんじゃないだろ、これは……」
「封魔陣」
「時間を稼ぐなら、一人より三人のほうがいいでしょう」
「私だって死ぬつもりなんてないわよ」
「マスタースパーク」
三人であーだのこーだの言っていると、一際澄んだ一声があたりに響いた。
「封魔陣」
かけ声と共に博麗霊夢と赤い結界が三人の前で展開した。一人の少女。赤と白の巫女服。
「ほら、すぐに来たじゃない。別に私一人でもいいっていたのよ」
「霊夢」
「待たせて、ごめん」
結界を掲げた右手をそのままに霊夢は体の向きを三人の方に向けた。
「もう、うんざりなのよ」
そう言い、人形の巫女は霊夢に抱きついた。小さな声で霊夢に話すその声は、二人の魔法使いには聞こえない。霊夢は左手で彼女を抱き、そして霊夢の体に吸い込まれるように消えていく。複製の巫女は黒の魔法使いの方を向き、小さく口を動かした。声は魔理沙には届かなかった。そして彼女は髪を留めていた赤いリボンだけを残して、二人の前から消えた。
事情を聞こうと魔理沙が声を上げるよりも早く、霊夢は行動していた。形見の髪留めを掴み、もう片方の手で前方に一枚の札をかざす。スカートのポケットにリボンを入れる。その間に護符は大きく広がり、中から一人の少女――藤原妹紅が降り立った。
長い白髪を揺らしながら周りを見回し、少女が言う。
「ホントにあっという間なんだな」
「妹紅」
躍り出た白髪の少女を見て、輝夜が呟く。
「弱いものいじめとは感心しないな、輝夜」
「ふん。貴女が、こんな前座を用意したんでしょう?」
「あいにく、私はお前に尽くしてやるほど、サービス精神はないだけどなぁ」
妹紅は手で三人に合図をした。
「お前らは帰りな、こんな馬鹿の相手は私一人で十分だ」
◇◆◇◆◇
「それじゃあ、交渉は成立ね」
八雲紫は笑みを浮かべて言った。
「じゃあ、こちらの仕掛けも解きましょうか」
八意永琳はパチンと指を鳴らす。それだけで月は元通りとなった。
「さてと、輝夜のほうに連絡しないと……」
「それなら問題ないわ。いつもの遊び相手を用意してあるから。しばらくはほっといても大丈夫と思うわよ」
◇◆◇◆◇
博麗神社が見えてきた。レミリアは疲れた様子だったこともあり、咲夜は背負って空を飛んでいた。肌の温もりが幼い吸血鬼を眠りに誘う。
浅い眠りにひきこまれる主人にメイドが声をかけた。
「お嬢様、どうやら異変は終わったようです」
「んっ」
レミリアは重い瞼を上げ、顎で視線を指示する先を見る。空には満月があった。いつもと同じ月が――
違うのは大小様々に光る星々。北に位置する北極星を中心に星々は廻る。正子から約五時間、止まっていた星々が光の残滓を残しつつ動いていた。
◇◆◇◆◇
主である幽々子に背負われ、魂魄妖夢の気持ちは落ち着かなかった。あの時のような下心は感じられず、しかし拒否はしたのだが、白玉楼に着くまで間だとか料理を作って欲しいからだとかと理由をつけ、仕方なく妖夢は了承した。
冥界への入り口――幽明結界が二人の前方に見えた。その大きな扉は主人が引き起こした異変――春雪異変の時に春を集めるために開いたまま放置されていた。幽々子はそれを直すつもりはないようだった。
妖夢の顔のすぐ側に主の顔がある。まったりと、ゆっくりと飛行する。なびく主人の髪が妖夢の肌を優しく撫で、少しこそばゆい。幽霊でありながら、人肌の温もりを感じる。その体温が心地よい。その反面、異変の時の官能を想起させる。妖夢はかぶりを振り、否定する。
あくまで主人と従者、その関係、幽々子の事は好きだが、その恋だか愛だかに溺れてしまえば、主人を完全に守れなくなってしまう。あの時、博麗の巫女に負けた。自分はまだまだ半人前なのだと、痛感した。そして、この異変で自分は本当に役に立ったのだろうか? そんな事を考えている妖夢に、幽々子が声をかける。
「妖夢、終わったみたいよ」
「えっ」
「ほら」
月が元に戻っていた。そして、星が軌跡を描き、その姿が二人を魅了させる。
「綺麗ね。もうちょっと早く帰っていたら、妖夢と一緒にお酒を飲みながら観られたかもね」
「……」
「妖夢?」
従者からの返事がなく、名前を呼ぶ。
「幽々子様、私ちゃんと役に立っていましたか」
「……」
「こんなことになって……なんだか……申し訳なくて」
幽々子は答えない。逆に妖夢に質問する。
「妖夢、私はちゃんと役にたってかな?」
「ええ」
「……本当に?」
「本当です」
「……本当の本当に?」
半目でこちらを睨んでいる。おそらく、そんな表情をしたときの口調。
「本当です。どうしてそんな意地悪な事おっしゃるんですか?」
「妖夢が意地悪な事を言うからよ」
「意地悪ですか?」
「そうよ。私には妖夢がただ側にいれば十分なのよ」
すでに光の軌跡は消えていた。夜明けは近い。
「さあ、帰りましょう」
従者にそう言い、魂魄妖夢を背負い西行寺幽々子は結界の先へと飛んでいった。
◇◆◇◆◇
星屑の海から上がり、霊夢、魔理沙、アリスの順に永遠亭の廊下に戻る。道中、霊夢は二人に先程のことを説明した。白髪の少女――藤原妹紅は蓬莱山輝夜と因縁のある人物であり、彼女同様不死者であること、霊力でできた彼女の体は修復することが可能だが、それには別の何かから霊力を補給しないといけない。しかし彼女は別の犠牲を払ってまで体を保つことを拒否したことを説明した。
彼女はどうなったのか、魔理沙は巫女に聞く。霊夢は答えにくそうな顔をしたが、やがて黒い魔法使いの問いに答えようとしたそのとき、霊夢に異変が起きた。板張りの廊下に膝を付く。胸をきつく押さえる。
鋭い痛みが体中を駆け巡る。悲鳴を上げ、体の中で何が起きているのか、探る。
「貴女が飲んだ薬は、その多重人格を癒やす薬――」
あの子の記憶の中にある八雲紫の台詞。
こちらに駆け寄ろうとする魔理沙を、アリスを、手で制止させる。
痛みは続く。
上白沢慧音の言葉を思い出す。
「不要な人格を捨てるには、その人格を放り込む肉体を霊力で作り出すの。その肉体に人格を転移させ、現出させる。あとはそれを霊力の塊として取り込むことで、精神の正常化と霊力の増強化を同時に行うのよ」
身を引き裂くような激痛が続く。
◇◆◇◆◇
呻く霊夢に制止され、魔理沙とアリスは動けずにいた。霊夢の悲鳴は止まらない。体を丸め、額を床に擦り付けている。両手で胸を押さえている。
と、霊夢の背中が光り出した。
光が上へ上へと伸びる。まるで光の翼が生えるようで――
だが、それはすぐに否定された。光の形は人の上半身のような形になった。
頭部。その下には三本の柱。上半身と両腕。霊夢の絶叫は続く。
まるで霊夢の背中から這い出すように、一本の光が前に這い出て、続いてもう一本の光が床に付く。それは、二本の足だった。
霊夢の体から光は分離した。
巫女の悲鳴は消え、今は荒い息づかいになっている。
光の粒子は次第に消え、輪郭、姿がはっきりとした形で二人の魔法使いの前に現れた。
その姿は、博麗霊夢だった。顔の形、服装、全て同じ。違うのは赤と白の巫女装束ではなく、青と白の巫女装束で、髪留めのリボンも青かった。魔理沙がプレゼントしたものと同じデザインのリボン。
青白の巫女が目を開けた。二人の魔法使いを見る。そして頬を赤らめ、魔理沙に抱きついた。
「……霊夢……なのか?」
当惑しながらも、魔理沙はこの場に出現したばかりの巫女に聞く。
「うん」こくりと、魔理沙の肩に顎を乗せた顔が小さく頷いた。
巫女は魔理沙の顔を見つめる。
「……ああ」
抱きあっている二人。アリスは違和感を覚える。
青の巫女の腕が黒の魔法使いの背中にまでまわる。
「好き」
小さく魔理沙に囁く声、そして薄く開いた瞳。
その台詞。魔理沙の耳元で囁くような蠱惑的な声。
その視線。獲物を絡め取ろうとするような艶めかしい瞳。
アリスはその眼に見覚えがあった。
目の前で起こる不思議な出来事に説明をつけようにも、できない。
ただ――
「離れて」
アリスは抱き合う二人の肩に手を置き、無理矢理引きはがす。青の巫女と魔理沙の間に人形遣いは割って入る。
「あんたは、あの子じゃない」
しおらしい振る舞いで、言葉を返す。
「どうして、そんな事言うの? アリス」
「あの子なら、自分の立場をわきまえてる。だから、霊夢のいる前で、そんな事はしない」
青い巫女は答えない。無表情な顔。
「あの子だったら、まず霊夢の介抱を優先すると思うのよ」
「……」
「貴女は霊夢のもう一つの人格、そうなんでしょう」
青い巫女は答えない。ただアリスを無表情な顔で見つめる。いや、静かに苛立っているようでもあった。
「……もう一つの人格って」
状況に戸惑いながら、魔理沙が聞く。
「霊夢の中には複数の意識があるのよ。珍しいけど……肉体的精神的な苦痛から守るために別の自分を作り出して自分を守るのよ。魔理沙の話とあの子の話を総合するとそうじゃないかって思ってたんだけどね」
アリスの言葉に対し、肯定も否定もしない。ただ、アリスを見つめる。
簡単には馬脚を現さないか――
呻くような小さい声が……
「魔理沙に……近寄らないで――」
四つん這いの状態から体を起こそうとしている霊夢。
無言のまま、青白の巫女はすっと宙に浮いた。
赤白の巫女の方を向き、宙を蹴って、脇腹を蹴りつけた。
「あぐっ」
赤の巫女は頑丈なふすまの壁にぶつかる。青の巫女は追い打ちをかけるように、腹部を何度も蹴りつけた。
「あんたに何が分かるのよ。あの無限地獄を人に押し付けた、あんたが……人に、全部、全部押し付けて、逃げやがって」
鬼のような形相で青の巫女は言い放ち、靴の爪先が腹部を抉る。
「あんたが、それを言う権利はないわよ」
青の巫女は、蹴るのを止めアリスを見る。眼を細め、アリスを見やる。
「霊夢が貴女を作り出したのはただ自分を守る為よ。仕方がないとは言わないけど。霊夢も分裂の事を、魔理沙に話していたらこんな事にはなってなかったと思う。でも、それにつけ込んで、貴女は魔理沙に近づいた。どうしてそんな事したの? 今の貴女の事をどうして魔理沙に言わなかったの? 言えなかったんでしょう? 貴女だって逃げてるじゃない。貴女に霊夢は断罪する資格はないわよ」
青の巫女はアリスから視線を外した。右手に一本の針を顕現させ、足を掴もうとした赤の巫女の手に向けて投げる。霊夢の悲鳴。手は床に縫い付けられた。
青の巫女は歩く。
「魔理沙はどう思う?私の事。私達、何度も愛し合ったよね?」
ゆっくりと近づく。
「私は……」
近づく足音。
「私は……」
その足音に別の音が混じった。
◇◆◇◆◇
アリスの言葉――
時間の経過が――
次第に、冷静に、状況を認識する。
あの時はアリスの体を物色しようとして、結果反撃にあった。おかげでいつものように精を出し尽くす事なく、退場してしまった。魔理沙の体が、肉体が恋しかった。
魔理沙に問う。しかしその答えを聞いている時間はない。
”博麗霊夢”の手に触られれば、この肉体は、この意識は消滅する。
おそらくは”博麗霊夢”に自分は勝てない。
早く逃げるべきだった。
”博麗霊夢”はすでに十六夜咲夜、レミリア・スカーレット、魂魄妖夢、八雲藍そして八雲紫、五人の能力者を退けている。対して、こちらはその”博麗霊夢”が初陣。体を共有していても、戦闘のセンスはどこまで共有できているのか判断は出来ない。戦闘経験もこっちは全くない。
もうかなり”博麗霊夢”の体力も回復しているだろう。
荒い息づかいも落ち着いてきている。
背後で”博麗霊夢”が立ち上がった音。
廊下の幅は五メートルほど、高さは十メートル程か――
場所が狭いため、逃げるのは難しい。かといってまともに戦ってもこちらに勝機はないだろう。霧雨魔理沙を人質に取るか――
とはいえ、魔理沙はただのか弱い少女ではない。”博麗霊夢”と自分を比べれば、答えはすぐに出る。
右手を魔法使い二人の方に、左手を”博麗霊夢”の方に向けて唱える。
「二重結界」
両手に青く半透明の正方形の結界が展開した。
”博麗霊夢”は突き刺さった封魔針を抜き取り、こちらに放ってきた。
結界が弾く。
結界を放る。斥力が発生したように体から離れる。
突如作り出された青の結界は、魔理沙とアリスを後ろの壁に貼り付けにする。
”博麗霊夢”は体を後方に押されつつも、右手を結界に当て消滅させた。
時間稼ぎに”博麗霊夢”との距離は取れた。
考える。そしてすぐに実行する。
ルーミアの能力の札を、前方に放つ。”博麗霊夢”の視界を奪うのを確認もせずに、偵察型のコピーをできる限り自分の全面に展開する。数は三十。視界が晴れるまで”博麗霊夢”は攻撃できないだろう。後ろには霧雨魔理沙、アリス・マーガトロイドという人質がある以上は――
半数はその場で”博麗霊夢”を攻撃させ、残りは特攻させる。そのうちの一体を壁役で襟首を掴み、”博麗霊夢”の横を突っ切ろうと前進した。
後ろでは結界がなくなり、磔状態から解放され、座り込む魔法使いの二人。それを気にせず、”博麗霊夢”は護符を投げる。的確にそれは人形を破壊する。距離を半分詰めたところで、半数以上がやられる。
構わず進む。”博麗霊夢”は後方に跳躍しつつ、攻撃を続ける。距離が縮まることで、攻撃の手が少しずつ遅れる。盾役の霊夢の左足が切り落とされたが、構わない。”博麗霊夢”の横をすり抜けようとした。
眼が合った。右手に構えていた護符をこちらに放つ。襟首を掴んでいた左手を顔前に構え、首をガードする。放たれた護符は左腕を切断したが、首は切り落とされることはなかった。浅く切った程度。”博麗霊夢”の攻撃はそれだけではなかった。左手をこちらに掲げる。
「封魔陣」
目の前で結界が展開し、こちらが使った手段で、体がふすまの方に押し付けられる。ふすまはびくともせず、体が軋む。身動きが取れない。”博麗霊夢”は複数の護符を床に放つ。氷の柱は出現し、それは天井に突き刺さった。人形二体はそれに串刺しにされ、残りはそれに進行を阻まれた。その間に残った右手を結界にあて赤の結界を消滅させた。悲鳴を上げていた空虚な体が少し楽になった。浮遊し逃げるべきなのに、体中の痛みでその場に崩れ落ちる。
横向きに倒れた空っぽの体。顔を上げようとしたその目に、”博麗霊夢”の足が写る。一歩近づく。軋む床板が消滅の恐怖を煽る。
「がっ」
呻く。みぞおちに重い衝撃が走った。その衝撃で作り物の体が一瞬宙に浮いた。
「あんたのせいで、私は……私は……」
再び、腹部に衝撃。衝撃。衝撃。
”博麗霊夢”の靴先が体にめり込む。
身を抉るような激痛。
”博麗霊夢”はこちらを吸収することより、恨みをぶつける事を優先していた。
それはチャンスだった。
痛みで声が出ない。
”博麗霊夢”は怒りの矛先を変える。
頭を踏みつける。二度、三度……
それに合わせて、ミシミシと床が軋んだ。
痛みに耐え、霊力で手を復元させる。切断された場所は肘からセンチほど上の部分。袖の中で再生させる。大部分の霊力がその再生に消費される。
「……霊夢」
遠くから聞こえた霧雨魔理沙の声。
その声で”博麗霊夢”の攻撃は止まった。
”博麗霊夢”は膝を折って屈み、右手を顔面に近づける。
「これで……終わりよ」
右手が顔に触れる――
事は無かった。
”博麗霊夢”が触れたのは紅魔館のメイド――十六夜咲夜に対して作られた防御結界の護符だった。
「なっ」
”博麗霊夢”の動きが一瞬止まった。すかさず、再生させた左手の拳を”博麗霊夢”の頬に叩き込んだ。赤白の巫女はよろめき、倒れる。痛む体をすぐさま起こし、両手に一つずつ針を作り出す。”博麗霊夢”の両手めがけて、針を飛ばした。運良く二つとも命中する。悲鳴を上げる”博麗霊夢”。針は手を貫通し、半ばまで深く刺さっている。床に貼り付けられれば、かなりの時間稼ぎができたものの、そこまでうまくはいかなかった。”博麗霊夢”は右手に刺さった針を歯で抜き取ろうとしている。
床を蹴り、逃げる。
背中に針が刺さる。右わき腹に一本、右乳房下に一本。痛みを堪えながら体をひねり、視界を奪う護符を床に投げる。同時にこちらに対する攻撃の札が飛んできた。右足はあっさりと切り落とされる。続けざまに体に走る激痛に耐え、永遠亭の玄関に向かう。
”博麗霊夢”の投げた護符が遙か前方にまで飛び、床、ふすまに張り付き、氷柱が飛び出し、ふすまや床、天井を突き破り、氷の壁ができあがる。薄明かりで煌めく氷の壁。人が通る隙間はあるのか――
それでも進むしか道はない。再び、ルーミアの能力の護符を後方に展開した。
前方に半開きの扉があった。そして倒れている人物があった。何かに顔をぶつけたのか、顔面が赤い。このままここにいれば、戦いの巻き添えになる。彼女は右手でワンピースの襟首を掴み、半開きになっている扉の部屋に放り込んだ。そのとき、彼女の目に割れた窓が目に映った。
Last episode
Long Epilogue, or ……
そこに彼女の姿はなかった。