第三章 1
「ハァ……ハァッ! くそっ……、」
病院の裏通りにて、ぐり子は嗚咽を漏らした。
今の彼女はとても健康体と呼べる身体ではない。全身を包帯で巻かれて、まともに皮膚が見られるのが顔面だけと言えるほどだった。寧ろ、今の彼女がここまで歩けること自体が、奇跡ともいえる。
彼女はあれから一週間、入院していた。
しかしその内三日間は意識を失っていて、死と生を彷徨った。
だから彼女はもはや――ひとりで歩けるほどの筋力を失っていたともいえる。
「くそっ……! くそおおおおっ!!」
叫んで、彼女は拳を壁に叩きつける。拳は冷たい壁にあたり、だからといって壁が壊れるなどといったこともない。
気が付けば、彼女は涙を零していた。
なぜ?
それは、彼女が弱いと自分自身で思っていたから――だろうか。
それとも思うように動かない自らを憂み、悲しんだものだったのか。
それは彼女にはわからない。
今の彼女にはそれを考えるほどの、余裕もなかった。
「……もっと、強くならなくちゃ……」
目を瞑れば、彼女の頭の中にあのネオ・ポッキー戦士との戦いが蘇る。抵抗すら出来ず、無碍に仲間を傷つけてしまった――あの戦いが。
「…………ッ!!」
思い出すと、彼女の傷が痛んだ。
強くならなくてはならない。
ミカド教団からこれからもやってくるであろう刺客を倒すことは出来るのだろうか?
「私は――」
――倒すことができる、と。
断言することが、今の彼女には出来なかった。
「もっと……強くなるには……」
そして。
彼女は、壁の向こうにある病院を見つめた。
「すまん、江崎。私は暫くポッキー戦士として戦えない。強くなる……そのために、私は……」
――私は私を超えなくてはならない。
2
僕は東日本在庫監視委員会西多摩支部へと戻ってきた。そして僕は支部長にぐり子ちゃんが消えてしまったことを伝えた。支部長は悲しそうな表情を浮かべたが、直ぐに元の表情を取り戻す。
「……彼女は、また戻ってくるだろう。そういう人間だ」
支部長はそう言った。
ぐり子ちゃんのことを、支部長は僕よりも知っているのだろうか。
「……彼女は、そういう人間だろう。今まで壁にぶつかったことがなかったから……いざ壁にぶつかってみるとどういう行動を持つか、解ったものじゃあない。どことなく君だって解っているんじゃないか?」
確かに、今まで僕はぐり子ちゃんとともにポッキー戦士として活動してきた。
だけれど、僕は果たしてぐり子ちゃんの凡てを知っている――と言えるのだろうか?
……わからない。あまりにもわからなすぎる。
あまりにも、僕はぐり子ちゃんという存在を知らなすぎたのだった。
だから、僕は決意する。
「支部長……ぐり子ちゃんはどこへ行ったと思いますか?」
支部長は、僕の言葉を聞いて少しだけ考え、そして結論を出した。
「彼女の生まれた場所を知っているかい?」
「え?」
「彼女が生まれた場所、だ。彼女が生まれた場所は、絶海の孤島だ。その町の名前は露鬼(つゆき)町。街の中心には何本の灯台がある。かつてはその場所が海を照らしていたと言われているが、今は照らしていない。しかしとても歴史のある町だ。彼女のことだ。もしかしたらそっちの方へ戻っているかもしれない」
「じゃあ、もしかしたら……」
支部長は大きく頷く。
「彼女は居るかもしれない。彼女が生まれ、そして育った場所。露鬼町に」
支部長はそう言って右手を掲げた。まるで『少年よ、大志を抱け』と言ったクラーク博士のような、そんな感じで。
3
露鬼町がある露鬼島に向かうまではおよそ五時間近い時間がかかる。
新幹線を乗り、ローカル線を乗り継ぎ、フェリーに乗り込み。
そして僕がようやく露鬼島唯一のフェリーターミナルに着いた頃には、もう日が暮れかかっていた。
「捜索は明日からかな……、一先ずは民宿でも探そう」
露鬼町の案内板を見て、僕は落胆する。
民宿がターミナルのそばには無い――ということに。
一番近い、というより唯一の民宿である『望波(もなみ)』はこのターミナルから二十分程歩いたところにある。
「歩くしか、ないんだろうなあ……」
そして僕はとぼとぼと、その場所へと向かった。
◇◇◇
「お客さん、どうしてこのような人気もない島にお一人でいらっしゃったんです?」
民宿『望波』の女将と思われる女性は、食事の膳を出しながらそう言った。その女性の仕草はとても艶っぽかった。
「実は少し探し物をしていて」
「探し物?」
「ええ。……まあ、そこまで重要なものじゃあないんですけど」
「さいですか。まあ、何かあるのでしたら、町長さんの家に行くのはいかがですかね。町長さんの家はこの民宿の北にありますよ」
いい事を聞いた。僕はその女性の言葉に頷いて、ありがとうございますと礼をした。
明日からはこの町を捜索することとなる。
果たしてぐり子ちゃんはこの街にいるのだろうか。
そして――さっきからする、この胸のざわめきは、いったい何を意味しているのだろうか。
それは、今の僕には解らなかった。
4
次の日。
僕は女性から言われたとおり、町長さんの家へと向かった。
町長さんの家は島の中心にある高台、一本の灯台の根元にあった。
この町には灯台が四本あるらしい。なぜ四本なのかというのは、敢えて縁起の悪い数の灯台を建てたということで、悪運を吸い取る役目があるらしい。正直なところオカルトにはそれほど興味もないので、それを直ぐに信じることも出来なかった。
「何の御用でここに来られたのかな」
町長さんの家で用件を告げると、応接室に招かれた。
応接室はこぢんまりとしていた。ソファに座って少しだけ待っていると、顎鬚を蓄えた老人がやってきた。老人は少し草臥れた顔だったが、しかし格好は皺一つないスーツで、そのギャップを見ると失笑してしまいそうになったが、だけれど、それを既のところで堪えた。
「ええ、実は……ある探し物がありまして」
「ほう」
町長さんは顎鬚を捻りながら、
「探し物、とな」
「ええ……まあ、大したものではないんですが」
「しかし、聞いたところによればわざわざ東京からここまで来られたのでしょう。余程大事な探し物と見た。ほれ、露鬼町町長である露鬼一郎に何でも申してみなされ」
それを聞いて、僕は一つの疑問が浮かび上がった。
「あの」
「ん?」
「その『露鬼』って……すごい変わった地名だと思うんですけれど、いったいどういう由来なんですか?」
僕の言葉を聞いて、町長さんはゆっくりと立ち上がり、応接室にある本棚から一冊のハードカバーの本を取り出した。
背表紙に『露鬼町史』と書かれた、とても古いものだった。
「この町史ならば……何か載っているかもしれん。さて、少し見てみることにしよう」
そう言って、町長さんはその本をめくり始める。
めくってめくってめくって……最終的に最初のページまで戻った。
そして漸く、発見した。
この町『露鬼』の名前の由来となる――『露ノ鬼』という説話を。
◇◇◇
昔々ノ其ノ昔。
未ダ此ノ町ガ何モ無イ名無シノ場所ダッタ頃ノ話。
人々ハ或ル怪物ノ存在を恐レテ過ゴシテイタ。
其レガ現レルノハ決マッテ朝。露ガ落チル程寒イ朝ダ。
其レハ鬼ダッタ。
鬼ハ凡テヲ食荒ラシ、凡テヲ破滅ヘト導ク悪魔ノ存在トモ云エル。
然(しか)シ、或ル日、若イ男ガ立上ガッタ。
彼ハ町ノ人間ニコウ言ッタ。
「我、町ニ蔓延ル悪魔ヲ倒スベク立上ガリ、必ズヤ倒シ、良イ報セヲ町ヘ運ボウ」ト。
其ノ言葉ニ町ノ人間ハ大イナル賞賛ト喝采ヲ浴ビセタ。
然(そ)シテ、彼ガ「鬼ヲ倒シタ」ト言ッテ、其ノ首ヲ持ッテキタノハ、其レカラ数日ト掛カラナカッタ。
――其ノ後、彼ノ行ッタ物ヲ称エ、彼ニ『露鬼』ノ名ガ贈ラレ、此ノ町ヲ『露鬼町』ト名ヅケタ。
◇◇◇
「ふむ。これがどうやらこの町の名前の由来のようだよ。私のご先祖様が鬼を倒し、それと同時にこの町も『露鬼』という名前になったそうだ」
「……ふむ。なるほど、そうでしたか」
一先ず僕の浮かんだ疑問はこれで解消された。
さて、もう一つの疑問を、どうしようか。
「……実はですね、僕はここにひとりの少女を探しに来たんです」
だけれど、はなさなきゃ始まらない――そう思った僕は思い切って町長さんにそれを切り出した。
「ふむ、少女……ですか」
「ええ。ぐり子ちゃん……いや、ぐり子って言うんですけれど」
「ぐり子? ふうむ……聞いたことのない名前だなあ。この島は絶海の孤島。この島にいる人間も、数年もすれば覚えてしまうものなのですよ……。ですが、その名前は聞いたことがありませんね……。特に、その名前は変わった名前でしょう?」
「なるほど……確かにそうですね」
僕は町長さんの話を疑わずに、信じた。
疑うことなんて必要ない――なんて美談だけど、少なくともこの時は、そう思っていた。
そう、この時までは。