第82話にはR-18描写はありません。
第82話URL『https://syosetu.org/novel/107215/28.html』
第84話にもR-18描写はありません。
第84話URL『https://syosetu.org/novel/105831/62.html』
そうなるのは、ある意味当然の事だったのかもしれない……と、後に一二三は語る。
それは何よりも唐突で、何よりも不条理極まりない選択だった。
あの時の私はどうかしていたと思うし、後悔もしている……と、後に一二三は語る。
でもまあ、ヤッちゃったものは仕方ないよね、てへぺろ……と、後に一二三は語る。
九十郎は新田剣丞に思い切りトラウマを抉られ、柘榴によって逃げ道を塞がれ、精神崩壊一歩手前まで追い込まれていた。
そのまま廃人にでもなっていれば世界は平和だったのだが……とにかく、九十郎は心細かった。
一方、一二三は一度全賭けすると決めてしまうと、本当に全賭けをしてしまう。
自分の持つ全部を放り投げ、自ら退路を断ち切り、賭けの対象へとのめり込んでいく。
それがいずれ自身の破滅を招く精神の病だという事は一二三自身にも分かっていただ、一二三にはその病に抗う事はできなかった。
「……んんっ! い……づぅ……」
接合部から血が垂れる。
一二三のアソコが生まれて初めて男のモノを受け入れる。
だがしかし、ロクに濡れてもいない秘部は一二三に快楽も、達成感も、多幸感ももたらさず、あるのはただ身を割かれるような痛みと、後悔だけだった。
「痛いって……お前、実は処女だったり……?」
「あ、あはは……痛いとは聞いていたけど……お、思ったよりキツイね、これは……」
「ま、マジかよ、俺はてっきり……」
「てっきり、誰にでも股を開く淫売だとでも思った?」
九十郎は数秒迷い、静かに頷く。
夕暮れの河原での人生相談から始まった2人の会話は、あれよあれよという間に薄暗い茂みへと連れ込み、連れ込まれ、お互いに服を脱がせ合い、愛撫し、挿入まで至った。
ハタから見れば痴女の所業である。
大江戸学園には出会って5秒で即合体という、ある意味漢の夢を実行に移した秋月八雲君と、佐東はじめさんがいるのだが……まあ、そんな些細な事は忘れても良いだろう。
「酷いなあ、こう見えても身持ちは……」
堅い方……と、言おうとして、一二三は自らの股間に突き刺さった肉槍と、僅かに漏れ出る紅い破瓜の血を見る。
出会ったばかりの男に対し、特に理由も無く衝動的に股を開いた自分が身持ちが堅いと言い張る事が、とても馬鹿馬鹿しい事のように思えた。
「ねえ、君はこういう妄想はした事が無いかな?
人の多い通りを歩いて、とても可憐な女性とすれ違った時にさ。
あの娘を強姦したい……てね」
九十郎は露骨に目つきに険しくさせる。
普段から他人の表情の変化に注意している一二三には分かる、図星を突かれたと。
「そうそう、その感情だよ。
今、私が君に抱かれようって気持ちになってるのは、その感情さ」
「俺が強姦したくなる程の美男子だってか?」
「それは無いね」
一二三はキッパリと否定する。
少なくとも一二三の美意識からすると九十郎は普通にブ男であるし、一目で好きになるどころか、一目で駄目人間だと理解した。
つまり一二三は、ブ男で駄目人間の斎藤九十郎だからこそ、柿崎景家の夫で、ぶっちゃけ敵対勢力の一員である斎藤九十郎だからこそ、あえて自分のハジメテを差し出したくなったのだ。
ヤッたりしたら取り返しがつかないと理解したからこそ、ヤリたくなったのだ。
そんな事を話している内に、股座を襲うズキズキとした痛みは多少マシになっていた。
「……ナカに出しても良いんだよ」
一二三は九十郎の耳元でそっと囁いた。
ヤればデキる……縄文時代から不変の真理を当然のようにわきまえていたが、それだからこそ一二三は自らの心臓が高鳴っているのを感じた。
一目で見た瞬間、駄目人間と思った男に身体を預けて、孕まされて、決して後戻りの効かない場所まで……行くところまで行ってしまう。
想像しただけで興奮して、膣内に愛液が滲んできた。
「……本当に良いんだな?」
九十郎は一瞬だけ、犬子や柘榴の事を思い浮かべた。
思い浮かべた上で、すぐにそんな思考をゴミ箱に放り込んだ。
どうせ皆、剣丞に取られてしまうのだから……と、全てを諦めきって、自暴自棄になった。
自暴自棄になって、後先を考えずに目の前の気持ちの良い穴を使う事にした。
辛く苦しく悲しい現実から逃れるために、本能と欲望の赴くまま目の前の女に膣内射精する事にした。
「うくっくっあ! ふっうっ! あぁふっ……」
一二三の喘ぎ声が周囲に木霊する。
当然、一二三を見張っていた軒猿達の耳にも届く。
一二三は自分と九十郎が交わる姿を、あえて見張りの軒猿達に晒しているのだ。
「ううっ! はぁっあ、……くっあぁあぁ!」
だから一二三は、あまり豊富ではない性知識をフル活用させて、九十郎との性交を楽しんでいるような声を出した。
演技っぽく聞こえないだろうか……なんて事を気にしながら。
「……ちっ」
九十郎はそんな一二三を見て、軽く舌打ちをした。
九十郎は今の一二三の喘ぎ声が演技と気づいていた。
気づいていながら、腰を揺すり、快楽を貪る自分が情けなくなっていた。
「ぁあっぁあっ……ぁんんっ! ふわっ!」
九十郎によるレイプがどんどん勢いを増していく。
初期はただ痛いだけだっただけだったのに、少しずつ、少しずつ、魂が痺れるような快感を溢れてきた。
「い、痛いのに……痛いのに、気持ち……うっ! くっうっ! くっうくっ!」
ズゴズコ、パコパコと何度も何度も九十郎の肉槍が子宮を揺らす。
痛い、苦しい、屈辱だ、何でこんな事に、何でこんな目に……心をよぎる負の感情が、一二三に奇妙な背徳感を与え、それが魂を痺れさせていた。
魂の痺れが体にも影響し……徐々に徐々に、肉体の苦痛が無くなっていく。
気がつけば、一二三のアソコに潤滑も溢れてきた。
「うはぁっくっうっ! あぅ……え、演技が、できな…… うっ! ああっふっう!」
だんだんと演技ではなく、本気の喘ぎ声になっていくのを一二三は感じていた。
まだ会ったばかりの、好きでも無ければセックスが上手い訳でもない男に犯されているというのに、一二三は妙なる快楽と背徳感を覚えていた。
「あっふわっ……んんっ! ううぅんんっ!」
一二三は自分が嘘でも、冗談でも無く興奮していくのを感じていた。
「……ちっ!」
九十郎は舌打ちし、罪悪感に襲われながら腰を揺さぶった。
己の性欲に身を任せる無責任孕ませセックスに酔いしれる事はできなかった。
一二三と違い、九十郎は全部忘れてセックスに没頭する事もできていなかった。
「んんっ! ぁあっんんっ! こ、これ・……クセになる、クセになっちゃう!
ううぅっふわっ! ぁあっ……ぁあっ!」
ゴリゴリと膣肉を亀頭が蹂躙していく。
同時に一二三のメスが開発されていく。
そして九十郎の快楽も増していく。
左右の睾丸がぐにゅりと蠢き、尻の穴にぎゅううと力が入り、そして……
「あっ……」
そして一二三のナカで九十郎のモノがぶるっと震えた。
ビューッ、ビューッと、精液が子宮めがけて発射された。
もう後戻りはできないのだと、一二三は否応なく理解した。
そして同時に、また勢いに身を任せて、とんでもない事をしてしまったと九十郎は後悔した。
九十郎とは異なり、後先を考えていない訳ではない。
一二三はこれ以上無い程に後先を考えている。
考え抜いて、考え尽くしている。
そして彼女の病は、後先を考え得すぎるが故に発症している。
過ぎたるは及ばざるが如しという言葉はあるが、彼女の場合はまさしくそれだ。
誰よりも後先を考えているが故に、後先を考えていないとしか思えないような突飛な行動を起こしてしまう。
言うなればそれは……りゅうおうに『もしわしのみかたになれば、せかいのはんぶんをひふみにやろう。』と問われた時、『はい』と答えたくなる気持ちに近い。
そのままドラゴンクエストビルダーズが始まりそうな突拍子も無い選択肢であるが、一二三はマジでその選択肢を選びかねない性格だ。
こんな突飛な行動をとったらどうなってしまうのだろうという好奇心に負けてしまうのだ。
「大丈夫、何も心配しなくて良いよ……君は勝てる、勝てるともさ」
一二三は何の根拠も無くそう告げた。
膣内に溜まった熱く濃厚な白濁液が、一二三をそんな不合理な行動に駆り立てていた。
「何を根拠に、そう思うんだよ?」
早くも後悔し始めた女々しい九十郎がそう聞き返す。
実際の所、一二三をもってしても確実に勝てるとは言い難い状況である。
かつて京で会った新田剣丞は、織田信長が入れ込むだけの事はある、一廉の人物と思った。
一二三の主君、武田光璃晴信が気にかけるだけの事はある、底知れぬ可能性を秘めた男だと思った。
少なくとも、斎藤九十郎の何倍も、何十倍も出来る男だと思った。
人間としての格が違うとすら思った。
だが……
「勝てるよ、君は」
それを理解しておきながら、一二三はあえて嘘を言った。
保証何てできるものかと思いながら、あえて一二三は断言した。
九十郎が勝つ可能性は万に一つと思っていた。
しかし、あえて監視の軒猿達の前で、一二三は九十郎に抱かれた。
その万に一つを手繰り寄せ、新田剣丞に勝つ以外、一二三と粉雪が生き延びる術は無くなった。
「勝たせる、ああきっと勝たせるとも。
私の全知全能を捧げてでも、悪鬼羅刹になろうとも勝たせるとも。
こんな屑のブ男の駄目人間に全賭けするなんて自分でもどうかしてるって思うけれど、
私は今、君が勝ったらどんな面白い事になるだろうって気持ちで一杯なんだ」
今この瞬間、一二三は九十郎に全賭けする他無くなったのだ。
……
…………
………………
「それで、貴女は他人の男に何をヤッてるのかしら?」
九十郎と別れた一二三を待っていたのは、一目で分かる程に殺意を滾らせた美空の姿であった。
「知ってるだろう、あんなに大勢監視をつけてたんだから」
「ヤッてた事は知ってるわよ! 理由を言えって言ってるの!」
「私に言わせてもらえば……君こそ何をやってるんだ?
こんな所で私を問い詰めている暇があったらやるべき事があるだろう」
一二三は盛大に話を逸らした。
自分の事をしれっと棚に上げて煙に巻くのは彼女の……真田昌幸の得意技の一つである。
舌先三寸で天下を混沌の渦に叩き込む程度の能力は伊達ではない。
「……何の話?」
「空と名月の後継者争いのついでに、九十郎に天人殿を殴らせようって魂胆だろう?
相手は天人なんかじゃあないぞって、同じ人間だぞって、
殴ろうと思えば殴れるし、勝とうと思えば勝つことだってできるって」
美空は僅かに眉を上げ、無言のまま一二三の話を聞く。
「でもあれじゃ駄目だ、肝心の本人に戦意が全く無い。
しかし一方、天人殿は折り合いをつけて奪いに来る気になりつつある。
これじゃ勝負にもなりはしない。
まあ、勝つ可能性は無いでもないよ、空って娘の頑張り次第では。
でもそれでは九十郎は救われない、犬子も救われない、
君や粉雪が自分の嫁入りまで賭して行った事は全部徒労に終わる」
「……言ってくれるわね」
一二三が立て板に水を流すかのように言葉を重ねていく。
それを聞く美空の顔が少しずつ苛立ちの色が増している。
そんな事はお前に言われなくても分かっている、ついこの間越後に来たばかりのお前に何が分かる、そんな苛立ちが美空の心を覆いつつあった。
いっそこの場で無礼討ちにでもしてしまおうかとすら考えてしまう。
一二三はあの武田晴信に重用されている者であり、越後では彼女によって討ち取られた者も数多い。
討ち取る理由なんてどうにでもできた。
だがしかし……
「……私にどうしろと言うの?」
だが美空には一二三を斬る事ができない。
もしかしたらこの女には、このどうしようもない状況をどうにかする知恵があるのかもと思ってしまったからだ。
「さっき言っただろう、君にはやるべき事があるって。
私にはできないし、柿崎景家殿にもできない……
ただの一二三にも、ただの柘榴にもできない、上杉謙信で無ければできない事さ」
「貴女、九十郎から何を聞いたの?」
まさかハーバー・ボッシュまでぺらぺらと喋っちゃいないでしょうねと、内心冷や汗を流しながら美空はそう尋ねる。
「昔、酷ぉ~い失恋をした事くらいかな」
一二三の言葉は正しい。
九十郎が弱っていたとはいえ、一二三がそんな九十郎の心のスキマにするっと入り込んでいたとはいえ、まだ敵か味方かも分からない一二三に対し、ハーバー・ボッシュ法やドライゼ銃を教える事は思いとどまっていた。
「つまり私が言いたい事は……ね……」
本当だろうなと疑りの視線を向ける美空に、一二三がそっと耳打ちをする……
……
…………
………………
「……よう」
「いらっしゃい、待ってたわ」
……その日の晩、美空の屋敷に九十郎が訪れた。
『晩酌に付き合いなさい』と、塞ぎ込む九十郎の元に伝言があったのだ。
美空の前に並ぶ酒は美酒、名酒の類ではない。
美空にとって1人酒とは、酒を楽しむ事ではなく、酔って全てを忘れる行為……それ故に美空は1人酒を楽しむ時は安い酒を呑む事が多い。
酔えれば何でも良いのだ、酔えさえすれば。
美空にとって酒は楽しむものではなく、逃避するためのものなのだから。
この日もまたいつものように、美空は安っぽい量産品の酒を用意していた。
しかしこの日はいつもと違い、九十郎が訪ねてくるまで、美空は酒を口にしていなかった。
「一二三を……武藤昌幸を抱いたの?」
九十郎は露骨に視線を宙に泳がせた。
相変わらず分かり易いな……と思いながら、美空は少しおかしくなった。
少し肩から力が抜けたような気がした。
「別に責める気は無いわよ、 ただ……あれは粉雪と違って油断も隙も無い奴よ。
直接会ったのは今回が初めてだけど、正直言って怖いわ。
何をしてくるかまるで分からない……」
美空はそう語りながら、今までの武田との戦いの日々を思い返す。
晴信の怖さは、その時々の最適解を恐るべき速さで導き出し、恐るべき速さで実行に移すところにある。
それ故に読み易い所があった……だが、一二三が参陣するようになった頃から変わった。
一二三は的確に外してくるのだ、王道、定石、順当な手筋を。
それが一二三の怖さであった。
なお、当の本人はここでこの選択肢を選んだらどうなるんだろうという好奇心に負け、ここぞという場面でトンデモ戦法を採用しているだけである。
「怖い……ええ、怖いわ、怖いのよ……」
今までの戦いで感じていた恐怖が蘇ってきた。
越後長尾家と言っても、その実態は地方の中小豪族の寄り合い所帯。
ちょっとした理由ですぐに旗色を変え、裏切り、出し抜き、背中から撃ってくるような連中が履いて捨てたくなる程にいる集団だ。
そんな長尾を纏めて、束ねて、あの恐ろしく強い武田軍団と戦うのは怖かった。
ほんの僅かな読み違えが、行動の遅れが、あっという間に全てを破綻させるようなギリギリの戦いばかりだった。
そして美空は、思考の速さで武田晴信に大きく劣っていた。
だから美空は勝負を左右する要と言うべき場面で、あえて自らの思考を止め、頭を空っぽにして突っ走って来た。
突っ走って勝利してきた。
だがそれは……
「怖いわ、怖いのよ、次は負けるかもしれない、次は殺されるかもしれない、
私も、空も、名月も、貞子も、秋子も、柘榴も、松葉も、皆殺されて、
曝し首にされるかもしれないって考えるのは怖いの。
志賀城の光景……石垣に5000の生首を並べて晒した光景が、
越後で再現されるかもしれない。
その首の中には私が守りたいと思う人達がいるかもしれない……怖いわ、怖いのよ」
頭を空っぽにして走るという事は、美空自身にも先が読めなくなるという事だ。
走って、走って、走って、気がついたら負けていた、気がついたら挽回のしようが無い位に劣勢になっていたという事も普通にありうる。
彼女が守りたいと思う人が、生首になって石垣に並んでいたという事すらもありうる。
いうなればそれは、目隠しをしてレーシングカーのアクセルを思いきり踏み込むのと同じ。
それは美空にとって何よりも何よりも怖い事であった。
だから美空は酒を呑んだ。
酒を呑んで恐怖を忘れる事にした。
酒を呑んで、酒を呑んで、酒を呑んで、酒を呑んで、酒を呑んで、全てを忘れるまで酒を呑んでいた。
……九十郎が越後に来た日まで、この怖さと、際限の無い逃避の飲酒が続いていた。
「上杉謙信にも、怖いものがあるってか?」
美空の隣にどっかと座りながら、九十郎が軽口を叩く。
正直なところ、九十郎は美空の言葉を信じていない。
上杉謙信に怖いものなんて存在しないと思っていた。
少なくとも、自分が秋月八雲や新田剣丞を恐れるような気持にはならないと思っていた。
だがしかし……
「私の震えを止めてくれたのは、貴方よ、九十郎」
……だがしかし、美空は九十郎の隣で震えていた。
怖い怖いと震えていた。
少なくとも九十郎にはそう見えた。
「俺が……震えを止めた?」
ガタガタと震える美空の肩を支えながら、九十郎は尋ねる。
九十郎には、今日の美空が小さく、弱々しく見えた
「そうよ、貴方は私にドライゼ銃をくれた、ハーバー・ボッシュ法をくれた、
四斤山砲をくれた、腕木通信もくれた、他にも沢山、沢山くれた」
「大したもんじゃねえよ、俺はただ先人の知恵ってやつを……」
「これでもう、武田に負ける事を恐れなくても良い。
これでもう、私の大事な家族が殺される事を恐れなくても良い。
これでもう、頭を空っぽにして戦わなくても良い。
私は貴方に救われたのよ、心臓が凍えるような恐怖を払ってくれた」
「だが、俺は……」
「好き、好きよ九十郎、愛しているわ」
美空は九十郎の言葉を遮った。
「気が狂ってしまいそうな程に貴方が好き、貴方の事ばかり考えてるわ。
私は長尾景虎で、長尾景虎であるが故に譲れないもの、差し出せないものはあるけど……
犬子みたいに、長尾景虎をやめても良いとは決して言わないし、言えないけれど、
それでも私は貴方が好きなの」
美空は告げた。
青ざめ、震え、歯をカタカタと鳴らしながらも、これ以上ない程に不格好ながらも、自らの愛を九十郎に伝えた。
「俺には、美空がまだ怖がっているように見えるぞ」
だからこそ、九十郎は疑問に思う。
九十郎が恐怖を払い、震えを止めたと言う割に、九十郎には美空が怖がっているように見えたのだ。
「それは……」
美空は思わず、酒に手を伸ばした。
酒瓶から杯に注ぎ、唇に近づけ……唇を僅かに湿らせたところで止まった。
怖い、言いたくない、伝えたくない……怖い怖い怖い怖い。
そんな感情に押し負けて、逃避するために酒を呑んでしまっては、いつもと同じになってしまう。
美空はつい先ほど一二三から言われた言葉を思い出す……
『怖いなら……怖いと言いなよ。 強がったりしないで、お酒に逃げたりしないでさ』
あの時、一二三は確かにそう言った。
いつだって美空は強がっていた、いつだって美空はお酒に逃げていた。
怖い怖いと泣き言を言った事は一度たりとも無かった。
美空はいつだって恐怖に押し潰されていた。
だから美空は、そんな恐怖を払ってくれた九十郎を好きになったのだ。
美空は震える手にぐっと力を込めて、手に持つ酒を床に放り投げた。
陶器の杯が、がしゃんと砕けた。
「ええ、怖いわ」
そして認めた、怒りに身を任せて剣丞や一葉に斬りかかって行った時に感じた、今この瞬間も美空を襲い、苛み続けている恐怖を。
「私は貴方が好き。 だけど私の好きが無くなってしまうんじゃないかって思うと、怖いの」
「好きが……無くなる?」
九十郎は美空が言った事の意味を理解できなかった。
だから貴様は九十郎なのだ。
「だってそうでしょう、自分の魂を歪めてしまう程に強く強く貴方を思っていた犬子が、
良く分からない理由で九十郎の事を忘れて、剣丞と……剣丞と……
その、一時の事とはいえ、結ばれてしまったのよ」
悔しさを滲ませながら、美空が自分の心境を言葉にする。
言葉を一つ繋げる度に、不安と恐怖が増していくような気がした。
「……俺が至らなかっただけだろ」
「違うわっ! そんな事はありえないっ! 犬子は九十郎を愛してたっ!
間違い無く愛していたわっ! なのにっ!! な、なのに……」
気づけば美空は震えていた。
ガタガタと震えて、腰が抜け、失禁しそうな程になっていた。
「一葉は言っていたわ、剣丞には女を誑す才能があるって。
柘榴は他人の心を操る変な鬼のせいかもって言っていたけれど。
私は……新田剣丞の能力のような気がしたのよ」
「剣丞の能力?」
「織田信長、豊臣秀吉、竹中半兵衛、足利義輝と義秋、浅井長政、それに服部半蔵。
異常よハッキリ言って! 異常な何かが作用しているとしか思えないわ!
剣丞の能力か、そうでなければ誰かがそう仕向けてるとしか思えないわ!
この時代の英雄、英傑を誑し込む能力があるとしか思えないの!
そしてついに犬子まで! 犬子までもよっ!!
魂を歪める位に貴方が好きだった前田利家までその毒牙にかかったのよっ!!」
美空は叫ぶ、ひたすら叫ぶ。
感情の赴くまま、心を侵す恐怖を吐き出し続ける。
一葉が言った『女を誑す才能がある』は、所詮は酒の席での冗談に過ぎない。
愛する夫を自慢したい気持ちから出た惚気に似た言葉に過ぎない。
だがそんな一葉の軽い冗談が、美空の心を恐怖に陥れていた。
「私は……私は本気で自分が上杉謙信である事に恐怖を覚えたわ。
新田剣丞が怖くてたまらなくなったわ。
私も犬子みたいになるのかもしれない、私も犬子みたいに、
気が付いたらあいつの上に跨って、淫らに腰を揺すっているかもしれないって思ったわ。
そう思ったら……怖くて怖くてたまらなくなったわ」
そう言うと美空は、しがみつくように九十郎に寄りかかった。
「美空……」
美空は震えていた。
ガタガタと震えて、腰が抜け、失禁しそうな程になっていた。
それは九十郎にとって初めて見る、情けなく泣き言をわめく上杉謙信の姿であった。
九十郎が抱く上杉謙信の姿とは絶対に合わない、涙を流す少女の姿であった。
そしてその姿を見た時、九十郎は何故かあの時の犬子の姿を思い出した。
『捨てられる……捨てられちゃうよ……何で、どうして……どうしてこんな……』
あの時、犬子はそう言いながら震えていた、青ざめていた。
今の美空と同じ位、怖がっていたんじゃないかと……九十郎はそう思った。
「……上杉謙信でも、前田利家でも、怖いものは怖いんだな」
九十郎はそう言うと、震える美空の手を取って、しっかりと握りしめた。
そうすると秋月八雲や、新田剣丞への恐れが少しだけ和らいだような気がした。
同時に、美空の心を包む恐怖もまた、少しだけ薄まった。
「怖いのか? 美空」
「怖いわ、九十郎」
美空は繋いだ手に力を込めた。
九十郎の体温を感じると、もう少しだけ勇気が湧いた。
「怖いの? 九十郎」
「怖いに決まってるだろ、俺みたいな屑が新田剣丞に勝てる訳ねぇだろって思ってるよ」
九十郎はそう言うと、美空の身体を全身で包むように抱きしめた。
美空の匂いと、美空の体温を感じると、また少し剣丞への恐怖が和らいだ。
それは怖がり同士が傷を舐め合う光景そのものであった。
負け犬と負け犬が情けなく慰め合う光景そのものであった。
だがしかし……その姿は互いに支え合う人間の姿そのものであった。
「勝てるかな? 美空」
「分からないわ、そんなの」
2人の心には、やはり恐怖があった。
今でもまだ、九十郎は剣丞が怖かったし、美空は己の愛が消えてしまう事が怖かった。
だがしかし……
「負けるかな? 美空」
「やってみなければ分からないわ、九十郎」
「そうだな……そりゃそうだ、やってみなけりゃ分からん」
それを聞くと九十郎は立ち上がった。
まだ万全には程遠かったが、少なくとも昼よりは力が張っていた。
恐怖を克服したとは言い難かったが、少なくとも恐怖に立ち向かおうとする意志は宿った。
「(本当に、基本屑のくせに、顔はアレなくせに、時々凄く恰好良いわよね、コイツって)」
そんな九十郎の姿を見て、美空はそう思った。
だから美空は九十郎と共に立ち上がり……
「九十郎……勇気を頂戴……」
そう告げると、2人はそっと唇と唇を重ね合った。
「ありがとな、美空。 力が出てきたよ」
「ありがとう、九十郎。 貴方に出会えて本当に良かった」
九十郎は自分でも驚く程自然に、目の前の少女を『美空』と呼んだ。
九十郎は自分でも驚く程あっけなく、目の前の少女をただの『美空』と認識できた。
上杉謙信だから出会った、上杉謙信だから愛せない。
ただの美空とは思えない……今この瞬間まで、九十郎はそうだった。
九十郎がこれから美空を女として愛するかどうかは別の話であるが、それでもなお、九十郎は今目の前に立つ少女を、『上杉謙信』ではなく、ただの『美空』だと認識したのだ。
それは九十郎にとっても、美空にとっても、大きな大きな一歩前進であった。