2:昔エイプリルフールに偽の内容の記事を見つけろというものがありまして
3:フレンチキスと相変わらず巻き込まれている司書
お題は「リライト」(閉鎖されたようです)より。
夜這い
枕を片手に彼はその部屋を訪ねた。
既に常夜灯以外の明かりは落とされている。それは承知の上だ。寧ろそうでないと困る。足音を忍ばせ、寝息を立てている男の寝台へと近寄る。長身で体格の厚い彼の被る蒲団は相応に小山を作っていた。そっと顔を覗き込む。果たして夜這い相手はよく眠っているようだった――オールバックの髪が額に落ちかかっていた。それを見て喉を鳴らしながらそっと蒲団を剥ぐ。寝間着だ。常夜灯程度の明かりでも彼の体つきがわかった。これからすることを考えるとそれはどぎつい酒の香りのように思えた。嗅いだだけでくらくらする――枕は床に落として寝台に乗った。唾を飲み込みながら寝間着の合わせ目に手を這わせる。筋肉に触れた。熱い体温が融けるようだ。
「……君に欲求不満を抱かせていたかな」
低い声は刹那。花袋の腕を捕らえた森から漏れた。花袋は失敗を悟った。彼は腕を振り解けずに唸る。
「偶には俺が襲ったっていいじゃないですか。そう思って」
「成る程。かわいらしいことを考えたものだ――だが花袋くん」
「うわっ」
腕を掴まれたまま引っ繰り返される。形勢逆転。寝台に転がったのは花袋の方だった。着崩れた寝間着で森は常夜灯の下、夜中の訪問者に小さく笑う。
「返り討ちという言葉は知っているか」
「陳腐なほど!」
花袋の憎まれ口に森はただ笑うばかりで彼の腰に手を添えた。既に森の体に欲情していた体は熱を帯びはじめており、それに気付いた森は年少の恋人の口を塞いで呼ばいに答えるのだった。
頬をくっつける
藤村が花袋の読んでいた新聞を頬をくっつけて覗き込んだ。
「どの記事のこと」
「この記事だよ。書いた記者はなにを考えてるんだろうな」
「なにも考えてないんじゃない」
自然主義らしい悪態を彼らが吐くのを森は見た。その日の朝刊を司書が持ち込んだときのことだ。
「……」
「どうしました。森先生」
「ああ……あの2人は仲が良いなと」
「自然主義の2人が親友なのは俺より先生の方が年代が近いしご存知でしょう」
前日の夕刊をしまう司書に森は曖昧に肯いた。言いたいことはそこではない。しかし司書は取り合わないだろう。存外に冷めているこの青年司書に密かに嘆息していると紙がこすれる音がした。振り返る間もなく花袋が新聞を持ってそこに立っていた。驚く森に花袋は半分に折り畳んだ新聞を片手に懐に飛び込んで頬をくっつけて報告してくる。
「森先生、見てくださいよ。この記事」
「……どうしたのだね」
「誤字がひどいんですよ! なんですか『他人名妓』って! 芸子を他人が買うのか!」
「たしかに頭の悪い誤字だな」
すると司書は首を傾げながらいった。
「そういうのって新聞社に連絡すれば金一封をもらえるんじゃないでしたっけ」
「よし俺様が電話しといてやろう。どこの新聞社だ」
「石川お前どこから出てきたんだよ!?」
金が絡むと聞いてどこからともなく飛び出てきた啄木に花袋が怒鳴る。しかし頬を森の懐に寄せたままだったので森は意図して顔を強張らせた。特に花袋に頬をすり寄せないように必死だったとは彼の名誉の為に敢えて明言しない方が良いかも知れない。
ディープキス
フレンチキスと呼ばれるものがある。これは英語圏での呼び方で意味するところは……大人がする口づけということにしておこう。これを「フレンチ」と呼ぶようになったのはイギリスとフランスの歴史に関わる。平たくいえば仲が悪くフランスでも「アングレース(イギリス)」と名がつくものは大体同じ意味だ。目くそ鼻くその争いである。
なぜそんな話を思い出したかといわれれば答えは簡単。目の前でディープキスをかまされているからだ。森が花袋を捕まえて――両の手首をしかりと掴んで逃さない構えだ――舌を吸い尽くす濃厚なものだ。見たくて見ている訳ではない。偶々本棚の影から目撃してしまって逃げられないのだ。かなしいかな日常茶飯である。
振り返ると少し前。今日も今日とて司書の仕事――ひと言でいえばメインは本の整理――をしていたら口論の声。別段、口論自体は珍しくはない。論戦が発展して喧嘩になるのは日常だ。無論、館内での騒動は御法度。見つけ次第やるなら庭でやれと放り出すことにしていた。この図書館の庭には椅子やテーブルがもうけられている。閑話休題、聞こえてくる声が珍しい2人だったからそっと様子を窺ったのだ――森と花袋だ。
花袋は討論を臆さない。誰に対してもそうで、それは尊敬する森に対しても変わらなかった。しかし大抵は森が花袋の意見を容れて終わる。だから応酬が続いているのが珍しかった。見れば買ってきたばかりと思しき原稿用紙が入った未開封の袋を小脇に抱えていたのでまたぞろ論文を書き意見を戦わせていたのかも知れない。それがいつになくヒートアップしているようだ。さて適当なところで2人を放り出さないと――司書が本をしまって角を曲がりかけたときだ。
「ふぐっ……」
「?」
花袋の声だと思う。彼の息が詰まる声がした。同時にモノが落ちる音がする。腹を立てた森に鼻でも摘まれたのだろうか。そんなあり得ない想像をして無防備に棚の影を覗いた。後悔した。床には原稿用紙の詰まった袋――花袋の口を塞いだのは森の口だった。これまた珍しいことに森の眉間は強く顰められていた――もしかして面倒になって口を塞いだのか。司書の想像を余所に2人は勝手に盛り上がる。森が花袋の舌を唇で挟むとしごくように舐る。かと思えば舌の裏側から柔らかく食んでいく。森の舌が花袋の舌に唾液を伴って絡み花袋の腰が砕けはじめた。森の手が腰に回ったところで空いた手が森を押し退ける。飴色の目は不機嫌そのものだ。
「……先生。都合が悪くなったからって口を塞いで逃げないでください」
「すまない。賢明に議論をしている君の唇が魅力的だった」
「そういう寒気がする言い方をしたってさっきの意見は取り下げませんよ」
「……まぁ君のそういうところが好きなんだがな」
なんでもいいからそろそろ動いていいかな。司書は両手に余る本の重さを感じながらいつ彼らに気付いてもらうか画策した。
了