引き攣った顔で自身を連れてきたのは嘗ての己の師だという。随分精悍な青年になったものだ。しかも最低限自身が無事であることを確かめると「あとは司書に任せる」といって立ち去ってしまうところまでそのままだ。あるいは霞がかった記憶の中にある彼の姿というべきか。鏡の前で自身の姿を改める。幼くなったが華やかで中々に気に入った。意気揚々と扉を開いた。
すると書生服の青年がそこで諸手を広げて立っていた。喜色満面。隣には先程立ち去っていったはずの師が視線を逸らしている。目の前の青年はあまりに嬉しそうだ。ファンか。ならば名乗ってやろう。ポーズを決めた。
「俺は太宰治! この世に彗星の如く現れた天才小説家だ!」
「いらっしゃいませ!! あなたが実装されている文豪の最後の方ですよ!」
「へ」
「そういう訳だ。太宰。今すぐレベリングだ。お願いします夏目先生」
「それでは第1会派『妖怪素材置いてけ』行きますよ。太宰くん」
「いろいろいう前に会派名にもの申したい!! ああーー……」
かくして図書館No.******。ここも無事に現行実装すべての文豪の「捕獲」に成功したのである。
机に向かう太宰。よたよたと歩み寄る司書に彼は万年筆を振るった。口振りの割にはひどく機嫌が良さそうだ。
「ひどい出迎え方もあったもんだな。司書」
「実際うちの出足は遅かったんです。戦力を鍛えるのが急務でしたから。はい。便せん500枚と封筒40枚」
言うが早いか。太宰の机の脇には文箱が置かれる。机は洋机。隣には抽斗を置いてある。それらの上に立派な作りの文箱とその中に帝國図書館謹製の便せんが載る。封筒は抽斗の中に放り込まれた。それが締まる音と共に椅子を繰る。
「話がわかる司書で嬉しいな! さすが俺のファン!」
「光栄です」
大仰に胸に手を当ててみせる。古屋敷の執事めいた仕種は奇妙に堂に入っていた。
――元より太宰治は贔屓していた。大学以前からのことだ。ゆえにこの日の危機的状況と彼に会える日を密かに心待ちにし彼のためになる1番の便宜を考えていた。そして迎えた今日。手紙のシステムを伝えた上で夜分。密かに引っ越しの荷物に紛らわせこの紙を運び込んだのだった。
その便せんを肘置きにし司書は微笑む。
「内緒ですよ。便せんじゃなくても原稿用紙代わりに使ってもいい。とにかく思いの丈を綴るのに使ってください」
「いいのか」
くるりと目を瞠る。リンゴの蜜色の目だ。そう思いながらいつか食べた甘い果実の味を思い出す。母の実家から送られたリンゴの味だ。
「そのためにご用意したんです。そう使ってくれた方が俺も気が済むってもんですよ」
「お前もよくそこまで俺に貢いでくれるなぁ。あれか。白樺派なんかと一緒か」
「だって手紙って100枚や200枚ぐらい平気で消費しませんか。これぐらい文筆家への普通の奉仕でしょう」
途端目がこぼれ落ちた。嘘だ。まん丸になったのは口だ。ぽかんとした太宰に司書は身振り手振りを交えて怪訝に答える。
「だってそうでしょう。俺は今はもう誰にも手紙を書きませんけどね。父を亡くした頃だったかな……そうそう好きな子にだ。好きな女の子へのラブレタァを1日1枚書いていましたよ。300枚ぐらいすぐになくなります」
「1日1枚」
「下駄箱に1枚入れていました。返事は来ませんでしたが。目も合わせてくれませんでした」
「それをどれぐらい続けてたんだ」
「毎日ですよ」
「毎日って」
「2年ぐらいですね」
「2年……」
「その子が親の都合で転校していなくなっちゃうまでですね」
思い出しながら顎に手を添える。そういえば参観日のときにその子の母親に鞄からラブレタァを出されたときは驚いたっけ。でもその子はその場にいなかったし結局どうもこうもしなかった。
「ひたすらその子を見かけるとときめいてその子の机の中やロッカーの中に手紙を忍ばせていたんです。偶にはランドセルの中に。その子はひと言も返してくれなかったしひと目も合わせてくれなかった」
「お前も一途な奴だなぁ」
「そうですかね」
いわれて首を傾げる。
今にして思えば一途といわれると何かが違う気がした。あの子のどこがよかったといわれれば答えられない。かわいかったといわれれば頷ける気もしたがただそれだけのよかった気もする。ただそれだけでもあの頃は彼女を見るだけで毎日ときめいて手紙を書いていた。2年の間に1日1枚。会う度に1枚手紙を書いていた。
「それでその子が進級を機にいなくなったって知って。それきりです。俺もそれきり。……家でのばたばたも落ち着いて図書室に通うようになりましたね」
「おい」
「なんでしょう」
「オチはないのかよ」
見上げれば太宰は配給されたばかりの万年筆を折らんばかりに握りしめている。椅子からずり落ちそうになってこちらを見ていた。心底驚いたといわんばかりだ。司書も内心あの文豪をここまで仰天させるとは中々の偉業ではないか。思わず感心しそうになったが自身は答えた。
「ありませんって。だって俺はその子に答えが欲しくて手紙を書いていたんですもん。好きですって」
「一緒のお布団で寝て欲しいってか」
「『はい。そうですか』」
下卑た答えと司書の答え。今度こそ相手は万年筆にひびを入れた。
「は!?」
「それだけでよかったんです。確認だけしてもらえれば」
「お前っ……そんな事務か! 事務作業か! 恋愛が!」
至極真っ当だと司書は感じた。彼の答えは至極真っ当だ。恐らく自身が異常なのだと彼は気付いてしまった。
その異常は恐らく。この目の前の赤毛の文豪が嘗ての彼の師に4mや10mの長きに渡り送った「異常」と同質のものだとふと気付いてしまった。
しかしその動揺はすべてひとまず瞼の奥におさめておいて司書は笑った。
「そんなものですよ。俺にとっては。降ってわいたばけものみたいなもんです」
「どんなばけものだよ」
「具体的に描写しましょうか。見るも哀れ触るも哀れ食欲も何もかもが失せるばけものですよ。それは」
「そういやその好きな子ってどんな子だったんだ」
「死んだ父と似ていましたよ。だから好きになったんですよ。あの子は可哀想」
思い出したように微笑む。その司書の笑みは死体の笑みだった。
了
pixivからの転載。太宰来ました。