司書さんと多喜二くんはすこし似ていますね。そんなことをいった中野は複雑そうな面持ちだった。
あのときの言葉の意味は酒気で深く考えなかった。ただ思ったのは司書は小林に特別に気を遣っているという事実についてだった。それになんとなくおもしろくない気持ちを抱いたのが最初だったかも知れない。
(なんでそんなことを思いだしたかって)
自身が手にした手紙。茶封筒に上質紙の質素な便せん。それは当初は自身に宛てられた督促状だと思ったのだ。封もされずに司書室の机に投げ出されていたそれは自分たちに与えられたレターセットによく似ていた。
便せんは2枚。ただし2枚目は白紙だ。内容は1枚で済んでいるらしい。それに目を通す。助手としての仕事を片手間に見ていたものだから司書は存外すぐに帰ってきた。そして首を傾げる司書に呆れてみせる。その手紙と封筒をひらひらと振って。
「……司書。お前さあ。多喜二に似てるっていわれてたけど寧ろ中野似だろ」
「何の話だ」
既に敬語は崩れている。特に自身に対してはそれが顕著だ。あの堅物へ与えた顕著な変化がおかしかったが今はそれは関係ない。便せんを示すと司書があからさまに凍り付く。さて恥ずかしい私文書だったのだろうか。恋文か。自身へのものならすこし……いやかなり嬉しいが。この字体では勘弁して欲しい。
「お前さ。この字の汚さはねーわ」
「おまっ……それ俺の私文書! 人の私文書を見るなんて紳士じゃないよ!!」
「紳士じゃねーもん文豪だもん」
「いいから返しなさい」
「ひったくってからいうなよ」
いつものおっとりとした仕種はどこへやら。素早さは銃を使う連中に匹敵した。司書は自分から奪い取った手紙を睨むとそれを折り畳んで懐にしまう。そしてきっとにらんだ。
「佐藤さんに潜書してもらうから代わってもらえば……まったく油断も隙もないなお前は」
「別に俺様はこのまま助手を続けたっていいぜー。なんせ借金取りの連中もお前の助手中ならつっかかってこないし」
「よし今すぐ小林さんに代わってもらうか」
「あー嘘ですごめんなさいお前の助手が楽しいんですだからしばらくこのままでいさせてください」
「熱い掌返しめ」
踵を返した司書の袴に縋り付く。振り返る司書はそれでも苦笑していた。佐藤がよくしている表情に似ている気がする。徳田に次いで最初に選んだ助手が佐藤だと聴いていた。候補は他に3名いたらしいが彼が選ばれたのはそれなりに理由があるのだろう。自身は内心で勝手に納得しながら姿勢を直す。どうやら館長やネコとの会議は終わったらしい。椅子に座ると司書は書類を片手にノートを彷彿とさせる機械を起こす。実際「ノートPC」と呼ばれているらしい。それは自分たちの時代では考えられなかったほどの技術の進歩だった。
そもそも気付かなかったのは司書はだいたい文豪たちへ配布する文書はこのパソコンで作るからだ。プリンターとやらから活字印刷されたそれらは画一的だ。字の汚さやきれいさなどそこからは浮き彫りしない。1部の文豪はこの文明の利器に慣れはじめたらしいが自身にとっては100年後の技術だ。この司書が100年前の時代に送り込んだらおそらく死んでしまうだろうと考えるように自身が触れたら爆発四散しそうだ。それを苦もなく操る司書は未知の存在だった。実際は字の汚いただの世間知らずのぼんぼんだった訳だが。そのまま自身が一応籠に放り込むだけ放り込んだ書き付けを整理しはじめる司書は既に真顔だ。先程のやりとりを忘れてしまったようなので自身はその辺りにあった椅子を引っ張り出すと背もたれに跨る。そして話を戻す。
「そんでさ。さっきのミミズののたくったような書き付けはなんだったんだ。宛名もなかったし。私文書ってことは恋文かなにかか。あの字だとどんな情熱も伝わらねぇぞ」
「人が忘れてやろうとしたことを穿り返すのはやめなさい。……情熱なら直接ぶつけるよ。お前が体験したことだろ」
「おう」
思わぬ応戦に噎せこみそうだ。ほんの数日前のことを蒸し返されて思わず椅子ごと倒れそうになる。勝手に熱くなる顔が悔しいので本当に椅子を蹴飛ばして立ち上がった。たちまち手裏剣(折紙製)が飛んでくる。「モノに当たるんじゃない」という窘めつきで。のちにこの折紙の手裏剣は新美と折ったものだと知ることになる。椅子を立て直しながら額に軽く刺さった手裏剣を手にすると司書はいう。目はこちらを向いていない。
「俺がお前らに詮索するのは研究の一環で戦いのためでそれ以上ではないよ。……お前に必要以上に『詮索』したくなったのは想定外だったけど」
「お。おう」
「どうやらお前らは生みの親に当たってしまう俺に興味を持ってくれているようだけど。まだ踏み込んで欲しくないところにまで望まないうちは来て欲しくないよ。啄木。お前も例外じゃないからな」
「……お前が冷たくて乾いててそのくせ俺様のことが大好きっていうのはわかった。さっきの字の汚さだと格好付けも決まらないってのもな」
「うるっさい気にしてるんだ。……」
「……お前さ。その書き付けの束も読めてるか。自分の字を読めてるか。偶に中野も自分の字が読めないことがあるとかいってたけど」
「うるっさい」
そういって籠の書き付けを手に取りながらなにやら眉間を顰めてキーボードを叩く司書はまるでいつも通りだった。
『俺があんたを丸ごと大切にする』
自身の言葉に対応するように抱き竦めてきたあの青年と同一人物とはとても思えない。小柄になった体。抱きしめられたときに胸が高鳴ってしまったのだから今生の自身はきっと女を抱けない。この男はきっとそれも許しをしないだろうが。なにもないただの友人知人と一緒にいるだけで嫉妬するような自身と同じ気持ちを抱いているようだから。今の自身とこの男の関係に至った切欠の小林の顔を思い出してふと思い出す。中野の言葉を。
似ているのはあの細かな書き付けだろうか。今もまた小林は新作を思いついては潜書していても食事をしていてもメモに書き付けている。小林から聴けばどうやら前生よりは落ち着いて原稿を書いているらしいもののその癖は抜けないようだ。この司書も同様で反故にした書類などに論文の書き付けをしているらしい。らしいというのは普段助手を務めている佐藤の証言だ。……佐藤はあの字を読めているのだろうか。門弟3千人は伊達ではないのか。それに至って佐藤の偉大さを尊崇しそうになったところで司書が声を掛けてくる。
「啄木。これが終わったら有碍書に潜書してもらうから会派一の連中に声を掛けておいて」
「へいへい。秋声と菊池と三好と多喜二だな。りょーかい。ついでに小遣い」
「やらん」
「けち」
いって手裏剣を椅子に置き扉へ歩み寄る。さっさと動いたのは2発目の手裏剣を阻止するためだ。しかしその動きはない。キーボードを叩く音もやんでいた。なのでノブに手を掛けたまま振り返る。
司書はこちらを見ていた。見詰めていた。懐に手を突っ込んだまま。
「……なんだよ」
「別に」
こんな仲になったけれど司書のことはまだわからないことだらけだ。首を傾げつつその視線に言いしれぬ感覚を味わいながら自身は司書室をあとにした。
なぜこういった文書もPC印字にしてくれないのだろう。懐に突っ込んだ手紙を引っ張り出しながら司書は思った。最後にサインと捺印だけで済ませられたらいいのに。しかし館長は「手書きの方がいい」といっていた。背中から差し込んでくる陽光の中「ミミズののたくった」手紙を改める。……たしかに自分でも読めないときはある。しかしこれは比較的丁寧に書いたもののつもりだった。地味にショックを受けていたのは隠せただろうか。啄木への気持ちは理解したけれど男としての自分が見栄を張りたがっていた。
転生というよりも魂呼ばい。彼らを前線において戦わせているのだ。それに荷担する身としては「これ」がなんであるか今は啄木にいえなかった。硬筆がうまい文豪に字を習おうかと思案もしていた。
ふとペン立てから筆ペンを取り出す。机に起きっぱなしだった茶封筒。真っ新だったそれに宛名の代わりに大きく記す。
『遺書』
(何が起こるかわからない最前線だ。文豪の次に命が危ういのは俺たち特務司書だ。館長が書いておけっていってくれたのは優しさだろう。俺はむしろ死後は勝手にやってくれた方が嬉しいけど)
便せんを開く。無責任な内容がそこには書かれている。締め括る言葉は「遺言は母に一任する」。
親を置いていく不孝をここの文豪たちは決して若い自分に許しはしないだろう。それをわかっていてそれでも自分は書いていた。
「俺も本当に自分勝手だな」
ひとりごちた。
丸ごと守りたい。大切にしたい。その気持ちに偽りはない。しかしそれには長生きの必要がある。それなのに自分はおそらくこの戦場で終わる彼らの短い人生より長く生きる自信はなかったのだ。それが彼を大きく傷付けることだと自身はすでに知ってしまっていた。
啄木も佐藤もすぐには帰ってこない。その間にこの遺書を反故にするべく灰皿と火種を求めて立ち上がった。
宛名のない手紙
(丸ごと大切にするよ。俺が死んだらむりだけれど)
End.