2:帰ってきた酔っ払い
3:森先生が怒るとき
お題は「リライト」(閉鎖されたようです)より。pixivより転載
怪我の手当て
いつもは手当てをする側だ。だから手当てをされるのは新鮮だった。
「こりゃひどいですね先生。他に痛いところはありますか」
「大丈夫だ。あとは手当てを頼む。……痛いな」
その日の医務室では珍しいものが見られた。傷だらけの森の姿だ。それを手当てしていたのは花袋だった。花袋が手当てしたのは偶々だ。偶々、森が職員寮の階段の1番上から転がり落ちるのを目撃したのが花袋だったのだ。
「あれは驚きましたよ。何でなにもないのに落ちたんですか」
「それが床が濡れていたんだ。もう乾いているかも知れんが」
いわれてふと花袋は苦い顔でいう。
「……そういえば中原が酔っ払って酒瓶を持って歩いてましたけど」
「あいつに2階を歩かせるな。……痛い」
唸る森だったが傷の痛みに顔を顰める。まずは腕の手当てからはじめた花袋はこのことはあとで司書に報告しようと内心で決めた。そしていう。
「酔漢の文豪は1階の部屋に配置したって司書が言ってましたけどね。若山だってあいつは比較的まともだけど1階組ですし」
「大方喧嘩でも売りに行ったんだろう。……そういえば太宰くんも1階組ではなかったか」
「あー自殺者組も1階のはずです。うっかり窓から落ちられると困るって」
「次からは司書にアルケミストの力でこういう事態を防ぐように頼むしかないな」
「無茶ぶりにも程がある気がしますけどね。次、左腕を診せてください」
いわれるがまま右腕を引っ込めて左腕を差し出す。右腕を庇った分、左腕の擦り傷が目立った。針のない注射器を水鉄砲にして傷を洗う。いっそ舐めて消毒を済ませたい衝動に駆られたがそれを必死で堪えた。絆創膏を貼っていくとふと森が見下ろしているのに気付く。首を傾げると森は頭を振った。
「なんでもない。ただ、君に手当てをされるのは新鮮でいいな。と」
「新鮮ですか」
「一身に君に尽くしてもらっているようで気持ちが良いと言ったらどうする」
「……いい趣味ですね」
いいながら絆創膏を傷口に強く貼り付けた。けれど内心では実際尽くしているような気持ちだったから救いようがないと花袋は自分自身に溜息を吐いた。
思い切り泣き叫ぶ
アルコールハラスメントという概念がある。明確な言葉が生まれたのは現代日本においてだ。古くは仏教から既に存在した――地獄には叫喚地獄という酔っ払いへの呵責がある。あまりの呵責に耐えきれずに泣き叫ぶから叫喚地獄というらしい。
「おら俺の酒が飲めねーのかゴルァァァ!」
「ひいいすいません! 佐藤先生助けてええ」
「なるほど。叫喚地獄だね」
「うん。違うと思うぞ龍」
その日の宴会も地獄絵図だった。酒を飲む者飲まれる者。酒を強要する者される者。泣きつく者に泣きつかれる者。司書はといえば早々に隅でソフトドリンクを片手につまみを食べる作業に没頭していた。完全に気配を消している。気配を消し損ねた下戸は悲惨で絡み酒に絡まれる運命を辿っていた。
森もまた例外ではなかったのだ。
「……花袋くん」
「なーんですか」
「その。重いのだが」
「誰がでぶですか! 誰が!」
「誰も太っているとはいっていないだろう」
「じゃあ寄っかかってもいいですよねー」
言って花袋は寄り可かるを通り越して森の膝に凭れる。突き刺さる周囲の視線を感じながら森は困っていた。この我が儘坊主をどうしてくれよう。烏龍茶を片手に呻いた。常ならば花袋はここまでくだを巻くことはない。節度を守って飲酒するしそもそも普段は友人と飲んでいた。しかし今日の飲み会は直前まで有碍書に潜っており疲労が溜まっていた。しかもそのうち花袋は何度も突入を重ねていたと聞く。数少ない弓兵でその上熟練した腕を持つ花袋は前線から外しがたかった。そのため結果として現在、疲れ切った体にアルコールが早く周り悪酔いするという結果に至っていた。他の職員の頭越しに司書を睨む。しかし彼はトンカツの巻き寿司を食べるのに没頭していた。その間にも花袋は機嫌が良さそうに膝の上で転がっている。手慰みにワタスゲの頭を撫でてやればその手を掴まれた。振り払おうとするが離れない。
「こら。放しなさい」
「いやです」
「……いい加減にしたまえ」
「いやです」
「花袋くん。――」
溜息混じりに強く手を振り払おうとして――ぎょっとした。膝の上の花袋は森の手を掴んだまま目を潤ませているのだ。狼狽える森に花袋はいう。
「……いやですっていってるのに…………森先生はオレのことを捨てるんだー! あんなに弄んでおいてー!!」
「ちょっと待て、花袋くん! 落ち着きたまえ花袋くん!!」
泣き叫びはじめた花袋に森が慌てる。更に突き刺さる視線は先程までの比ではない。身も世もなく泣く花袋をどうにか宥めようとしていると、不意に人影が降りる。
鶏皮の焼き鳥を咥えた司書が肩を叩いた。
「先生。明日お休みあげますから花袋先生をねかしつけてあげてください」
「おい」
「森くん。お願いしますね」
「夏目殿まで」
「慕われるって大変なんだなぁ」
「正岡殿。他人事か」
「……頑張ってください」
「佐藤くん。……君の労りが身に沁みる」
言って花袋の体を担ぎ上げる。腕が勝手に首に巻き付いてきた。嗚咽が漏れるのを耳にした。背を叩いてやりながら森はいった。
「それでは悪い。このきかん坊を寝かしつけてくる」
「おやすみなさーい」
司書は見送った。
――「昨夜の飲み会はどうしたんだっけ」と花袋が寝ぼけ眼で友人に聞くのは朝日の中のことだった。
ビンタ
司書室とは別に寝るだけの寝室がここの司書には宛がわれている。文豪たちの寮と同じ棟にあるそれは手狭で将に寝るだけの部屋だ。しかし本来は司書室が兼用の私室に相当するのでこれは破格の待遇だった。偏に司書室に研究資料が溢れかえったせいなのだが。閑話休題、なので夜中に文豪が司書を訪ねるときはこちらの寝室の方だ。この日の夜も机に向かっていた司書を呼び出したのは花袋だった。
「はいはい。どうしまし……どうしました!?」
「とりあえず入れてくんねぇ? ちょっと寒い」
司書が見たのは左頬を赤く腫らした花袋の姿だった。
部屋に入った花袋は冷凍庫の中に入っていた渡されたアイスノンを頬に当てながらいう。
「森先生と喧嘩しちまって」
「はあ。ひょっとして今日の戦闘のことでですか」
こういうときのために司書の寝室には余分に湯飲みが置かれている。冷蔵庫から取りだしたペットボトルの茶を淹れてやると花袋は文句も言わずアイスノンを外してそれに口をつけた。
司書が苦く思い出したのはこの日の花袋と森らによる戦闘だ。あろうことか撤退の見極めを誤ったのだ。花袋は見た目よりも深傷だった。森が庇って戦ってくれなければ今こうして花袋と話せなかっただろう。特務司書は今の彼らの命を預かる司令官なのだ。帰ってきた花袋に謝ろうとしたところ、先に怒鳴ったのは森だった。
『なぜ傷を隠した』
「……森先生はまだ怒ってたよ」
「俺だって怒ってますよ。俺悪くないじゃん! 見落としてないじゃん! って」
「だってあれぐらいならいけると思ったんだよー」
ダメージを故意に隠蔽したのは花袋自身だった。唇を尖らせる花袋に司書は溜息を吐く。
「それを決めるのは今は俺です。実際、それで森先生は怒っていたんでしょうが」
「おう……」
「もしかしてさっきの『あれぐらいならいけると思った』って台詞を森に言ったんじゃないでしょうね」
「よくわかったな。それをいったらビンタ喰らった」
「……」
嘆息しか漏れない。今頃、暗い部屋で
ひとり自分よりも余程に混迷の中を彷徨っているだろう森を思うと哀れでならなかった。そして花袋の肩を叩いた。
「花袋先生。あなたは森先生に、今ほっぺに感じている痛みの比じゃないぐらいに大切に想われていること。それだけはお願いだからわかってくださいよ」
「お。おう」
「……お願いしますよ」
頼りない反応にまた溜息を吐きたくなった。ここまでくると愛されていることに自信がないという言葉では済まなかった。そして明日には森も元気になってくれればいいと願った。
了