お題は「晩霞」(http://www11.plala.or.jp/harutake/banka/banka_top.html)より。
館内は静かだ。常日頃は増えてきた文豪たちゆえに静かな賑々しさに満ちている。しかし今日は静かだ。大方の文豪たちがそれぞれの部屋で二日酔いに悩んでいるからだ。
聖夜にさわぐ習俗は旧い時代の彼らにも早々と馴染んだ。2日3日の騒ぎはちょっとしたもので酒を飲むふりをして水を飲んでいた菊池はこの日。司書に手招きされた先で振る舞われたケーキに目を瞠ったものだった。
「クリスマスケーキは昨日食べただろ。ひょっとして」
「ひょっとしなくてもあなたのためのものですよ。おめでとうございます。他の方が二日酔いから復活する前に俺からのささやかなお祝いです」
切り分けたケーキを小皿に載せる。用意していた紅茶を淹れながら「他の方のときもお出ししたでしょう」と問うと早速フォークを手にした菊池は苦笑した。
「忘れてたよ。祝われるなんて思ってなかったしな」
「まぁあなた方の頃ならまだ数え年の方が主流だったでしょうけど。お酒は苦手だとお聞きして正直安心しました」
「あんたも下戸だもんなぁ。……そりゃなんだ」
既に口にクリームをつける菊池。彼の前で紙袋から「それ」を取り出した。開いて広げたそれを訝しげに見ていた菊池はしかし自分の方へやられた小箱を見て察する。アクリルケースに収まったそれらは将棋の駒だった。
食堂の1番小さなテーブル。向かい合う司書が広げたのは紙に等しい薄さの将棋盤だ。それにプラスチックの銭の山を置いてみせる。
「贈り物のついでにギャンブルごっこでもしましょうか。5回戦。銭の多く残っていた方が勝ちです」
「そりゃいいな。普段賭け事に付き合わないあんたにしちゃ気が利いている」
「普段付き合わない分今日お付き合いしますよ。ただ本物のお金は賭けませんからね」
「わかってるよ。あんたは生真面目だ」
気がつくと2個目のケーキを切り分けている。このままの勢いだと本当に全部自分で食べてしまいそうだ。尤も彼らの時代では甘味は充分でなかったから贅沢品なのだろうが。司書は考えながらフォークを片手に駒を手にする菊池を見る。
彼には随分と助けられている。自身は心身共に大学を出たばかりの若輩だ。学生の肩書きが外れてやっと半年。特務司書としての条件に当てはまった自身は大学時代と変わらずに本の中に埋もれそして近代文学の文豪たちと出遭うようになった。その中で比較的出遭いが早かったのはこの菊池だ。世間知らずの身に時代は違えど面倒見の良い菊池の性分は気が軽くなるものがあった。文豪ひとりひとりに思いはあれど菊池への気持ちはいうなれば感謝そのものだ。旨そうに2切れ目のケーキを食べ終えた彼が駒を進めたところでその兄貴分は機嫌が良さそうだ。
「うまいなこのケーキは。あんたの誕生日も楽しみにしていろよ」
「祝われるような年でもありませんよ」
「それをいったらお前。俺だって100年以上前に生まれたんだぞ。俺を祝っておいて青二才のお前を祝わずにいてどうする」
「そりゃあなたは『菊池寛』ですからねぇ。文豪ですよ。対して俺はただの将棋好きの特務司書です。特にこれからも名を知らしめるつもりもありませんから。それにそれこそ先日他の方々が酒を飲む口実にする聖夜だってあれは昔の人の誕生日なんですよ」
「うーん。そりゃそうなんだが」
ハーフアップの頭を掻く。困ったような顔で反論を考えているようだ。それに少しだけ笑いながら駒をひとつ取る。さらに眉根が寄った。館長にいわれて将棋を用意したものの元より将棋はきらいではない。手を抜けばかえって怒らせるだろう。それを考えながらまた駒を取る。一旦手を止め3切れ目のケーキを小皿に載せる菊池は渋い顔だ。
「……それはともかく。あんたひょっとして将棋は強いか」
「仕込みは祖父です。家での遊び相手は専ら祖父でしたから」
「あぁ。そういえば俺はあんたの祖父さんの世代か」
「もっと上です。曾祖父母ですよ。うちの祖父は昭和生まれですから」
「100年の差は大きいな」
フォークを口に咥えて腕を組む。天井を仰ぐ目線は遠い。姿は若々しいがそういえばこの人は19世紀の生まれだったと思い出す。共に若死にしたと聴いた曾祖父母よりも恐らく年上だろう。母方は縁遠いから詳しくない。その祖父も既に亡く身内といえるのは病院で暮らす母ぐらいのもの。この図書館で暮らすようになって久しく同じ屋根の下で誰かと過ごすことを思い出したのはこの春先だ。そんなことはおくびにもださず取られた駒を口惜しそうに見遣っているとようやく笑いを浮かべた菊池は唐突にいう。
「なんなら俺のことは曾爺様とでも呼ぶか」
「お気遣い誠に幸甚で御座いますが辞退させていただきたく」
「馬鹿丁寧に断るなよ。普通に断れよ。俺が馬鹿みたいじゃねーか」
「うん馬鹿だよ」
それは口に出さずただ笑って駒を進めた。5回戦にしたのは早計だったか。千日手になりそうだ。作家の育成に携わったぐらいには気の長い菊池と将棋をそこそこにかじっている自身とでは中々決着がつかないかもしれない。ひっそり後悔していると菊池は肩を竦めた。
「しかし今の平均寿命はすごいな。さすがに俺と同い年の奴はいないが最近の新聞を読んで驚いたぞ」
「がんばれば100才を超えますからね。90才になっても農作業を続ける人もいる」
「俺の時代じゃ人生五十年がまだ普通だったからな。まぁ命日は比較的選べるようになっていたが」
「誕生日は自分じゃ選べませんものね。親が子どもをつくって十月十日に生まれるものですから」
「はは。冗談口に冗談で返されたな」
聴く人が聴けば冗談では済まされないやり取りだ。彼らは構わず駒を進め合う。勝負は拮抗している。ホールケーキは既に半分以上減っていた。それに気がついて思わずまじまじと眺めていると将棋盤を見ていた菊池はふとつぶやく。
「……人間に限らないな。生きものは皆親のギャンブルで生まれてくるんだ。できるかできないかいつどんな風に生まれついてくるか。場合によっちゃ文字通りに親が死ぬ。そうなればこちらも無事では済まない。……今生の俺たちもそんなもんなんだろ」
「……」
菊池の物言いに口を噤む。錬金術で生み出された彼らは倫理的に人と呼べるか。図書館の外ではそんな議論が続いている。彼らにそんなことは知らせた覚えはない。しかし考えもするだろう。会えるはずのなかったモノに会え会いたくもなかったモノに会うこんな場所では。表情を消してしまった司書に彼はにたりと笑っていった。
「感謝してるぜ」
「――」
「あんたが勝負してくれたおかげで俺はこうしてまた楽しいことを知ることができた。そして俺たちが育てた文学の先を知ることができたんだからな」
「……仕事ですから」
目を逸らす。駒を置いた刹那に王将へ飛車が飛んできた。自慢げに胸を反らす菊池の手元には最後の一切れのケーキが置かれていた。
(そんな立派な生を全うしたあなたたちに頼らざるを得ない。自分たちにはもったいない言葉だ)
1回戦は負けてしまった。チップのプラスチックの銭を押し出しながら司書は胸中で呟いた。菊池は機嫌良くそれを受け取って苦笑する。
「それでも俺は天命が尽きるまでは文学のために戦うぜ」
「……同じ気持ちですよ」
きっとこの戦いが終わるときがあなたたちとの別れだろう。それも口にできなかった。ケーキは残り僅かだった。廊下から俄にざわめきが伝わってきた。彼の誕生日を祝うモノは他にもいるのだ。
End.