(1)【Normal】
春雪喧騒(1)
紅霧異変の起きた年は過ぎ、第百二十季に入った。
冬至から一月ほど経った。
出かけるために、彼女は首元にマフラーを巻く。
上から見ると、どこも景色は白い。
雪が降り積もっていた。
そして、吐く息も白い。
外気に晒された顔と脚は、寒さで少し痛い。
マフラーを巻いているため、首元は暖かい。
十六夜咲夜はかごを提げ、初めて博麗神社を訪れた。
上から見ると、神社の周りは木々で囲われている。
鎮守の森と言ったところだろうか。
幻想郷の東に建てられた博麗神社の拝殿は東――外の方を向いている。
石造りの参道が続き、下る石の階段――今は雪で見えないが――続いている。
この階段に鳥居は八基、等間隔で建てられていた。
階段を降りると、外へと続く石造りの路と北へと続く路の二つに分かれていた。
人里に背を向けて建っていることに咲夜は不思議に思ったが、些細なことだろうと考える。何せ咲夜はこの地に来て日が浅い。数年程度しか住んでいないのだ。しかも、ほとんどが住まい兼仕事場の紅魔館で過ごすのでなおさらだった。
咲夜は拝殿に一番近い鳥居をくぐり、参道に降り立った。
目当ての巫女は境内の石畳に積もった雪を、雪かき用のスコップで取り除いていた。
博霊霊夢は紅霧異変の時とは違い、首元には紺色のマフラーに黒のタイツを履いている。タイツのせいか以前の紅白巫女というより三色巫女と形容したくなる印象。
咲夜は巫女に挨拶する。
主人――レミリア・スカーレットが起こした紅霧異変のこともあり、こちらにしても、またあちらにしても色々あったので、すぐさま互いに戦闘モードになるかと思っていたが、こちらが拍子抜けするほどに素っ気ない挨拶が返ってきた。
美鈴の言う通り、こちらから攻めなければ何もしないらしい。
そんなことを考えつつ、咲夜はかごの中の物を取り出した。
「これ、美鈴が貴女に、って」
白菜だった。
「貴女から貰った種でたくさん育ったって。おすそわけ」
「ふうん。ありがとう」
短く、味気ない感謝の言葉。
そして、沈黙が降りる。
「……」
「……で、まだ何かあるの」
半目でメイドを見る
咲夜は頬を赤らめながら、小声で言った。
「実は……あの時、貴女が私に使った護符を……分けて欲しいのよ」
「どれのこと? レミリアと違って、貴女に対しては色々使ったと思うんだけど」
「……だから……お嬢様と……一緒にいたときに使ってた……だから……その」
「つまり、あんたが欲しいのはちっんぐ」
咲夜は慌てて霊夢の口を塞ぐ。きょろきょろと周りを見渡す。
「ちょっと誰かに聞かれたらまずいのよ。空気読みなさいよ、淫乱巫女」
「淫乱って。夜のアイテム欲しがるあんたに言われたくないわ」
「貴女が堂々と言うからよ」
巫女はむぅと頬を膨らませる。
「……じゃあ、ちょっと待ってて」
霊夢は白菜を抱え、雪の上をゆっくり歩きながら部屋に入り、しばらくして数枚の札をもって戻ってきた。
「はい、これ。基本効果は大体三時間くらいかな。ちゃんと避妊はしなさいよ」
「……ありがとう」
意外とあっさりともらってしまった。
大金をふっかけられると思ったのだが。
また沈黙。
「……まだ何か言いたそうね」
「……言いたいというより、少し聞きたいと思って」
少し迷いながら咲夜は、
「今私が復讐に来た、とか考えなかったの? 私の能力の事、知ってるんでしょ。あの戦いぶりからして、予想してる感じだったし」
と、言った。
咲夜は別に本気で考えた訳ではない。
あのとき目が覚めると、いかにも事後という状態だった。
脚には包帯が巻かれていた。
いまだ眠っている(気絶している?)主の枕元に紙切れが二枚と小瓶が一つ。
二枚の紙切れに言葉が書いている。
内容はこうだ。
一枚目。ちゃんと避妊してください。
二枚目。これがその薬です。
小瓶のラベルを咲夜は確認した。
この館の救急箱に入っていると同じもの。
少し前まで命のやりとりをしていたのに。
あの豹変ぶり。
どこかちぐはぐなこの巫女に咲夜はあきれた。
主のレミリアは起こるでもなく、いやむしろ――
霊夢はめんどうくさそうな顔をしながら、咲夜の疑問に回答する。
「別に。あんたなら挨拶せずにできるでしょ。それに、あんたはそういうの興味がないって感じじゃない。あのお子様吸血鬼が無事なら何だって良い感じだし。ま、他にもいろいろあるけど……」
一度言葉を止める霊夢。
「そういえば、あんたはどういう理由で幻想郷に来たの?」
「さあ。ここに来るまでの記憶がありませんので」
「記憶喪失って事?」
振り返る。
咲夜にとってこの世界での最初の記憶。
眼帯をした血だらけのレミリア・スカーレット。
彼女と顔が似た少女。
中国風の服を着た少女。
寝間着姿の少女。
私は頭をけがしていた。
あの時は、何も考えていなかった。
ただただ何も分からなくて。
後から想像した。
おそらく私がこの世界に来たのは――
「あんたは記憶を取り戻そうとか、しなかったの?」
「別に、今更。これでも私、今の生活が楽しいですから」
「……」
「それじゃあ用事も済んだし帰るわ。貴女もまだ仕事が残っているみたいだし」
咲夜は霊夢に別れを言い飛び立った。
「私は……どうなんだろうね」
霊夢のつぶやきは、咲夜の耳にまでは届かなかった。
◇◆◇◆◇
三月半ばの夜、八雲紫は冥界の白玉楼で友人と酒を飲んでいた。誘われたのだ。
彼女とは千年ほどの付き合いだ。
こうして飲むのは、冬を除き、二三ヶ月の一度の頻度で行っている。場所は基本彼女の住まいであるここだった。
冬の季節は、基本的に紫は冬眠する。端から見ればただ寝ているだけなのだが、理由は妖力を回復させるためだ。
この世界に張った幻と実体の境界は、常に紫の妖力を供給することで持続している。
単なる睡眠のよる回復量より、境界で消費される量が多いため、体にある妖力は少しずつ減っていく。このために冬眠することで、妖力を回復させていた。
対して、博麗大結界は、何十年分の霊力を一度に結界へ送り込むため、常時供給する必要はない形だ。
藍に結界の維持を任せようとも考えたこともあったが、式の持つ妖力と自身の妖力は細かく見れば、微妙に異なる部分があるため、代わりに幻想郷の監視を任せている。
春が近いはずだが、地上はいまだに雪が降り積もっている。
誰かが、何かを行っているせいで、この状態になっているのではないか。
そう考え、この友人にそれとなく話の間に「この時期にしてはまだ寒いわね」と友人に話題を振ってみた。案の定、「私のせいなの」と言う。ここにある一本の桜を花咲かす為に周囲の春を吸収させているのだと。それを聞き、紫は忠告する。
「予告しておくけど、この桜の木、満開になる事はないと思うわよ」
おそらくは魂魄妖忌の部屋でものぞいていたのだろう。彼はこの白玉楼の建設開始時から関わっている。この幽霊の世界で、白玉楼の周りに桜を植えたが彼だ。
彼は庭師であり、正確が几帳面なせいか自身が管理している木々に対して、多くの手記が残っている。桜の木の成長記録やそのスケッチ、白玉楼で起きた出来事なども綴っている。
彼女の言う木は西行妖のことだ。他の桜と一線を画す木で、彼女自身の自死に関係している。
そして、この桜に関する記述も多い。もともと地上にあった木を移植したのだ。木の移植は基本的に決まった時期に行う。そうしなければ、移植してもすぐに枯れてしまうからだ。しかし、この木に限って言えば、それを悠長に待っているわけにはいかなかった。理由はいくつかあるが――
いずれにせよ、特別な桜の木なのだ。
そして、決して桜を満開にしてはいけない。
彼女がこれを言い出したのは、これで三度目だ。いつの間にか頭から抜けていくようだ。
一度目は八百年前、その次は三百五十年前。良い迷惑だ。そのたびに紫と妖忌の二人は友人に一から――ある部分は隠して――説明した。おかげで事前に春集めなどすることはなかったのだが。
だが実行したところで、藍の計算では精々八分咲きが関の山だそうだ。満開になることなどない。
満開になれば、彼女自身が自滅するだけだというのに。
しかし――
紅霧異変からそこそこ時間が経った。あの巫女にちょっかいを出すには良い機会か? 一から仕掛けるのも面倒だ。
「それは貴女の言うあの子が止めに来るって事?」
どこかくせっ毛と感じられるウェーブがかった撫子色の短髪を揺らしながら、ニコニコと答える。
「まあね。それがあの子の役割だし。まあ、そのときになってみないと分らないけど」
彼女の従者がお酒のあての料理を並べ、空いているグラスに酒をつぐ。
綺麗な白髪のおかっぱ頭に黒いリボン。見た目はどこかの吸血鬼と同じように幼く見える。
魂魄妖夢。彼女の祖父が魂魄妖忌にあたる。
そして、半人半霊。
別に半透明な訳ではなく、半人が少女の姿で半霊は彼女の後ろを音もなくついて回る人魂のそれで。
彼は、庭師としての仕事と剣術を教え、三百年ほど前にこの地を去った。
どこに行ったのかは誰も知らない。
白髪の少女は空いた皿をお盆にのせ、部屋を後にする。
「じゃあ、そのときに紫にお願いがあるんだけど」
彼女は紫の耳元で、小声で伝えた。
「そんな余計な事しなくても。あの子も大変ね」
「それを貴女が言うの。貴女も随分周りを引っかき回してると思うんだけど」
どこか似たもの同士のとりとめのない会話が続き、二人の宴は朝方まで続いた。
◇◆◇◆◇
肌寒さに魔理沙は目を覚ました。
体が布団から半分でている。
やはり二人で寝るにはこの布団は狭すぎる。
部屋は暗い。
手を伸ばし、燐寸を使い蝋燭に火を着けた。
横を向くと、こちらを向いた霊夢の寝顔が見える。
壁掛け時計を見ると、六時を過ぎている。
もうすぐ夜明けだ。
三月ももうすぐ終わる。
しかし、いまだに雪が降る。
今年は晩冬が遅いようだ。
寒さに体が震え、布団の中に身を寄せる。
自然と霊夢に近づく事になる。
寝息が聞こえる。
こんな風に身を寄せて眠ることに慣れてしまった。
慣れたことはそれだけではない。
肌を重ねること。
情交。性行為。セックス。
破瓜の痛みはなくなり、挿入の恐怖も消えていく。
穴が熱い肉の突起に広げられ、擦られ、流し込まれるそれに、気持ちよさを感じてしまう。
快感が体中に駆け巡り、体を震わせ、痙攣させる。
変化は他にもあった。
霊夢の方だ。
霊夢と肌を重ねる回数は少しずつ減ってきている。
それは霊夢が快方に向かっているということだ。
彼女が求めてくる時間は夕方や夜だった。
魔理沙は時間に関係なく訪れていたのを、夕方頃に変えた。
毎日訪れることは出来ないので、簡単に服用できる水なしで飲める睡眠薬を持っていった。
即効性もあり、喉に詰まらないよう、つるりとしたコーティングがされている。
霊夢はすでに何度か使ったと言った。
霊夢は快方に向かっている。
なのに、魔理沙の心の不安は消えない。
底なし沼に嵌っていくような感覚がぬぐえない。
私達は元に戻れるのだろうか。
ただ縁側に座りゆっくりと時が流れていくのを二人で感じる日常。
その日はまた来るのだろうか?