彼は、建築物を敬愛していた。
空高く築かれる居城は、美しさだけでは成り立たない。
それは緻密な計算によって構成されており――積み重ねられているのは、まさに人類の叡智そのものともいえる。
ゆえに、山奥の田舎などに何の興味も湧かない。
ここに心が踊るような造形など存在し得ないのだから。
だとしても。
この写生会は林間学校における集団行事の一つである。
学生側に拒否権はない。
仕方なく……自然の中を、探して歩く。
心に響く景色を求めて。
だが。
その町の中途半端な古さに、瀧は失意を隠せない。田舎を名乗るのならもっと原始的な小屋でも建ててろよ……などと失礼な悪態を吐き捨てる。
一通り見て回った結果――せめてもの反抗の意思を示すため――作画対象として選んだのは、校舎だった。
それも、普段通っている中学校と似たような雰囲気の。
課題としては、この近辺であればどこでも良いと聞いている。
だからこそ。
このような僻地までやってきた意味が微塵も感じられないこの建物を描くことにした。
何より、わざわざ村の端までやってきて、ここから引き返すのも面倒臭いし。
どうやら、ここは高校のようだ。
正門は中途半端に開かれている。
とはいえ、部活等が行われている様子もない。
不用心というか、無警戒というか。
こういうところも田舎ゆえなのだろう、と瀧は勝手に侵入していく。
夏の日差しは、不愉快なほどに暑い。
先ずは座りやすそうな木陰を見繕い、それから構図を思案する。
だが。
どこから見ても、何の変哲もない。
強いていうなら、少し古め。
かといって、歴史を感じさせるような木造ではなく鉄筋構造。
自分の意思で思い立ったとはいえ、早くも心が折れてきた。
瀧はスケッチブックを捲りながら、これまで描いてきたビルの数々に思いを馳せる。
早く、好きなものだけ描いて暮らしていけるようになりたい、と願いながら。
あまりのやるせなさに、溜息が漏れる。
そんな彼の手元に、柔らかな影が差し込まれた。
「あら上手。コレ、君が描いたん?」
その声に、瀧は顔を上げる。
覗き込んでいたのは、夏の学生服を着た女子生徒だった。
ここが高校であることを考えると、自分より年上だと思われる。
なので、言葉遣いはそれなりに礼儀正しく。
しかし、口調は淡々と。
「……ありがとうございます」
自分は不機嫌である――と彼は認識している。
ゆえに、こんな田舎娘に褒められたところで大して嬉しくもない。
――と、思いたいのだが。
女の子から尊敬の眼差しを向けられては、どうしても口元が緩んでしまう。
それで彼は、表情を固くしたまま次のページへと捲っていく。
お前になんて興味はない、と示そうとして。
だが、内心――やはり、見て欲しかったのだろう。
目の前の女の子に、自分自身の力作を。
「ほんに凄い……こんな細かいんよぅ描けるね」
「こういうのは、得意だから」
誇示したいのを抑えつつも、つい零してしまった本音。
それを聞いて――彼女はあることを思いついた。
「何なら、美術室で描かん? 外は暑いでしょ」
そんな誘いに……瀧は絶好のモチーフを思いつく。
美術室ならば、デッサン用の石膏像くらいあるだろう。
大自然に囲まれつつ、それを無視して室内で、それもありきたりな学習教材を――
ここまで課題の意図に背いた題材もなかなかない。
「はい、ありがとうございます」
彼は軽やかに腰を上げる。
その頃には、これまでの不愉快さはすっかり忘れていた。
彼女の名は、宮水三葉。
この高校に通う三年生だという。
休みの美術室に顔を出すのだから、美術部の関係者なのだろう、と瀧は考えていた。
しかし――
「……部員じゃ、なかったのか」
「ぅ……絵を見て言わんで欲しいなぁ……」
パッと見で断じられると、三葉としても少なからず凹む。
彼女は単なる補修だった。
一学期のうちに終えなくてはならない油絵が、彼女は未だに出来上がっていない。
ゆえに、延長戦。
遅くとも、二学期に入る前には仕上げる必要がある。
とはいえ、これだけ時間を掛けて、恥ずかしいものを提出するわけにもいかない。
日々あれこれ試行錯誤を繰り返していたところに、都合よく絵が得意な少年が現れた、というわけである。
「で、そのー……どうしたら、もうちょっとまともになるかなぁ……?」
と言われても、既に手遅れのような。
「コレ……ちゃんと実物見て描いてるのか?」
「失礼ね! ズルなんてしとらんて!」
「そうじゃなくて……」
彼女が描いているのは、果物や瓶などの寄せ集め。
その中の一つである、分厚い辞書の縁を、瀧は指す。
「この角とか、絶対こうは交わらないだろ」
「え? おかしいなぁ……」
表紙と背表紙の面が明らかに噛み合わない。
このような矛盾が、描きかけの絵の中の随所に見られる。
まるで、せわしなく立ち位置を変えながら描いたような。
さもなくば、実物を見ずに、脳内イメージだけで描いたか。
実物を、前にしながら。
これは口で説明しても追いつきそうにない。
「やれやれ、油絵の経験はないんだが――」
そう言って、絵筆を取ろうとするが……
「ダメ。下手でも自分で描くから」
三葉はあえて彼の厚意を固辞する。
だが――
その潔さに、何だか瀧は好感が持てた。
彼は三葉の隣に座り、まったく別の方を向いている。
そちらに鎮座しているのは、いわゆる著名なギリシャ人の胸像。
横目でチラチラと女子生徒の進捗を窺いながら、光の表現等を的確に指示していく。
その一つひとつに感心しつつ――今更ながら、彼に尋ねた。
「ところで……地元の子やないよね。観光?」
「学校行事だよ。林間学校の写生会」
いつの間にか、すっかり口調も砕けている。
が、三葉はそれを気にしない。
「ふーん……こんなとこ描こうなんて、変わっとるね」
景色がええ場所なら他にもいくらでもあるんに、と彼女は常識的なことを思う。
とはいえ、もしかしたら、これだけ美的センスがあるのだし、分かる人だけにしか分からないこともあるのかもしれない。
どうせ山々を描かないのなら――
「じゃあさ、私とかどうやろ!?」
彼の腕なら、安心して自分の肖像画を任せられる。
そっとパレットと絵筆を置くと、彼女はトトト、と窓際で佇み物憂げなポーズ。
しかし。
「おっ、俺は建物が好きなんだよっ!」
女子に、自分を描けと言われても照れてしまう。
真っ赤になって俯く年下の男の子は、三葉から見ると少し可愛い。
「あら、女の子よりも建物の方が好きなん?」
子供らしく憎まれ口でも叩いてくるかと思っていたが、彼の答えは意外と真面目なものだった。
「建築デザイナーを目指してる、からな……」
それで、わざわざ校舎を描こうとしてたんね、と三葉は納得した。
が、今の彼は、石膏像と向き合っている。
得意分野でもないだろうに、それでもこれが抜群に上手い。
それで、三葉は三葉なりに、彼の意図を汲み上げた。
「なるほどねぇ……自分が好きなもんだけ描いとっても、プロにはなれん、ってことかぁ」
あえて苦手なものに挑戦しとるんかな、という三葉の気遣いは、彼の心に深々と突き刺さる。
よく言われることだけに、瀧自身も知ってはいた。
好きなものだけ描いていても、プロにはなれない、と。
自分はただ不貞腐れていただけなのに、こうも感心されては恥ずかしくなってくる。
それで彼は、何も言えない。
ただただ、睨みつけるように白い塊を画用紙に写し取っていく。
絵の造詣のない三葉から見ても、彼の絵画はとても美しい。
それだけに、彼女も彼女でまた、落ち込んでしまう。
「その歳でもう将来を見据えとるなんて、偉いねー……」
自分より年下なのに、この子は未来に対して着実に進んでいる。
先の見えない三葉にとって、その姿は少し気後れしてしまう。
「三葉さんはそういうの、ないのか?」
彼にとって、建築デザイナーとは自然に見えた将来像であり、意識して探し当てたものではない。
ゆえに、誰しもそのような夢があるものかと思っていたのだが。
「巫女……じゃ食べていけんしねぇ……」
それに、巫女として食べていくつもりもない。
「巫女……?」
田舎町ならではの特殊な職業なのか、と興味も湧くが――三葉としては、これにあまり良い感情は持っていない。
ゆえに、時計をちらりと見やり、今日の作業を打ち切った。
「ウン、ありがとう! 何だか随分マシになった気がする!」
実際、他のオブジェと比べて、今日塗ったボトルだけは良い意味で浮いている。
「あとは、背景の本棚だけやけど……うわぁ……これはツライ……」
本が細々と並んでいて、三葉の手には余るようだ。
「俺はむしろ、そういうやつの方が得意だけどな」
すべてが直角に交わっているのだから、構造も把握しやすい。
だからといって、代わりに描いてやる、とは言い出さない。
そして、三葉もそれを頼まない。
たとえ、そう思っていたとしても。
「いいなぁ……一日だけ頭の中を入れ替えて欲しいわ」
「入れ替わり……?」
何やら奇妙なことを言い出した彼女に、瀧は怪訝に眉をひそめる。
「一日だけ瀧君が私になってくれたら……ちゃんと、私が描いたことになるっしょ?」
言って、クスっと吹き出したことで、彼女なりの冗談だと、瀧は理解した。
「入れ替わるのは無理だけど……何なら、明日も来てやろうか?」
彼の写生は、この数時間で完了している。
最終日の自由行動では、友人らと川遊びに行く予定となっていた。
が、ここに来た方が自分の腕を振るえる気がする。
そして何より、彼女のために振るいたい。
「来てやろうか、って」
その尊大な言い方に、三葉は少し苦笑する。
だが。
「頼もしいね。ありがと」
そんな男の子も、何だか可愛いな、と三葉は快くお願いすることにした。
とはいえ、彼はあくまで都会からの旅行者である。
二度目の偶然の出逢いに固執するわけにもいかない。
翌日、キャンバスの前で三葉は独りウンウンと唸っていると――
「わっ、ホンマに来てくれたん」
正直、彼の約束は話半分で聞いていた。
学校のみんなと来たのだから、色々と遊びたいところもあるだろうし。
それでも、瀧はここに来た。
友人らと自然の中で遊ぶよりも、
彼女とここで絵を描くことを、彼は選んだ。
せっかく事前の約束を反故にしてまで来たのに、どうやら期待されていなかったらしい。
信頼を得ていなかったのは残念だが……彼女の笑顔は、自分を歓迎してくれている。
ならば、今日はしっかりと彼女のために筆を取ろう。
「俺も隣で描くから、似たように描いてみたらどうだ?」
同じ手順で描いていけば、同じように描き上がるのではないか、と彼は考えた。
とはいえ、瀧はクロッキーなのに対し、三葉は油絵の具。
作画のペースはまったく異なる上に、そもそも毛筆に不慣れな三葉は直線が引けない。
ゆえに、どうしても歪む。
「少なくとも交点のバランスさえ間違えなければ、大きくは狂わないから……」
「う……うん……」
瀧はこまめに三葉の絵をチェックして、大幅なズレは指摘していく。
「ちゃんと全体を見ろ。横板が傾いてきてるぞ」
「え? え……あぁ……うぅ……どうして……?」
ちゃんと見たまま描いているはずなのに、危うく実在しない本棚を描いてしまうところだった。
「それに、この面はこんなに暗くはないだろ。いくら照明が弱いとはいえ――」
部屋の蛍光灯はつけているが、昼間にしては暗すぎる。
それで、瀧は気がついた。外が異様に曇っていることに。
「あー……今日は午後から崩れるって言ってたか」
朝食後、ロビーで流れていた天気予報を、おぼろげながら思い出した。
が、三葉に慌てる様子は見られない。
「多分、にわか雨やと思うよ。帰る頃には晴れてんやないかな」
彼女は天気予報を見ていないが、日頃の経験からそう断じた。
実のところ、彼にはまだ帰って欲しくない。
適切な指導のお陰で、少しは見れる絵になってきた気がするから。
そして何より、頼りっぱなしではなく、年上らしいところも見せておきたい。
予告通りに綺麗な晴れ間が見えてくれば、少しは威厳も保てるだろう。
しかし……
“大雨警報……大雨警報……町民の皆様は、外出は控えますよう……”
どうやら、今回の豪雨は一時的なものではなかったらしい。
「マズイぞ……帰れるかな……」
三葉の課題は一応の形になった。が、外は大荒れである。
自分の過信でこんなことになってしまい、三葉は焦り始めていた。
「大丈夫! ……やとは思うけど……私、ちょっと見てくる!」
傘なら昇降口の忘れ物を一本借りればいい。
彼女はすぐさま部屋から飛び出してしまった。
「お、おい! 外出は控えろって――」
見知らぬ場所に一人で置き去りにされては心細い。
瀧もまた、慌てて三葉の後を追う。
外は風も強く、横殴りの雨では傘も意味を成さない。
二人はずぶ濡れになりながら山道を駆けていくが――その足はすぐに止まる。
「道が……」
「これは……危ないな」
上の方から土砂が流れてきたらしい。
乗り越えられない高さではないが、この天候である。
無理をすれば、取り返しのつかないことになるだろう。
「一旦戻ろう」
「……うん」
もし、瀧君に何かあったら、自分の所為だ……
やから、いかなる手段をもってしても、彼だけは無事に東京に帰してあげんと。
三葉は、そんな覚悟を固めつつあった。
美術室に戻ってきたものの……二人はすっかり水浸しである。
夏とはいえ、このままでは風邪を引いてしまいかねない。
「きっと、体操着とかあるんやないかな。瀧君は先に脱いで待っとって」
三葉は髪から雫を落としながら、教室の方へと向かっていった。
その間、瀧は言われたとおりに服を脱いでいく。
最後の下着の一枚まで。
幸い部屋には、洗い物用の水場が設置されている。
色とりどりの絵の具のこびり着いた流し場で、瀧は自分の服を絞っていた。
それなりに、急いで。
女子に見られては恥ずかしい姿だから。
ハンガーなどはないので、キャンバスを立てるイーゼルに服を引っ掛け、彼は裸のまま膝を抱えて体操着の到来を待つ。
だが、どうにも三葉の帰りが遅い。
探しに行くには、あの濡れた服を着直すしかないのだろうか……と辟易していたところ――
ガラリ。
控えめに開かれた扉から、申し訳なさそうに三葉が顔を覗かせる。
「ご……ごめん。何だか、みんな持って帰っちゃってたみたいで……」
彼女が見つけられたのは、男子の上下一組のジャージのみだった。
「私、隣の部屋で待っとるから、これは瀧君が着て」
戦利品をそっと床に置くと、彼女は扉を閉めようとする。
だが。
「ま、待てよ!」
女子の身体を冷やしたまま、男の自分が替えを着れるはずがない。
瀧は服を拾い上げると、それを掴んで廊下に身を乗り出した。
が、彼がそこで見たものは――
「きゃあっ!? 開けちゃダメェ!!」
振り返った彼女の顔は驚愕の色に染まっている。
薄暗い廊下に浮かび上がるような真っ白な背筋。
それに、ふくよかに実った果物のようなお尻。
一瞬だけ見惚れそうになってしまったが、甲高い悲鳴で彼はすぐに我に返る。
零れ落とすように外に服を返すと、爆ぜる胸を押さえて部屋の中へと引っ込んだ。
が、先程の光景が目に焼き付いて離れない。
こんなところで一人でいたら、何をしてしまうことか……と自分が自分で不安になってくるほどに。
が、彼が一人になれることはなかった。
背後で再びガラリと音が鳴る。
それで振り返ると、閉じかけている扉と、再度返却されたジャージが放り込まれていた。
「瀧君のために持ってきたんやから、瀧君が着てって!」
そう言われても、彼は男として断固として着ることはできない。
「いや、三葉さんが着ろよ!」
外は見ないように顔は伏せつつ、瀧もまた同じように体操服を放り出す。
それでも、彼女にはこれを受け取ることはできない。
こちらの都合で、旅行中につきっきりで絵を教えてもらった。
そして、自分のミスで、帰れなくなってしまったかもしれない。
ここで自分が着て、都会の少年に寒い思いをさせては、あまりに不甲斐なくて、惨めすぎる。
ゆえに――
ひと夏の過ちとして、三葉は恥を掻くことに決めた。
「じゃあ……さ」
ポツンと小さく呟くと、再び扉は開かれる。
但し今度は、服を通す隙間ではなく、人が通れるほどに広く。
これには瀧も面食らい、股間を隠して背を向けた。
「瀧君、絵、描いてよ」
こんな時に何を言っているのか――と瀧は混乱するが、三葉はそれ以上何も言わない。
ひたひたと聞こえる足音の方に彼は恐る恐る振り向くと、先ほどと同じ光景が両目に飛び込んできた。
「な、え、あ……その……!」
扉によって隔てられていたこれまでとは違う。
すぐ傍で、裸の女の子と同室にいる。
これは、瀧少年にとって耐えられることではない。
が、三葉は平然と――
平然を装い――
窓辺でくるりと彼の方を向いてみせた。
それは昨日、陽の刺す下で見せたのと同じように。
但し、そこに着ていた制服はない。
「私の絵。ヌードデッサン、描いてよ」
その衝撃に――彼の思考は完全に停止してしまった。
頭の中を真っ白にしたまま、ただ喚き立てる。
「そんなのダメだろ!?」
これは許されることではない!
彼の中の良心が、本能的に警鐘を鳴らす。
だが、これに応えるのは、女の子の寂しそうな声色だった。
「私じゃモデルにも……なれんかな」
恥を覚悟で我が身を投げ打ったのに、それを無視されては、彼女としても立つ瀬がない。
その悲しみが、彼の心を鎮めていく。
勇気をもって、瀧はようやく顔を上げた。
そこには、まるで絵画から出てきたような若く美しい女性が一人。
いや、違う。
彼女の美しさは、これから自分の手で絵に収めていかなくてはならないのだろう。
初めて相対する女性の肢体を、瀧はぼんやりと見つめていた。
その表情は熱っぽく、三葉としても悪い気はしないが――ただ見せるために肌を晒しているのではない。
「私の絵、描いてくれる?」
芸術的行為の一環として、彼女は辛うじて耐えている。
瀧としても、ここまで見惚れておきながら、ただそれだけでは済ませられない。
ゆえに、彼も自分に言い聞かせる。
三葉と同じく、これは芸術的行為の一環なのだと。
「な……なら、髪は下ろしてくれるか」
それから、腕の高さや、腰の角度など、自分が思う三葉らしさを一つひとつ。
隅々まで自分の身体を覗かれてしまうのは恥ずかしい。
だとしても……
自分の求めに応じてくれた彼に、三葉は心から感謝した。
こうなっては、瀧が服を着ない理由はない。
対象が確たる目的で裸になっている以上、ここで描く側が同じ姿でいても間抜けなだけだ。
これによって、三葉の願いはようやく成就する。
そんな彼女に応えようと、彼は一心不乱に、白地に線を走らせていた。
彼女が身体を張ってくれた以上、無様な作品にはしたくない。
窓の外を眺めながら、ガラスにうっすらと映る自分の姿に三葉は気づく。
折角才ある人に描いてもらっているのに、どうしても笑顔を作ることができない。
「……ホンマ、私ってダメやね」
まるで、仏陀のために焚き火へと飛び込んだ兎の心境である。
「そんなことねーよ」
と、彼は軽く励ますが、彼女の心には届かない。
「なら、私に何ができるってゆうの?」
逢ったばかりの少年にそれを問うのは些か酷というものか。
ここまで、ずっと頼ってばかりで、失敗ばかりで。
長らく共に暮らしていれば見えてくるものもあるかもしれないが……
少なくとも、今の彼には彼女の内側は見えない。
だから。
「可能性ってのは、誰にでもあるもんだろうし」
自分にとっての建築デザインのように、三葉さんにもきっとある。
彼は、そう信じていた。
が、三葉にはその片鱗すら思い当たらない。
「そんなの……どうやって見つけたらえぇんよ」
この歳まで生きてきて、自分の道なんて何も見つからなかった。
それがある日突然――などと、彼女には信じることができない。
ずっと、片田舎で過ごしてきたから。
「東京に来いよ。こっちには、ここにはないものがたくさんある」
その中から、三葉さんに合うものがきっと見つかる――と、彼は言った。
自分とて、もしもこんな平屋ばかりの町に住んでいたら、ビル群の美しさに気づかなかったかもしれない。
だから、きっと三葉さんも――二つ返事で色好い返事をもらえるかと思っていたが、彼女の表情は一向に晴れない。
彼女とて、東京に出たいという夢はある。
が、彼女はずっとこの町だけで暮らしてきた。
この町の人たちとだけ接してきた。
その生活を捨てて、いきなり誰も知らない人々の渦中に飛び込むのは……やはり、怖い。
「で、でも……東京で一人なんて――」
彼女の弱音は力強い男の子によって遮られた。
「一人じゃない。俺がいる」
「えっ?」
思わず振り向いてしまったが、己の本分を思い出して再び外に顔を向ける。
「東京で、俺が待ってる。それとも、俺じゃ……不安か?」
それはまるで、絵にしてくれと志願する三葉のような問い掛け。
ゆえに、三葉もまた、反射的に心で頷く。
「……ううん、ありがと」
これまでは、ただ漠然とした憧れだった。
そしてついさっきはまだ見ぬ可能性を試すために。
だが、今は――
自分を迎え入れてくれる人に、逢いに行きたい。
そんな未来を描きつつあった。
一方、彼女の絵は概ね描き上がっている。
瀧は改めてもう一度顔の方を見上げてみると――そこからは、これまでのような暗さが消えていた。
だから――彼は、改めてその表情を描き留める。
今の彼女の方が、絶対に良い顔をしているから。
そして、ついにペンを置く。
「ほら、描けたぞ。どうだ?」
それはまるで、彼女の姿の生き写し。
「……凄い……」
自分の裸だというのに、恥ずかしさを微塵も感じない。
それはまるで絵画のような――などと、倒錯した感想を彼女は抱く。
とにかく、これでようやく、三葉は彼の役に立てたような気がした。
「これなら、絶対いい点もらえるよ!」
自分がモデルを務めただけに、褒めてもらえるのなら我がことのように嬉しい。
だが……
「みっ、見せるわけないだろ!?」
先生どころか、親にだって見せられない。
これは、自分と三葉だけの秘密――
「あ、そうやね、ウン」
第一印象による感動が過ぎ去ると、彼女の心にも少し照れが生じてくる。
ただ、とても良い作品なので、隠しておくのも勿体ない気もするのだが。
そんな複雑な心境を抱えていると――
「きゃっ!?」
唐突にジャージを下ろし始めた瀧に、三葉は思わず背を向ける。
彼からすれば、もう自分が着ている必要もない。
ゆえに、すぐさま返却するべきだろう。
絵のモデルではなく、素の宮水三葉としてその姿で接されると……のぼせて頭がクラクラしてしまう。
「その……何だ……お疲れ様」
滑らかな背中に抜いだものをグイグイと押し付けると、今度の彼女はちゃんと受け取ってくれた。
ずっと裸を見ていたとはいえ、女子の着替えは覗くべきではない。
後ろを向いたまま、彼女が部屋から出ていくのを待っていたが……
「……あったかい♪」
ひんやりとした柔らかいものが背中に押し付けられ、うなじから胸に掛けてはしなやかな腕が垂れ下がっている。
「お、お、おい……!?」
尻には黒々と塗り潰したところが当たっているようにも感じられるし……これに、少年は指一本動かすことができない。
そんな彼をからかうように、彼女はさらに腕の力を強めてゆく。
込めている確たる意思を伝えるために。
「こういうの、嫌?」
中学生にはまだ早すぎるかな、とも思ったが、彼は小さく首を振る。
「嫌じゃ……ないけど……」
健気な返事を受け取って、彼女はもう少しだけ甘えさせてもらうことにした。
彼の温もりを感じながら――抱いた思いを紡いでゆく。
「私、東京の大学を受けるよ」
「……オゥ」
緊張のあまり朦朧としていたが、ここまでは何とか理解できた。
「そしたら、そっちに引っ越すから、その時は――」
三葉の胸が、急速に熱を帯びていく。
もし断られたら、取り返しがつかない。
だけど、こうして一緒にいられる時間も限られている。
なら、何もしないまま離れたくはない……!
「――その時は、私の隣にいてくれる?」
「……ああ」
短すぎる上に、あっさりしすぎている。
今の彼の頭では、言葉の表層以上を理解することはできないようだ。
真意を汲み取ってもらえなかったことに気づいて、三葉はもう少しだけ自分の想いを噛み砕いていく。
「でも、瀧君に彼女とかいたら、妬かれちゃうんやない?」
突然の色恋沙汰に――少なくとも、彼はそう感じている――瀧は心臓を吐き出しそうになってしまった。
「い、い……いねーよ、そんなの!!」
それを聞いて――三葉の肩から急速に力が抜けていく。
だが、その言葉が染み渡る心臓だけは熱く、激しい。
「あ、そうなんや。東京の子ってみんないると思っとったケド」
彼女は年長者らしく、余裕をもって振る舞おうとはしている。
が、こんなにくっついていては鼓動の響きは伝わっているかもしれない。
ならば、思い切ってはっきりと……!
喉から出かかっている恋心を飲み込むか告げるかで迷う三葉。
しかし、瀧はどこまでも鈍い。
むしろそれは、幼さゆえの後ろ向きな思考ともいえる。
三葉さんが自分のことを好いている――などと
「……あんま、夢は見ない方がいいぞ……」
東京に出れば恋人ができる――などと考えているのではないか、と見当違いな釘を刺す。
それでも、自分の身を案じてくれていることだけは、三葉にもわかった。
「心配せんで。東京で恋人探しなんてするつもりないから」
私の恋人は、もうここにいる。
そんなつもりで慰めてみるも、彼の心はまだそこまで踏み込めていない。
「それって……!?」
東京に来ても、俺を恋人にするつもりはない、ということか……?
男の子の背中から滲み出る悲壮的な空気を読み取って――
三葉は理解した。
恋愛を進めてもらうには、彼はまだ未熟すぎる。
勇気も、度胸も、経験もない。
だが、自分にできるのかと問われれば――
できる、と胸を張って答えたい。
答えさせて欲しい。
瀧君よりも、お姉さんなのだから。
私が、ちゃんと言葉にしないと、二人の間は縮まらない。
明日には遠く離れ離れになってしまう。
その前に、彼とはきちんと向き合っておきたい。
「あ、少し雨、弱くなってきたかも」
すっと自ら抱擁を解くと、窓から空の様子を窺いに行った。
釣られて彼も外の方を見やるが――一糸纏わぬその姿に、目を伏せずにはいられない。
やっぱり、こういうところは可愛いな、と彼女は思う。
そして、私が導いてあげんとね、とも。
「なに今更恥ずかしがっとるんよ。ずっと私の身体見てたクセに」
「そ……それは……」
今なら目を閉じていても、彼女の足の爪から胸の先まで思い出せる。
思い出せるだけに、恥ずかしい。
股間を押さえつける小さな手を取るように、三葉は彼の腕を引いていく。
裸の女性に抵抗できない瀧は、これに力なく従うしかない。
「あははっ、私も瀧君の裸、見ちゃった♪」
隠すことも叶わず顕になったそこは、すっかり大人の姿となっていた。
「は……恥ずかしくないのか?」
そんな当然のことを尋ねる彼に、彼女は当然のことを答える。
「恥ずかしいけど……」
そして、当然であって欲しいことを、付け加えた。
「……恋人の身体なら、ね?」
「恋人!?」
やっぱり気づいてなかった――三葉もこれには苦笑い。
「だってさっき、私の隣にいてくれるから東京に来い、ってゆぅたやない。それって……そういうことやないの?」
あの発言に深い意味はない、と断じられればそれまでだが――
「それは……その……違……わない」
あからさまな後付け。
それでも構わない、と三葉は思う。
ただ、言葉にする順序が変わっただけだから。
ただ、想いを言葉にできなかっただけだから。
「なら……私たち、恋人同士やね」
「う……ん」
男の子が小さくなればなるほど、
女の子として大きな度量で接してあげたくなる。
大人びて。
先を急ぐように。
「やから……顔を上げて? ちゃんと目を見て話そうよ」
「ん……」
二人は少しだけ見つめ合う。
だが、その間に言葉はない。
彼にそこから先を求めてもらうことは無理だろう。
ゆえに、自分から。
三葉は静かに目を閉じる。
そして、口元を近づけていった。
そこに来るものを予感して、瀧もまた目蓋を強く閉ざす。
だが――
「んっ!?」
唇を触れ合わせるだけでなく――舌まで!?
瀧は驚いて喉を鳴らすが……三葉としても、これより先はどうしてよいか知らず、彼の口の中で彷徨っている。
が、このまま引っ込めても格好がつかない。
試しに、舌と舌を絡ませてみると……これで正しい、と胸に流れる本能が教えてくれた。
「ん、ふ、ん……」
抱き合う腕と腕も自然と強くなってくる。
息が苦しくなってきているのに、求め続けずにはいられない。
そして、ようやく唇を離したとき――彼女は大人の顔で教えてあげた。
「これが……大人のキス、やよ」
「…………」
これに、瀧は何も言えない。
ただ、悶々としている。
何だか、煮え切らない想いを膨らむだけ膨らまされて。
このまま東京に帰ってしまったら、このわだかまりをどうすれば良いのか判らず。
そして彼女も、瀧君が東京に帰ってしまったらしばらく逢えないんだろうな、と寂しく思う。
それを埋め合わせるために、
次へと繋ぎ止めるために、
強い絆が欲しいな、と。
お互い、このまま離れたくはない。
その感傷が、乗り越えるための勇気へと変わっていく。
「ね……今からここで、大切な思い出……作る?」
それが何を意味しているのか、瀧にも何となく解った。
小さな少年の身体を引き寄せながら、彼女は床へと腰を下ろしてゆく。
瀧も彼女の身体を離さず、そのまま上に乗りかかっていた。
そして、再び交わされる、大人の口づけ。
だが、彼女はそれだけでは収まらなくなっていた。
しっかりと密着した肌と肌の間に指を割り込ませ――男の子の熱くなったところをギュっと握る。
そして、ゆっくりと、下へ、上へ。
彼もまた、ずっと彼女に触れたかった。
優しい二つの胸だけでなく、異性のもっと深いところへ。
彼女に男の部分を触れられてしまったら――彼はもう抑えることはできない。
女の子の割れ目にゆっくりと手を添わせていく。
「うん、そう……優しく、ね?」
男の性を、女の指で。
女の性を、男の指で。
優しく、労り、愛し合っていく。
互いを巡り合わせるために。
「そろそろ……ええよ」
三葉は、自ら彼を誘う。
誘われれば、彼に拒む理由はない。
つるつると掻き回していた指を引き、
その比ではない太さに持ち替えた。
柔らかな先が、彼女を撫でる。
その大きさを直に感じ、彼女は少しだけ身を固くした。
が、受け入れることは恐れない。
彼もまた、自分を受け入れてくれるのだから――
自分の中に、異物が侵食してくる。
自分の中が、異物に抉じ開けられていく。
痛く、苦しく、自分の身体が壊れてしまいそう!
それでも……
女の子の方から言い出したことである。
彼に心配は掛けたくない。
だから、彼女は必死に堪える。
「ええよ………もっと……奥まで……!」
「み……三葉さん……俺……!」
目を見ればわかる。
彼が、もっと深くまで欲しがっていることが。
男の子が、自分を欲しがっている。
どこまでも、貪欲に。
そしてそれは、最後の最後に行き着いても、
なお、収まることはない。
「三葉さん……大丈夫……?」
ひくつく腰を何とか抑えているようだ。
胸にしがみつく両腕からも、その苦悩が伝わってくる。
良心と快楽の間で揺れ動く男の子を、彼女は少しだけ押してあげることにした。
「だ、大丈夫だから……ちょっとだけ動いて」
最初はゆっくりと、
しかし、次第に激しく、大きく……!
「ん、んっ、あ、ん……っ!」
その衝撃に、三葉の喉から痛々しい声が漏れる。
ちょっと泣きそうになってきたから……せめてこっちで慰めて!
奪うように唇を繋ぎ合わせ、舌で舌から温もりを得る。
すると……何だか楽になったような気がしてきた。
少し顔を離して見つめ合う。
可愛らしい男の子が、不安そうに、それでも夢中になって目下の女の子を見守っていた。
だから彼女は伝える。自分は、大丈夫だよ、と。
「瀧君……瀧君……」
彼の腰に合わせて名を呼ぶ彼女に、彼もまた囁き返す。
「三葉さん……俺、三葉さんのこと……好きです……!」
その一言で――彼女もまた、初めて性を感じることができた。
「私も……瀧君のこと、大好きやよ……!」
自分が口にしても、ドキドキして気持ち良くなってくる。
「三葉さん……好きですっ、好きです……三葉さん……!」
「瀧君! 大好き……瀧君……大好きぃ……っ❤」
言う度に、
聞く度に、
初めての痛みが和らいでいく。
そしてその先に残るのは性的快感。
蕩けるような女の子の笑顔に、瀧もまた高まってゆき、
それはついに限界を――
「
ドクン、ビュルッ、ビュルル……ッ!
一応、ギリギリで
とは思う。
が、少し
これで子供が
が、彼女は来年から東京に来てくれるという。
ならば……
一緒に頑張っていけるだろう。
幼いながらも瀧は、少しだけ成長できたような気がしていた。
***
ここで、ようやく……三葉は家に電話を掛ける。
が、場所が場所だけに急を要する事態ではない。
学校にいることを伝えると、雨が止むまでそこに避難しているよう伝えられた。
それは瀧も同じように。
林間学校最終日ということもあるし、世話になっている三葉の父が町長を務めているということもある。
彼も彼で、天候が落ち着き次第、町役場の指示の下で帰宅することとなった。
ゆえに、彼らは未だここにいる。
そのままの姿で。
服が生乾き、ということもあるが……
「うわぁ、凄い飛んだねー」
股の間から胸に掛けて、真っ白な絵の具がぶち撒けられている。
それを部屋にあった大きな鏡に映して、三葉は感慨深そうに眺めていた。
「あ……その……ゴメン」
自分が致したものをマジマジと見られては、恥ずかしいやら申し訳ないやら。
こんなに勢い良く吹き出すのなら、きっと子宮の奥にも届くんやろうなぁ、と彼女は思う。
「は、早く洗い流した方が……」
瀧は目のやり場に困っているが、三葉はもう少しだけこのままにしておきたかった。
彼と自分が、確かに愛し合った証なのだから。
でも、彼の言うとおり、いつかは流れて消えてしまう。
だから、ずっと残る形が欲しい。
それで、彼女はふと思い出した。
「あ、やったら」
それは、彼女の髪を束ねていたもの。
「瀧君、腕を出して」
言われたままに差し出すと、彼女は紅い紐をその手首にくるくると巻いていく。
「これは……?」
ちょん、と結べば彼の左手が綺麗に彩られた。
「記念の品――みたいなものかな。それを見たら、今日の日を思い出して」
「今日……!」
彼女にとって、今日は二人が付き合い始めた大切な日である。
が、瀧にとっては、思い出せと言われても……脳裏に蘇るのは悩ましげに喘ぐ裸の恋人――
「……もうっ、男の子ってそんなんばっかね」
ムクムクと大きくなっていく息子を隠したところでもう遅い。
が、彼女も彼女で……少し思うところもあった。
「……ね、今度は瀧君が下になってみてよ」
「えっ!?」
上だの下だの、このタイミングで言われては、もう一度付き合ってくれるようにしか思えず――
「次はもう少し上手くできる気がするんよ。やから……ね?」
ひょいと胸に飛び込んで、ぎゅっと身体を抱きしめ合えば――ネチョリと最初の残骸が二人の間で押し広げられる。
これで、お互いこのまま服を着ることはできなくなった。
ならば――
二人だけの時間を過ごすのも悪くない。
激しく降り注ぐ雨が鎮まるまでは。
***
その日から。
直接逢うことは叶わずとも、連絡を取らなかったことは一日もない。
今度はいつ逢えるかな。
早く逢いたいね。
惚気けたメッセージを、スマホとスマホで送り合う。
そして、夏休みが明けた九月の連休、
三葉は東京に泊まりに来ることとなった。
宮水家には……校舎から救出された後で、なし崩し的に挨拶を済ませている。
だから、今度は立花家に。
瀧は、否応なしに気合が入る。
三葉は、否応なしに緊張する。
だが、それでも。
再び逢うことができるのは、代え難い喜びであった。
しかし、それを心待ちにするあまり――
朝、目を覚ますと、
瀧は、見知らぬ天井を見上げていた。
三葉もまた、見知らぬ天井を見上げていた。
どうにも古臭い木の板を。
真っ白で無機質な壁紙を。
そして、手を見て、
身体を見て、
鏡に自分の姿を映して気づく。
「俺、三葉さんと――」
「私、瀧君と――」
「「入れ替わってる!?」」