紅魔戦線(3)
暖かい空気が肌を包んでいた。
頬を叩かれた。
軽く、二度。
虚脱感にまどろんだ瞳を少し開ける。
見た事もない少女の顔。
「ちょっと早く起きなさい」
声に聞き覚えがあった。
また頬を叩かれた。
先ほどより強く、二度。
「んっ」
頬に走る痛みで少し覚醒する。
目の前には黒髪の少女。
少女は裸だった。
そして、霊夢も裸だった。
そのことに羞恥心はない。
恥ずかしさを感じる以上に体のだるさが脳を支配している。
近くで水が流れる音が聞こえた。
巫女は周りを見る。
タイル張りの浴室だった。
蛇口からお湯が流れている。
霊夢は浴室の床に寝転ばされていた。
流れ出る湯が床を暖め、床と背中の隙間を流れる。
「さっきまでかなり酷い目に遭ったみたいだけど、もうちょっと辛抱して。服は簡単に洗えるけど、体内はちょっとしんどいのよね。体、起こせる?」
霊夢はゆっくりとうなずき、重たい体を起こす。
少女は霊夢の体を支えながら、コップを渡す。
「この水を飲んで」
言われた通り霊夢は水を飲む。
飲み干すと少女は霊夢の口に指を入れ、顔を下に向けさせる。
嘔吐感が増し、口から粘液が水と共に吐き出される。
しかし一部の粘液が喉を塞ぐ。
少女から渡された水を再び飲み、吐き出す。
咳き込みつつ五回ほど繰り返し、ようやく喉に絡みついた粘液が取り払われた。
「屈辱的だろうけど、膣内洗浄と腸内洗浄もこれからするわよ。それだけすれば多分体も楽になると思うから。もう少し我慢して」
霊夢はタオルを巻いて、用意された布団の上に座り、辺りを見渡す。部屋は小さな古民家といった感じで十畳ほどの広さ。左側には小さな囲炉裏、右側奥に小さなデスクと座布団があり、介抱をしていた少女がその座布団にあぐらをかいて座っている。手前にはもう一つの布団が敷いてあった。
黒髪。赤い瞳。見た目は霊夢と同年齢か。短髪のせいかどこかボーイッシュな印象を受ける。今は霊夢と同じくタオルを巻いている。
霊夢がお礼を言う前に、少女の方から話しかけた。
「自己紹介がまだだったね。私は射命丸文。文と呼んでくれたらいいわ」
「助けてくれてありがとう、文。私の名前は博麗霊夢」
「知ってる。妖怪の間で最も有名な人間だからね。それにしても”博麗の巫女”って言う割に、ずいぶん酷い目に遭ってたわね。あっ、たばこ吸わせてもらうね」
断りを入れ、文はたばこに火をつける。
「まあ……ね。ちょっと油断したみたい。ところであれはどうなったの?」
「ああ、あれは適当に切り刻んで燃やしてやったわ。別に火事の心配はしなくても大丈夫よ」
意識を失う前の風音を思い出す。
「貴女は、風を操れるの?」
「まあね。……さて助けた代償って訳じゃないんだけど、あそこで何があったのか教えてもらえる? ああ、別に記事にしないから」
「記事って。貴女、新聞記者?」
「ええ。ネタ探しで偶然貴女を見つけた訳」
「そう。話すのは良いけど、その前に私のリボンどこにあるの?」
「まだ乾いてないけど、それでもいいの?」
「ええ、お願い」
文はあいづちをうつと、軒先に続く扉を開け出て行くと、すぐリボンをもって戻ってきた。
「ありがとう」
霊夢は感謝を述べ、俯き赤いリボンを胸に抱く。リボンは水分を吸っているだけで特に傷などはなかった。
二本目のたばこを取り出し、火を付ける。
その様子を見て、今回の巫女は随分と頼りないと感じながら文は少女に質問する。
「それ、大事なものなの?」
「友人から貰ったものなの」
顔を上げ、霊夢は簡単に経緯を説明した。
書簡、二人の少女。
「紫に藍、スキマ妖怪の事ね。博麗の者なら知ってそうなんだけど……まず、紫、八雲紫についてだけど。彼女は幻想郷古参の妖怪の一人で境界を操る言う能力、あらゆる境界を弄べるみたい。神出鬼没の妖怪で有名ね。それと彼女はこの幻想郷に展開している二つの結界の一つ、幻と実体の境界を管理している。もう一つ結界は貴女の家系が管理している博麗大結界。彼女が同業っていったのは、結界の守護者としての意味だと思う。それと……」
続く文の説明を、霊夢は頭の中で整理する。
八雲紫。幻想郷の管理者。交流人物、亡霊、西行寺幽々子。鬼、伊吹萃香。その他。
八雲紫が使役する式神――八雲藍。狐。紫とほぼ同質の能力を使う。
八雲藍が使役する式神――橙。化猫。
文は一通り説明し終えると、もっと具体的な事や幻想郷の歴史が知りたければ、上白沢慧音を訪ねればいいと言った。文は話題を赤霧の事に変えた。
「貴女の事だから、紅魔館の調査に行くのよね」
「このまま霧が広がるようだったら、そうなるわね」
「あそこに行った経験は?そう。話し合いで解決できなさそうだし、私の知ってることは伝えておくわ」
およそ四百五十年前、紅魔館は吸血鬼と共に幻想郷に侵入し、吸血鬼異変という紛争を起こした。
現在の紅魔館の主な住人は五名。
館の主、レミリア・スカーレット。吸血鬼。吸血鬼異変の首謀者。
その妹、フランドール・スカーレット。
居候の魔法使い、パチュリー・ノーレッジ。
門番の紅美鈴。妖怪。
メイド長の十六夜咲夜。館唯一の人間。
吸血鬼異変はレミリアを中心として展開し、それは時の博麗の巫女によって鎮圧されたと言う。
「攻略の要になるとしたら、ほぼメイドの十六夜咲夜ね。三年ほど前に結界の外から来たみたい。彼女自身、ほとんど外に出ないこともあって、彼女の能力ははっきりしてない。彼女に対峙した者曰く、いつの間にか首もとにナイフを突きつけられていた、とういのが全て。そのせいか門番の美鈴は館の警護は彼女に任せっきりで、今は庭の世話や土いじりをしているだけみたい」
「高速移動とか?」
「んー、彼女が息を切らした様子もなかったし、それなりの速度で動けば、私もそうだけど、風圧が周りに発生するけど、それはなかったそうよ」
「……」
「次に館の領主のレミリア・スカーレット。彼女の能力は本人曰く運命を操るそうよ。彼女は吸血鬼異変の時、前線で戦っていたから、おおよその事は分っているんだけど、本人自身うまく扱えていないみたい」
文が語ったレミリアの能力を整理すると、
・起こる事象は近い将来である
・起こる事象の対象者に対して運命を宣言しなければならない
・宣言された運命は可変不可
・起こる事象は視覚情報?
未来を予知し選択できる能力? 霊夢は何となく吸血鬼の能力をそう考えた。
レミリアの妹は、地下でずっと生活しているとの事。能力は不明。出会う機会はないだろうと。吸血鬼異変のときも表に出てもいないし、姿も見ていないそうだ。
魔法使いはずっと紅魔館の地下にある図書館に引きこもっているそうで、図書館を引っ掻き回さない限り戦うことはないそうだ。
文の説明が終わり、少し世間話をする。
異物を吐き出したのにも関わらず、霊夢の体は少し重かった。それを察したのか、文は数分で会話を切り上げ、就寝の準備をした。部屋の明かりが消え、数分も待たず霊夢は眠りに落ちた。
時間で言えば五時頃だろうか。
目を覚まし、霊夢は体を起こす。
床が軋んだ。
その物音で、文も目を覚ました。
着替えを済ませ、文に礼を言い、霊夢は外に出た。
うっすらと日が昇りかけている。
霊夢は高度を上げ、現在地を確認する。
魔法の森が東側に見える。
左手側に紅い霧がみえた。霧は以前見たときよりも範囲が広がり、湖全体を覆っていた。
◇◆◇◆◇
霊夢が去り、文の山へ帰る準備をする。
ここは、今は無き魔法使いが捨てた家だった。それを文が掃除し、使えるようにしたものだった。
記事のネタ探しなどで山を降りた時や、気分転換で記事を書くときに利用している。
今回もネタ探しで山を下りたのだが、正解だった。博麗の巫女と会い、貸しを作ったのだから。
自分が生まれるよりも前に存在している博麗の巫女が、必要以上に妖怪との接触はしない。接触を図ったときはほぼ相手を調伏するためだ。
射命丸文自身、巫女に負けるなど思ってはいなかった。持ち前の俊敏性と視認性の低い、かまいたちで相手を負かす自信はある。
だが、名が知られている者である以上、下手なことをして天狗の長――天魔様に睨まれることは避けたい。だからこそ、博麗の巫女に会おうなどとは思っていなかった。
今回の貸しで、巫女のことを記事にすることができる。
記事にするとすれば、今回の異変解決の事になりそうだ。
――これから面白くなりそうだ。
博麗霊夢には悪いが、射命丸文はそう思った。
◇◆◇◆◇
一週間ぶりに神社は相変わらずの寂しさが佇む。部屋は少しほこりっぽかった。
霊夢は掃除を後回しにし、台所に向かう。食事は今朝、文から分けて貰った携帯食を少しかじったぐらいだった。
米を炊き、味噌汁をつくり、朝餉の準備をする。
米が炊きあがる間に、風呂に水を張った。
炊き上がった米を椀に盛り、少しの漬け物と味噌汁。
質素な朝餉。
食欲はあまりなかったが、掃除をしなければいけないのと体のだるさを少しでも和らげたい為、霊夢は無理矢理食べた。
食事を終え、浴室に入る。浴槽から水が溢れている。頭から水をかける。
その冷たさに、意識が少しはっきりとする。
が、次の瞬間脳裏に数日間の陵辱の感触がフラッシュバックする。
口元を押さえ蹲る。
こらえきれず、先ほど食べたものを吐出す。
喉や口腔を胃酸の酸味で満たされる。
タイルの床をよごしたそれを、見ながら霊夢は壁にもたれかかる。
あの妖怪の言ったことが本当なら、博麗の人間はもう……
膝をかかえこむ。
流れる水音と霊夢のむせび泣く声だけが響いていた。
◇◆◇◆◇
正午を回り強い日差しが照りつける中、魔理沙は二日ぶりに博霊神社の足を運んだ。ここ最近は珍しく霊夢は留守の為、人里の貸本屋の本居小鈴に会って暇をつぶしていた。
境内は掃除されていた。おそらくは、と思い魔理沙は裏手に回る。案の定、霊夢は縁側に座っていた。そばには氷だけが残った空になったグラスが置かれていた。風鈴の涼しげな音がする。魔理沙は、どこか遠くを見つめているような霊夢に声をかけた。
「ようやく妖怪退治がすんだのか?」
「……魔理沙」
「珍しいな。六日、いや七日間か? こんな長い間、留守にするなんてさ」
「まあ……ね。ちょっと色々あってね。魔理沙の方は?」
「私の方は、お前がいないから小鈴のとこ行ってたんだ。そしたら――」
魔理沙はグラスの氷が溶けた水を飲みながら、ぽんぽんと話題を投げる。
初めのうちは言葉数の多かった霊夢のあいづちや返しが少しずつ無くなる。
「ん、どうかしたのか?」
魔理沙は疑問に思い、聞いてみる。
先程までのにこやかなとは違い、いつになく真剣な表情を浮かべる。
いや真剣というより、そう見せている?
「魔理沙、私のこと……」
似たような台詞はお互いにかけた事はあった。
似たような言葉でお互いに茶化していた。
けれど、今はいつものようにそれを言うのが憚られた。
魔理沙は、逃避の言葉を。
「 」
魔理沙の眼前に霊夢の顔がある。いままでにない、直ぐ近くに。
言葉を、逃げ道を作る言葉を続けようとしたが、それは霊夢の口でふさがれた。
数秒。
重なった唇は離され。
魔理沙は困惑する。
霊夢の潤んだ瞳。艶かしい表情。
「 」
再び、霊夢の――
二択。
それ以外の選択肢は――なかった。
だから、魔理沙は――
NEXT
咲夜は台詞の最後の言葉と共に、巫女の後ろから首筋にナイフを突きつけた。