その日、亜希菜は早退して午後の授業を休んだ。
僕は彼女を酷く傷つけてしまったことがショックで、その後は朦朧としたまま一日を終えていた。
クラスの連中がいろいろ声を掛けてきていたが何一つ覚えていない。
いつの間にか家のベッドに寝転んでいた。
僕は夕食も食べず、自分の部屋にこもっていた。
その晩いろいろ考えた。
僕のやったことは立派な犯罪だ。
彼女の傷ついた姿を見るまで、本当の意味でそのことに気づいてなかった。
夢の世界の出来事は罰することはできない。
でも、やっていることは彼女を縛り上げて無理やり性行為をした、いわゆる強姦罪だ。
単に証拠がなく、法律で罰することができないだけだ。
初めてそのことに気づいた。
僕は警察に捕まって、しかるべき刑罰を受けるべきなのかもしれない。
そんなことを延々と考えていた。
翌日、足取りも重く僕は学校に向かった。
教室に入ると亜希菜もいつも通りの様子で学校に来ていた。
ただ、僕と視線を合わせようとはしなかった。
昨日、屋上で僕が亜希菜に平手打ちを食らったことは、瞬く間に知れ渡っていた。
ヒソヒソとあちこちから囁き声が聞こえる。
亜希菜が僕に振られたとか、僕が亜希菜を襲ったとか推測ばかりが広がっていた。
僕はそれを無視した。
彼女も何事も無かったかのように、普段通りに振舞っていた。
彼女は僕を許さないと言っていた。
僕は亜希菜がどんな報復を考えているのか気になっていた。
レイプされたと周りの人に訴えるかもしれない。そうなれば警察沙汰だ。
夢の中の事で処罰はないだろうが、社会的な制裁はあるだろう。
あるいは学校にいる亜希菜のファンクラブから袋叩きにされるとか。
いやな方へ想像が膨らむ。
結局、その日は何事もなく一日が過ぎた。
亜希菜は僕を完全に無視していた。
彼女と視線が合うことは一度もなかった。
次の日は土曜で休みだ。
休みの日は家で過ごすことが多く、本を読んでいるか、たまに妹の買い物に付き合ったりしていた。
僕は亜希菜への対応を考えて悶々としていた。
彼女にちゃんと謝りたかった。
だが、しばらくは声を掛けない方がいいことはわかっていた。
夢に呼び出すなんてもっての他だ。
もしかしたら、そのうち向こうから僕への制裁の為の呼び出しが掛かるかもしれない。
もしそうなったとしても、僕は素直にそれを受けいれようと思っている。
それだけの事をしたのだから。
僕が一番恐れている事は、このまま何事も無いことだ。
謝罪の機会も与えられず、最悪な思いを引きずったまま日々を過ごす方が、よほどつらい。
そんな時、亜希菜から電話があった。
「お兄ちゃん、『真野』って人から電話だよー」
階下から妹が大声で呼んでいる。
僕は自分の部屋を飛び出し、転がるように階段を降り電話に向かう。
妹がニヤニヤしながら見ている。
受話器を受け取り、電話口にささやく。
「もしもし、人見です」
「真野です」
確かに彼女の声だ。
どこで電話番号を調べたのだろうか?
亜希菜は単刀直入に要件を伝えてきた。
「今日の午後、時間を取れないかしら? 話したいことがあるの」
時間と場所を聞き、待ち合わせる事になる。
亜希菜の声からは感情は汲み取れない。
淡々と要件を述べ、電話を切った。
とうとう来た。
亜希菜の復讐だ。
何をされるにしても、まずはしっかり謝ろう。
謝って許されることではないけれど…。
「ねえ、お兄ちゃん、女の人から電話なんて初めてじゃない! デートなの?
真野さんって、まさかあの真野さんじゃないよね?」
妹が興味津々の様子で聞いてくる。
同じ学園の中等部だから彼女のことを知っていた。亜希菜は美人過ぎて中等部でも有名なのだ。
デートならどんなにか良かったんだけどな…。
僕はため息だけついて自分の部屋に戻った。
妹は不思議そうな面持ちで僕を見ていた。
午後になって僕は亜希菜と会うために家を出た。
場所は駅から少し離れた喫茶店だ。
待ち合わせ場所に向かう途中、僕は不安になる。
一体何をされるのだろうか?
亜希菜ファンクラブの連中から集団リンチか?
それとも親と弁護士が出て来て、慰謝料を請求されるかも?
まさか命を取るまではしないだろう…。大丈夫かな?
覚悟は決めたつもりだが、いざとなると不安だ。
待ち合わせ場所の喫茶店に着く。
建物は古いが落ち着いた雰囲気の店で、今まで前を通ることはあっても中に入った事はなかった。
意を決して店に入る。
今時古風な呼び鈴代わりの鈴の音が店内に響いた。
店内を見回すと客はまばらだ。
亜希菜はすぐに見つかった。
奥まった窓際の席に、午後の日差しを浴びて一人で座っていた。
その様子は一枚の絵の様に神々しく、美少女はその存在だけで全てを輝かせることができる事を知った。
彼女は一人で来ているようで他に人はいなかった。
僕なんかがそこに近付いて良いのだろうか。
気後れしながらその席に向かう。
店内の客全員が僕を見ていた。
「来てくれてありがとう」
僕が近づくと亜希菜は事務的に言う。
礼儀正しいが表情は固い。
向かいの席に腰を下ろし僕も答える。
「いや、僕の方こそ…」
すぐに店員が注文を取りに来た。
亜希菜と同じコーヒーを頼む。
今しかない。
「本当にごめんなさい」
言葉を続ける。
「謝って済む問題じゃない事はわかってる。ただ、本当にごめんなさい。君に殴られるまで自分のやっていた事の罪の重さに気づいて無かった。心からすまないと思ってる」
僕はまくし立てた。
自分の今の気持ちをそのまま吐き出す。
「ちょっと待って」
彼女が僕の言葉を遮る。
「今、どれだけ謝られても私はあなたを許せないわ」
亜希菜は少し困惑しているが、冷たい表情で言った。
それはそうだろう。
レイプされて謝られたからと言って、『はいわかりました』と言える人はいない。
ただ僕が謝りたかっただけだ。
彼女に許しを求めた訳ではないが、それでも辛かった。
店員がコーヒーを運んできた。
二人の間に沈黙がおりる。
僕は苦い思いでコーヒーを見つめる。
しばらくして彼女が言った。
「あなたを呼び出したのは、確認したいことがあったからなの」
僕は顔を上げる。
彼女は言いにくそうに聞いてきた。
「その…、夢の中でのことだけど…、私は妊娠する可能性はあるの?」
「それなない!」
僕はその質問に驚き、すぐさま答える。
「なぜ? あなたは私に殴られて怪我をしたわ。夢の中の出来事が現実とも繋がっていた。私が妊娠する可能性もあるはずよ?」
亜希菜は思いつめた様子で僕に言う。
彼女が確認したかったことはこれだったのか。
僕は彼女に夢の世界でのルールを説明した。
僕が意識して人格を呼び出した人だけが同じ夢を見る事。
夢に呼び出された人は、目が覚めれば夢の中での出来事は現実世界には全く影響がない事。
僕だけが夢の中での出来事が現実にも反映される事。
これらの人とは違う夢の世界が、僕にとっては物心がついた時から続く当たり前の事である事。
彼女は最初は疑うような目で見ていたが、話を進めるうちに僕の話に聞き入っていた。
一通り話を終えると彼女が聞いてくる。
「なぜあなたはそんな事が出来るの? もの凄く不思議な能力よ?」
「それは僕にも分からない。ただ普通じゃない事はわかってる。でもこれが僕にとっては当たり前の事なんだ」
亜希菜は黙り込んでしまった。
何か考え込んでいるみたいだ。
しばらくして彼女が言う。
「また、私をあなたの夢に呼んでくれないかしら?」
僕は驚愕する。
びっくりしすぎて、口を開けたまましばらく呆然としてしまった。
「そ、それはいいけど…、なんでまた!?」
「あなたの話を聞いて、その夢の世界に興味がわいたの。ただし、前みたいに私を辱めようとしたら、私はあなたに報復する用意があるわ」
彼女は顔を厳しくして、そう言った。
「もっ、もちろんそんな事は二度としない! 絶対に手出しはしません。命にかけて誓います!」
僕は慌てて答えた。
彼女が夢に呼んで欲しいと言った真意が分からなかった。
物好きにも程がある。
ただ僕にとっては断るどころか、とてつもなく嬉しい申し出だった。
未だかつて僕の能力を理解した上で、夢の世界に来た人はいない。
それが亜希菜なら、これ以上の申し出はあり得なかった。
彼女に言われるまま、早速、今夜呼び出す事になる。
「人見君、勘違いしないでね。私はあなたを許した訳じゃないから!」
亜希菜が眉を吊り上げていう。
その顔すらも、可愛かった。
「も、もちろん。……あの、僕からも話があるんだ」
僕は切り出す。
「真野さんに僕は本当に酷い事をしてしまった。その罪は償わなければならないと思ってる。警察に言うなり、君のファンクラブから制裁を受けるなり、覚悟は出来てる。いかようにでもしてくれ」
被告人の心境で覚悟を決めてそう言うと、彼女はあっけなく返してきた。
「夢の中の出来事でどうやってあなたを裁くの? 誰かに話しても私がバカにされるわ。あっ、でも報復の話は別だからね!」
それを聞いて何も言えずに感動していた。
彼女はやはりすごい!
こんなに可愛いのにすごく賢い!
亜希菜の言った通りで、僕への復讐は彼女にもそれなりのリスクが伴うものになる。
夢の話をそのまま誰かに話しても、誰も信用しないだろう。僕に復讐するには、信用されないまま誰かに理不尽な依頼をしなければならなくなる。
それは彼女の『借り』となるはずだ。
そんな借りを作るような事は、端から考えていなかったということだ。
僕は彼女に身も心も屈服した。