相討ち
太宰は思い知った。生前書いた作品で、森について触れたことがある。そのときはまだ、「まさか」という思いもあった。しかし事実だった。
彼は拳を振るうことを厭わない。
「ちょっ……花袋先生!? 森先生ー!?」
司書が叫ぶ。丁度彼が見たのは、森と花袋のクロスカウンター――互いのパンチが互いの頬に届いた瞬間だ。司書が割って入るのを太宰は見た。花袋は怒鳴る。
「止めるな司書! オレは怒ってるんだ!」
「俺もまだ足りん」
「2人とも落ち着いて! 太宰先生、見てたら止めてくださいよ!」
水を向けられた太宰は狼狽えた。
「だって俺が口を挟める喧嘩じゃなかったし」
「何ですって」
「だって夜の話だったもん。上か下かの話から発展してたし」
「アダムとリリスか!」
司書が怒鳴った。2人はまだ睨み合っている。
ボコボコにする
私書はいい加減呆れていた。そして疲れていた。
「それで。今日はどんな痴話喧嘩ですか」
花袋の頬の手当てをしてやりながら問う。向こうでは啄木が森の手当てをしていた。
この間も上か下かでで揉め、それで殴り合いの喧嘩になっていたのだから、今日はどんな下らない喧嘩か。司書が問うと「痴話喧嘩じゃない」と答えた。ガーゼを貼る。
「ただ小説を書くときに万年筆の代わりにボールペンはありかなしかについて論じてたらいつのまにか喧嘩に」
「よ……予想外に真面目な議題でしたが、それでなんでお互いにボコボコにしちゃうんですか!」
司書が叫んだ。森は顔を背けた際に、啄木が貼ろうとした絆創膏がずれた。
血に塗れる(絶筆ネタ)
たとえば、唇の色だって血の色だったから、自分たちの血だって赤いに決まっている。そう信じていた。
「花袋くん」
掠れそうな声。呼び声が声帯を震わせたのも奇跡だ。空は相変わらず曇天で覆われている。文字がびっしりと空に浮かんでいた。いつもの有碍書の空だった。いつも通りではないのは、今潜書したのが花袋と自身の2人だけで――その花袋が自身を庇って、腹に銃弾を喰らったことだ。
地面に伏した花袋は青黒い血を吐く。腹から血を――これは血か? これも青黒い。手で血に触れた。それはインクの匂いがした。手袋が青黒く染まった。
「先生」
敵はすでにいない。花袋が庇ってくれたお陰で、相手に隙が生じた。刃で屠ったのち、森は花袋の前で座り込んでいた。呼ばれて顔を上げる。花袋は黙っていた。
「次は油断しちゃだめですよ」
そして青黒い血を再び吐いた。そのまま、目を瞑る。
「――」
名を呼んだ。
「いやぁ、今度こそ死んだかと思った」
医務室の寝台で花袋は頭を掻く。森は項垂れていた。司書は溜息を吐く。
「賢者の石が発動してくれてよかったですよ」
「……今度から今日のようなことが起きないよう努めてくれ」
森が嘆息混じりにいった。
寝首を掻く
音を忍ばせる。扉を開くと、寝台が見えた。堆い蒲団の丘。それを見て、花袋はほくそ笑む。日中、疲労するほど潜書をくり返していた。例の白い有碍書だ。三好や横光、菊池や小泉のうち誰かが欠員したときの補充戦力としてで、ひと息を吐く暇もなかった。それを花袋はしっかりと見ていた。
(よく眠ってるな)
静かな寝息だ。深く眠っている。花袋は寝台の傍に歩み寄る。寝間着の襟から太い首が覗いた。「得物」を手にし、笑みを深める。
夜が更けていた。
「やられた」
合同洗面所。そこで寝間着姿の森が鏡の前で首を改めていた。歯を磨いていた正岡が見咎める。
「どうしたんです」
「花袋くんに寝首をかかれた」
「……今、生きてるじゃないですか」
もしや傷跡でもついているのか。危惧した正岡の前で、森は手を外した。
そこにあったのは――赤いマジックのあと。日に焼けていないそこに、よく見ると文字が「書かれて」いた。そこで得心する。
「『書かれた』んですね。寝首を」
「このところ忙しかったからこんな悪戯を……あとで捕まえんと」
顔を洗い終えて手拭い片手に森が立ち去る。それを見送った正岡は、内心でこの事態をどう受け止めたものかわからなかった。
首には「花袋」と書かれていた。まるで自分のものに名前を書く子どものように。
「ごちそうさま」
まだ朝食も摂っていないのに、正岡は胸がいっぱいだった。
了