(注)今回は、第15話で九十郎が悠季や歌夜からの説得に屈し、
松平家に残留する事になった場合のif話です。
犬子と九十郎による逐電逃亡未遂事件から数年が過ぎた。
人形を川に投げ込み、追手の意識を逸らした隙ににげだすという作戦は、予定よりも早く任務を終え、岡崎城に戻っていた小波……服部半蔵の観察力と判断力によってあっけなく看破され、2人は即座に御縄となった。
その後、葵、悠季、そして歌夜による不眠不休の説得(説得とは言っていない)が行われ……結局、九十郎は折れた。
前田犬子利家は松平元康の直臣……本能寺での一件があった後は家老として、九十郎は葵の剣術指南役として、それぞれ仕える事になる。
そして……
「……いかんな」
誰も居ない道場で、九十郎は一人座禅を組んでいた。
股間の肉棒をギンギンに滾らせて、鎮まれ俺の欲棒よ~っと何度も何度も念じながら。
その日の稽古が終わり、30人程の弟子達……暑苦しく基本脳筋な三河侍達を全員帰らせ、道場の雑巾がけをしていた所、急にムラムラッときてしまったのだ。
今現在、犬子は妊娠中、新戸は島津チート4姉妹を張り倒すべく九州へ向かった。
これまで毎日のように九十郎の性欲を発散させてきた2人の女が、九十郎の相手ができない状態になっていたのだ。
「犬子に頼む……訳にはいかないよな。
産科医なんていないも同然の時代だ、無理をさせたら本気で流産しかねない。
だからって色町に繰り出すってのも、
病気は怖いし下手に妊娠させたら後々面倒な事にもなりそうだ……ううむ……」
いっそ俺も九州に行けば良かったか?
そうすれば戦にかこつけて井伊を合法的に抹殺できて……いやだが正直な話、チートとしか表現できない島津4姉妹とガチで殺し合う中に飛び込みたくはないよなぁ、なんて、新戸の迷惑を全く顧みない迷惑な事を考えながら、九十郎は一人ため息をつく。
そして新戸の見る者全てを魅了するボンッキュッボンッボディや、焔のように鮮やかに紅く輝く髪、今まで行ってきた数々のエロ行為を思い出し……
「……うげ、ますます勃った」
……性欲を持て余してしまう。
「仕方ない、自分で処理するとするか……」
九十郎はふぅっとため息をつき、道場の中で袴を脱ぎだす。
他人がやったのなら神聖な道場で何さらしとんじゃと張り倒すところだが、自分でやる分には別に良いらしい……何というダブルスタンダートだろうか。
そこへ……
「……納得ができませんっ!!」
内外を隔てる戸板をバァンッ!! と勢い良く開け放ち、1人の少女がちOこを丸出しにしている九十郎に詰め寄る。
「おい葵、いきなり道場に押しかけてきて何を言っているんだ?」
榊原家の屋敷に併設された道場に、2人の男女が顔を突き合わせている。
男……九十郎は、名目上は主君である筈の葵に詰め寄られているというのに、恐縮もしなければ敬語も使っていない。
武家社会においてはありえない光景であるが、練兵館では日常的な光景だ。
ついでに言えば、九十郎は現在ギンギンに勃起している例のアレを露出させており、目の前には女性かつ三河の国主である葵……通行人でも現れたら社会的に死ぬ光景、戦国時代でも現代社会でも普通に通報案件である。
「……納得がいきません」
「小さな声で言っても同じだ、何の用だ葵?
いやそれよりも先に戸を閉めろ、俺が今どんな格好か見えないのか?」
葵がいそいそと戸板を締め切り、つっかえ棒をかけて再度九十郎に向き直る。
「納得がいきません」
「何の話ださっきからっ!!」
九十郎が葵の頭をゴチンと思い切り引っ叩く。
思い切り主君に手を上げているが、この2人にはいつもの光景である。
「九十郎様、私に仕えるようになってから随分と経ちましたね」
「まあそうだな」
「犬子さんと共に国外に出奔しようとしたと聞いた時は本当に肝を冷やしました」
「あの時は先が短い泡沫勢力だと思っていたからな、あの時は」
……蓋を開ければ徳川家康だったがな、詐欺じゃねえのかこんにゃろうめ、そう九十郎は心の中で愚痴を零す。
「ええ、その泡沫勢力の主が、
貴方を自分の元へ留まるよう説得した時の事、覚えていらっしゃいますか?」
「覚えているよ、不本意ながら」
できれば忘れてえよあんな黒歴史、そう九十郎は心の中で愚痴を零す。
「その時に私が提示した条件は覚えていますか?」
「忘れられるかあんなモン」
本当に忘れてえよあんな黒歴史、そう九十郎は心の中で愚痴を零す。
そして葵と九十郎との間に気まずい沈黙が訪れる。
基本非常識な九十郎でさえ眩暈を覚える程に非常識な条件、尋常な方法ではまた出奔されると焦った葵と悠季が考え出したやけっぱちな条件……
「私と悠季が貴方の肉奴隷になる事。
いつでも、どこでも、抱きたいと思った時に抱いても構わない。
どのような状況であっても、どのような理由があっても拒まない。
どのような破廉恥な行為を求められても受け入れる」
「狂気の沙汰だよな、何度思い返しても」
そしてそんな狂気の条件を思い出す度に、九十郎は枕を抱きかかえながらゴロゴロして悶え苦しむのだ。
「あの時は手足をもがれる事や、鼻や眼球を削がれる事も覚悟していたのですよ」
「てめぇの中で俺はどんだけサディストになってるんだよ!」
なお、九十郎は新戸の顔面に銃弾を撃ち込んだ事も、爪を引っぺがした事も、ファラリスの雄牛(自作)に詰め込んだ事も、リアル黒ひげ危機一髪をやった事も、比喩表現でなく千尋の谷から突き落とした事もしっかりと棚に上げている。
この男、鬼よりも鬼である。
まあ、撃たれても切られても焼かれても潰されても新戸は数秒で回復するのだが。
「あの時は歌夜も含めようとも提案しましたが」
「ははは、愛弟子強姦して喜んでる奴が、師匠を名乗れる訳がねぇだろうが常識で考えろ」
なお、現在九十郎が嫁にして、妊娠までさせている犬子も愛弟子の範疇に入っているが、この男の脳内では和姦はセーフである。
「……で、いつ手を出してくれるのですか?」
「出さないし出す気もねえよ、何度言わせるんだ」
「何故ですかっ! 待ってたんですよ毎晩毎晩っ!!
自分で自分を慰める位ならば仰ってくださいよっ!! 使ってくださいよっ!!」
「欲求不満なら剣丞にでも頼め」
「断固拒否します」
即答であった。
実際の所、九十郎よりも新田剣丞の方が数倍……いや、数十倍は良い男であるし、剣丞の嫁になった方が葵は幸せになれるだろうし、葵もそれを理解していたのだが、それでもなお葵は即答した。
「あいつは俺よりも良い男だぞ、俺みたいな屑よりもな」
「あの人は誰も拒みません、貴方と違って」
「凄い奴だよな、剣丞は」
「だから嫌いです」
「……そうか? なんでまた?」
「誰も拒まない優しさは、誰も愛さないのと同じ事……私はそう思います」
「そうか……俺はそうは思わんが。 じゃあ葵、お前自分の名前を言ってみろ」
「……徳川葵家康ですが」
「さっき俺に何故手を出さないのかと言ったな、それが答えだ」
「意味が分かりません」
「ふっざけんなぁっ!! 本多忠勝と服部半蔵が部下にいるって聞いた時からあれ……
とは思ったけどよぉっ!! 徳川家康ご本人だなんて誰が予想するんだってんだっ!!
畜生詐欺だ! 騙されたんだ! 徳川家康なら徳川家康って最初から名乗れよぉっ!!」
……そう、松平葵元康は勅許を得て改名し、今は徳川家康を名乗っているのだ。
日本史に疎い九十郎でも知っている超ビッグネーム……後の征夷大将軍、後の天下人の名を名乗っているのだ。
「わ、私がどのような名前に改名しても関係無いではないですかつ!!」
「ねぇ訳ねぇだろっ!! 流石の俺でも天下人強姦する気になれねぇよっ!!」
「また天下人の話ですか!? 何度も何度も飽きもせず……」
「俺にとっては最重要な話なんだよぉっ!!」
なおこの男、後の徳川四天王を強姦するのは全然平気である。
新戸は九十郎にかなり懐いているため、全部和姦になってはいるが。
「しかし改名前も一度だって襲って来なかったではないですかっ!!
私にも悠季にもっ!!」
「う、いや……それは……」
「私がお嫌いですか? 好みではございませんか? 胸の大きさが足りませんか?
犬子さんと新戸には毎晩毎晩くんずほぐれつしておられるようなのに」
新戸とは徳川四天王、井伊直政の通称……ドが付く貧乳娘である。
虎松(直政の幼名)→六つ子→ニート→新戸という悪意しかない命名で、考えたのは九十郎だ。
そして犬子が止めたので実現はしなかったが、
一時は本気でクソザコナメクジと名付けようとしていた。
何故か当の本人はかなり気に入っている。
ニートでもクソザコナメクジでも、九十郎が自分の為に考えてくれた名だからと。
「ははは、うちの御主君は出刃亀が趣味の様子だな。
犬子は俺の嫁だ、何度抱こうが孕ませようが文句を言われる筋合いじゃない」
「では新戸は? 九十郎専用孕ませ袋と体に落書きして買い物をしてたとか、
全裸に外套一枚、しかも四つん這いで散歩させられてたとか聞いていますが」
「あいつは良いんだよ。
あいつは井伊直政だからな、どれだけ酷い目に遭わせようが良心が全く痛まん」
だからといってリアル黒ひげ危機一髪までやるのは如何なものか。
新戸は刺された程度で死ぬようなタマではないが。
「それをぉっ!! 私と悠季にもぉっ!! しろって言ってるんですよぉっ!!」
葵が九十郎の肩をガクガクと揺さぶる。
言っている事は完全に痴女そのものであるが、彼女にとっては死活問題だ。
「バッカ野郎!! 徳川家康と井伊の糞ニートを同列に扱えるかよっ!!
大体、俺は井伊のクソ女には百回八つ裂きにしても足らん位の恨みがあるが、
徳河……じゃない、徳川には特に何の遺恨も無い。 新戸を虐めたらスカッとするが、
お前や悠季を虐めても……まあアレだ、後ろめたくなるばかりだろうさ」
なお、九十郎が抱いている恨みは大江戸学園に居た方の井伊に対するものであって、戦国時代の井伊直政は全く関係が無い。
「また征夷大将軍の話ですか? また天下人の話ですか?
何度も何度も飽きもせずに、私が征夷大将軍に本気でなれると思っているのですか!?」
「なれるって言うか、なるんだよ!」
「なら双葉様はどうなるのですか?」
「それは……それは知らんが……」
そうして2人が黙り込む。
歴史に疎い九十郎は、双葉……第14第征夷大将軍・足利義昭の末路を知らない。
徳川家康がどんな経緯で征夷大将軍になったのかも知らないし、原状、足利双葉義昭が征夷大将軍を辞める気配や、織田と将軍家が仲違いする気配、織田久遠信長が死ぬ気配、そしてひよ子と柴田壬月勝家の仲が拗れる気配は全く無い。
双葉の姉の一葉……元第13代征夷大将軍の足利義輝は、島津チート4姉妹相手に先陣切って突撃しているとの噂なので、そろそろ死ぬんじゃないかな~っと思っているが、
九十郎の思惑に反してしぶとく生き残る。
いずれにせよ確かな事は、九十郎には何がどうなって葵が天下人になるのかが説明できないのだ。
ぶっちゃけ元の歴史から離れすぎて剣丞でも説明できないのだが、それは些細な事であろう。
「こうやって抱く、抱かないで押し問答をした回数、覚えていますか?」
「さてね、10回目位じゃなかったか?」
「今日で25回目です」
「そうか……なら、次に俺が何を言うのかも分かるんじゃないのか?」
「分かります。 分かりますが……納得はできません」
外からカラスの鳴き声が聞こえてくる。
夕焼けの赤い光が窓から差し込む……このまま日が沈むまで黙り続け、送っていくから早く帰れと言って話を終わらせるのがいつもの九十郎だ。
「不安……なんですよ……ずっとずっと、不安だったんですよ……」
これではいけない、このままではいけないと、葵は心の中に浮かんだ言葉を口にする。
「何が不安だった?」
「ハーバー・ボッシュ法、ドライゼ銃、四斤山砲、スクーナー船、
蒸気機関、反射炉、保存食と石鹸、衛生知識に複式簿記……
貴方が教えてくれたどれも素晴らしかった!
どれだけの金子や財宝、名器、名剣を積み上げても、
1000の堅城、名城に100万石の領地を引き換えにしても、
決して釣り合いが取れないだけの素晴らしい知識と技術でした!」
「それを活かす事が出来たのは、お前や悠季が有能だったからだよ」
それは九十郎の偽らざる本心でったが……今日の葵は止まらない。
24回も繰り返してきた、24回もスゴスゴと引き下がったのだ、25回目の今日はそう易々と引き下がれはしない。
「そういう事を言いたいんじゃありません!
知れば知る程、学べば学ぶ程、貴方にどれだけ価値のあるのか理解した!
天下を10回でも20回でもひっくり返せるような危険な知識です!
なのに……なのに貴方は何も受け取らなかった!
貴方が望むのなら何でも差し出しても良いって思っているのに!
私の全部を差し出しても良いと思っているのに……この国を!
三河そのものを差し出しても足りない位に受け取ったのに! なのに……」
葵が泣き出す、普段の気丈な態度も、今川義元すらも騙し通せるポーカーフェイスすらも崩れ落ち、その感情が爆発していた。
葵が自分を抱けと、自分を犯せと九十郎に迫るのは過去に24回もあったが……その台詞は、感情の発露は、魂を削るかのような叫びは、初めての事であった。
「正直俺は、練兵館やってりゃ幸せなんだがな」
それもまた九十郎の偽らざる本心だ。
この男は神道無念流に生き甲斐を感じる剣術馬鹿で、道場の主だけをやらせておけば幸福な人間だ。
「知ってます、分かっています、でも……不安なんです。
ある日急にどこか遠くへ行ってしうんのではないかって、
何も言わずに立ち去って、二度と戻ってこないのではないかって」
……あの日のように、何も言わずに去ろうとするのではないかと。
葵は九十郎に聞こえぬよう、小さな声で呟いた。
「心配するな、何処にも行かねぇよ」
九十郎はそう言うが、葵は全く納得ができなかった。
小波の働きによって未遂に終わったとはいえ、かつて犬子と九十郎が蓄電逃亡を図った事は、葵にとって決して消えない記憶なのだ。
「聞いていますよ、武田から何度も誘われていると……」
「光璃の事か?
あいつも困ったもんだよな、移籍する気は無いって何度も断っているんだが」
「いつか見限られてしまうのでは、いつか愛想を尽かされるのでは……
毎日毎日、そればかりを考えてしまいます」
「ははは、俺が徳川家康を見限るとかありえねえよ。
むしろ俺や前田利家の方が見劣りする」
冗談めかした言い方で九十郎は笑ったが、葵にとって……天下人でも征夷大将軍でもなく、256万石の大大名でもない今の葵にとって、九十郎が見劣りするだなんて全く思えなかった。
自分が武田晴信よりも魅力的で、仕えるに足る主君だという自信も無かった。
「そんな……そんな話……し、信じたいですよ……信じたいのに……」
そして静かに……静かに慟哭した。
声を押し殺しながら泣いていた。
「正直な話、あの条件は冗談半分で突き付けた所がある。
あんだけ無茶苦茶な条件を出せば引き下がるだろうと思った、
後腐れなく三河から去れると思ったからアレを言った。
だがな……お前や悠季を抱く事を、チラリとも考えなかったと言えば、
そりゃ嘘になると思う。 お前らは……お前らは美女だよ、間違い無く」
美女だと言おうとした所で、九十郎は一瞬気恥ずかしそうに言い淀んだ。
将軍家公認の誑し野郎・新田剣丞と違って、この手の口説き文句は苦手なのだ。
「ならば抱いてください、私を助けるとでも思って」
「そんな理由じゃ抱きたくねえよ」
「ならどうすれば……どうすれば良いのですか……?」
葵の指先が、九十郎の指先と重なる。
普段なら即座に振りほどくそれを、今日の九十郎は振りほどかなかった、振りほどけなかった。
放置してもしぶとく生き残りそうな奴は、いくら泣き叫ぼうが放置する。
だがしかし、放っておいたらどこかで野垂れ死にしそうな女を、九十郎は放置できない。
それは九十郎の甘さであり、短所であり……魅力でもあった。
犬子が惚れ、光璃が欲し、そして今、徳川葵家康が惹かれつつある九十郎の魅力であった。
今日の葵は……放っておいたら消えてしまうのではないかと思う程、弱弱しかった。
「俺もな……不安なんだよ……」
気がつけば九十郎は、今まで一度も明かさなかった、明かせなかった自分の心中を口にしていた。
「お前と悠季が求めているのは俺じゃない、俺の知識と技術だ。
俺が知識と技術を全部吐き出したら、犬子共々捨てられるんじゃないか……てな」
「そんな事はしません! できません!
私達がどれだけの大恩を受けていると思っているのですかっ!!」
「釣り合いが取れてないんだよ! 不自然なんだよっ!!
お前は徳川家康で、俺は貧農の子、ただの九十郎なんだっ!!
剣丞とは違うんだっ! 俺はお前や犬子みたいな良い女と釣り合うような……」
「やめてくださいっ!!」
葵が九十郎の胸倉に掴みかかり、言葉を止める。
「やめて……ください……私を過大に持ち上げるのも、剣丞様を持ち出すのも……」
この世界では、徳川家康は東海一の弓取りとは呼ばれていない。
新田剣丞のタラシ・ジツ……もとい頑張りによって、今川も武田も滅んでいないからだ。
徳川家康は未だに三河一国の国主であり、全盛期の武田信玄、今川義元をも凌ぐ大大名にはなれなかったからだ。
ドライゼ銃やスクーナーといった軍事技術をギリギリまで秘匿、独占し、天下をひっくり返すだけの武力を保有する策は、光璃によって根底から覆されてしまったからだ。
「嫌でも意識しちまうよ、俺は……俺にとっては何よりも重い言葉で、
誰よりも重い名前なんだ。 前田利家よりも、井伊直政よりも……
剣丞はどうして平気な顔で織田信長や豊臣秀吉を抱けるんだろうな、
怖くはねぇのかな、本当に」
「怖い……ですか?」
「正直に言って、今でも怖い。 前田利家を嫁にした事、前田利家を抱いた事、
前田利家が俺の子を孕んで、あと3~4ヶ月で俺の子を産む事。
あいつは自分の事をただの犬子だと思ってほしいと言っているが、
俺は今でも、あいつをただの犬子だとは思えない……」
だから自分は徳川家康を抱けない。
今まで一度も言わなかった九十郎の本音……九十郎の弱音であった。
「もしかしたら俺が新戸を抱いているのも、
新戸なんて情けねえ通称を名乗らせたのも、その辺が関係してるのかもな。
前田利家じゃない、徳川家康でもない、気兼ねが無く後腐れも無い、
都合の良い女としてあいつを使って……いや、求めていたのかもしれん」
「最低ですね」
「良いんだよ、あいつは井伊直政だからな。
どれだけ虐めようが、酷い目に遭わせようが、全く心が痛まない」
「でも本人は喜んでいますよ」
「どうもそうらしいな、変わった奴だよ」
「でも……もしあの娘が本気で貴方を嫌っていたのなら、
きっと貴方はあの娘を抱いたりはしないと思います」
「かも……な……だがそれをあいつには言うなよ。 図に乗るからなきっと」
そう言うと九十郎は、おもむろに葵の着物を両手でつかみ、はだけさせる。
ぷるんと外気に晒される乳房。
葵は予想外の行動に一瞬だけ両肩を強張らせ、唾をごくりと飲み込み……まるで品定めをさせるかのように自分の胸を九十郎に向けた。
「拒まない……か……」
「良いですよ、元々こうしてもらう為にここに来たのですから」
「誰も拒まない優しさは、誰も愛さないのと同じ事って言ったのは誰だったか?」
「拒まないのは、貴方だからです」
「だが、ノリと勢いで抱ける女じゃねえよ、徳川家康は。 だから……」
九十郎が葵を抱き寄せ、そっと耳元に口を近づける。
葵は全身の力を抜き、されるがままにされている。
「もう既に、覚えている限りの知識を残らず伝えてある」
……そして葵の耳元で、九十郎はそう呟いた。
「……え?」
「もう教えられる事は何も無い、もう俺が葵のために役に立てる事は何も無い、
葵が俺に抱かれようと抱かれまいと、葵は何の損もしないし得もできない。
その上で決めてくれ……俺に抱かれるかどうかを、葵が決めてくれ」
それは……ある意味では告白であった。
愛の告白では無い、断じて無い。
強いていうならば弱みの告白、欲求の告白……葵に愛されたい叫ぶ、男の魂であった。
「九十郎様……?」
「俺に信じさせてくれ、俺には価値があると……
未来の知識と技術なんて後付けの理由じゃない、
俺そのものに愛されるだけの価値があると……信じさせてほしい」
九十郎の心中は穏やかではなかった。
この日初めて、九十郎は葵に自らの心中をさらけ出した。
葵は自らの心に、魂に問うた。
九十郎に抱かれるか、抱かれないか……こんな九十郎を愛したいか、愛されたいかを。
そして……
「ん……ちゅ……」
そして唇と唇が重なった……葵は自分自身が驚く程に強く九十郎を求めていた。
自分自身が驚く程にすんなりと九十郎を受け入れていた。
受け入れた上で……愛したい、愛されたいと願っていた。
「本気かよ?」
「本気です」
「何の得にもならんぞ、むしろ損にしか……」
「私がこうしたいと望んだからです」
「剣丞に……」
「言わないでください」
「正直に言って、歌夜や綾那、小波みたいに……徳川家康も剣丞の嫁になると思っていたよ。
葵が望めば、あいつも拒みはしないだろうさ」
「ええ、きっと喜んで嫁の一人に加えてくださるでしょうね。
あの人は誰も拒みませんから」
「剣丞は良い男だぞ、俺なんぞよりもずっと。
信長もひよ子も暗黒七本槍も光璃も、将軍も元将軍もあいつにゾッコンじゃないか」
「ですが……ですがあの人が女性からの好意に応じなかった事や、
求婚を拒んだ事は一度も見た事がありません。 一度も聞いた事がありません。
それと賤ヶ岳七本槍を暗黒七本槍って呼ぶのやめませんか」
「懐が広い奴だよ。 あの7人の未来には暗黒しか待ってないから良いんだよ」
「貴方は全力で捕まえておかなければ、すぐに逃げ去ってしまいます。
嫌いな人に嫌いという事を躊躇しません。
今この瞬間にも七本槍の方々は命がけで島津と戦っているのですが、
それについて何か思う所はないのですか」
「ケツの穴がちっちゃい男だ。
そろそろチュウズーボとマンマルバが死んだ頃かなって思っている」
「そんな貴方に愛されたいと願う私は、相当な変わり者だと思います。
誰ですかチュウズーボとマンマルバって」
「頭がおかしいんじゃないかと思うね。 加藤と加藤だよ」
「人の情愛は、多かれ少なかれおかしくなるものでしょう?
加藤に何か恨みでも」
「そう……かもな……加藤と火盗って似てるだろ、語感が」
再び2人の唇が重なった。
葵からではなく、今度は九十郎から。
ついばむように、慈しむようにではなく、奪うように、貪るように……
九十郎の脳裏に、これまでの出来事が浮かんでは消える。
前田犬千代と一緒に駆け抜けた初陣、柴田勝家とチャンバラをした事、前田利家と共に三河に居着き、歌夜と本田忠勝に剣を教え、虎松に餌をやったら懐かれて、そして……
「まさか……戦国時代で徳川家康とキスをする事になろうとはな」
控えめに言って意味不明である。
意味不明な出来事だが、九十郎にとってはまごう事無き現実であった。
前田利家を娶った時にも思ったが、俺も相当頭がおかしいな……そんな事を考えながら、九十郎は自嘲気味に頭を掻く。
「2000回、妄想をしました」
「何をだ?」
「貴方とこういう事をする妄想をしました。
今川の人質として過ごしていた頃に1000回、三河で貴方と再会をしてから1000回」
「詠美みたいな事を言うなお前」
お前は德河詠美を何だと思っているのだ。
「故郷を奪った憎い敵の中でたった1人、頼れる人もなく、心を許せる者もなく……
そんな中で貴方の存在は、私の心の支えでした」
「鞠が聞いたら泣くぞ、その台詞」
この世界の徳川家康はとことんまで今川氏真に優しくなかった。
「再開した貴方は、背が伸びて、腕も足も太くなって、男性らしい匂いがして……
はしたないと思われるでしょうが、その……
性奴になる約定を交わした日の晩、興奮して眠れなくなっていました」
「率直に言って変態だな、だが……」
「ええ、これが私です。 幻滅しましたか?」
「全くもって家康らしくない、だがそれが葵なんだよな」
「お願いします、九十郎様。 知識と技術の対価ではなく、恩や義理のためでもなく、
鬼の邪気を払うためでもなく……ただ私と愛し合うためだけに、私を抱いてください」
九十郎が葵を押し倒した。
指と指が絡まり、着物を脱がせ、下着も脱がせ……練兵館の堅い床板に裸の少女を寝かせる。
ワレメと男根を覆い隠すものは既に無く、2人を留める心のシコリも既に消えた。
そして2人の男女が互いに見つめ合い、互いの性器に指を這わせる。
「濡れてるな」
「九十朗様こそ、勃っていますよ」
葵が緊張した面持ちで、ゆっくりと両足を広げる。
九十郎がごくりと喉を鳴らし、2~3度息を吐き、意を決して葵の……徳川家康の股座に腰を沈める。
「本当に……良いのか?」
鈴口と膣口が触れ合い、もうほんの少しだけ体重をかけ、腰を沈めれば肉竿全体がオンナに包まれるという段階で、九十郎はそう呟いた。
その言葉は葵に向けたものでもあり、同時に自分自身への問いかけでもあった。
お互い、もう後戻りはできなくなるぞ……と。
「愛しています、九十郎様。 だから……葵を愛してください」
葵は自身でも意外に思える程にあっさりと、九十郎を愛していると言った。
それはかつて歌夜が苦しみに苦しみぬいて、とうとう一度も言えなかった言葉であり、今の葵にとっては、今までに述べたどんな言葉よりも重い、魂の叫びであった。
「挿れるぞ、葵」
「はい……」
葵が静かに瞳を閉じ、九十郎が亀頭を淫唇にあてがい、ずぷずぷと沈め込ませ……
「あ、あのっ!!」
亀頭が半分ほど押し込まれた所で、葵が九十郎を制止した。
九十郎がビクンと肩を強張らせ、瞳をパチクリさせながら葵の顔を覗き込む。
「あの……私、ハジメテではないのですが……その……」
「え……?」
意外な告白に、九十郎が思わず硬直する。
「その……駿河での鬼退治の時……鬼の邪気に呑まれかけて……」
「ああ、さっき言ってた鬼の邪気を払うって……
ちょっと待て、て事は相手はもしかして……」
「はい……剣丞様です……」
「あいつ葵にまで手を出してたのかよ、どこまでモテんだ……」
「誤解しないでください、強姦のようなものですっ!
あんな……意識が朦朧としている時に、あんな事を……うぅ……」
「気にするな気にするな、今更あのモテ野郎が誰とヤッてようが驚かんよ」
九十郎は胸の奥に突き刺さる棘を……未だに拭い難いトラウマを噛み殺しながら、表面上は平気そうな顔をして笑った。
今は無理にでも笑え、無理にでも笑って葵を抱いて見せろと自らに言い聞かせ、いつか剣丞を張り倒そうと決意を固め、九十郎はゆっくりと亀頭を押し進め……進め……
「……ちょっと待て、剣丞の嫁に黒田官兵衛も居なかったか?」
「え……? い、居ます……けど……?」
次の瞬間、九十郎は中途半端に挿入された肉棒を一気に引き抜き、まるで爆発物から逃げるかのように飛びのいた。
脳裏に浮かぶのは『梅毒』の2文字であった。
「く、九十郎様!?」
「す、すまん葵……流石に梅毒はちょっと……」
流石の九十郎も性病覚悟で葵をどうこうする勇気はなかった。
「ばっ梅毒!? 九十郎様、一体どうして……」
「すまんっ!! 俺の事は忘れてくれぃっ!!」
そう言い残し、九十郎は下半身を露出しているのも忘れてダッシュで逃げ出した。
「九十郎様っ!? そんな……待って下さい九十郎様!!
九十郎様あああぁぁぁーーーっ!!」
後に残ったのは、全裸で放置された葵の悲痛な叫びだけであった。
いや……
「ああ葵、それと言い忘れていた事を思い出したので言っておくが」
九十郎がその場で足踏みをしながら襖から首だけ出していた。
「く、九十郎さ……」
「……俺は敬語の女は好かん」
自分のために戻ってきてくれたのかと期待した葵を、九十郎はピシャリと叩きのめす。
その台詞はかつて……前の生で徳河詠美に対して言ったセリフである。
出会ったばかりの頃はずっと敬語で話し続けていた、2年もかけてようやく敬語をやめさせて、少しは仲良くなれたかなという所で転校してきた秋月八雲と恋仲になり、九十郎に永遠に癒える事の無いトラウマを植え付けた貧乳女。
警戒心が強くなかなか心を開かない上に、常に良い子を演じる事に執心し、理想と現実のギャップに苦しみ抜いていた、どこか葵と似た所のある少女……九十郎は葵も詠美も面倒臭い女だとは思っているが、葵も詠美も嫌ってはいなかった。
「言いたい事はそれだけだ。 俺は逃げる、後は野となろうが山となろうが俺は知らん」
それだけ言って、九十郎は走り去った。
普段から足腰を鍛えているだけあって、あっという間にその大柄な体は豆粒よりも小さくなってしまう。
「ふ……ふふっ……ふふふ……ええ分かっています、分かっておりますとも。
貴方はいつだって理不尽な理由で、脈絡も無く逃げ出す……そんな事は百も承知です」
だがしかし……徳川家康は崩れない。
徳川家康は忍耐の人、この程度のハプニングで一々取り乱すような精神構造はしていない。
「逃がしませんよ、ええ決して逃がしませんとも。
どんな手を使ってでも、何を差し出す事になろうとも貴方を手放しません。
私はあの時そう決めましたから、今、そう決めたから」
葵はすぐさま落ち着きを取り戻し、衣服を糺す。
あの日……桶狭間の戦いが終わり、三河で九十郎と再会をした日に決めたのだ。
もう決して離れない、決して手放さないと。
織田にも、今川にも、武田にも上杉にも、九十郎を渡しはしないと……そう決めたのだ。
「者共ぉっ!! 出会えぃっ! 出会えええぇぇぇーーーいっ!!」
葵の声が届くと同時に、何処からともなく100を越える三河侍と伊賀忍者達がわさわさと現れ、ダッシュで駆け続ける九十郎を追いかける。
こんな事もあろうかとあらかじめ配置しておいたのだ。
後に……九十郎の訃報を聞いた日に、光璃は言った。
『斎藤九十郎ははぐれメタルのようなもの、全力で追わねばあっという間に逃げてしまう。
光璃は逃がしてしまった、2度も』
後世において三河のはぐれメタルと揶揄される男は、およそ半日の間、多数の三河侍、伊賀忍者を巻き込んだかくれんぼ、鬼ごっこ、チャンバラの末に御縄になる。
身重の嫁を人質に取れば即座にとっ捕まえられたのであろうが、それをしなかったのは葵の温情か、あるいは愛情からである。
結局、梅毒患者という不名誉極まりない誤解が解けるのは3ヶ月後……『黒田官兵衛怒りのレッグラリアート事件』が起きた後の事になる。
島津義久による島津式土下座外交と、葵と九十郎の電撃結婚のニュースが流れ、日本全国が騒然とするのは……それからさらに3ヶ月後の事になる。
そして九十郎が前田犬子利家を、前田利家としてではなく、ただの犬子として愛するようになる日や、徳河葵家康を、徳川家康としてではなく、ただの葵として愛するようになる日は……結局、死ぬまで来なかった。
犬子と九十郎は三河から脱出する事が出来なかったが故に、葵が九十郎を死ぬまで逃がさなかったが故に……九十郎は秋月八雲によって刻まれ、新田剣丞によって抉られたトラウマを乗り越える事ができなかったのだ。