2:文豪たちの部屋について捏造
3:休日の雨
お題は「リライト」(閉鎖されたようです)より。pixivより転載
すれ違いざまに
その時期、館内は慌ただしかった。新たに発見された有碍書や、それに関する研究論文の作成。主に館長がそれを手伝いさせられ時に司書が怒鳴っているのを職員という体裁を取っている文士たちも苦笑混じりに見守っていた。勿論、更には彼を手伝って。
そういうわけでも森と花袋が早足ですれ違ってしまったのは正岡には意外だった。花袋を見送ると正岡は資料を手に抱えたまま背後の森を見遣る。
「いいのか森さん。その荷物も俺が持てますよ。田山さんのことはいいんですか」
「ああ。花袋くんと話さないのかということか」
荷物をしっかりと抱えていた森はといえば正岡の言葉ではたと顔を上げた。それに正岡は訝しむ。ひょっとして、たった今すれ違ったことに気づきもしなかったのだろうか。しかしそれは杞憂だった。森は頭を振る。
「今は構わん。仕事があるしな」
「そうはいってもこのところ仕事で詰めっぱなしでしょう。少しは息抜きをしても司書は怒らないと思いますよ」
「そうだな」
気のない相槌だった。振り返る。森の腕は司書室へと運ぶ荷物が抱えられている。しかしその白手袋を嵌めた手にはいつの間にか小さく紙片が握られていた。ひょっとして先程すれ違ったときに渡されたものか。正岡はそれを見て目を瞬かせる。森は三日月のように薄く笑んだ。
「それでは俺と花袋くんは昼食のあと1時間ほどいなくなるが司書に話をつけておいてもらえるな」
「……1時間で済みますか」
苦笑いする正岡の言葉は彼にしては下卑た冗談だった。
ガラス越しの口付け
「職員」の部屋は図書館の一区画。1階と2階の双方に配置されていた。どちらの階になるかは本人の希望だったり適当に配置されてそのままだったり。中には2階に配置すると衝動的に窓から飛び出して怪我をしかねないという司書と館長の配慮だったりと様々だ。花袋の部屋が1階にあったのは2番目の理由だった。森と付き合いはじめる前後から花袋は2階にある森の部屋を来訪する側で本人は特に不自由を覚えていなかったのが最大だった。
それが急に2階の部屋に移りたいという。司書はボールペンを片手に目を瞬かせる。
「部屋は空いていますよ。お好きなところを選んでくれて構わないんですけどね。良ければ理由をお聞かせ願いませんか。なにか不都合でも」
「凄い勝手な都合なんだよ。でも2階に移動したい」
何となくこの時点で司書は嫌な予感をしていた。しかし話を促さずにはいられない。
曰く昨晩。部屋で読書をしていた花袋を訪ねる者があったという。但し来訪者は窓からだった。上げ下げ窓を押し上げる。果たして森はそこに立っていた。
「森先生。出掛けてらしたんですか」
「所用があってな。君が起きているか不安だったから庭から回らせてもらったんだが……今日の最後に君の顔が見られて良かった」
森はなにやら疲れている様子だった。コートを羽織っていた彼は嘆息して夜の闇の中に佇んでいた。窓を押し上げていた花袋は怪訝に彼の様子を窺った。
「先生。なんなら今から俺の部屋に来ますか」
「……いや。それには及ばない。明日も早いしな。夜分に悪かった」
言って森は花袋の部屋の窓を外側から閉めようとした。左右に開く窓ならともかくこれは上下に開閉するものなのでこれは危ない。どうやら森は疲れているらしいと確信した花袋。彼はふといつにない思いつきを実行することにした。
閉じられた窓ガラスを叩く。森が振り向いた。彼が見たのはガラス越しのいわゆる「キス待ち顔」の花袋だった。
「――ガラス越しのキスって駅の新幹線とかでやるものだと思ってました」
一部始終を聞いた司書が内心の「またか」という思いを伏せて問うと花袋は顔を赤くする。
「俺だって自分がなんであんなことをしたのかわかんないんだよ! だからいいたくなかったんだよあー恥ずかしい! 森先生には『やはり直でする方が良い』って即座に口直しを要求してくるし!」
「したんですか口直し」
「聞くな!」
「すいません」
自分でいったくせにとは司書はいわなかった。顔を覆って恥ずかしがる花袋に理不尽な怒りを向けられつつも司書は釈然としない。それと2階に移動したいという動機が今ひとつ噛み合わない気がした。しかし花袋は重ねていった。
「そしたらもう。1階の窓を見るとさ。自分のした行為がぶり返して全然読書も執筆も手がつかないんだよ! なぁ司書、俺の危機感はわかるよな!? 伝わるよな!?」
「伝わったしわかりましたけど」
「けど!?」
司書は溜息を吐いた。
「あほくさ」
「煩い!」
花袋の怒号が朝の司書室に響いた。
相合傘
便利な世の中になったと思う。懐に伝書鳩をしまっているような携帯電話は人を即座に呼び出せる。司書もその便利さを痛感しているらしく自分たち文士にも法人名義で携帯電話を与えていた。花袋の手にも携帯電話は握られている。彼が使うときは主に自然主義の面子と連絡を取りたいときだったが。
「花袋くん。待たせたな」
「先生。大丈夫です」
端末を手持ち無沙汰に眺めていた花袋に声を掛けた者がいる。私服の森だ。手には荷物とこうもり傘。彼は端末をポケットにしまった花袋に言う。
「俺も出先だったから傘は1本しかない。相合い傘になるぞ」
「構いませんよ。ただ俺の荷物は本なんで荷物を最優先でお願いします」
「言うまでもないな」
2人の現在の勤務先を考えると当たり前のことだった。
花袋が天気予報を見るのを忘れて出掛けた報いを受けたのは30分程前のことだ。目当ての本を多めに買い込んでしまったのも不幸。濡れて帰ることもできない――さてどうしようと取りだしたのは端末だった。現代に生を受けてからの習慣として何となく見たに過ぎなかったが結果としてそれが彼を救った。LINEグループに森が入っていたのだ。
『先生』
『なんだ』
『本屋で雨に降られています。助けてください』
『どこの本屋だ』
『肥ノ國屋です』
『わかった。直ぐ行く』
「はは」
「どうした」
森が怪訝そうに見下ろす。雨の中、森の声が傘の内で広がった。花袋はいった。
「今の状況が不思議だなぁと」
図書館への途次。雨は僅かに小降りになってきたか。後生大事に本を抱えたままの花袋はそれでも今の状況が面白かった。見下ろす森に彼はいう。
「だってこの端末のお陰で森先生のことを顎で使ったんですよ。尊敬する先生のことを! 先生も自然に助けを求められるままに本屋にまで来てくれましたし」
「む……助けてくれといったのは君だろう」
「その通りです。有り難う御座います。だからおかしくって」
そういって笑う花袋の声も傘の中で反響した。手さえ塞がっていなかったらこの隣の青年の口を塞ぐのだが――相合い傘で歩きながら森は考えるのだった。
了