▼どうやら潜書は普通の生きた人間もできるらしい(今イベントの館長の台詞)ということで司書が潜書に付き合ってたらその他の業務も含めて過労で倒れたよという話。文豪と違って耗弱状態に陥った際明確な回復方法が確立してないとかね
不意に腕を掴まれる。何事かと思えば足元がおぼつかなかった。目眩を起こす頭をおさえながら相手の名を呼ぼうとした。声が出ない。
「――……」
「おいしっかりしろ司書!」
「館長! 司書が」
自分の腕を掴んで抱えようとしてくれているのは啄木でもう片側から自身の肩を支えようとする者の声が聞こえる。これは秋声だろうか。荒い足音に遠くなる声。力が抜けて立てなくなる。こんなのははじめてだ。のんきに思いながら意識を失う。
起きてから知ったのはどうやら自分が耗弱状態に陥ったらしいということだ。
モスグリーンの一人掛けソファが見える。窓辺でそれに腰掛けた青年が火の点いてない煙草を片手に本を読んでいた。ベッドに覚えはないけれどあのソファがある部屋は覚えている。まだ空いている部屋でときに客室に使用する部屋だ。なぜここに寝かされているのだろう――司書は起きようとして違和感に気付く。そこではじめて自分の足の方へ目を遣った。
ベッドの傍ら。直立しているスタンド。そこからぶら下がる点滴の薬剤。ぽつりぽつり。しずくが垂れている。左腕に違和感があった。どうやら針が刺さっているらしい。
「お。起きたか」
朗らかな声。ソファに腰掛けていた菊池は司書の仕種に気付いたらしい。本を閉じると煙草を灰皿に転がして立ち上がった。それらを眺めてから司書は呆然と彼に問う。
「……俺。なんでこんなことになってるんです」
「覚えてないか。お前さんはさっきの潜書で倒れたんだよ。俺たちでいう耗弱だな」
「こうじゃく」
いわれて記憶の蓋を開く。散らかせば緩衝剤の底に数時間前の記憶が転がっていた。
館長の研究の手伝い。年次研究と来年度の予算に関わるといわれれば断る理由はなかった。だからといってよもや自分も潜書するはめになるとは思わなかったが――もともと文豪にばかり危険な目に遭わせているのは不本意だ。それにアルケミストとしての能力が高い自負がある。1度慣れれば制限された機会で浸蝕者を倒すことに躊躇いはなかった。
問題だったのは体力だった。ベッドの中で溜息を吐く。
「……俺も浸蝕を受けていたんですね」
「俺らはあんたにマメに補修を受けてるからよかったんだけどな。倒れたのが潜書から戻ってきたあとでよかった」
司書が思い出したのは貧血に似た感覚。血の気が引き気が遠退く中で足元が崩れた。傍にいた啄木が咄嗟に腕を掴んでくれたから倒れて頭をぶつけることはなかったもののそのまま意識を失った。本の中の世界は司書の体を知らぬうちに蝕んでいたらしい。立ち上がった菊池は嘆息混じりだ。
「俺らは魂が直結しているから浸蝕を受ければすぐにわかるんだがな。代わりに肉のダメージがないから防御壁になってくれない。――生者のあんたは過労みたいなもんだそうだ。あとで森先生がその点滴を回収にくるからそのあとはもう館長曰く休んでいろだそうだ」
「休んでいいじゃなくて休めなんですね……」
「そうでもしないとあんた起きて仕事するだろ。……ん。ぼちぼち点滴も終わるな」
苦笑いをこぼせば苦言を呈される。そして文庫本をポケットに入れた菊池は薬液の様子を見ると肯いた。そういえば森の時代に点滴の技術は確立していただろうか。霞がかったような脳裏でふと思う。
「それじゃあ。あんたは気が済むまでこの部屋で寝てろよ。俺から皆にいっておく。今日は飯も誰かが運んできてやるから」
「はい。あと菊池先生」
頭を軽く叩く。手袋越しの手に煙草の匂いが染みついていた。ぼんやりとそれを見上げて司書はいう。
「俺は眠ったまま死にそうに見えましたか」
「龍みたいに糞真面目ではあるからな。心配かけさせるな」
そういって菊池は司書の視界を手で塞ぐ。だからそのときの彼がどんな表情をしていたか司書は知らない。
扉の音で目が覚める。すぐに電灯が点った。目を瞬いて擦る。温かな香りが司書の鼻孔を擽った。
「あれ。窓開いてるね。――司書さん。起きられるかな」
「……なんとか」
扉を後ろ手に閉める。片手に盆を持った藤村は相変わらず眠たげだ。食事を持ってきてくれたらしい。森に点滴を外してもらってから時間が経っていたようだ。窓の外はとっぷりと暗い。なんとか上半身だけ起こして藤村を出迎えた。
「うどんだよ。食堂のおばちゃんが作ってくれたんだ。消化に良いものを食べて早く元気になってねっていってたよ」
「そりゃ有難い」
自身が寝ている間に搬入していたらしい。藤村が盆を何かに置いたかと思えばそれはベッドを渡すテーブルだった。意外に手早くそれを設置すると割り箸とうどんが鎮座する。それを有難く頂戴することにした。今夜のところは自分で食堂に降りるのもしんどい。灯りの点いた部屋の時計を見れば丁度夕刻だ。今の図書館の采配は眠る前に森とともにやって来た館長に任せている。自分は十分に働いてデータを取ってきたから休んでいても充分らしい――頬に走ったひっかき傷が気になったが。そうとなれば自分が回復することが最優先課題だ。控え目に味付けされたうどんが旨い。ソファに本を置いた藤村はその辺りにあった小さな椅子に座ってこちらを見ていた。恐らく食べ終わるまでここにいてくれるつもりらしい。彼がこうして黙っているのは珍しかった。
「ねぇ。司書さん。司書さんは死にかけた訳だけど。死ぬってどんな気持ちだった」
前言撤回。喋らないと落ち着かない性分らしい。うどんがしょっぱくなった気がした。それを見て藤村は首を傾げながらも尋ねてくる。
「あんなに崩れ落ちるみたいに倒れたからさ。司書さんが死ぬかと思った」
「……耗弱状態になったのは事実だけどそう簡単に死ぬ気はないですよ。今度から館長みたいに体力をつけるように頑張ります」
館長曰く彼は自身が体力が有り余っているからこそ少しばかり司書の能力を見誤ったという。彼自身はアルケミストとしての能力の不足を補うために様々な努力を重ねた。結果として年を取ってなお頑健な体を保つ彼は平気で単騎で潜書にも臨む。
簡単にいえば司書は「軟弱な若者」だった。アルケミストとしての能力は抜群とネコが太鼓判を押す。しかし通常は館長の方が珍しいのだということを司書自身もが忘れていたのだ――通常は特務司書は潜書をしないものだ。彼らの役目は主に文豪の管理と采配だ。しかし司書はそんな自分が情けないとも認識した。うどんを噛み締めながら頭を振る。
「今まで能力に頼ってばかりでしたからね。一応まだ死ぬ気はないですよ」
「ふうん。あんなに訳わかんないぐらい強いのに体力が弱いって変わってるね。司書」
「能力は遺伝ですから」
何度か共に潜書した藤村も司書の戦い方を見ている。文豪と共闘するときは彼らを援護して戦う司書だが藤村は遠距離射撃のできる弓使いであるのをいいことに堂々と司書を盾にしている。盾役を担うつもりではあったがあまりに清々しく背後に回られるといっそ清々しい。飛んでくる弓や銃弾を弾き落としながら他の弓使いと共に呆れたものだった。
うどんを啜る。藤村は窓辺に寄った。夜風が彼の癖毛をそよがせる。春の夜風は心地よかった。
「それはともかくさ。気を失うときのことは覚えていないかな」
「……泥みたいに崩れたときでしたっけ。啄木先生と秋声先生に抱えられた辺りまでは覚えてますけどそれきりです」
「そのときどう思った」
どうやら答えを得ない限りはこの問いかけは続くらしい。つゆを啜ると司書は肩を竦めた。
「楽になるって。咄嗟に思いましたよ」
割り箸を片手に司書はいう。
「啄木先生に腕を掴まれてなかったら多分あのまま頭を打ち付けて昏倒していたと思います。意識を失う瞬間は……多分。これで楽になれるって。そう思ったんじゃないかな。俺のことだから」
「なるほど。司書さんは自分が死ぬとしたらそう思うと思うんだ」
「……死を経験したあなた方にいう台詞ではないでしょう」
「僕は気にしないよ。教えてくれてありがとう」
そういう藤村の目はいつもより輝いていた。
ノックもしない見舞い人の手土産は本だった。
「やぁ。寛はこっちに来てないかい」
「菊池先生なら吉川先生のところじゃないですか」
安静にといわれても3日も経てば暇になる。私室よりはこちらの方が広く看病人の手を患わせない。そのため司書はこの緑のソファがある部屋に居座っていた。なんだかんだと見舞客は多い。先程は太宰が師匠を伴ってやって来ていろいろと好き勝手に喋っていったばかりだ。太宰を先に出て行かせた佐藤曰く「淋しいのだろう」。それを聴いて早くこの体が回復しないかと願っていた矢先のことだ。のこのことやって来た芥川はソファを見つけるとそこに腰掛ける。本を司書に渡したかと思えばその傍らにあったボードに載る灰皿に目を遣った。そこに転がる1本の煙草を見て青い目を瞬く。
「……寛の煙草があるけれど」
「あぁ。そりゃ俺がここに寝込んだ初日からほったらかしなんですよ。吸おうとしてやめたらしいです。気が付いたらそれ片手に本読んでましたから」
「確かに灰皿に使った様子はないね。――窓も開いているし君も風邪ではない。吸ってもいいよね」
「はぁ。その本は私物ですよね。ならいいですけど」
部屋の主の許可が得られた途端喜色満面。灰皿に転がっていた煙草を拾ってライターを取り出す。手早い。恐らく菊池は倒れた司書に少しでも害がないように煙草を吸うのをやめたのだろうに。呆れた心地で本を手に眺めていれば芥川は悪びれもせず肩を竦める。
「僕にとっては煙草が薬なんだよ。ないとそれこそ倒れちゃうんだ」
「悪いとはいいませんけどね。本が燃えなきゃそれでいいんです」
「うん。その本が第1主義。調子が戻ってきたみたいでなによりだよ」
いいながら煙草を手に持つ。笑うその姿はいつもの芥川だ。煙草さえ関わらなければ好人物なのだ。持ってきてくれた本を吟味していると芥川はいつもより細い紙巻き煙草を片手にいう。ソファには半端に腰掛けて。
「あの時は驚いたよ。急に崩れるみたいに倒れるから」
「藤村先生にも死んだかと思ったといわれましたよ」
「そうかい」
嫌悪する相手の名を出されそれでも笑みを湛えたままなのは内心で讃えた。さすがに煙草を口元に持っていったが。煙で隠された笑みの向こうを想像しながら司書はいう。
「菊池先生にも悪いことをしましたよ。点滴を見るって言い出したのは彼だと森先生から聞きましたが……」
「……君はちゃんと起きるだろう。君は若いんだ」
煙を吐く。芥川に自身は眉を顰めた。それに答えるように彼は続けた。
「僕もできれば起き続けたいと願っているよ。君たちに与えられた今度の生は以前のようなものではないから」
それが真実か確かめる術はこのときの司書にはなかった。
死臭
(その煙は死臭を隠すためですか)
了
pixivからの転載