▼斜陽イベントで、太宰が春夫を「佐藤先生」ではなく「春夫先生」と呼んでたのが地味に衝撃だったのに関連して浮かんだネタです。
▼啄木って司書からは直接は金を借りようとしてない……ですよね 金になる仕事は回せっつってるけど あと四月馬鹿の事件もあったけど 金を欲しがるけど ゲーム以外での情報はしらない
▼文豪同士は公式で判明している以外はきほん年功序列で呼び方を定めてます 公式でわかっていても気付いてないこともあります(書き手が)そういうときは気づき次第次作から改めます……
お題は「晩霞」(http://www11.plala.or.jp/harutake/banka/banka_top.html)より。
pixivより転載
仕事の隙間。司書が談話室にいたのは、そこに置いてある壺を磨くためだった。数人が談笑している。その中で、ふと太宰が彼を振り返った。
「なぁ司書。なんでお前、俺たちのことは頑なに名字呼びなわけ」
唐突だった。太宰と話をしていた織田も、「急に何を言いだすん」と首を傾げている。壺を下ろそうとしていた手を止めた司書は、太宰に問い返す。
「そんなに名字だけで呼んでましたっけ」
「大体はな。ちらほらと下の名前で呼んでる奴はいるけど、そういうのって下の名前が印象的な奴だし」
「あー」
いわれて司書は肯く。考えてみれば、たとえば国木田は「独歩先生」、永井は「荷風先生」、田山は「花袋先生」と呼んでいる。下の名が名字よりも印象が強いと、ついそちらで呼んでいたらしい。司書は太宰の指摘は唐突ながらも的を射ていると感じた。一旦壺を床に下ろす。
「いわれてみればそうですね」
「だろ? 今ふと思ったんだけどさぁ、お前はそういうの以外だと1年経っても他人行儀だよなーって」
「他人じゃないですか」
「そういうところがよくないんだよ! お前はさ! もっと親愛度をだな」
「はぁ」
太宰が喚く。織田が「まぁまぁ」と宥めるのを眺めながら、司書は壺を拭く布を握る。無自覚だった。文豪たちを尊重している態度のつもりだったが、かえってよくなかっただろうか。ふと口元に手を添えて考え込んでいたとき、談話室に誰かが入ってくる気配がした。振り返らずに、さて壺を磨こうかと布を取り上げたとき――太宰の声が不意に止まった。そしていう。
「あっでもそういえば、石川さん。あんたのことは司書は『啄木さん』って下の名前且つさん付けで呼んでるよな」
「は? 何の話だよ」
入って来たのはどうやら啄木だったらしい――ぎくりと布を握りしめる。織田が手短に経緯を説明しているのが聞こえたが、司書にはあまり心に優しくなかった。そんな司書は狼狽えて取り繕う。
「しゅ、秋声先生なんかは最初からいたから特別に名前呼びしてますよ」
「でもさん付け呼びは石川さんだけじゃん」
「気のせいじゃないですか」
「ええー? 俺が安吾以外だと最後に来たからってそれはないと思ったけどなぁ」
「太宰クン、野暮やで野暮」
手を叩く音がした。唐突に織田の声が上がる。立ち上がる気配がした。渋る太宰の声。見ると、織田は太宰を立ち上がらせている。
「俺らかて名前の呼び方なんて適当やん。それより俺らが名前で呼んどる安吾を喚びにいかんと。そろそろ潜書の時間が終わる頃やろ、お司書はん」
「あ。はい。そうですね」
腕時計を見遣る。たしかにそろそろ、永井と泉が有魂書への潜書から帰ってくる時間だ。肯くと、太宰の腕を掴んだまま、織田はウィンクをしてみせる。
「ほな俺らは潜書に行ってきますわ。お司書はんは壺磨きもええけど適当に休まなあかんで~」
「はい……行ってらっしゃい」
太宰の声がする。「まだ司書から答えを聞いていない」と。しかしそれは段々と遠退いていった。それに安堵して壺を磨こうとすると、ふと陰が差す。
「……そういや、お前、最初から俺様のことそんな風に呼んでたな」
忘れていた。張本人がいたのに。気付けば背後から、本を携えた啄木が立っていた。啄木は大して大柄ではない。しかししゃがみ込んでいる司書には充分脅威だ。ゆるゆると振り返る司書は、気まずく笑う。
「そうでしたっけ」
「自分のことだろ。覚えてないのか」
「あなただって誰に金を借りたか覚えてますか」
「あー……メモメモ」
「ほら」
懐を探る啄木の顔は、指摘されて静かに慌てているようだった。それに苦笑しながら、司書はいう。
「お気に障りましたか」
「いや。それはない。ただすっごい自然すぎて気付かなかった。あれか? 他の奴が俺を啄木って呼んでたからか」
「……そうかも知れませんね」
「ご歓談のところ悪いが、石川くん。先日貸した金はどうしたのだね」
「それじゃあな司書!」
脱兎。戦闘中もこんなに速いのだろうか。瞬時に啄木の姿が消えた。今し方来たばかりの談話室から飛び出ていく彼をぽかんと見届ける。振り向くと、それまで弟子たちと歓談していた北原が歩み寄ってきていた。見上げていると、彼は小さく息を吐く。
「まったく。彼も君も世話が焼けるね」
「……はは」
見抜かれていたらしい。曖昧に笑って誤魔化した。
本当は本名で呼びたい。司書はそう願っている。それは豊かな才能と傲慢さの振れ幅に満ちた彼に惹かれているからだ。実のところ最初から啄木を名前で呼んでいたわけではない。気が付いたら惹かれていた。近付きたいと思った。だからひっそりと、名前だけでも近寄せた。その変化に気付かれないことに、安堵しながらも残念に思ったのは数ヶ月前の話だ。
出逢って1年経つのだ。北原は弟子たちから声を掛けられ、それに手を振りながらも司書にいう。
「頑張りたまえ。君からは直接は金を借りようとしない態度に一縷の望みを掛けるのだよ」
「……そうします」
そういわれればそうだった。
しかし、果たしてそれだけで望みになるだろうか――司書は肯くことしかできなかった。
了