▼「【文アル腐×糸色チルパラレル】帝國図書館幽霊騒動事件【司書啄他】」(https://syosetu.org/novel/107656/11.html)と微妙に繋がりがあったり
pixivからの転載
祖父は、自分がやって来ると人払いをした。管を通された体。老いた体に繋がれたそれが、心の臓を支えるためだと、自身は医者から説明を受けていた。受けていたからといっても、現実を受け止めきれる訳ではない。看護師と医者に招かれやって来た病室。呆然と見下ろしていると、鼻に管を通された祖父は笑っていた。
「そんな湿気た顔をするなよ」
「……陽気な顔ができるほど、今の俺は元気じゃないよ」
「なに。お前の祖父さんがあの世に逝くだけの話だ」
からりとした声音。思わず見ると、しかし祖父は穏やかに笑みを湛えていた。それだけでわかってしまう。ああ、この人は、この数日で覚悟を完了してしまった。自分はといえば、ベッドに縋り付き、祖父の骨張った手を握るばかりだ。
死なないで、とはいえなかった。医者に言われていた。もう心臓は保たない。人工心肺装置にも限度がある――年齢を考えれば、これが寿命なのだ。医者に言外に告げられた言葉はあまりに重い。それでも今、こうして自分と会話しようとすることにも苦労しているだろうことを考えると、一刻も早く解放してあげたいとも思ってしまう。自分の思考に脳が分裂する――そんな迷いを看取するように、祖父はいった。息が苦しそうだった。
「お前と■■さん――お前のお母さんを置いていくのは心苦しい。が、寿命なら仕方ない」
「祖父ちゃん」
「……僕がいなくなったあとは、事実上店のこともお前に任せることになる。入院しているお母さんのこともな」
「…………うん」
それは認めなくてはならない事実だった。ただでさえ、父が亡くなってからは親戚と社の幹部に経営権を奪われている。しかしお飾りでも、店主の家は我が家だった。父が死んで以来入院している母は紛れもなく自分の母親だった。――それが疎ましくても。
祖父は不意に顔を向ける。
「別にいやなら放り出してもいいんだぞ」
「えっ」
「店のことも、お母さんのことも、社を牛耳っている親戚にお鉢が回るだけの話だ」
口を噤む。祖父の言葉は、甘美な誘惑に聞こえた。ただでさえ高校生。これからの進路を考えなければならない。アルケミストとしての能力を買われ、ある研究機関にも声を掛けられている。店を継ぐことだけが至上命令だと思っていた自分に、それはそれは優しく語りかけてくる。
それでも、自身はゆっくりと首を振った。
「……ううん。店のことは今まで通り親戚に任せる。けど母さんのことは、正直重荷だけど……やっぱり……放っておけないよ」
「……損な気質は誰に似たんだろうな」
祖父は感慨深げに嘆息した。
そして、自身が握っていた手を握り返す。祖父の色の薄い目が、自分を映した。唐突に、自身は祖父に似ているといわれたことを思い出す。今、こうして相対している孫に、自分の若かりし頃を投影しているのか。祖父の目は少しだけ遠かった。それも束の間、祖父は声を低める。
「ヒノミヤを頼れ」
「ヒノミヤ……」
「人の名前だ。うちの店と取引のある財団の関係者だ。あの財団は店の重要顧客だ。あいつに頼れば、お前の立場もそう悪いものじゃなくなるだろう……癪な若造だけどな」
手を握り替えしたまま、祖父は言葉とは裏腹に苦笑する。自身は聞けなかった。そのヒノミヤとやら、財団とやらと祖父がどういう関係だったのか。けれど、と祖父の手を握った。
「わかった。祖父ちゃんの言葉だから、信じるよ」
すると、祖父は目を瞬き――そして、皺だらけの横顔が破顔した。
「そうか。お前は、そういってくれるんだな。有難う」
ピーーーーーーーーーー
心音が、停まった。
ベッドの脇。カーテンで囲われたそこ。啄木が目を向けると、傍らの椅子に腰掛けていた司書が雑誌を閉じた。
「あ。補修終わりましたか」
「……おぉ。俺様、寝てたか」
「割と熟睡してましたね。あんまり深く寝入ってるから熱でもあるんじゃないかと心配しましたが……寝てるときも測りましたけど、やっぱり、特にないですね」
雑誌を片手に額に手を添えてくる。その仕種はあまりに自然だった。病人を相手取るのに慣れた人間だった。それに、啄木は途惑う。
夢の中で、自身はこんな風に優しく触れた。見知らぬ祖父に対して。
ふと思い当たり、啄木は体を起こす。寝台の上で胡座を掻いた。
「なぁ。俺様が寝てるとき、お前、アルケミストの力を使ったりしたか」
すると司書は、ばつが悪そうにする。
「……実はちょっと。夢見が良くなりますようにーってヒュプノで。俺自身も今日は体調が良くなかったから、ひょっとして俺の記憶でも流れ込みましたか」
「……さぁな」
啄木は言い捨てて、司書とは反対側から寝台を降りる。
「ちょっと、会派筆頭だったんですからあとで報告に来てくださいよ」
と見送ろうとした司書は、しかし懐に手を突っ込んだ。デバイスが震えていた。着信。取りだし、表示された名前を見て司書は慌てて椅子から立ち上がった。ここは医務室だ。せめて廊下に出ないと。通話ボタンを押して電話に出ながら扉を潜った。
「もしもし、ヒノミヤさん。どうもお世話様です。――」
一心に扉に向かった司書は気付かなかった。まだ、啄木が森と差し向かいに椅子に座っていたことに。
補修の記録を取る森は沈黙を保っている。しかし啄木は口にせずにはいられなかった。
「……ヒノミヤって誰だよ」
「俺は知らんぞ」
ひとり言に返答される。見れば、森は書類に万年筆を走らせながら、墨色の目をちらりとこちらにやる。
「ただ、司書の周りで聞く個人名、あるいは団体名は『ヒノミヤ』だけだ。館長なら司書に元より縁があると聞いている。館長に聞けば何かしらわかるかも知れないな」
「先生は、聞いたことがあるんですか」
「個人情報だ」
ぴしゃりとシャッターが降りる。そんな言い切り文句だった。啄木が眉を顰めていると、森は万年筆を手にして蓋を閉めた。
「気になるなら本人に聞けばいい」
「でも今、先生自身が個人情報だって」
渋る啄木。それに万年筆でペン回しをしはじめた森は頭を振った。
「俺は司書に対して深入りするつもりはない。ただ、石川くん。君なら是非、深入りしてやるべきだと思う」
「えぇ……根拠は」
すると、森の口の端がわずかに釣り上がる。それが微笑みだと気付くのに数秒を要した。
「報告なんて他の者がすればいい。にも関わらず、わざわざ君が起きるまで待っていた――そのことを、少しだけでも深く考えてみるといい」
夢見が悪かった。昔の夢を見た。体調が優れないのはそのせいだろう。デバイス越しの声に別れを告げると、電源を押して、それから嘆息した。
そろそろ母の見舞いに行って、実家にも顔を出さなければ。あの人――「ヒノミヤ」がついてくれている。だから自分にも発言権は保障されている。それでも、億劫だった。
だから、啄木が羨ましかった。自分に正直な彼が。逃げ出したいときに逃げられる彼が。それでも人を惹きつけてやまない彼が。
羨望が恋情に変わったのはいつだろう。デバイスを懐にしまいながら再び息を吐く。気が付けばエントランスに出ていた。今は人はいない。誰かがいれば煙草でも勧めるところだったが。
「おい司書! 報告に来たぜ」
否。人はいた。振り返る。医務室からそのまま駆けつけてきたのだろう。元気な姿を見せていた。それに苦笑する。懐にデバイスと乱雑に仕舞われている煙草を手に取った。
「そうですか。なら司書室でお話しを受けましょう。それより煙草はどうです」
すると啄木は、不意に怪訝そうな顔をした。
「……いつも思うんだけどよ。お前自身は煙草を吸わないくせに、なんでいつも煙草を切らさないんだ」
「話し相手を釣るためですよ」
「成る程。よくわかった」
そういって煙草を1本、手に取る。そしてポケットをまさぐる啄木に、ライターを差し出した。顔が近い。
その横顔がいつまでも続けばいい。ライターの火が、煙草の先端を燃した。
了