これは夢だ。夢に違いない。
見慣れた天井、見慣れたベッドの中。
うん、間違いない。ここは俺の部屋だ。
だが俺は今、極めて困った状況にある。
キョン「…」
俺の隣で誰かが眠っている。
いや、そいつが誰か、俺は良く知っている。よく知っているんだが…。
問題はどうしてそいつが俺の横で眠っているかだ。
…うん。もう一度眠ればきっと目が覚めたときにはシャミセンが足元に丸まっているいつもの部屋に戻るはずだ。
そう考えた俺は、隣で眠る奴に背を向けて目を閉じた。
ゆさゆさ。
ゆさゆさ。
キョン「…ん?」
身体が揺さぶられる。
妹が起こしに来たか?それにしては優しい起こし方だな。
ゆっくりと目を開ける。
目の前に、あいつがいた。
キョン「…!!」
ハルヒ「おはよう。あなた」
キョン「…!?」
あなた?
おいハルヒ、いったい何を言っている?
そんな俺の困惑をよそに、ハルヒはかわいらしい微笑みを浮かべた後、何の前触れもなしに俺にキスをした。
ハルヒ「うふふ。おはよう」
キョン「…」
ハルヒ「もう。まだ寝ぼけてるの?顔洗っていらっしゃい。朝ごはんできてるから」
キョン「ああ」
どういうことだ?いったい何なんだ?
クエスチョンマークを飛ばしながら俺は階段を下りる。
ハムの焼けたいい香りがする。きっとハムエッグだ。
いや、そうじゃなくて、なぜこんなことになっている?
ここは確かに俺の家だ。
妹は?親父は?母親は?シャミセンは?
俺の家族の姿はない。
洗面所に行き顔を洗ってからリビングへ向かう。
テーブルに座る小学生の姿が見えたので俺は胸を撫で下ろし、声をかけた。
キョン「おい、なんでハルヒがいるんだ?」
妹?「ふええ?」
ん?なんか変だぞ。
キョン「とぼけるな。お前もグルだろ」
妹?「ひゃっ!」
俺は妹?の頭を掴んで顔をこっちに向けさせ、絶句した。
なんだ?これは?
みくる「ふぇぇぇっ…痛いですぅ。パパ」
キョン「…」
潤んだ瞳で俺を見上げる小学生バージョンの朝比奈さんはとんでもないことを口走った。
パパ?俺が?いつ?どこで?
ハルヒ「あら、どうしたの?」
みくる「ママぁ。パパが怖いのぉ…ぐすぐす」
ハルヒ「あなた、みくるに何をしたの?」
キョン「あ…その」
ハルヒがママで俺がパパ…。
いったい何のジョークだ?これ。
キョン「すまん…」ナデナデ
みくる「ふにゅ~。…えへへ」
おおっ、頭を撫でただけで満面の笑顔に。さすがです。朝比奈さん。
ハルヒ「朝っぱらからなにやってるのかしら。さ、はやくご飯食べちゃいましょう」
みくる「はぁ~い。いただきます」
キョン「…いただきます」
ハルヒ「いただきます」
うん。普通に美味い。
ハルヒ「あなた、今日はお休みよね?」
キョン「あー…何曜日だっけ」
ハルヒ「土曜日よ。もう、仕事のしすぎ」
キョン「…すまん。ちょっと行くところがある」
土曜日と聞いて駅前を思い出し、俺は無口な宇宙人のことを思い出す。
ハルヒ「えー。先週もそうだったじゃない。みくるがかわいそう」
みくる「ふぇ?なーに?ママ」
ハルヒ「なんでもないわよ~。今日はママとお散歩行きましょうね」
みくる「えへへ。嬉しいな~」
ニコニコと笑う朝比奈さん(子供バージョン:以下(子))と微笑みかけるハルヒ。
実に心が和む光景ではあるが、実に落ち着かない光景でもある。
食事を終えてから部屋に戻り、ハンガーにかけられていた制服ではなく、背広に袖を通す。
見た目が違うだけで、着用方法は制服とほとんど変わらない。
鞄を手に取り、玄関へ向かう。玄関先にはハルヒと、朝比奈さん(子)が並んで立ち俺に微笑んでいた。
ハルヒ「いってらっしゃい」
みくる「いってらっしゃーい」
キョン「…いってきます」
軽く笑みを返しながら靴を履いて立ち上がると、背広の裾を控えめに引っ張られる。
振り返ると、朝比奈さん(子)が俺を見上げてモジモジとしていた。
キョン「どうした?」
みくる「…」
キョン「?」
みくる「行ってらっしゃいの、ちゅー、する」
キョン「!?」
何を言っているのですか?朝比奈さん。
だが、思わずのけぞった俺を見て、ハルヒが怪訝そうに言った。
ハルヒ「あなた、いつものことなのになんでそんなに驚くのよ」
キョン「あ、え、そうか」
ハルヒ「ほらほら、はやくかがんであげて」
キョン「あ、ああ」
言われるままにかがみ込むと、朝比奈さん(子)は小さく笑い、それから俺の頬にキスをした。
みくる「えへへ。行ってらっしゃい」
真正面から俺を見つめて満面の笑み。うーん。可愛いなあ。
キョン「じゃあ、行ってくる」
ハルヒ「あ、あなた」
キョン「ん…うわっ」
ハルヒ「ネクタイが曲がってるわ。動かないで」
キョン「…あ、ああ。でもいきなり引っ張ることはないだろ」
ハルヒ「ごめんなさい」
キョン「あ、いや、謝るほどのことでは…!!」
ない、と言いかけた俺の唇をハルヒの唇が塞ぐ。
柔らかい。
ハルヒ「…行ってらっしゃい」
満面の笑みで言うハルヒ。ちょっと頬が桜色に染まっている。可愛いじゃないか。おい。
キョン「…行ってきます」
自分の顔が赤くなっているだろうことを自覚しながら扉を開けて外に出る。
やれやれ、なんてことだ。
非現実的な日常空間から解放された俺は、慣れない格好で駅前へと向かう。
いつもの集合場所。
誰もいない。
キョン「…」
予想していたとはいえ、一抹の不安が俺を急かす。
早足で駅前のマンションへ。
長門の部屋の番号を入力し、インターホンに繋ぐ。
???「はい?」
少しして男の声。どういうことだ?
???「どなたですか?」
キョン「あ、あの、長門有希さんのお宅では?」
???「そうですが、どなたですか?」
どういうことだ?何かがおかしい。
しかし長門に話を聞かないことには何も始まらない。
俺はなるべく不信感を持たれないように祈りながらインターホンに向かって名前を告げた。
???「ああ、みくるちゃんのお父さんですね。お待ちください。今開けます」
エントランスの扉が開く。
とりあえず長門の部屋に行ってみよう。どのみち俺にはその選択肢しか残されていなかった。
エレベータが長門の部屋がある5階に到着する。
扉が開くとそこに長門はいた。
キョン「…」
目の前にいるのは間違いなく長門だ。うん。それは間違いない。
だが、問題は、目の前にいる長門がまるで朝比奈さんと同じように小学生くらいの子供になってしまっていることだった。
目の前が暗くなる。
キョン「…長…門?」
かすれた声が俺の口から漏れる。小さく首を傾げた目の前の長門(子)はまっすぐに俺を見て、口を開いた。
ゆき「この世界は涼宮ハルヒの願望が具現化したもの。私のこの姿もその一端に過ぎない。同じように周囲の人間にも様々な変化が見られる」
淡々とした長門の言葉に、俺はほっと胸を撫で下ろした。どうやら姿は違っても、記憶は持っているらしい。
ゆき「古泉一樹、朝比奈みくる、涼宮ハルヒには平常時の記憶はなく、朝比奈みくる及び私の肉体は7歳児程度への若返りが見られる」
キョン「…」
ゆき「涼宮ハルヒ、朝比奈みくるはあなたの家族として構成され、苗字もあなたのものになっている。そして古泉一樹、朝倉涼子、私がひとつの家族として、長門家が構成されている」
キョン「…は?」
ゆき「涼宮ハルヒ、朝比奈みくるは…」
キョン「それじゃなくて、次だ。古泉と朝倉がなんだって?」
ゆき「古泉一樹、朝倉涼子、私がひとつの家族として、長門家が構成されている」
キョン「…」
いったい何の冗談だ。古泉と朝倉が長門の両親?
キョン「とりあえずお前の部屋に行ってもいいか?」
ゆき「推奨しない」
キョン「なぜ?」
ゆき「あなたと対等に話すことが不可能になる」
キョン「どういうことだ?わかるように説明してくれ」
ゆき「家族の前では私は年相応の話し方しかできない」
キョン「は?」
ゆき「古泉一樹を「パパ」、朝倉涼子を「ママ」と呼び笑顔を浮かべていなければいけない」
古泉をパパ、朝倉をママと呼んでニコニコ笑っている小さい長門…か。
正直言うとかなり見てみたい。
キョン「…あのな、長門」
ゆき「拒否する」
キョン「はやっ。てか何も言ってないだろうが」
ゆき「…!しまった」
小さく長門(子)がつぶやく。
一樹「あ、[キョンの苗字]さん、いつもお世話になってます。ゆき、忘れ物だ。ほら」
キョン「…どうも」
小さな手提げ袋をぶら下げ、ピンクのポロシャツにジーンズといったラフな格好の古泉が俺たちの前に現れた。
そのマイホームパパぶりに俺は笑いそうになるのを懸命に抑えて挨拶をする。
頼む、はやくどこか行ってくれ!
ゆき「…ありがとう。パパ」(にこり)
一樹「うんうん。気をつけて行っておいで」(にこり)
…堪えろ、堪えるんだ俺。ここにいるのは、仲のいい家族だ。
古泉に背中を向け、俺はエレベーターのボタンを押す。
一樹「おや、[キョンの苗字]さん。どうしましたか?」
キョン「な、なんでもないですよ。ははは」
一樹「そうですか」
キョン「では、失礼」
一樹「お世話をおかけします」(ぺこり)
キョン「…」
エレベーターの扉が閉まるのと同時に長門(子)を見る。
長門(子)は相変わらず無表情だったが、古泉への対応を思い出して俺は笑いを噛み殺すのに必死だった。
長門「…あなたのその反応は予想済み」
キョン「いや、その、スマン」
長門「いい。あれは私のミス」
エレベーターを降りてエントランスを出る。
それから俺はふと気がついた。
キョン「おい、長門」
長門「なに?」
キョン「俺、ハルヒたちに仕事に行く、見たいなことを言って出てきちまったから、家には戻れないぞ」
長門「問題ない」
キョン「どういうことだ?」
長門「想定済み。だから私は朝比奈みくる…『みくるちゃん』を驚かせるためにあなたに一芝居うってもらったことにしてあなたと共にあなたの家に行く」
キョン「そんなうまくいくか?」
長門「涼宮ハルヒも朝比奈みくるも喜ぶ確率は92.3%。だから大丈夫」
キョン「そうか」
すたすたと前を歩く長門(子)の背中についていくサラリーマン。 傍から見れば、変質者に見えなくもない。
キョン「長門」
長門「なに?」
キョン「お前の後ろを俺がついていく姿は、社会的に見てまずいんじゃないかと思うんだが」
長門「幼児に性的興奮を感じる大人と見られる可能性は高い」
キョン「それはまずいだろ」
長門「…」
長門(子)は立ち止まって、それから少し躊躇いがちに右手を差し出した。
長門「…手を繋げば怪しまれないと判断」
キョン「お、おう」
長門「構わない。どのみちあなたの家に行けば子供の役割を演じなくてはいけなくなるから」
キョン「どういうことだ?」
長門「涼宮ハルヒを[みくるちゃんのママ]、あなたを[みくるちゃんのパパ]、朝比奈みくるを[みくるちゃん]と呼ぶことになる」
キョン「…そうか」
長門「そう」
長門(子)とぎこちなく手を繋いで歩く。なんか子守をしているような気分だ。いや、実際そうなんだろう。傍から見れば。
キョン「なあ、長門。なぜ俺やハルヒ、古泉、そしておそらく朝倉は高校生の姿なんだ?」
長門「社会的にはあなたたちは社会人」
キョン「ああ、そうじゃなくて、見た目が若いっていうかなんていうかだな」
長門「外見は世界の改変前の年齢が反映している。というか、未来の姿を想像するほど涼宮ハルヒは深く考えていなかったと考察する。私と朝比奈みくるは例外。涼宮ハルヒがそう望んだから幼い姿になった」
キョン「この世界はハルヒが望んだからこうなったんだよな?」
長門「そう」
キョン「そんなような話、したか?」
長門「古泉一樹の彼女になるなら朝倉涼子のような女性でなければ釣り合わない。私と朝比奈みくるは子供の頃も可愛かっただろう。そのような会話がなされたと記憶している」
キョン「…あー、そういえば…」
そんなこともあった。
あれは確か木曜日の部室でのことだ。
ハルヒ「古泉君は恋人とかいるの?」
古泉「おやおや、いきなりなにを聞いてくるんですか。まあ、残念なことにそういった関係の女性はいませんけど」
ハルヒ「ふーん。古泉君なら結構もてると思うんだけどね。…そうかあ、ねえキョン!古泉君くらいになると朝倉さんくらいの子じゃないと釣り合わないわよね!」
キョン「おいおい、なんでそこで朝倉が出てくるんだ?だいいち、朝倉のことなんて古泉は知らないだろ?」
ハルヒ「謎の転校生効果よ!」
キョン「やれやれ…」
古泉「転校生ですか。ちょっと興味を惹かれますね」
ハルヒ「ざんねーん。朝倉さんは古泉君と入れ違いでカナダに転校しちゃったのよね」
古泉「おやおや、それは残念です」
ハルヒ「結構お似合いだと思うんだけどね!」
古泉「機会があればお会いしたいものです」
悪いな古泉、それは敵わない。
朝倉はこの世界にはもういないからな。
ハルヒ「みくるちゃんはいるの?恋人!」
朝比奈「ふぇぇっ!こ、恋人ですかぁ!?」
真っ赤になって焦りまくる朝比奈さん。眼福眼福。
ちらりと俺の方を見たと思うのは自意識過剰だな。うん。
朝比奈「い、いませんよぉ~」
ハルヒ「私が男だったら放っておかないけどなあ。ロリで巨乳だし」
朝比奈「ひぇぇっ!その手はなんですかぁ~」
ハルヒ「みくるちゃん可愛いっ!」
朝比奈「や、やめてくださいぃぃっ!」
ハルヒ「ん~っ!きっと子供の頃のみくるちゃんも可愛かったんだろうなあ」
朝比奈「ふぇぇっ!」
ハルヒ「有希もそう思うでしょ?あ、もちろん有希も可愛かったんだろうけど」
長門「…」ペラリ
朝比奈「ふぇぇっ。キョン君~助けてください~」
朝比奈さんが涙目で俺に助けを求めている。そんな目で見られたら助け舟を出さないわけにはいかないです。男として。
キョン「おい、ハルヒ」
ハルヒ「なによキョン?私は今忙しいの!」
キョン「ああ、お前が忙しいのは見ていてわかる。が、ひとつ教えてくれないか?」
ハルヒ「なによ?」
キョン「あー、その、なんだ、俺はどんなイメージだ?」
ハルヒ「…はい?」
キョン「古泉は転校生繋がりで朝倉とカップル、長門と朝比奈さんは子供のときから可愛い(ここ重要)としてだな、俺は?」
ハルヒ「そうね…」
ハルヒは朝比奈さんから離れて俺の前で立ち止まると、暫くまじまじと俺を眺めてから、お得意のアヒル口でにやっと笑った。
どうせ、ろくなことは言わないだろう。
ハルヒ「キョンは、ペットね!」
キョン「犬かよっ!」
ハルヒ「あら、別に犬なんて言ってないわよ。ただペットって言っただけでしょ」
キョン「同じようなものだろうが」
ハルヒ「甘いわねキョン!ペットといえば愛玩用よ!だから思いっきり可愛がってあげるわ!」
キョン「…は?」
ハルヒ「だから思いっきり可愛がってあげる…って、もおおおおおっ!何言わせるのよ!馬鹿キョン!エロキョン!!」
キョン「お前が勝手に言ったんだろうが!いてっ、こらっ、やめろ!」
真っ赤になりながら、ハルヒは両手で俺に攻撃を開始する。やれやれ、いったい何なんだこいつは。
…おい古泉、なんだその微笑みは。朝比奈さんまで、何でそんな笑顔で俺とハルヒを見ているんですか。
キョン「だあああ!もう、やめろって」
ハルヒ「うるさい!馬鹿キョン!エロキョン!」
キョン「おい古泉、助けてくれ」
古泉「申し訳ありませんが、下手に手を出すと涼宮さんからお叱りを受けそうですので」
キョン「長門!助けてくれ」
長門「私には無理」
キョン「朝比奈さん…」
朝比奈さんに視線を向けると、潤んだ瞳でふるふると首を左右に振っているのが見えた。うん。予想通り。
キョン「わかった、俺が悪かった!だからやめてくれ」
仕方なく俺がギブアップすると、ハルヒはやっと攻撃を止めた。
いててて。結構本気で叩きやがったな。
ハルヒ「わかればいいのよ!」
キョン「はいはい。すみませんでした。ハルヒ様」
ハルヒ「ふふん」
キョン「…」
やれやれ。なにはともあれ一段落だな。
ハルヒ「あーあ。馬鹿キョンを相手にしていたら喉が渇いたわ。みくるちゃん、お茶。急いで!」
朝比奈「はぁい」
ぱたぱたとメイド服のスカートを靡かせながら、朝比奈さんが簡易コンロに火を点ける。水はもう汲んできたらしい。
特にやることもなく、一人チェスに興じる古泉、相変わらず本を読んでいる長門、楽しそうにお湯が沸くのを待っている朝比奈さんを順に眺め、それから後ろに身体を反らして天地が逆の状態に見えるハルヒを見た。
ハルヒも俺と同じで、特にやることが思いつかないのか、いつものように適当にネットサーフィンをしているように見える。
朝比奈「お待たせしましたぁ」
ハルヒ「みくるちゃん、ありがと…ぷはー。美味しい」
ものの数秒でお茶を飲み干す。
おいハルヒ、お前の口はどうなってるんだ?火傷しないのか?
朝比奈「キョン君。どうぞ」
キョン「ありがとうございます」
朝比奈「古泉君。どうぞ」
古泉「いつもありがとうございます」(にこり)
朝比奈「長門さんの分、ここに置いておきますね」
長門「…」(こくり)
古泉は相変わらずキザな奴だ。
おい、長門。ちゃんと礼を言え。
他の団員に心の中で突っ込みながら、俺は朝比奈さんの入れてくれたお茶を一口啜る。
キョン「美味い。朝比奈さんはいいお嫁さんになれますよ」
朝比奈「キョン君…ありがとう」
お礼を言うのはむしろ俺のほうなんですけどね。そんな風に慎ましいところがまた、朝比奈さんの魅力です。
ハルヒ「…」
古泉「おや、涼宮さんどうかしましたか?」
ハルヒ「別に、どうもしないわよ古泉君」
古泉「これは失礼」
ハルヒ「…か」ボソ
ん?ハルヒの奴、なにか言ったか?
ま、どうせろくなことじゃないだろうから、放っておこう。触らぬ神に祟りなし、だ。
キョン「おい待て、長門。あのときの俺は『ペット』扱いだっただろう?それがなぜハルヒの…、その、配偶者になってるんだ」
ゆき「あれは涼宮ハルヒの虚言。本当は今のような状態こそが理想」
キョン「は?」
ゆき「つまり、涼宮ハルヒはあなたを愛している」
キョン「待て待て待て!なぜそうなる?」
ゆき「思い出して欲しい。あの時、涼宮ハルヒは『愛玩用よ!だから思いっきり可愛がってあげるわ!』と言った。そしてその後、心拍の急激な上昇と極度の興奮状態になり、あなたに責任転嫁をしてその場の雰囲気の収束を図った。
その後、古泉一樹が声をかけるまでにあなたに視線を送ること8回、古泉一樹の問いに『お嫁さんか』とつぶやくのも確認した。その後は部室を出るまでにあなたを後ろからずっと見ていた。
そのことから推測するに涼宮ハルヒはあなたの配偶者になりたいと考えている可能性が97.3%の確率で推測され、実際、現在のような状態に至っている」
キョン「いや、長門。あいつは、ハルヒは『恋愛感情は精神病の一種だ』と言い切るような奴だぞ」
ゆき「人は、変わるもの。特に思春期の女性の感情は至極不安定」
キョン「いや、でも、ハルヒだぞ?」
ゆき「涼宮ハルヒが世界を改変する力を持っているのは確定事項。だが同時に、涼宮ハルヒが思春期の女性であるということも事実。あなたが否定すること、その方が謎」
キョン「…」
なんてことだ。
キョン「つまりだ、ハルヒは俺が好きで、今のこの状態はハルヒの願望が現実化したものってことか?」
ゆき「簡単に言うと、そう」
キョン「そうか。なら、元に戻るにはどうすればいい?」
ゆき「戻れるかどうかはあなた次第」
キョン「またそれか」
ゆき「あなたが鍵。あなただけが涼宮ハルヒに影響を与えることができる存在」
キョン「なあ、長門。なぜ、俺なんだ?」
ゆき「あなたは涼宮ハルヒに選ばれた」
キョン「そう、だったな」
ゆき「…ごめんなさい」
キョン「いや、お前が謝ることじゃない」
思わず大きなため息が漏れる。まったく、厄介なことだ。
そう思っていると左手が後ろに引っ張られた。俺は立ち止まり、振り返って長門を見た。
キョン「ため息ぐらい大目に見てくれよ」
ゆき「違う。…寄っていく」
キョン「は?コンビニにか」
ゆき「そう。あなたがこれから家に戻っても怪しまれないよう、プリンとジュースを買っていくのが最適」
キョン「…」
ゆき「ゆきぷれぜんつ、『みくるちゃんとみくるちゃんのママをびっくりさせよう作戦』のためには必要なこと」
キョン「ぶっ!!」
ゆき「汚い」
キョン「いや、ゴメン」
だがな、長門。いきなり淡々と可愛い作戦名を告げられれば、誰だって噴出したくなるだろ?
コンビニに入り、かごを持って長門の後についていく。長門はまっすぐにスイーツのコーナーへと向かい、商品棚を眺めると振り返った。
ゆき「くまさんプリンがいい」
キョン「!?」
ゆき「いい?」(小首傾げ)
キョン「に、人数分ある…かな?」
ゆき「うん」(にこっ)
キョン「じゃあ、それで」
ゆき「わーい」
…ああ、人前だし子供を演じているのか。
しかし、あれだ。不意打ちは汚いぞ長門。可愛いじゃないか。
ゆき「ジュースはみくるちゃんのパパが選んで」
キョン「はいはい」
ドリンク棚に移動し、俺は1.5Lのオレンジジュースとリンゴジュースをかごに入れ、お菓子コーナーの間を歩いてレジへと向かう。
そこで俺は長門に声をかけた。
キョン「ねえ、ゆきちゃん。お菓子はいらないのかい?」
ゆき「!!」
一瞬だけ長門の目が丸くなる。
ゆき「じゃあ、クッキー…」
キョン「これでいいかな?」
ゆき「…」(にこっ)
棚からポピュラーな動物を象ったクッキーの袋を取る。子供の頃よく食べたなあ。二袋くらいでいいか。
その笑顔はやめなさい。いや、可愛いんだけど反則だ。長門。
ゆき「…それ、好き」
キョン「それは良かった」
レジで会計を済ませると、再び長門(子)と手を繋いでコンビニを後にする。
キョン「なあ、長門」
長門「なに?」
キョン「俺たち、周りからは知り合いのお父さんと子供に見えているのか?」
長門「問題ない…はず」
キョン「なんか引っかかる言い方だな。お前らしくない」
長門「さすがに不特定多数の他人の感情まではモニターしていない」
キョン「そうか」
まあ、コンビニのレジのお姉さんの対応を見る限り大丈夫だと思うが。俺がお父さんに見られるってのはちょっと微妙だけどな。
さて、そろそろ我が家だ。
キョン「なあ、長門。『みくるちゃんとみくるちゃんのママをびっくりさせよう作戦』では誰が俺の家のインターホンを鳴らすんだ?」
長門「私。あなたは後ろに立っていて」
キョン「了解」
長門「…では作戦を開始」
長門は俺の家の玄関前に立つと、少し伸びをしながらインターホンのボタンを押す。
ピンポーン
ハルヒ「はい」
ゆき「みくるちゃん。あーそーぼー」
キョン「…」
ハルヒ「あら、ゆきちゃん?ちょっと待ってね、今、開けるわ」
玄関の鍵が外され、エプロン姿のハルヒがサンダルを履いて外に出てくる。なんていうか、実に新鮮な光景だ。
ハルヒ「ゆきちゃん、どうやってきたの…、え?あなた?」
キョン「よう」
ゆき「みくるちゃんのパパに協力してもらったの。みくるちゃんとみくるちゃんのママをびっくりさせたくて。みくるちゃんのパパに連れてきてもらったから安全だったの」
ハルヒ「もう!ゆきちゃんの意地悪!」
ゆき「えへへ」
みくる「あーっ!ゆきちゃんだぁ!…あああああっ!!パパーおかえりなさいー」
靴を履いて玄関から出てきた朝比奈さん(子)は、まず長門に気付いて、それから俺に気付くと、一直線に俺に向かって駆け寄ってきて、俺めがけてジャンブ。
キョン「うおっ!?びっくりするじゃないか」
みくる「えへへー。おかえりー」
キョン「ただいま」
ぎゅーっとしがみついてくる朝比奈さん(子)をおっかなびっくり抱きとめながら、視線をハルヒに向ける。
ハルヒは優しい眼差しで朝比奈さんと俺を見ていた。
ハルヒ「びっくりしたのはこっちよね、みくる」
みくる「うん。すっごくびっくりしたよー」
キョン「はは。ゴメンゴメン」
ゆき「わーい。びっくり作戦大成功」
ハルヒ「ゆきちゃんってば」
キョン「まあ、なんだ。とりあえず家に入らないか?」
ハルヒ「あ、そうね。いらっしゃいゆきちゃん」
ゆき「はーい。おじゃまします」
ハルヒ「うふふ。いい子ね」
キョン「あ、ハルヒ」
ハルヒ「なあに?」
キョン「その、みくるを抱っこしてるから、悪いんだけど荷物を持ってくれるか?落としそうだ」
ハルヒ「荷物?いったい何かしら?」
ゆき「みくるちゃんのパパがおやつを買ってくれたの」(にこっ)
みくる「おやつー?なになに?何を買ってくれたの?パパ」
キョン「くまさんプリンとジュースとクッキーだ」
みくる「パパ大好き~」
天使の微笑で俺を見上げてから再び抱きついてきた朝比奈さん(子)の頭を、俺は無意識のうちに撫でていた。
なんていうのかな、こういうのもいいな。うん。
みくる「くすぐったいよーパパ」
キョン「まあいいじゃないか、さ、家に入るぞ」
みくる「うん」
玄関をくぐり、上がり框に腰を下ろして朝比奈さん(子)を立たせる。
キョン「ちゃんと靴をそろえるんだぞ」
みくる「当然だよー」
キョン「よし、いい子だ」
再び頭を撫でながら、靴を脱いで家に上がる。
みくる「ゆきちゃーん。お人形さん遊びしよー」
ゆき「やるー」
朝比奈さん(子)ぬいぐるみとか人形を手にして長門(子)と床に向かい合って座って遊んでいる。
実にほのぼのした光景だ。
ハルヒ「ふふふ。可愛いわね」
キョン「女の子同士って、なんかいいなあ」
ハルヒ「そうね」
自然と優しい気持ちになって。俺はハルヒと二人、子供たちを見守っていた。
うーん。親の気持ちってこんな感じなのか?
…おっと、いかんいかん。この世界に順応してしまうのも問題だ。
長門が朝比奈さんを引き受けてくれている間に、俺はハルヒを何とかしないと。
キョン「なあ、ハルヒ」
ハルヒ「なぁに?」
キョン「…高校時代は楽しかったよな?」
ハルヒ「え?」
キョン「高校のときさ、部活とか楽しかっただろ?」
ハルヒ「…部活よりもあなたと同じクラスになれたことが嬉しかったわ」
キョン「そ、そうか」
ハルヒ「ふふ。でも文芸部であなたや長門さんと一緒に色々やったのもいい思い出ね」
キョン「…」
朝比奈さんや古泉の名前は出てこない。SOS団じゃなくて文芸部になってるし。
ん、でも長門?
キョン「長門…さんってゆきちゃん?」
ハルヒ「ゆきちゃんのお母さんよ。長門涼子さん」
キョン「…」
なるほど、この世界では朝倉の苗字が長門になってるのか。
ん?では古泉は?婿養子?
ハルヒ「長門さんには優しそうな旦那さんがお婿さんに来てくれてよかったなって思ってるの」
やっぱり、古泉は婿養子って設定か。まあどうでもいいことだが。
キョン「そうだなあ」
ハルヒ「てっきり、あなたは長門さんが好きだと思ってたから、私、やきもきしてたのよ」
キョン「なぜそうなる?」
ハルヒ「だって、長門さんは明るくて、優しくて、成績も良くて、人気者だったじゃない」
キョン「お前だって明るくて、運動神経抜群で、かわいい子(少なくとも見た目は)だったじゃないか」
ハルヒ「えっ!」(かぁっ)
キョン「…照れるなよ」
ハルヒ「だ、だって、あなたそんなこと言ってくれなかったじゃない」
キョン「学生って普通、面と向かっては言わないだろ」
ハルヒ「う~。なんか損した気分」
キョン「なんだそれは?」
ハルヒ「だって、告白も私、手を繋いだのだってキスしたのだって私から。…その、アレだって私がお願いしてからだったし」
キョン「…その、スマン」
ハルヒ「…」(かぁっ)
俺ってどれだけ奥手なんだよ。アレって、その、アレだろ?性の営み。
じゃなきゃ、朝比奈さん(子)は生まれてこないわけで…。
…いやいや、今はそんなことを考えている時じゃない。
ハルヒ「…でも、プロポーズはあなたからだった」
いや、そううっとりされても、俺には何のことかわからないんだけどな。
いったい俺は何をやったんだ?なあ、ハルヒ。
キョン「俺はまあ、清い交際ってのに憧れてたからなあ。なんていうか、結婚までは手を出さないってやつ」
ハルヒ「そう言われると私が汚れてるように聞こえるわ」
キョン「いや、そういうわけじゃないんだ」
ハルヒ「わかってるわよ。でもね、あなた気付いてなかったと思うけど、女子に人気あったのよ」
キョン「そうなのか」
ハルヒ「そうよ。だから他の子に抜け駆けされる前に、私からお願いしたの」
キョン「でも、付き合ってたんだからそんな心配しなくてもよかったんじゃないか?」
ハルヒ「え?だって言わなきゃ恋人にもなれないじゃない」
キョン「え?」
なんか話がかみ合わない。アレのことじゃないのか?
ハルヒ「!!もうっ、違うわよ!告白の話!」
キョン「そ、そうか。スマン」
紛らわしいぞ。ハルヒ。
ハルヒ「アレは…その、不安だったのよ…いろいろ。大学に入っても全然変わらなかったし」
キョン「…」
ハルヒ「女の子って結構そういう話するから、いつまでも処女っていうのも…」
キョン「…あー、そろそろ、おやつの時間じゃないか?」
このままハルヒに喋らせているととんでもないことを口にしそうだったので、俺は言葉を遮った。
ハルヒ「…そうね。みくる、ゆきちゃん、おやつにしましょう。お手手洗ってきなさい」
みくる・ゆき「はーい」
ハルヒ「あなたも、手を洗ってきて」
キョン「はいはい」
ハルヒ「…もう。いい雰囲気にできると思ったのに」
キョン「なにか言ったか?」
ハルヒ「なんでもない」
ハルヒが台所に消える。心なしか不機嫌そうだ。よくわからないやつだな。まあ、いつものことだ。
洗面所では長門(子)と朝比奈さん(子)が二人仲良く手を洗っていた。
みくる「くまさんプリン、楽しみだね」
ゆき「好き」
みくる「私も~」
ゆき「ふわふわで美味しいの」
みくる「ふわふわ~。早く行かないとなくなっちゃう?」
ゆき「みんなの分買ってくれたから大丈夫~」
みくる「わーい。あ、パパ~」
キョン「ちゃんときれいきれいしたか?」
みくる「うん!見て見て」(にこっ)
そう言って両手を広げて上に上げる朝比奈さん(子)。水に濡れた小さな手がとても可愛らしい。もちろん、その笑顔は子供の姿とはいえ超弩級の輝きだ。
キョン「うん。きれいだな。いい子いい子」(なでなで)
みくる「わーい」
キョン「パパもきれいきれいするから、先に行ってな」
みくる「うん。行こう、ゆきちゃん」
ゆき「…おしっこ」
みくる「ん、わかったー。先行ってる」
ゆき「…」(こくり)
朝比奈さん(子)がリビングへ消えたのを確認して、長門が俺を見た。
長門「…予想以上にこの世界への適応が進んでいる」
キョン「どういうことだ?」
長門「涼宮ハルヒの中で、この世界の過去が具体的に構築されてきている」
キョン「つまり?」
長門「今夜が世界を戻す最後のチャンス」
キョン「なんだって!?」
長門「明日になると世界はこのまま確定する。涼宮ハルヒの能力はほぼ消えかけている」
それってかなりまずい状態じゃないか?一体どうしたらいいんだ?
長門「涼宮ハルヒの関心を高校に向けて」
キョン「やってはみる」
長門「お願い」
キョン「ああ」
長門「…くまさんプリン。楽しみ」
キョン「そうか」
…長門の奴、くまさんプリンが好物だったりするのか?それはそれで、意外な一面を発見した気がする。
しかし、今日中に何とかしなきゃいけないのか。ハルヒの気持ちを高校に向ける…。しかしどうやって?
幸い、北高の記憶はハルヒも持っているようだ。SOS団じゃなくて文芸部の記憶だが。とりあえずはその辺から攻めるしかないだろう。
みくる「パパー、遅いよー」
キョン「悪い悪い」
ハルヒ「はい、じゃあ、いただきます」
みくる・ゆき「いただきまーす」(パクッ)
みくる・ゆき「ふわふわ~♪」(にこっ)
ハルヒ「ふふふ」
キョン「…」
子供は可愛いなあ。なんか和む。
キョン「あ、美味いな」
ハルヒ「そうね。久しぶりだけど美味しいわ」
キョン「ハルヒも子供のころ良く食べたのか?」
ハルヒ「そうね。定番のおやつだったわ」
キョン「俺はプリンって言うとプッチンってやつだったなあ」
ハルヒ「それはそれで美味しかったけどね。このふわふわした食感がいいのよ。くまさんプリンは」
そう言って笑うハルヒは、困ったことにとても可愛らしく、まさに女の子しているわけで。いや、正直に言うと、グッときた。
でもな、やっぱりハルヒは唯我独尊な方がそれっぽい。しっくり来るとでも言うのか?よくわからんが。
みくる・ゆき「ごちそうさまー!」
ハルヒ「はい。お粗末様」
みくる「ゆきちゃん、続きする~」
ゆき「する~」
おやつを食べ終わると、子供たちは再び人形遊びをするため、窓の側へと走っていった。
それを優しい微笑を浮かべて見守るハルヒの横顔を暫く眺めてから、声をかける。
キョン「あー…、ハルヒ」
ハルヒ「なぁに?」
キョン「カチューシャとか、今は付けないのか?」
ハルヒ「え?」
キョン「高校のときは付けてただろ?黄色いやつ」
ハルヒ「ええ」
キョン「すごく、似合ってたし…可愛かった」
ハルヒ「あ、ありがとう」(かぁっ)
キョン「また、見たいな」
ハルヒ「…今は、持ってないの」
キョン「そうか。残念」
ハルヒ「…」
キョン「あー、そんな顔するな。なんて言うか…俺の中じゃさ、ハルヒ=カチューシャみたいなのがあってな」
ハルヒ「初耳」
キョン「だろうな。言ってないし」
ハルヒ「でも、なんでまた急にそんなことを?」
キョン「あー、その、なんだ。…そう、夢。夢を見たんだ。高校のときの夢を」
ハルヒ「高校のときの?」
キョン「ああ。ハルヒと出会って、クラスも同じ、部活も同じで、毎日が楽しかった」
ハルヒ「そうなんだ」
キョン「ああ。あのときはただ漠然と時間を過ごしていたように見えたかもしれないけど、楽しかったんだぜ」
ハルヒ「…わたしも、楽しかったよ」
キョン「そうか」
うん。結構いい感じに高校のことを思い起こさせることができたかな。
まあなんだ、振り回されてばかりだったけど、楽しかったってのは本当だ。なんだかんだ言っても結局俺はあの状況を気にいっていたらしい。思い起こしてみると。
キョン「そう言えば、折角の休みなのに背広着たままってのも変だよな」
ハルヒ「ふふ。そうね」
キョン「ちょっと着替えてくる」
ハルヒ「行ってらっしゃい、私はその間にお皿を片付けておくわ」
廊下に出て、階段を上り、部屋に入る。
基本的なレイアウトは変わってないけど、良く見ればベッドがダブルベッドになっていたり、勉強机が鏡台になっていたり、本棚の一部がたんすになっていたりと細かな部分での変更が目立つ。
ほんの少し、甘い匂いがするような気もする。
キョン「こっちはハルヒの箪笥、だよな」
通常の俺の部屋には無かったたんすを見ながら、スーツをハンガーにかける。
健全な男子ならつい考えてしまう、女の子の箪笥の中身に思いを馳せて、俺は大きく頭を振る。
馬鹿!何を考えているんだ。俺は。
慌ててたんすから視線を逸らし、自分のたんすを開け、シャツとチノパンを取り出す。普段の俺が休日に着ているのと変わらない服だ。
まあ体が高校生のままなのだから、たんすの中身も変わっていないのだろう。家の構造も基本は変わっていないし。
キョン「やれやれ…」
ベッドに仰向けに倒れこんで天井を見上げる。この景色は変わりないんだけどな。
なあ、ハルヒ。これがお前の望みなのか?俺と結婚して家庭を作って日常を静かに暮らす。
…悪くは無いけど、なんか物足りなくないか?もう少し、なんていうか、刺激が欲しい。
まあ、大人になっちまえばそんなこと考えないのかもしれないけどさ。俺はまだ学生のままで馬鹿やっている方が性に合ってるみたいだ。
SOS団のみんなとその他サブキャストの面々でな。
キョン「…」
目を閉じると、今、この世界にいるのは自分ひとりだけになったような薄闇と静寂の世界に入り込んだような感覚を覚える。
それでいて、なんとなく心地よい。世間一般でまどろみと呼ばれる感覚に体を預けて、俺はゆっくりと眠りに落ちていくのだった。