pixivより転載
トルストイはバーの扉を荒く開けた。そして、カウンターで酒を飲んでいた人物を見て声を上げる。
「フェージャ! また潜書サボったね!」
彼は本日の司書の助手。司書に頼まれて、本日有碍書に潜書する予定だった文豪の捜索をしていた。彼の想定では賭場か酒場だろうと踏んで、実際こうして酒場にドストエフスキーはいたのだった。ドストエフスキーはグラスを片手にトルストイを軽く睨め付ける。
「あぁ? お前か……今日は酒を飲みたい気分だったんだよ」
「だーめ! 図書館に帰るよ! ほらお勘定!」
「お前が払ってくれんのか? ――って俺のポケットから財布を出すな! 当たり前のようにそこから金を出すな! 払うな!!」
「フェージャの飲み代なんだからフェージャの財布から支払うのが当たり前だよ」
「クソが!」
店を出ながら、財布を取り返したドストエフスキーはトルストイから早足で離れようとする。「どこに行くの」と腕を掴んだトルストイに、ドストエフスキーは煩げに言う。無理矢理手を振り払わないところは、図書館に来てから築いた友情だった。
「賭場に決まってんだろ。今日はやる気が出ないんだ」
「せめて図書館に1回は顔を出してよ」
「潜書しないなら図書館にいてもいなくても同じだろ」
「あぁもう、ああ言えばこういう……――いいかいフェージャ。今から怖い話をするよ」
トルストイが息を吐く。ドストエフスキーが見ると、彼は酷く顔を顰めていた。怖い顔のつもりのようだ。それに内心で苦笑していると、手を離した彼は話した。
「これは初期文豪の佐藤さんから聴いた話なんだけどね――」
あんたみたいな気性の奴には関係ないだろうが……司書の奴は怒らせちゃいけないぞ。少なくともウチの司書はな。あぁ、たぶん初見の印象だと温厚そうな奴だろ? 実際、あいつは優しい。おっとりしているな。結構我慢強くて、頼まれごとはだいたい断らない。そのせいであいつはひどい目に遭ったこともあるんだが……それは置いておく。とにかく、まぁ大人しい奴なんだ。
だから余計に怒らせちゃいけない。普段あいつに優しくしてもらえる分優しくしかえすのが相応だと思うが、それだけじゃない。自分の身のためだ。
……あいつが高超度のエスパー系アルケミストって言うのはもう知ってるか? そうか、知らなかったか。まぁ普段のあいつを見ていればわかるぞ。あいつサイコキネシスで重い本を同時にいくつも運ぶし、テレポーテーションで本を戻すし、サイコメトリーで本が傷んでないかどうか透視するからな。そう、複合能力者で、恐らく相当高超度。超度7じゃないかって噂もある。……初期文豪の俺が知らないしわからないから、詮索しても仕方ないことだろうがな。
で、あいつが普段使っている能力はこの3つだが、他にも持っている。専ら使っているのはヒュプノ――催眠能力だ。あいつのそれは相当強力らしい。これが問題だ。
それは、ある2人の文豪…………面倒だから名前を言う。田山花袋と岩野泡鳴だ。この2人とはもう挨拶したか? そうか、どちらも元気な奴だろ。だから厄介なんだが……。
この2人、小説論でよくぶつかりあうんだ。それも見た? もう名物だな。文豪なんてのは物凄く仲が良いか物凄く仲が悪いかで二極化するもんだ。……いや、そうでもないのもいるな。これは訂正する。ほどほどに留めているのもいる。理性的に冷戦状態を保っているのも……それは置いておくか。とにかく田山と岩野はよくぶつかりあう。俺らにとってはもう慣れたものなんだが……初期の頃はひどかったんだ。主に仕事に差し障りがあるという点で。
1回目は一緒に潜書したくない、と喧嘩をしてその日1日の仕事が駄目になった。
2回目は派手に殴り合いの喧嘩になって、1日補修を受けていた。
3回目は酒を飲みながらの口論で飲み比べになって、次の日二日酔いになって使いものにならなかった。
司書は1回目は窘めた。2回目はちょっと叱った。3回目はかなり強めに叱った。この3回目で大体の奴らは反省するんだが、こいつらはその至近で「4回目」をしでかした。
ロシアにこの言葉に相当する言葉があるかはわからんが、仏の顔も三度、って言うだろ? あれはよく誤解されるが実際は3回目には怒ることを指すらしいが、司書はその3回目も許してくれた。けど、4回目はそう言うわけにはいかなかったんだろうな。いろいろ。
4回目。この日は殴り合いの喧嘩になって、それを止めようとした……そう、止めようとした奴がいたんだ。騒動を起こすのは4回目ってわかってたからな、あれは優しさだろう。止めようとした堀が、手が滑ったどちらかの拳をまともに喰らってしまったんだ。鼻血が出てたな。さすがにそれを見て2人は青ざめて堀を補修に連れて行ったんだが……運が悪かったな。司書が、森さんと仕事で話し合ってたんだ。そのとき俺も一緒にいたな、助手だったから。
まぁどう取り繕ってもばれるよな。
それで堀を補修室に入れたあと、2人を司書室に連行したんだ。で、2人は当初は悄然としていたが、いざ尋問がはじまると「俺は悪くない」「そっちが悪い」って言い始めた。結局どちらが堀を殴ったかも白状しなかったな。あの頃のあいつらはもう何が切欠で自分たちが啀み合っていたかわからなくなっていたんだと思う。あれ一種の転生バグだったんじゃないかって思った。
で、司書が、言った。
「反省する気はないんですね」
あれは最後通牒だったな。
あのときの司書の気迫はやばかった。腕組みして、無表情のまま青い目でじっと2人を見てた。喉がひりひりするような空気だった。それでも、2人は「俺は悪くない」って交互に言った。
すると、司書は腕組みを解いた。それで、立ち竦んでいた2人に手を翳したんだ。
途端、2人は手を繋いだ。
何の冗談かって? 本当の話だ。2人は手を繋いだんだ。俺も驚いたが、1番吃驚していたのは当の2人だった。
「何の冗談だよ」
「気色悪い、突然なんだよ」
「は? お前こそやめろよ」
ってしばらく言い合いをしていて、ふと黙り込んで恐る恐る司書を見た。
司書は無表情のまま言い放った。
「俺のヒュプノでずっと手を繋ぐように催眠をかけました。反省したら解いてあげます」
――今まで言った通り、司書が高超度エスパーなのは知られていた。特に田山は色々あって司書のヒュプノの効果をよーく知っていた。だから慌てて2人して繋いだ手をぶんぶん振り回したが、瞬間接着剤でくっつけたみたいにびくともしない。2人の顔色は面白いほどどんどん青くなっていったな。2人とも叫んだ。
「司書! 嘘だろ!?」
「は、反省した! 反省したから催眠を解いてくれ! 頼む!!」
2人とも、特に岩野なんて普段のプライドをかなぐり捨てていたな。まぁ当然だろうが。
……え? だって考えてみろ。普段あれほど口論しあっている相手だぞ。そんな2人が仲良く手を繋いで過ごしている――周囲からすれば物笑いの種どころか生涯酒の肴にされること間違いなしだ。それをわかりきっていたから2人とも必死だったな。
けど、そこで司書ははじめて笑った。五月の風みたいな爽やかな笑顔だった。
「そうですか。反省されたならなによりです。それはそうとして最低今から24時間は解けない催眠ですから、今日は危ないのでお2人の潜書はなしにしますね。お出かけも危ないですから『館内で』過ごしてください」
人って絶望するとあんな顔になるんだな、って言う顔を2人はしてた。
……それからどうなったかって? 勿論食事も風呂もトイレも寝るのも全部一緒だった。だって手を繋いだままだったからな。2人きりで部屋に籠もっているのも癪だし、かといって館内にいると他の奴らが遠慮なく指を指して笑う。だから2人は1日中談話室のソファで座ったまま過ごしていたな。あいつらはずーっと死んだ魚のような目で虚空を眺めていた。隣を見れば嫌でも手を繋いでる相手が視界に入る。だから空を眺めるしかなかったんだな。
24時間後、手を離された2人は自然と土下座していた。なお堀にも土下座していた。
それからだな。あれから2人は論を戦わせることは相変わらず頻繁にあるが、潜書にだけは絶対に支障を来さなくなった。――司書があんな罰を科してきたのは、4回も潜書に支障を来した上に他の奴を流れ弾とは言え殴って仕事に支障を来させたから、って言うことがわかったからだろうな。
そう、司書は怒っていなかったんだ。俺が2人が手を繋いだままふらふら出て行ったのを見送ったあとで一応理由を訊いたら、あいつ、こういったんだ。
「俺は文豪の方々に仕事をしてもらうために尽力するのが仕事です。なので仕事をされない方に仕事をするよう促すのも仕事です。彼らにはああした方が今後効率が良いかと」
「効率」
「ええ」
あいつは淡々と言った。
「口ではああ言っていましたけど反省などされないでしょうからね。そういう方には思い切り赤っ恥を掻かせる。そうすれば行動は抑制できます。ま、効果はしばらくの間でしょうがね」
……怖いだろ? あいつ、口では言ってなかったが、確実に他のよく口論している奴らの牽制にも田山と岩野を利用したんだ。
つまり、「もし仕事に支障を来すような喧嘩をしたらこんな恥を掻かされるぞ」、って。
あいつは「しばらくの間でしょうが」と言っていたが、あれからずーっと、誰も仕事に支障を来していない。誰もだ。
身に沁みてわかったからだろうな。司書の奴が、善良な顔をした究極の効率厨だってことが。
「って言うことを教わったんだけどね。海外文豪の人たちはまだ知らないだろうって言われて。……フェージャ? 話を聴いてた?」
「……聴いてたさ」
長い立ち話だった。話の間に5人の人間が通り過ぎ、うちひとりは犬を連れていた。トルストイは語るのがうまいな、とドストエフスキーは思った。何せそこに佐藤春夫という文豪が立って、司書の恐ろしさを語っている様が見えた。
ドストエフスキーはそれから長いこと黙っていたが、やがて歩き出した。
「フェージャ!」
「賭場に行く。邪魔すんじゃねぇぞ」
と言いながらも、歩みの先は図書館である。
「……まぁ賭場に行くのは図書館に戻ってからだな」
「フェージャ! よかった」
安堵したように笑うトルストイをちらりと振り返ったドストエフスキーは、「こいつも効率厨の司書の仲間なのか……?」とちょっと思ったし、図書館に帰ったら出迎えてきた司書を見て「こいつがえげつない効率厨なのか……」と思った。
了