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1300号が眠る寝室にたどり着くまでにそう時間はかからなかった。
扉を開けると1300号の寝息が聞こえる。どうやらまだぐっすりと眠っているようだった。
好都合だった。もし起きているのなら、私は彼女に睨まれながら、殺すのだから。
殺すのは慣れていない。そもそも殺すのに慣れている人間などいるはずがない。いるわけがない。
愚鈍で愚直で我儘で、世界の凡てを手に入れようともがいていた私は、たったひとりの人間を殺すのも難しいほど、繊細だった。
それは認めたくないことの一つであり、認められないものの一つでもあった。
タブーではないが、出来ることではない。
人の生き方は二種類あるという。自分の価値の低さを認識して生きていくか、世界の価値の低さを認識して生きていくか、だ。前者を考えると自分の価値は脆く、あっという間に世界に吸収されることを意味しているように思えるし、後者を考えると世界の価値を自分のものに取り込んで生きていくようにも思える。要するにどっちもどっちだ。
世界の価値か、自分の価値か……そう簡単に優先順位をつけることなど、そう簡単ではない。難しい部類に入るだろう。
世の中と自分、果たしてどちらが面白いかだなんて簡単に決めることはできないだろう。
そんなことを昔聞いたとき、私は即座に自分の方がいいと考えた。世界の価値は絶対的に絶望的に低い。自分の地位は絶対的に希望的に高い。そう思って生きてきて、今までそれを適用するために頑張ってきたのだ。
たとえ世間からマッドサイエンティストだの狂っているだの言われようとも、自分は自分のままで自分の価値を高めるために努力しているのだと思えば、それも難しいことではなかった。
他人から影響を受けるなんて凡人の証拠だと思っていたから、他人との接触を絶った。だが、完全に絶つわけにもいかないので、必要最小限、生活に困らない程度は許容範囲だ。
そんなことを話しているうちに、私は1300号の眠るベッドの前に到着していた。することはただ一つ。彼女を殺すことだ。それについて何の感情も抱かないし抱く必要性もない。彼女は人間だがそれと同時に試験体だ。試験管から生まれた親を持たないモルモットなのだから。
「ほんとうならば、もう少し様々な実験がしたかったところだが……。致し方あるまい」
そう言って私は彼女の服を脱がし始めた。
燃やしてしまうなら、もっとも綺麗な姿で燃やしてやろう。それが私のせめてもの期待というやつだ。
服を脱がし終え、私は上から1300号の身体を眺める。
とても、綺麗な身体をしていた。ふくよかな身体というよりも健康的な細い身体だった。しかし出ているところはきちんと出ているところを見ると発育はきっちり行われていること、健康の管理は行われていることが解る。
1300号は汗をかいていた。寝汗だ。びっしょりとかいていた。
それを拭いてやろうと、私はそれを舐め取っていく。そのため、私は1300号の身体を余すところなく舐めていく。塩気が辛くなってくるが、これも最後だ。丁寧にやってやるとしよう。
それが終わり、私は準備に取り掛かる。とはいえ簡単な話だ。
「お呼びでしょうか、ゼロ様」
「ああ。呼んでいたよ。少し、待ってくれないか」
私は事前に呼んでおいたネオをその場に座らせた。
そして私は1300号の体の上に乗り、そのまま首を強く締めた。
考えるな。考えるな。考えるな。考えるな。
考えれば凡てが無駄になる。考えればそんなことをする余裕すら無くなってしまう。考えてはいけない。考えるわけにはいかない。
ただ強く強く強く強く、1300号の首を締めるだけ。
ただ、それだけだった。
「――1300号の死亡を確認。絶命しました」
ネオの言葉を聞いて、私は漸く溜息を吐いた。
私は直ぐに持っていた装置のスイッチを起動させる。起動時間は僅か数秒。この装置はオカルトを科学で結びつけたものの一つだ。世界に広く発表しないのはこれが発表されてしまうと不利益を被る人間が多いからだろう。唯一知っているのはミカド教団くらいか。
装置が完全に稼働したのを見て私は装置からビンを外す。そこには白い靄が入っていた。綺麗だった。これはあとで研究に使うことにしよう。
「それではネオ。命令したとおりに頼む。右に曲がった突き当たりにあるから」
「かしこまりました」
そう言って、冷たくなった1300号の身体をネオはなんの感情も抱くことなく持っていく。
ネオ・ポッキー戦士には感情なんてない。ネオ・ポッキー戦士の遺伝子を注入させられた人間ならば感情は幾らか存在するかもしれないが、しかし彼女は最初から造られた……いわゆるオリジナルだ。オリジナルは感情を排除したから、涙を流すこともなければ笑うこともないのだ。
涙を流すこともない。それはどんなに悲しいことなのか。そう思う人もかつては居た。そしてその論文を何度も見てきたし、理解していた。
だが、それを理解した上で思う。
感情など、忠実に任務を行う存在には不必要だと。
感情なんてものがあるから人間は失敗するし、情が沸くなんてこともある。結局、感情というものは失敗作に過ぎないのだ。
私は廊下を歩きながら、ネオの身体を見る。ネオは疑問を抱くことなく冷たくなった1300号をこれからどうするのか訊ねることもなく、歩いていた。
私としては、それの方が随分と楽だった。
◇◇◇
焼却炉、と書かれたルームプレートを眺めてもネオは顔色一つ変えなかった。
「……ここでよろしいのでしょうか?」
「ああ、この中に入れてくれ」
そう言って私は扉を開ける。中はとても熱かった。
その空間にあるテーブルに彼女は1300号の亡骸を置いた。
「私はもう去ってもよいでしょうか」
「いいや。最後にこれを焼却炉に入れるということがある。いくら解体したって私には無理だからな。最後にそれを頼むよ」
「解りました」
眉一つ変えることなく、ネオは居座る。
わたしは、1300号の解体作業に取り掛かった。冷たくなった彼女の身体をなでて、私は優越感に浸る。
「きみが悪いんだよ。こんなことになったのは?」
そう言って、私は冷たくなった彼女の唇にそっと口づけした。
血の味がした。
「ほんと、君がここから脱出さえしなければ、君はずっと生きていけることが出来たのにね……残念だよ」
私はポケットに仕舞っていたサバイバルナイフを取り出すと、躊躇なく彼女の目に突き刺す。
彼女の目の淵に沿うようにナイフを充てがい、目を身体から外した。血は出てきていたが、もう生命活動を停止しているからかそこまで激しく出ることはなかった。
私はそれを口にいれ、舌で転がしていく。味はしないが、経験はしてみたかったし、別に問題はない。
首を切るのはサバイバルナイフでは少々難しかったが、それでも力を入れると切ることが出来た。
身体を幾つかのパーツに切り分けたあとは髪を切っていく。別に髪を切らなくても問題はないが、髪を切らないで焼却すると焦げ臭い匂いが充満してしまって、私としてはあまり好まない。だからこうするのだ。
髪を切って、最終的に生まれたままの姿になった彼女を触って漸く私はほっと一息吐くことが出来た。
今までの緊張感から開放されたという意味だ。漸く私は、この緊張感から開放されたのだ――そう思うと笑いがこみ上げてきた。
「ゼロ様、もう終わりましたでしょうか?」
不意にネオの声が聞こえて、私は直ぐに現実へと戻される。私は頷く。ネオはそのパーツを集めてそのまま焼却炉へと投げ捨てた。
轟轟と燃える人間の身体。
人間の身体というものは、ほんとうにあっけないものだ――私はそう思った。
ただ、それだけの話だった。