僕は学校を休んでいた。
鼻がズキズキと痛む。
昨晩、夢の中に亜希菜を呼び出し、楽しむつもりが酷い痛手を受けた。
亜希菜にまんまと騙され、鼻頭をへし折られたのだ。
最後に騙して中出ししたのがまずかった。
孝典を卑劣に演出する為もあったが、それ以上に僕の性癖で彼女の悲しむ姿が見たかったのだ。
体を呼び出すだけの人形では絶対に見られない、亜希菜の怒ったり悲しんだりする姿が新鮮で、それを求めてしまった。
結局、亜希菜の怒りを買い、油断して反撃を食らってしまった。
孝典の姿をしていたとはいえ、途中いい感じだっただけにひどく後悔した。
彼女が孝典の姿をした僕を求めた事にも困惑したが、どこまでが本心でどこから演技だったのかが気になって仕方がなかった。
ただ、手酷く殴られたにもかかわらず、彼女が最後にとろけそうな笑顔で言った『もっと抱いて!』と言うシーンが今も脳裏に張り付いて離れない。
親にはベッドから落ちて椅子の脚に顔面をぶつけたと説明した。
朝一で病院に行き治療してもらった。
鼻の軟骨骨折の診断で、顔の真ん中に大きなガーゼをあてられ大げさなサポーターをされた。
結局僕は3日間学校を休んだ。
顔のサポーターも取れ、痛みも大分引いたけど、鼻を大きく覆うガーゼはまだ外せない。
親からも即され、明日には学校に行かなくてはならない。
僕は学校に行きたくなかった。
鼻の痛みよりも、重大な気がかりかあった。
亜希菜にバレないかだ。
顔面の傷が完治するまで3週間程度と言われており、そんなに長期間は休む事はできない。
体がなんでもない為、まず親が許さないだろう。
亜希菜にバレないことを期待し、学校に行くしかなかった。
次の日、僕は胸が締め付けられるような不安を抱え登校した。
マスクをしたが鼻の上までは隠せない。
教室に入ると友達は鼻を覆った大きなガーゼに驚き、理由を聞いてきた。
僕は親に話した内容と同じ説明でごまかした。
友人はクールで通してる「人見」がそんなアホな怪我をと言って笑った。
僕はクラスでは、苗字の
人を見ると書いて「ひとみ」と呼ぶ。
関東に多い苗字らしいが、まだ自分以外でこの苗字を見たことはない。
クラスでは人付き合いは悪いが成績優秀で感情をあまり表に出さない知的な奴で通っていた。
苗字が苗字なだけにもともと人見知りだからクラスでは目立たない存在だが、そのクールなイメージが先行して女子から告白を受けたことも何回かあった。
僕はそれらを全て断っていた。
亜希菜以外には興味が無かったからだ。
その亜希菜を目で探す。
彼女も僕を見ていた。
いや、凝視していたと言った方がいいかもしれない。
僕は血の気が引くのを感じながらそのまま席に着いた。
思い過ごしかもしれないと思い、もう一度亜希菜に目を向けると目が合った。
彼女は無表情で僕を見ていた。
いや、僕の鼻の傷を見ていた。
午前中の授業は全く頭に入らなかった。
亜希菜が時折チラチラとこっちを見ていたからだ。
僕は彼女の勘の鋭さを知っている。
もう気づいてるのかもしれない。
考えを巡らし、状況を整理する。
亜希菜は夢の中の孝典が僕だと気づいてるのか?
いや、疑ってはいるがまだ確信はして無い段階だ。あの視線が物語っている。
どこまで事態を理解しているだろうか?
彼女はあの夢が普通の夢とは違うと気づいていた。誰かが仕組んだものだと。
僕は孝典に姿を変えてはいたが、本人ではないことにも気づいているようだった。
亜希菜が僕を疑う根拠は何か?
彼女が僕を疑う根拠は、亜希菜が夢の中で殴った箇所と同じ鼻を僕が怪我をしたという点だ。
それが一番の理由だろう。
僕の場合は夢での出来事がそのまま現実の世界にもフィードバックされるが、亜希菜はそうじゃ無い。
夢に呼び出された人物は、例え夢の中で死んだとしても目が覚めれば、何事もなく普通に生きている。
亜希菜も散々犯されはしたが、目覚めれば体がなんとも無いことに気づいているはずだ。
普通の夢なら当たり前で、僕が異常なだけだ。
亜希菜はその定理を知らない。
方向性は決まった。
亜希菜に夢のことを言われたら徹底的にシラを切ろう。
もし怪我のことを突っ込まれたら、亜希菜はなんでも無いのになぜ僕は怪我をしているのか理由が付かない点を指摘して逃げ切ろう。
昼休みになって予測通り亜希菜は僕に声をかけてきた。
「人見くん、ちょと話があるんだけど屋上までいいかな?」
そう言って先に教室を出ていった。
遂に来た。
亜希菜は相変わらず無表情だった。
覚悟はしていたが、やはりドキドキする。
亜希菜が僕に声をかけたことで、クラス中がざわついていた。
「人見! なんでアッキーがお前を呼び出すの?どうゆうこと!?」
「告白? 告白されんのか!?」
友達が駆け寄り問い詰める。
「さあ? そんな雰囲気じゃ無かったことは確かだ」
適当にかわしつつ僕も席を立つ。
告白されるのならどんなにか良かっただろう…。
僕は断頭台への階段を上る気持ちで屋上に向かった。
屋上の扉を開けると他の生徒が何人かベンチで昼食をとっていた。
亜希菜はそこから離れた人気のない場所にいた。
春の気持ちよく透き通った青空を背景に亜希菜は背を向けて立っており、長い髪が風にそよぐ様子はたまらなくきれいだった。
僕が近づくと彼女は振り向き、黒目がちな瞳が僕を見つめた。
造りものの様に端正な顔立ちだが、すこし顔色が青い。
亜希菜の表情はピンと糸を張ったように張り詰めた感じだった。
彼女の緊張が伝わってくる。
「ぼ、僕に話ってなにかな?」
間が持たず、亜希菜が口を開く前に問いかけた。
「その鼻の怪我はどうしたの?」
想定していた質問だ。
「ベッドから落ちて机の角にぶつけたんだ」
「いつ?」
畳み掛けるように彼女がいった。
「3日前の夜中だよ、鼻血が止まらなくて大変だった」
あらかじめ用意していた理由を答えた。
亜希菜は探るように僕を下から覗き込んでいた。
亜希菜は女子では背が高い方だが、僕の方がさらに10センチほど高い。
唐突に彼女がいった。
「私、最近、人を殴ったの…。あなたが怪我をしている箇所と同じ、その人の鼻を…」
来た…。ここは予定通りシラを切る。
「えっ、君がそんなことを? どうしてそんなことに?」
当たり障りのない言葉で返す。
「…その人に、何度もレイプされたの」
僕は言葉に詰まった。
彼女の単刀直入な物言いに驚いた。
そんなストレートな言葉を亜希菜がいうとは思っていなかった。
こんな告白を受けたとき、どんな反応を示せばいい?
なんて言葉を返すのが自然なんだろう?
良い返答が思いつかず、亜希菜の答えにくい質問へと会話を誘導しようとした。
「本当に? どこで? なぜ僕にそんなことを?」
なんて返してくるだろう?
「………」
亜希菜は答えなかった。
僕は少し胸をなでおろした。
彼女は答えたくても答えれないはずだ。
夢の中での出来事を、現実で真顔で答えるには勇気がいるはずだった。
犯されたことを僕に話す理由にしても、『僕を疑っているからだ』とは今の段階ではいえないはずだ。
優位な状況に立ったと思っていたが、それも彼女の次の言葉までだった。
「夢の中よ。私はクラスメイトに犯されたの」
彼女は僕の目を見ながら真顔でいった。
その真剣な様子に気おされそうになった。
亜希菜が『夢の中』だと言い切ったことに驚いていた。
普通なら馬鹿にされると思っていえないはずだ。
あと犯された相手を『クラスメイト』と表現していた。
孝典といわずクラスメイトといってるのは、僕を追求する布石だろうか?
「ぼ、僕をからかってる? 夢での出来事にしては真剣だね? クラスメイトの誰にやられたの?」
思わず『クラスメイト』の件を聞いてしまった。
亜希菜が『クラスメイト』を誰だと考えているのか気になったからだ。
なんとなく話の流れが亜希菜のペースになりつつある。
「孝典君の姿をした誰かよ。でも孝典くんではなかったわ。夢の中には中村君や金城君も出てきてた。夢に出てきた人は皆同じクラスの人だったの。しかもクラスの人しか使わない『アッキー』のあだ名で私を呼んでいたわ。だから同じクラスの誰かが犯人だと思うの」
亜希菜は淡々といった。
彼女の話は理路整然としていた。確かに他のクラスの生徒が、ましてや見ず知らずの他人がタカシやヒロトを呼び出すはずはなかった。あだ名の話も然りだ。
自分では気づいてなかったが、彼女に判断材料を与えてしまっていたミスを悔やんでいた。
ただ、孝典の名前が出てきたことは僕に有利にはたらくはずだ。
孝典では無いといいきっていたが、その否定の根拠が薄弱なら、そこから突っ込んで逃げ切れる。
「真野さんを犯したのが孝典の姿をしていたのに、なぜ孝典じゃないっていいきれるのさ?」
「孝典君は右利きのはずなのに、夢の中では左利きだったわ。だから本人ではないわ」
また僕の気づいてなかったミスを指摘された。
血の気が引き、気が動転した。
迂闊にも利き腕のことを意識していなかった。
確かに孝典は右利きだったはずだ。そして僕は左利きで、夢の中ではそれを意識していなかった。
自分が左利きの事なんて、せいぜいハサミを買うときぐらいしか意識したことはない。
僕は左利きのまま亜希菜と接していた。
左手で彼女の中を掻き回したことを思い出した。
完全に僕のミスだ。
亜希菜の観察眼にあらためて驚いた。
孝典の件は僕に有利になるどころか、不利な状況となってしまった。
特に利き腕の件はまずい。
その話から引き離さないと。
話題を変える為、僕は敢えて前に踏み出すことにした。
「真野さん、なんだか…僕が犯人として疑われているみたいだ」
亜希菜が『引く』ことを期待して開き直るしかなかった。
「人見君、私はあなたが私をレイプした本人だと思ってるわ」
彼女はすかさず言葉を返した。
しかも僕を名指しで犯人だと言っている。
僕は言葉に詰まった。
表情に出てしまったかもしれない。
彼女は僕を追い詰めようとしている。
「な、何を根拠にそんなことを! ばかげてる! ひょっとして鼻の怪我がその理由?」
彼女が僕を犯人だとしている根拠を先回りしていった。
これに乗ってくれれば、亜希菜が犯されても体がなんともなく、僕だけが怪我をしている点での矛盾を指摘できる。
利き腕の話から引き離せる。
話の流れを僕の方に引き戻せる事を期待した。
「それもあるけど…。人見君…、あなたは左利きよね?」
亜希菜は鼻の怪我ではなく、僕にとって一番痛いところを突いてきた。
ここは認めるしかない。
「そうだよ…。ただ左利きの奴なんていくらでもいる! それが僕を疑う理由なのかい? それが犯人である証拠にはならない!」
僕は追い詰められつつあった。思わず声が裏返りそうになる。
亜希菜の指摘の鋭さに冷静な対処ができなくなっていた。
「左利きの人はクラスで3人いるわ。サエコとトモミで二人とも女子。後は人見君、あなたよ。私を犯そうと考えるような男子はあなただけなの」
息をのんだ。
彼女の話はまるでチェスの試合でもしているように僕を追い詰める。
返答につまり、返す言葉を必死に考えていた。
それを思いつく前に最後のダメ押しがきた。
「人見君、私が殴りつけたあと気絶したでしょ? その時見たの。あなたは気づいてないだろうけど、消える間際に孝典君の姿があなたに変わっていたのよ」
「えっ! まさか!」
僕は思わず声を上げた。
まさか気絶した後、変身が解けていたなんて知らなかった。
彼女はその反応を見逃さなった。
「人見君…、今の話はすべて私の夢の中での出来事よ…。なぜ…、知ってるの?」
ハッと彼女の顔をみる。
彼女の表情は真剣そのもので僕を鋭く見つめていた。
僕は…、彼女に誘導されていたのか…?
体中から大量の汗が噴出し、しどろもどろになってまともに亜希菜を見れなかった。
もう逃げることはできないことを悟った。
チェックメイトだ。
最後にできることは…。
最後に…。
「ごめんなさい!!! 僕がやりました!!」
僕はもう観念した。
もう、この言葉以外にでてこなかった。
「……」
亜希菜は無言だ。
「夢の中だから問題ないと思って君をレイプました。本当にごめんなさい!」
上体を90度にまげて平身低頭する。
しばらくそのままにしていたが、何もおこらない。
さらに土下座もしようかと思い恐る恐る顔をあげる。
そのとたん、大きな音が響いて僕は横ざまに吹き飛んだ。
強烈な平手打ちをくらったのだと後から気づいた。
ベンチに座っていた他の生徒が何事かとこっちを見ている。
しりもちをついたまま彼女を見上げた。
亜希菜はポロポロと涙を流し泣いていた。
大きな目から止めどなく涙が溢れ出て、ぽたぽたと顎をつたって落ちていた。
さっきまでの僕を問い詰める冷徹な様子は微塵も無くなっていた。
そこには大きな悲しみに打ちひしがれた少女の顔があった。
僕は初めて自分の犯した罪の重さに気づいた。
この美しい少女をこんなにも悲しませてしまった。
自分勝手な欲望の犠牲者にしてしまった。
震える声で彼女はいった。
「わたし、あなたを許さない…」
そういうと嗚咽を漏らし、涙をぬぐいながら屋上の階段を降りて行った。
打ちひしがれ、その場でしばらく呆然としていた。
自分の愚かさを痛感し、僕をここまで追い詰めた彼女のすごさを思い知った。
僕は本当に彼女に酷いことをしてしまった。
今まで僕は彼女を性欲の対象物としてしか見ていなかった。
だからあそこまで酷い事が出来たのだ。
深い後悔とともに改めて認識した。
どうやったら彼女に償うことができるのだろうか?
彼女が走り去った階段を見つめ、それしか考えられなくなっていた。