・創作司書の過去に人死に描写
・文豪の喫煙描写
・pixivからの転載
お題は「晩霞」(http://www11.plala.or.jp/harutake/banka/banka_top.html)より。
司書の様子に気付いたのはそのときだ。
「ぼちぼち次の大型研究がはじまります。それまで活動を控え目にしますので皆さん今のうちに充分英気を養い且つレベリングをお願いします。特にプロレタリアのお二方!」
「わかっているよ」
「俺があんたの役に立つならな」
ざわつく食堂。話を聞いているのかいないのかというところだが遠くの席にいた多喜二と中野が返事をしたところを見ると声は届いていた。それを見て食堂から立ち去ろうとする司書に声を掛けたのは谷崎だ。
「司書さん。また具合が悪いのですか」
「また顔色が悪いですか。俺」
「なんとなくですが」
同席していた佐藤は友人に促されて司書を見る。彼は首を傾げた。
「なんともいえないんじゃないか。まぁ司書の体調が悪いのはいつものことだからな……」
「すいませんね毎度毎度」
「健康が1番! 司書殿。良い漢方薬があると出入りの商人から」
「それも詐欺だったぞ」
「なにぃ!?」
絡んで賑々しい声が司書にかけられる。谷崎はまだ首を傾げたままでしかし「まぁあなたがそれでいいのなら」と意味深長に微笑んだ。吉川が席を立つ。菊池が宥める。それに司書が駆け寄った。自身は気のせいかと食堂を辞す。借金の督促から逃れるためだ。
暗く淀んだ幕が司書に覆い被さって見えた。
真っ暗な夜。廊下を歩く。旧い家だ。板の間が軋んだ。ふと見ると居間への障子が少しだけ開いていた。そこから僅かにヤニの匂いがする。だから自身は喜んで飛びついた。
それを見た。
「………………」
寝間着の襟が冷えていた。寝汗がひどい。両手で口を塞いだ司書が目を掻き開いたのは図書館での自室だった。珍しく閑静な夜。まだ春で夜は冷える室内の空気を彼自身の荒い息が掻き乱す。硬直した体。脈が通常に戻る頃にはどうやら自身が夜中に叫ばずに済んだらしいことを司書に悟らせていた。蹴飛ばした蒲団はベッドの下。それを拾って広げたもののすぐには寝る気にはなれない。まだ瞼の裏にあの光景が焼き付いている。深呼吸をして時計を見た。まだ丑三つ時だ。頭を掻き乱して溜息を吐く。ひどい夢だ。この夢に対してそう呟くのは人生においてもう何度目か。いい加減自分でも飽きる感想だが不思議と湧いて出るのだから仕方ない。ベッドの端に座ると脚を下ろす。乱れた寝間着を直して床に立った。窓辺によると星が見える。狭い窓から見える小さな星空だ。自身の脳みそは星座に対して正確らしい。同じ星座の頃に同じ夢を見させるのだから。
父が死んだときの夢だ。
「……ん」
ふと気付く。星空に僅かに煙が見える。その下を辿って気付く。少し迷って――椅子にかけていたものと棚の中のものを2つ取る。上着だ。三和土で突っかけを履いて自室を辞す。
「啄木さん。冷えますよ」
「おう。司書か」
星空の下の煙。発生源は見た目の若い喫煙者。啄木が庭でしゃがみながら空を見ていた。突っかけを鳴らしながら持っていた上着を被せる。「ヤニがつくぜ」と口ではいうが自分では脱がないあたり寒かったらしい。司書は自身の判断の正しさを自覚してから並んでしゃがみ込んだ。春先の夜はまだ冷える。空は澄んでいた。煙草を吸い続ける啄木に起きていた理由を問うとごく明快な答えが返ってくる。
「借金取りから逃げて隠れ家で昼間に寝ちまった」
「昼間の俺の注意はなんだったんでしょうね」
「少なくとも俺様以外には有効だったみてぇだぞ。ほら。いつもより図書館が静かだろ」
「……あぁ。だから」
納得して肯く。啄木の起きていた理由は呆れたがそれはそれとして文豪の面子が自身の言葉を聞き入れてくれたらしいことは単純に嬉しかった。……もっともこれも次の大型研究までだろうが。啄木が煙を噴く。
「多喜二の仲間だってな」
「徳永先生はそうですね。最近は3人組の派閥がそろいますね」
「安吾」
「おっと無頼派の話はそこまでです」
坂口を手に入れられなかった傷は記憶に新しい。先日の研究ではなにがなんでもと有島を呼び出し現在はレベリング中だ。中々に話しやすい相手でほっとした覚えがある。プロレタリア組の2人も彼を尊敬しているようだった。落ち着いた物腰で話しやすい。見た目の傾向はなんとなく花袋や啄木と似ているが彼は明らかに大人しい。そして目の前の「同じ傾向」の顔の男はその正反対だ。煙を吐く啄木は「あー今すぐあの星が俺様の借金を肩代わりしてくれねぇかなぁー」などと呟いている。伝説の歌人のこんな言葉など聞き流したいところだと胸を痛めるこの頃である。今は頭が痛かったが。あの夢を見るといつも頭が痛かった。原因はわかりきっている。そんなものはわかりきっている。
「それでお前は珍しいな。爆睡型だろ。どうしたんだ」
唐突に問われて心臓が跳ねる。息が詰まった。それを隠して笑う。
「……ちょっと夢見が悪くて」
「お前それもしょっちゅうだよな。まぁここの連中はみんなそーだって森先生もいってたけどな。つか俺様がバイトしてるときに薬を横流ししろとか持ちかけてくる奴いるし」
「それひょっとしなくても太宰先生じゃないですか」
「偶にオダサクだな」
「無頼派ェ……明日注意しておきます」
実際に横流しをしたかどうかは無頼派の2人に聞けば済むことだ。今は啄木自身にはなにもいわずに済ませる。それに視線を彷徨わせたから多分ちょっとは売ったに違いない。溜息を吐いてその手元を見遣る。
「啄木さん」
「なんだよ」
「煙草ください」
「悪い。耳の調子がすっげー悪いみたいだ……栄養失調かな」
「大丈夫です。俺も偶には吸います。そんなに真剣に悩まないでください今はたくさん食べてるでしょう」
普段散々禁煙を叫んでいる自身が煙草を欲したのがそんなに意外だったのか。頭を抱えそうになった啄木に手を差し出す。自分の分の煙草とライターは部屋に置いてきてしまった。「取る」のも面倒だ。その手を見て啄木は吸いさしを片手にせせら笑う。
「俺様からモノをもらおうってか。俺のこれだってもらいものだぜ」
「別にその吸いさしでいいですよ」
いって啄木の手から掠め取る。灰を落としてから口をつけた。煙が舞う。啄木が目を瞬いたのが目に入った。
そして咳き込んだ。
「なにこれ濃っ……!?」
「あーそりゃ芥川からもらったやつだからな」
「年下に集る人がありますか」
「ここにいる文士は大半年下だろ」
いいながら背中をさする。彼の気紛れの優しさは手持ち無沙汰のときに大概発露される。今は煙草を奪われ新たに出すこともせず芥川愛飲の煙草の濃度でむせこむ司書の背中をさすってやっていた。
そもそも昼間から気にしていたのだ。司書の様子のおかしさに。もののついでにを装って背中に手を置いてやったまま啄木は尋ねる。肩で息をする司書の手の煙草はもうすぐ吸い口まで燃え尽きるところで啄木の携帯灰皿にそれが入れられる。
「それより気は済んだのかよ。俺様の煙草台無しにしておいて」
「元はといえば芥川先生のでしょう……」
「ああいえばこういう」
「……狐狗狸の類は煙草の煙でいなくなるっていうでしょう」
深呼吸する司書はいう。そんな話をたしか以前にも聞いた気がした。あれは司書の書いた原稿がうっかり有碍書になりかけて花袋が行方不明になったときだっただろうか……図書館に帰ってきてみたら司書室を中心に辺りがびしょ濡れになっていた事件を思い出した。そのときにテーブルの端に濡れそぼった紙巻き煙草と100円ライターを見た気がした。「それはあのとき潜書した森先生たちに渡した俺の煙草ですよ」と司書はいう。
「母は大学で民俗学を専攻していたんですけどね。煙に巻かれるという言葉通りに化かされても一旦落ち着いて一服してから動き出せば不思議とことは片付くんだそうですよ」
「へーぇ。で。お前も化かされたのか。夢の中で」
何気なさを装ったつもりだ。新たに煙草を取り出す啄木の隣で司書も星空を見上げた。
「化かされ通しですよ。もう10年以上も。この時期は夢に襲われる」
手持ち無沙汰になった司書は膝を抱える。しゃがんでいるのも疲れ諦めて草むらに座り込んだ。同時に疲れが襲う。夢から逃げてきた疲れだ。頭痛としてそれは襲ってくる。再び煙草を喫した啄木の煙が広がる。いっそ包まれていたかった。頭を片手で抱える。
夢を見たくない。この頃に見る夢は決まっている。幼少の頃は便意のために夜中に起きることがままあった。そして父は悪徳商人とはいえささくれ立っていた部分もあったのだろう。熟睡できない様子で夜中に縁側で煙草を吸っていることが多かった。丁度今の啄木のように。自身は母に祖父に懐くように父にも懐いていた。だから決まってヤニの匂いがするときは自室に戻らず居間を訪ねた。父は幼い息子に寝ろと口ではいいながら膝に抱えてくれた。そのまま眠ってしまい朝になれば蒲団に入っていることがしょっちゅうだった。昼間は祖父と喧嘩し経営で荒稼ぎしているような父とちゃんと親子の関係を保てている保証をあの煙草の匂いに求めた。
寄りかかろうとした体が血だるまに転がったのは10才の夜だ。
こんな風に星も月もきれいな夜。だから切り刻まれた父の体も広がる血もとどめにと腹に刺された家宝の太刀が鈍く光るのも煙草とライターが血溜まりに沈んでいるのもすべてがすべてよく見えた。指の先まで冗談のように傷だらけ。明らかな殺人現場で10才の子どもに現場保存という言葉を忘れさせるには十分で。父の手に触れた。あの温もりは消えて硬くなりはじめていた。屋内の異変に気付いたらしい。母が襖を開いた。彼女が悲鳴を上げたときは自分も悲鳴を上げて起きるのだ。
……犯人がいまだに捕まってないことも。父が悪名高い実業家だったために対して世間の関心も呼ばなかったことも(殺され方はともかくあまりに有り触れた事件だ)。そして父が殺される直前政府と癒着し「なにごとか」をしていたらしいことはほとんど知らされずに世間から忘れ去られそして遺族の自分たちがどう過ごしていったかも今はどうでもいい。特務司書として本を守るために戦うと決めたのは本気だった。
ただ。この図書館に政府が関わる。決意とそれが無関係でないとはいえなかった。それは父の殺され方は怨恨に見せかけたプロのそれだと聞いてしまった子どもの頃からの蟠り。だから自分はその日が来るまでは文豪たちに誠実でありたいと願う。夢に見ている。
「あー……そろそろ部屋ぁ戻るか」
黙り込んだ司書の横で啄木がその辺りの石に煙草の先を押しつける。そして携帯灰皿にそれを放ると立ち上がって背伸びした。それを見上げていると啄木は蜜色の目で見下ろした。星と月の中で一等輝いている。きょとんとした顔で上着を羽織り直した。
「なにしてんだよ。司書。戻るっつってるだろ」
「あぁはい。おやすみなs」
「ゲーム付き合えよ。俺様は冷えたから戻るつっただけだ。今時の訳わかんねー単語とかもあるから教えろ」
いって司書の手首を引っ張る。上着が落ちそうになり慌ててそれを押さえる。そして立ち上がらせられた。混乱する。将に化かされている気持ちだ。手首を掴まれたままさっさと先導する啄木。突っかけだから転びそうだ。足元に気を付けながらそれでも困惑の色が途絶えない司書に啄木はろくに振り返らずにいう。
「俺様は男だから柔らかい身体でお前に優しい夢は見せてやれねぇ」
裏口から館内に入る前に司書の尻を軽く叩く。土埃が払われた。そのままついていく司書に彼は更にいう。
「それに俺様はお前の父親でもねぇ。代わりにはなれない」
「――」
「だから。上着を貸してくれたお前に俺様が精々してやれるのは夢も見ないぐらい疲れさせてやることだ」
そういって自室の方へと啄木は引っ張る。司書は目を細めた。
大事な人を大切にできない性分だといっていた。実際そうだったと歴史がいっている。きっとこれも大切にはしていない行動なのだろう。大切にするならばやんわりと寝かしつけるものなのだろう。家族はそうしていた。そうしてくれていた。けれど。
「……次の研究のためにも英気を養わなきゃいけない時期なんですけど」
「今のお前が本気で休むなら疲れ切って昏睡ぐらいが丁度良いだろ」
いって自室の鍵を取り出す啄木。彼の自室の前で司書は述懐した。夢すら見せてくれないこの人の気遣いが心地良いと。
赤いメッシュの金髪の少年。その背中を見て声を掛ける。
「石川くん。司書さんを知らないかい」
「んおっ高村か」
司書室にて。出入り自由だが啄木がいるのはなんとなく珍しかった。珍しいのは彼が常に借金取りに追われているためだろう。しかし今は返済を滞納されている借金よりも重要なことがあった。司書がいないのだ。
犀星が窓から見ても鍵のかかった私室には誰もおらず司書室で仕事をしている訳でもない。かと思えば今。啄木がいる。常にないことは疑え。推理小説の常道だ。彼の手元を見る。
ここの司書は研究熱心のために司書室は完全にただの研究室で私室は別に与えられている。それでも仮眠のための司書専用のビーズクッションの枕が置いてあった。啄木が手にしていたのはそれだった。特に転売もできない家具屋で2~3千円で売られているようなもの。それを見て高村は安堵する。
「……石川くん。別に匿わなくてもいいんだよ。司書さんがこの頃体調を崩し気味なのは皆知っていることだし。見たところベッドを占領されたね」
「あいつ本当に爆睡しやがって……でも睡眠の質が悪けりゃいつまでも寝てるだろうから隙を見て交換しようと思って。佐藤にはいっといてくれ」
「わかったよ。珍しく石川くんが善行を施したって伝えておく」
口に出したのは了承の返事のみだ。「じゃっ」と借金取りから逃げる俊足で枕を片手に去る。悪事を働いた訳でもないのにこそこそとしているのは気恥ずかしさからか。
あるいは自室の寝台にうら若い青年が眠っているのが落ち着かないのか。
「女性しか喰わない質の石川くんには夢みたいな話か。そんなのは」
自分の思考を笑って否定しながら弟子とともに司書を捜していた佐藤のデバイスに連絡を取ることにした。
夢すら見せてくれない人
了