ストライクあべこべウィッチーズ 作:8782
とある哲学者は言った。
「もしもネウロイという存在がなければ、人類は同族で殺しあうことになっていただろう」
少女は最初、その言葉を信じなかった。既に眼前にはネウロイという脅威が存在していたことも大きいのだろうが、まさか今現在各国で同調連携しつつあるこの世界で、味方を背後から撃つようなことを想像できなかったのもある。あまりに遠い、Ifの話だった。
しかし。だがしかし。
少女は今になってその言葉を信じることが出来そうだと考えた。それだけあの一日は、501統合戦闘航空師団にとって特大の爆弾が投下されたあの日は、混沌と欲望に塗れた一日であったと述懐する。
■
その日、ブリーフィングルームに集められた501所属のウィッチ達は、隊長であるところのミーナ・ディートリンデ・ヴィルケが示したたった一枚の書類によって狂乱の渦に叩き込まれた。
男が、この基地に、配属される。
ボードに貼り付けられた一枚の履歴書。誰も彼もがまず聞き間違いかと耳を疑い、眼精疲労かと目を疑い、これは現実かと己が正気を疑った。
だがどうにも皆が皆狂っていることもなく、そして聞き間違いでもなく見間違いでもなく、全員の意見が一致する。ミーナの発言は正しく、履歴書に書かれたプロフィールを見れば男で、貼り付けられた写真は男で。
その場にいるウィッチ全員がそのことを正しく把握した瞬間、まず訪れたのは一拍の静寂……からの、爆発。
「おとっ、男ぉぉぉぉぉぉ!!??」
「どーしたんだ上層部! 狂ったのか!?」
「ありえませんわありえませんわこんなこと起こり得るはずがなくてよ……」
「ちょっと待って、もしも無理に徴兵したって話なら大問題だよこれ」
「ままままま、まさか男性を無理矢理徴兵したということはないだろう。どれだけ国際世論で叩かれるかわからん」
「……じゃあ、志願したとか?」
「いやいやいやいやいやそんな馬鹿な。一体どこの世界に女所帯の軍に志願する数寄者がいるというのだ」
放心し遠くを眺める者、その理由を探る者、有り得ることではないと現実逃避をする者。その間隙を縫って、ニーナが手を二度叩いて衆目を集めた。
「いいかしら? どうやらこの場にいる全員が同じものを見たようね」
これで私と美緒の空想、という線はなくなったわね。と、ミーナは苦笑を浮かべながら言う。まるで幽霊かUMAにでも出会ったかのような口調を揶揄する者はこの場に誰もおらず、彼女たちにとって今回の出来事はまさに「そのようなものである」ということの証左でもあった。
「残された可能性は誤報。……だからといって私たちがこの件について全くの対処を取る必要がない、というのも違う」
如何にその内容が怪しかろうが、一応は形として命令が降りて来ているのだ。それならば準備を整える必要がある。それに、いい気分転換にもなるのではないだろうか。この砂漠のように渇ききって男っ気のない前線基地に、
「彼の為に空いた部屋を掃除しておいて、それから他にも色々準備が必要ね。美緒、どうしましょう?」
「ああ、そうだな。赴任日までには時間がある。基地全体に周知徹底も必要だろう。まだ確定事項ではない、ということもきちんと言い含めておいて」
もしも単なる上層部のミスで、男性が来るなんてことあるはずないだろう、と至極冷静な答えが返ってきてしまったら。前もって心構えをしておかなければこの基地にいる全員が軍に対して反旗を翻してもおかしくはない。最低限、「当然よね」「そりゃあそうでしょう」と嘯ける程度の余裕は必要だ。無論、心の中では号泣しているし、無理に浮かべた笑みは引きつっているだろうが。
「それじゃあ私たちは……そうね、じゃんけんをしましょう」
ミーナの言葉に、その場にいる全員が疑問符を浮かべる。
「じゃんけん?」
何故唐突に。
「決まっているじゃない。誰がその男性を迎えに行くかを決めるのよ」
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ああ、思い出しただけで身震いがする。
少女は扶桑の軍港において一人震えていた。無論潮風による身体的な寒さではなく、その一言で修羅場と化した仲間たちを思い出して、だ。彼女自身もその修羅の一人と化していたのは棚に上げて。
とあるウィッチは親友に向けて「美緒はつい最近扶桑に帰省したばかりだから大丈夫よね?」と言い放ち、またあるウィッチも親友に向けて「エイラは男の人に興味ないって言っていたわよね? まさか未来視なんて、使わないわよね?」とプレッシャーを掛けて。あるスピード狂はいざじゃんけん、となったらその自慢のスピードでギリギリに手を変えて他を出し抜こうと試みて、結果無理が祟って指を攣り。
戦友である彼女たちが羅刹が如くしてしまう男という傾城の存在。此処東洋には男性に化けた狐が国を傾けたという伝説があると少女は思い出し、すわ「今回やってくるのもその手の存在か!」とあらぬ方向へ思考が移り、いやまさかなと我を取り戻し、そして自身が501大じゃんけん大会を勝ち抜いて今ここにいるということを思い出しては一人ニヤけた顔を晒して、周囲の軍人から遠巻きに見られていた。
501において彼と、一之瀬光と初めて出会うのが私だ。幻滅されぬよう身嗜みを整えて……あと挨拶も考えておかねば!
この場に立ってから都合二桁は繰り返しただろう考えを再び辿り、少女は手鏡を用いて前髪を整える。同じように何度も繰り返した脳内挨拶をなぞり始めた。
『君が一之瀬光か! 私はゲルトルート・バルクホルン大尉だ! これからよろしくな!』
握手。
『ぼ、僕が一之瀬光です。……バルクホルン大尉ですか……。なんだかキリッとしていて、かっこいいです……。その、好きになっても、いいですか……?』
握手、そして上目遣い。
『何? 困ったなぁ。こんな非常事態に。いや、しかし、産めよ増やせよも戦時下において重要。どうしてもと言うのなら、構わない、ぞ?』
『本当ですか! 好き! 抱いて! 大尉!』
『はっはっは。私のことは気軽にお姉ちゃん、と呼んでいいんだぞ』
『お姉ちゃん、しゅきぃ……』
『はっはっはっ、こらこら、困った弟だなぁ』
はっはっはっ、はっはっはっ、はっはっはっ。たのしい。
ゲルトルート・バルクホルン、十九歳。地獄のじゃんけん大会を勝ち抜いてきた彼女もまた、ショタコンと脳内ブラコンを患ったまっピンクな羅刹の一人であった。
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「ひぇくし!」
軍用車内において、光は小さくくしゃみをした。左右に座る軍人たちから「大丈夫ですか?」とハンカチを差し出されるのを丁重に断って。最近色々忙しかったから疲れが溜まっているのかな、と鼻を擦る。
軍に志願してからと言うもの、今日に至るまで光は広報活動に明け暮れた。東に話を聞きたいと大本営御用達の新聞社があれば取材に応じ、西に扶桑海軍でのイベントがあるとなれば行って手を振り、北に男性人権団体との会合があると言われれば行って決して強要されたものではないと説明し、南に戦災孤児の慰撫業務があると聞けば言って幼子をあやしてやり。トップアイドルもかくやの奔走ぷりだった。
数少ないどころかたった一人の男性軍人。それが及ぼす士気向上。軍上層の第一の考えはそれだろうと光は言われずとも分かった。
資源は目減りする一方。人材も消費し続けて増加傾向はまるで無し。もしもネウロイから一部生存圏を奪回したとしても、それは元あったものが戻ってきただけのことであって、プラスには転じない。寧ろ復興に資源や労働力を費やす為奪われ破壊された時点でマイナス。今回の戦争はゼロサムゲームではないのだ。奪う側があれば奪われる側があるというものではない。人類は奪うだけ奪われて、ネウロイからは奪えるものが存在しない。
ならば、この戦争に注ぎ込める残りのものはなんだ。それは最早、気力、闘志といった抽象的なものしか残っていない。実際に軍部が「一人が十人倒せば十倍差の戦力でもひっくり返せる! これを我らのドクトリンとする!」と言い出したのならば後年無能の誹りを受けるに間違いないのだが、本当にそれしか残っていない状況ならば、そう叫ぶしかない。無い袖は触れぬ。だが放っておくと種が滅びる。じゃあどうする。叫ぶか、叫ばないか。とりあえず叫んでおくか。そうしよう。そういうことになった。なっていたのが、これまで。
叫んでどうなる、とも思わないでもないが、ほんの一瞬士気は上がるだろう。格闘技やスポーツにおいても叫ぶことによって刹那疲労を飛ばしたり、砲丸の投擲距離が伸びたりもする。存外叫びも馬鹿にならない。
だが、一瞬は一瞬で。人間の脳はそう簡単に長期間騙されてくれない。やはり明確な人参が必要になる。馬の目前に垂らすように。
その役割を、一之瀬光という人物がなそうとしている。ということになる。
光はいの一番に501統合戦闘航空師団への配属が決まった。渡りに舟だと思っていたのだが、何もそれは賽でも振って適当に決めました、だとか、神の采配によるもので、といった不確かな理由ではない。そこには明確な理由がある。
501はエースオブエースがごろごろと在籍する部隊だ。そこに男性が配属されるという。他の部隊はそれを見てどう思うだろうか。何故その男は501に向かったと考えるだろうか。……成程、確かにこれは人参だ。「エース」に渡される、「人参」に見えることだろう。多くのネウロイを撃った。それは人類への多大な貢献だ。よって部隊に男性を遣わそう。
男性が、光が軍に所属したという事実は報道を通じて全世界に広く伝わっている。それは最前線で戦い続けるウィッチたちの下にも確実に届いている。彼女たちは次にどう考えるだろう。希望を見出そうと、こう考える。
「私たちもネウロイをぶっ飛ばし続けたら部隊に男性が来るんじゃない?」
光の報が世界を巡ったその日には、それはもう、世界中の至るところで士気が跳ね上がった。いざ続かんエースオブエースを合言葉に、あちらこちらで人類の反抗が始まった。
そんな人類への希望をもたらした一人の男性は今日、配属先の501に向かうために、実家につけられた物々しい軍用車に乗り込み揺られ、港へ向かっていく最中だった。
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光の乗る車両の前後にはさらに数台の車が走り、光に万一がないよう警護を勤めている。車内においても彼の両隣に軍人が座り、いざと言うときはその身を賭して光を護衛できるよう万全を尽くしていた。階級だけで言えばどう考えても光の方がその二人より下なのだが。
肝心の軍人さんたちは上っ面では鉄面皮を装っているが、一皮剥けば「うっわ男の子が超近い。なんか凄い良い匂いするあーずっと嗅いでいたい男子臭」「肩当たってる肩当たってる光くんと肩当たってるこれもう実質まぐわってるのと同義では?」「やった今のくしゃみで光くん汁が車内中に飛散してるんじゃないコレ。じゃあもうこれ身体全体光くんに舐め尽されてると考えてもいいんじゃないのコレ」とハァハァしている。やべえ奴らだったが、この世界の女子は大体やべえ奴なので何の問題もなかった。
両隣と更に運転手まで内心でハァハァしている中、むしろこいつらから身を守る警護が必要なんじゃないかという事実に誰も気付かぬまま車は何事も無く軍港へ辿り着く。
「こちらです」
車のドアも当然の如く隣にいた女性軍人が開いて、メンズファーストの行き届いた対応に「ありがとうございます」と満面の笑みを浮かべて対応する。それに内心できゅんきゅんする軍人さんに気付かぬまま、光は軍港にて働く新たな軍人さんに先導されて目的地へと歩を進めた。
やがて光の視界に見たことのある一人の女性の姿が映る。「彼女が迎えに来てくれたのか」「どうして彼女なのだろう」と幾つかの言葉と疑問を脳裏に浮かべ、長い船旅の中ゆっくりと話せばいいか、ととりあえずはにこやかに挨拶を交わそうと微笑を浮かべた。
彼女……バルクホルンもまた、光の姿を認めた瞬間、どうにかこうにか微笑みを浮かべる。口角が不自然に上がり過ぎないよう細心の注意を払い、出来るだけ上質なスマイルを。自然と上がり続けてしまう口元がピクピクと動き、そこはかとなく不気味。対外的には失敗した笑みだった。光も一瞬「うわ」と引いたが、初対面の女性を相手にそれもまずい。振り切って、互いに歩み寄る。
「君が一之瀬光くんか。私はゲルトルート・バルクホルン。よろしく頼む」
「一之瀬光です。これからよろしくお願いいたします」
バルクホルンが差し出した右手を、光もまた握り返す。
その瞬間。
――うわ男の手って凄い固い節ばっててそれでいて細めなのかこれは思っていたよりもすべすべでああこんなに近いとなんだかいい匂いがするような目がくりっとしているんだな君はそれに黒髪もさらさらでああほら風で前髪が乱れているぞ御髪を整えてあげようかなぁに大丈夫これはセクハラじゃなくて上司と部下のスキンシップという奴だあっはっは――
「あの、バルクホルンさん?」
唐突に固まったバルクホルンを見て、光は不思議そうに首を傾げる。その行動はショタコンの気があるバルクホルンからすればまさに。
「ん? どうした? 私のことは気軽にお姉ちゃんと呼んでいいぞ?」
「はい?」
「うん?」
まるで「何かおかしなことでも?」とでも言いたげなバルクホルン。出会って五秒で赤の他人に「お姉ちゃんと呼んでくれ」と言う人間がおかしくない世界線は果たしてどこにあるのか。
数分後、正気に戻ったバルクホルンは、501目指して旅立った軍艦に用意された自室に閉じこもることになる。