2:死ネタ、夢オチ
3:※体格差は考えないものとする
お題は「リライト」(閉鎖されたようです)より。pixivからの転載
病気の看病
以前、文豪の体を乗っ取るという形の浸蝕者が出た。今回の浸蝕者もその亜種のようだ。
「38度5分」
「まぁまぁ高いですね」
「あの……これがオレら文士に罹るやつなら森先生も危ないんじゃねーの」
どうやら抵抗力が弱っているらしい。以前体を乗っ取られた張本人の花袋は今回も真っ先に罹患した。医務室、司書と森が話し合っていると寝台の上で心配そうに森を見上げる。アルケミストという特殊な能力を持っていても文豪たちとは体の構造が違うために罹患する心配は要らない。ゆえに森を心配するのは当然だった。それに司書は頭を振り森がいう。
「大丈夫だそうだ。今回は政府が事前に予防注射を用意してきた。……花袋くんは罹るのが少し早すぎたな。先程治療薬を君に打ったから直に快復するだろう」
「それならよかった」
「できれば花袋先生に罹る前に薬が欲しかったですけどね」
「罹ったものは仕方あるまい。あなたも仕事に戻りたまえ。花袋くんの看病は俺が診る」
「よろしくお願いしますね。花袋先生もお大事に」
いって司書は医務室を辞した。あとには花袋と森が2人だけだ。花袋はふと尋ねた。そういえばここにはバイトがいたはずだ。
「そういえば啄木は」
「『馬に蹴られたくない』などといって今日は司書の仕事の手伝いをするといっていたぞ。何の話だろうな」
「はは」
啄木らしい捨て台詞に笑いがこみ上げたが次第に息が苦しくなってくる。熱にうかされているのだ。森は花袋の額に氷嚢を乗せ直すと「大人しく寝ていなさい」と低い声で宥める。優しい声だ。そういえば自分は前にもこんな状況でこんな声を聞いた気がした。
戦争のときだ。
「辛いなら眠ってしまいなさい」
声が振ってくる。森の声だ。落ち着いた、深みのある声だ。返事をしたいが喉が腫れてきてうまくできない。胸が喘鳴を起こすのを聞きながら、僅かな視界で森が微笑むのを見た。
「大丈夫。俺はここにいる」
返事はできなかった。
「思ったより重症だな」
「今の体だと熱を出し慣れていないせいもあるんじゃないですかね」
花袋が寝付いた後。仕事が一段落した司書が訪ねてきたのでこの度の病気について話し合う。高熱とまではいかずとも症状は立派に風邪のそれだ。悩む森に司書はいった。
「何にせよ対策は体を強くすることです。浸蝕者と戦うためにも、あなたに不安を抱かせないためにもね」
最期を看取る
喉をさする。以前の最期は喉をやられたことによるものだった。今はのどは無事だ。無事でないのはのど以外だ。今度の死因は「戦死」だろう。もっとも他の仲間たちが次々とやられていくのが見えたから司書にその報告が届くだろうか。
「かたいくん」
掠れた声がした。目だけをそちらに向ける。顔も動かせなかった。見れば森が血まみれで這いずってきていた。前髪は崩れ顔には彼我の知れぬ血がついている。軍服は言わずもがなだ。それがやけに痛ましい。あの穢れを許さない真っ白さに自分は処女性でも見出していたのだろうか。彼岸に近い思考は空転していた。ひとまずできたのは名を呼ぶことだ。声帯は無事だから。自然と笑みがこぼれた。
「森先生」
「……笑っている場合ではないだろう。起きたまえ。帰るぞ。他の皆も今起こす」
「先生は医者でしょう。助からない傷は見ればわかるでしょうに」
「帰るんだ」
子どもの駄々のようだ。顔を伏せる森の言葉が愛しく感じられる。今は遠くに聞こえる司書の言葉もきっとこんな風に痛切なのだろう。優しい人たちに戦場は向かない。いつだってそうだ。
「先生に直接お逢いしたときもオレは死にかけてましたね。あのときも先生がオレの最期を看取るかも知れなかった。今その採算が取れるんじゃないでしょうか」
「なにを言っている」
「先生は悪くないって話です」
微笑んでいう。森は泣きそうな顔をしていた。はじめて見る顔だった。それに胸が痛んだけれど、更に泣かせるだろうこともいわなければならなかった。
「先生。次の『オレ』とも仲良くしてやってくださいね」
「――」
体が砕けた。あとには墨で染まった1冊の本が地面に横たわっていた。それに恐る恐ると手を伸ばし、森は膝を突いて抱きしめた。
「――ちょっとちょっと森先生。眠いんですけど何事ですか」
田山花袋の部屋。机に温泉地のガイドブックが置きっぱなしのそこで夜分の客が部屋の主を抱きしめていた。花袋は寝癖のついた頭で来訪者を宥める。しかし客人は放さない。
「すまないがもう少し抱きしめさせてくれ」
「構いませんが……これからはせめて夜が明けてからにしてくださいよ」
次回があっても許すと暗に示したがこれに森は答えなかった。次がないことを森は求めていた。あのように洋墨の臭いが鼻孔を突くあまりにリアルな夢を見たくはなかった。
舐める
「痛い」
呟くと膝の上の恋人は顔を上げた。
「どうしました。先生」
「……本で指を切った」
「新刊ですからね。それ」
森が花袋を膝に乗せながら読んでいた本は先日彼と共に出掛けた際に買ったばかりのものだ。最近の紙は質がよい。司書の仕事の手伝いなどをしているとコピーを取った紙の滑らかさに驚かされる。科学技術の日進月歩を肌身で感じるのはこういうときだ。森が将にその最新を痛覚で味わっていると花袋が「手を貸してください」と手で差し招いた。促されるまま、血の玉が掴んできた方の手をやる。
その手を取られ、指をくわえられた。
目を瞬いている間に指が解放される。事もなげに花袋はいった。
「はい。終わりましたよ」
なにが、と聞く間もなく花袋は膝の傍に置いていた温泉地のパンフレットを手に取った。指先の生暖かい感触が医者としての彼の思考を麻痺させた。
了